2008/12/19

何かの締めくくり。何かはよくわからん。

図らずも、今年の、というか30年の締めくくりをしてしまったような。
なんて書くと、こないだいっしょに飲んだ
スーツ屋のヒロに「30になったら変わる。
これまで仲良くできなかった人とでも仲良くできたと思ってる
ボクが言うんやから間違いない。それは劇的なもんやで」
なんて言われたことを思い出したりもして。

書かなかった日々、今週と先週と、先々週だけど、
何かをじっと考えていたような気がする。
その前は人に思っていることを、自分が後悔するまで話していた日々で、
いやもちろん、先々週も先週も今週も飲みに行かなかったワケではなく。
飲みに行って「この人にこんな話ができてよかった」なんて思うことも
「やっぱりこんな話するんじゃなかった」なんて思うこともあって、
だけどその全ての感想は
とりあえずダラダラと付き合ってくれるタニモト氏にあずけて
私はしんみどうで、じゃがいもチヂミとマッコリを往復していた。
実はその間に高松にも行き、東京にも行き、京都にも行った。

傍らで環境問題のことが話されていたら
実家の街に金を落とす坂本龍一はアメリカ的だとか思ったし、
社会問題のことが話されていたら
公務員はもっとサービス産業的・広告的になるべきだとも思ったし、
テレビで殺人事件の報道がされていたら
ニュースとワイドショーはもっと分けたほうがいいとも思ったし、
隣でプレゼンしているネエさんの話を聞きながら
彼らのこれまでをそんなに意固地に否定しなくてもいいのにと思った。
いろんなことをひたすら考えたような気がする。
だけど、結局私は自分と自分の周りにしか
興味がないということもよーくわかった。

--

小さいころ、寂しがり屋さんだった私は、
よく親の死ぬドラマや映画やドキュメンタリーを観てはよく泣いた。
そんな映像を観た夜は寂しくて怖くて眠れなくて、
「どうか、私の周りにいる人とその周りにいる人と、
みんなが寂しくないように、その周りにいる人と、その周りにいる人と、
その周りにいる人と……」なんて願い始めて、
そしたら果てがないことに唖然として、
「ああ、その中には私が嫌いな人もおるわ」
っていう小さなことに気づいて愕然として、
さらに眠れなくなることがよくあった。
いろんなことを考えても、結局は自分とその周りのことしか
普段の生活では見えなくなるんだ。
何を考え何に後悔をしたのか、その根本すらもう忘れてしまった。

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さまよっては驚き、
驚きを求めてさらにさまよい、
驚くことを忘れたこの時代に、
驚くことの切実さを知らされた。
驚くことを忘れた心は、
窓のない部屋に似てはしまいか……?

※オーパ!(開高健)
※プレイボーイ日本版・終刊号冒頭より

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日曜日、久しぶりにタニモト氏の店に行って、
いやーいろいろ後悔するね、話しすぎて考えすぎると、
ということを笑い話として話す。
もちろん、後悔しない相手もいる。
マコやタニモト氏や、こないだ結婚したタマヤマノリコやら、
こないだ京都で散々喋りまくってしまったハヤチンも、
東京ではゲイ論を散々展開して、最近の私の「お気に入り」を
「ソレは間違いなくゲイやね。8割方当たってる。
てかアタシとかまーくんが
友だちにいるのに何で気づかへんのか理解できへんわ」
と一蹴してヘコませたテンコもその類。
そういえば松っちゃんの漬物発送の日々が始まったので
なかなかいっしょに飲んでくれなくなったのは寂しい。

別にだからといって、彼らが幸せになりますように
なんてことを特別に願うワケでもなく、
私の日常は淡々と過ぎていっている。
たまにしんみどうから南海の高架沿いをトボトボ歩いて帰りながら
空に月を発見して「今日は三日月やな」とか思ったりして、
自分の立っている場所の空気と
自分が今思っていたことの剥離に笑ったりする。
それでいいと思っている。
たぶん、これからもこういうカンジやな、とも思った。

なんのこっちゃない結論でワルいか。
しかも引用したものとは全然関係なくなったけど、ま、えっか。

2008/12/02

見かけ倒しこそ色気の証左。

バンバンのライブ@ミューズ。
カスレ声の切ないボイスがどうにもこうにも。
ラムコーク連打、いっちゃん前に陣取って
デヘヘヘ〜とキモチ悪くも笑いが止まらず。
ライブが終わってもバンバンの三人にくっついてって
ミーツとバッキーさんのフレーズカレンダーを無理矢理渡してやった。
そういえばおとついビギンのヒトシさんに
「明日はバンバンのライブに行くんですぅ〜」と言ったら
すぐに電話をかけてくれて、
私と坂ちゃんはそんときもデヘヘ顔になっていた。
ヒトシさんの前で失礼な話だけど、
だって、本当に好きですから。


ヘラヘラのままゴールデンボール周年に乗り込む。
酔っ払いすぎて何をしゃべったのか全て失念。
隣に座っていた紳士にカメラの使い方を教えてもらった。
あの人は一体誰なんだ。




帰ってみればクツシタに穴。
途中、坂ちゃんと、ミューズで靴を脱いで踊っていたのを思い出した。
見かけも何もあったもんじゃない。

2008/12/01

ゴキゲン三昧の週末。

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つぼみは、たくさんの小さな鹿のつんととがったひづめのようだった。
花はーーううん、花は、ただ花のようだった。
葉だって、芽吹けば、きっとただ葉のようだろう。
あんなにも木らしい木を、わたしは見たことがなかった。
救われた思いがした。
あの根、あの幹。
水分が根と幹を通って枝や花や葉に届けられるさまを想像しただけで、
嬉しさでくらくらした。
そして雨が降れば、水は葉に受け止められてふたたび根元に降り注がれる。
なんという知恵。
わたしが呼吸をしていられるのは、あの木のおかげだ。
幹や樹液を護っている樹皮のありがたさ。
表面に刻まれた繊細な溝。
それを指でなぞってみるところをわたしは思った。
それから木の内側のことを思った。
無数に重なった丸い年輪の一つひとつが、
あの木の生きてきた一年ずつ、
一つとして同じもののない四季のうつろいの証なのだと思ったら、
高校生みたいにぼろぼろ泣けてきた。
ベッドの上にあおむけに寝て、わたしは十七歳に戻ったみたいに、
声をあげて泣きながら笑った。
それはもうわたしの知らない別の誰かだった。
とっくに仕事に行っていなくちゃならないこんな時間に
ベッドの上に横になって、枕を抱きしめて、
心なのか魂なのか脳みそなのか肺なのか、
何かわからないもののせいでこんなふうにふわふわハイになって、
その何かは、ぷつんと糸が切れてわたしから離れていって、
木のてっぺんの、手の届かない高い枝にひっかかっていた。

※五月(変愛小説集/アリ・スミス著/岸本佐知子訳/講談社)

-+-+-+-+-

土曜日は案の定しんみどう。
誰かを誘おうかと思っていたら、松っちゃんから呼び出された。
鉄板鍋にチャプチェ、マグロイカフェ、角煮、
それにマッコリはひとり2リットル近くは飲んだ。
サイコーすぎる。
遠くに出て大阪を思い出すときは、
なぜかいつもしんみどうのママの料理。
私にとっての大阪とは、しんみどうのある天下茶屋らしい。
ゴキゲンになりすぎてミューズに単独移動。
ふじも兄ご一行に遭遇、
ゴキゲンすぎて空気を乱してしまいましてすいません。
その後おなじみのナマズでもふにゃふにゃして帰宅。
昨日は奈良さんに誘われて阿波座にてライブ。
ノンちゃんの温度の高い歌声に泣いた直後に
松っちゃんから呼び出しがあってうどんすき@虎ばん。
ミゾさんに、ビギンのヒトシさんも加わってハイテンション。
今日は取材の後、バンバンのライブ@ミューズ。
ちなみに松っちゃんのカノジョ、坂ちゃんと。
タノシミ。
つーか、こんなに楽しんでてええんかしら。
そういえば、まーくんとこの周年も行かねば。
ちなみに明日は朝イチ高松、
あさってはオーディションで東京っす。
あー働きたくない。

2008/11/28

朝日に感動したので。

高知に到着した晩、つまり水曜日の深夜なんだけど、
そのときは霧が濃かった。
「明日はええ天気やね」と父親は言っていたけど雨。
父親曰く、雪と雨の中間の雨だったそうで、
そういえば高知とは言え山間部の寒さはきつい。
雲というよりも霧の中の雨というほうが正しく、
真っ白な空気の中での生活。

夜はさらに冷えて水蒸気は全て霧となる。
昨晩の空は晴れ。
深夜の暮れ、ひとりデッキに出てタバコを吸いながら
「寒い、寒い」とカラダを縮こまらせる。
家の周りには山と川以外に何も見えない。
しーんとする中、川の音だけがザァザァと聞こえ、
目を上に向ければ冬の大三角形が広がる静かな夜。

不意の高松連泊の後、なんとなく帰省をしてみた。
ふじも兄のメールによると、もうミーツは刷り上っているらしい。
アングリーアイからは日曜日の焼肉へのお誘いメール。
大阪に帰りたいけど、この静けさは、やはり。

本日はまた高松、昼から打ち合わせなので早朝に家を出た。
あいにくの雪混じりの雨は続き、
こちら側の上空には雪雲がかかるが
坂の下を臨めば海の上空には青空が見える。
青空の下には薄くボンヤリと太陽のピンク。
普段、朝日を撮り続けている父親もさすがに興奮気味に、
車を走らせながら自然の驚異を語り始める。
10年ほど前、フィリピンで地震があったときには、
空気中のチリに光が乱反射して、朝日がとてもキレイだったという。
それは別としても、山と、すぐ近くに海があって
その全てが開発途上のこの土地ならでは。
ここでしかありえないこの光景は、ちょっとすごい。

2008/11/24

まるで何年も眠ってた気分だぜー(by S.B.B)

何日もただただ眠り続けていた気分で目を覚ましたら、
今日は雨が降っていた。
何かを羽織って過ごし始めていたけれど、
夏の終わりはいつの間にか終わっていたことに
ようやく意識的に気がついた。
残る深みや濃さは全て夢の中でのことのような。
飲んで飲まれての数日は、
後悔になって消えていった昔のことを思い出して
くよくよメソメソとしていたに過ぎない。
時代を超え、時間を超えて全てが色鮮やか、
それは全てを超越する「よくある話」の断片、
全てが示唆的に含まれる物語である。

ツインピークス2周回目が終了。
10巻セットで各巻には3~4話、
考えてみればここんとこ飲みに行く以外は
ほとんどツインピークスにどっぷり。
親友・アングリーアイの重大報告も、
土曜日にジュニアさんに言われて思い出したくらいで。
昼間にした仕事の記憶が全くない。
一応仕事していたんですが。

てなワケで?、今日はコレに溺れます(一応仕事)。
そのあとにたっぷりとラフが残っているのが苦。
つーか、ジュニアさんの引っ張ってくるライブはマジでサイコー。
やっとネタンダーズを見られる、多謝。

2008/11/23

頭ん中が酒くさい。

先週の水曜日はタダ子と天下茶屋のしんみどう、
木曜日は高松トッパンの面々を兆治に案内、
のちにひとりでミューズ、ナマズ、HBH、
金曜日は鶴橋の万正で宴ののち松っちゃんと難波の虎ばん、
土曜日はバスケの人らと居酒屋→カラオケのちに
有志を募ってミューズ(てか私が行きたかっただけ)、
日曜日は松っちゃんとトモちゃんとしんみどう、
月曜日の記憶はすでになく、
火曜日はこないだの日記を参照で、
水曜日は一日を寝ることで潰し、
木曜日はタダ子プレゼンツのしんみどう、
のちにふじも兄とカバサ(飲みごろ、飲まれごろの第一回目参照)、
のちにアングリーアイと合流でニコ、ナマズ、ウサギ、
金曜日はさすがに反省して、
土曜日の昨日も懲りずに深夜からごそごそと街に出た。
まずはミューズで、月曜日のライブの取材のアポを取りつつ、
横に座った和服のナイスミドルの二人に心は釘付け、
変化球だらけの人生公論を伺いラムコークごと心に沁み入った。
「アナタハナニワノデビットリンチデスネ」という
最大の褒め言葉はどちらにも通じなかったけど。
その後、ニコにてイケメン歯科医のイケてないボケに付き合い、
有名ワインバーのマネージャー嬢と知り合い、
チョーシにのってまたも「お店行きます行きます」と宣言してしまった。
律儀な私はきっと足を運ばなければいけない運命、
頭の中では「うむむむ…」と唸っている。
キモチの収拾が一向につかず、
結局またHBHに行ってポヤーと飲んで帰った。
走り始めた南海電車のホームに向かう途中の階段で転んで膝が痛い。
日曜日の今日はさすがに本当に反省している。
飲むことに、というか、頭ん中、アルコール臭。
そこそこで飲むのをやめることはできんのか、
なぜか「帰ること=負けること」という図式が頭から離れない。
そもそも、負けてもいいんだけど。
で、今日はゴーゴーコーヒーのナカジが登場のライブがコントートで。
行くかどうしようか、そうとう悩むとこで。

2008/11/19

モンスペ連打でゴキゲンの海に沈没。

このところ2日に1日はいっしょに飲んでいる松っちゃんからの誘いで、
なんの因果か、仁義なきマグロ居酒屋にて
そこの店主の誕生日を祝ったりした。
参加メンバー。
松っちゃん、ふじも兄、トモちゃん、
麺子ことタダちゃん、ほんで私に、マコ。
それにしんみどうのママ、マスター、娘とママの友だち、
それと仁義なきマグロ居酒屋の常連が数人。
ま、なんでもいいけどゴキゲンなメンバー。
博多仕込みの先輩は来られなかったけど。
(歴史の証人にならなあかん、言うていたのに)
私らはそこで「絶対あかんで、飲んだら」
という松っちゃんの仁王立ちを無視し、
「キレイな色のお酒(c/トモちゃん)」こと
リポビタン味のモンゴルスペシャルを連打、
マグロにはむせび泣きながら沈没した。
いくら払ったかすら覚えていない。
とにかく、ふじも兄が店主のクワタさんに、
次のミーツの巻頭を飾る松っちゃん作の原稿を見せて、
それに感動しきりで本当に涙を流したのがうれしかった。
そんな雑誌で書かせてもらっていることに感謝。

その後、ふじも兄に誘われて、ミューズ、HBH。
そこではあまりにも酔っ払いすぎで何を喋ったのか全く覚えておらず。
途中でシュンゴ先生とケイタくんの、
オトコマエなのにツメのアマい残念なコンビが乱入してきて、
そういえば私はほったらかしでなんやアツい話を語っていた。
(ヘロヘロすぎて参加できずですわ)
ひとつ、親分と兄を会わせてみたいと最後に言ったのは覚えている。
そんな平日。
今日が来る前に、今日の分の仕事を終わらせておいてよかった。


追記
そういえば、昨日のHBHにて、
あまりにも次のミーツのできばえを自慢されまくった。
あ〜〜、早く見たい〜〜〜!
さきほど、校正の確認で博多仕込みの先輩から電話、
(何軒か校正を手伝ったので)
そこでも「めくるのが楽しいっちゃん」と言われて
ますます月末が楽しみになりました。
虎ばんでも宣言した通り、今回、10冊は買って配りまくります。
遠方の方々も、大型書店なら置いているはずなので、
要チェックくだされー。

2008/11/10

世界を止めて。

神様 時間止めて
このままキスさせて

そっと口づけかわして
折れるほど抱きしめて
何度でも君に触れて
いつまでも 夢を見て

秘密にあふれてくこの恋に
二人おぼれてく
誰も知らない 誰も知らない

鼻でキスして笑って
ツメでほほ そっとなでて
白い胸 顔をうずめて
いつまでも君を見て

どうにもならないよこの恋が
君をさらってく
だからひととき ほんのひととき
そうさひととき ほんの少し

神様 時間止めて
このままキスさせて ずっと ずっと
神様 世界止めて
明日を遠くして ずっと ずっと
Oh, baby

遠い空 星が流れ
届かぬ 願い祈って
あてのない約束して
いつまでも夢を見て

どうにかなりそうさこの恋が
君を泣かせてる
だからひととき ほんのひととき
そうさひととき ほんの少し

神様 涙止めて
このまま眠らせて ずっと ずっと
神様 世界止めて
二人を消さないで ずっと ずっと

※世界を止めて/THE COLLECTORS

--

朝にちょっと時間があったので、
タワレコにてアフニカのファーストをやっとこさ購入。
ついでにふらりとコレクターズの新譜を発見いたしやした。
やっぱ「世界を止めて」、ぐっとくる。
これ、大学のときも聴いてたんだよな〜、
歌詞の意味なんかようわからんかったはずよね〜。

んで、ついに禁断のツインピークス全巻購入、
こんなんしてるから金がないってわかっちゃいるけど。

んでもって今から高松日帰り。
うにゃ〜。
大阪で時間を止めてくれ。

2008/11/09

明日から仕事です。

こないだタカさんと取材をいっしょに回りながら、
太田さんの話にとんだ。
太田さんは、こないだの『西の旅』での露口の写真を見て、
「やっぱ、露口は、こうだよね」と言ったとか。
で、しばらくその話が続く。

露口のマスター、露口さんはマジメで、
無駄な話を一切しないで黙々と酒を作る。
写真を撮られるのもきっとあんまり好きじゃないと思う。
いつ行って写真を、とお願いしても、
顔がカチンコチンに強ばり、
「できたら作っている手元だけを撮ってほしい」と言う。
ここは往年のサントリーバーの中でも
多くの酒場ファンに愛される老舗のバー。
50年の年月を一代で、ということでも有名だ。
マジメな店主の横で天真爛漫にもり立てるのは朝子さん。
店主に鬱陶しがられながらも
「あんたの横におりたいのぉ〜」
「ほら、気づかんうちにあんたの近くにおってしもうてるわぁ〜」
とキャッキャッと場の緊張感を和らげる。
そのたびに露口さんは「邪魔やからアッチ行っとき」と言い、
私らはカウンター内での夫婦のやり取りをアテに飲む。
太田さんが「やっぱ、こうだよね」と言った写真には
もうまさしく露口の空気が閉じ込められていたし、
やっぱり私も、ここはそうじゃなきゃ、と思う。
日常以上の日常、というか。

太田さんのみならず、この店を目指して松山に来る人はいくらでも。
「朝子さんに会うために出張を松山にしたんだよ〜」なんて
偶然隣り合った御仁は酔っ払って何度もうれしそうに言っていた。
だから「松山の宝」と書いたことがある。
酒を飲むために行く松山、それでいいと思う。
それが「日常以上の日常」ね、うーむ。

考えても仕方がないことかもしれないけど、
なぜ酒を飲みたいと思うのかという疑問がチラリと浮かぶ。
理由はきっと様々だろうし、
今日と昨日と明日のその動機だってバラバラに違いない。
ただ、ふと思い出したように「なんでなんだろう」となったときに
同時に頭に浮かぶのは、なぜか露口だったりする。
不思議なことですが。

今からようやく原稿にぶち当たるので、
ちょいともっかい考えております。
もし店の写真をもらえるなら、メールください。

--

やっぱり家でゆっくりボンヤリする時間がないと、
私の場合はいろんなことを落ち着いて考えることができないらしい。
原稿があろうが何があろうが、日曜は休むことに決めました。
実際、先週も日曜は仕事しなかったしね。
明日からまた、がんばります。

昨日は高松からのバスが渋滞で遅れたり、
新今宮から環状線を逆に乗ってしまったりと結婚式に遅刻。
こんな私ですが、挨拶はバッチリきめてまいりました。
楽しかったし感動した。
料理もおいしかったしね。
ちょいちょいと私がオススメした曲が流れたのも
なんかグッときました。
手紙もちょっと泣いてしまいましたわ。
あと、かわいいブーケもありがとう。
枯らさないようにがんばります。


感激するごと、ブレブレになってしまいました。お粗末。

いろいろと迷いはあったし
話し合って反対したこともあったけど、やっぱりよかった。
それが、マコが最近変わった原動力だとも思ったし。
相手からの想いがあったからその相手のことを想うことができる。
それが目の前で実現されたようで本当によかった。

2008/11/08

高松はもういやだー。

先週は、もうずっと、商品取材。
火曜の晩はスタッフの人らと骨付鶏の後、親分と飲みに行き、
水曜の晩はスタッフの人らとみそ汁の後、メタボな先輩と飲みに行き、
木曜の晩は親分とメタボな先輩とプチ打ち上げをして、
昨日の晩はメタボな先輩と焼鳥を食べた。
ま、私はかなり心労がたまっていると見えるらしく
親分にもメタボな先輩にも最大限に気を遣われている。
前の号の訂正にはもう関わっていないけど、
ひとりで取材に立ち合っているから
ダイレクトに「これ、こういうふうにお願いしたんだけど、
どうにかなりませんか」てな訂正依頼をいただくことも。
そもそも色校以降の訂正系統が統一されていなかったので、
「あれれ、直ってないやん」というのも見せられる。
中には私が指示してどっかの指示系統に乗せたつもりが
そのままスルーされてるのとかもあって、
素直に「あれ、なんでやねん」なんてボソリと出てしまったり。
そうやって聞いたモノが今どういう状態にあるのかもわからずだし、
(すでに下阪してしまったヤツもあるし、念校が出てないのもあるし)
チョコチョコと聞いた訂正を指示して直したとしても
データのやり取りがかなりややこしくもなっているので
正規ルートに乗らずに、訂正前のままデータが流れてしまう可能性も大。
確認事項多すぎることこの上ない。
それ以前に、取材をしているスタッフに、
直接「直してください」とか言っちゃう向こうさんの
行儀の悪さ、節操のなさに付き合いきれないとこも。
そんな調子で取材が進むもんだから、実際、疲れた。
もう勝手にしやがれ。

取材自体は順調に進行。
商品に関する質問やページの切り口に対する質問を
積極的にやってくれたのは本当に助かった。
それって当たり前っちゃ、当たり前のことなんだけど。
クライアント様方もボンヤリと前回のやり取りと比較してご満悦の様子、
とりあえずファーストコンタクトはオーケーかと。
こっから先がしんどいことこの上ない。
ハードルはおもっくそ上がってしまっているので、
来週出すミニラフにしても、その次に出すラフにしても、
現実的なものじゃないとかなりヤバイ。
そこまで情報とテイストを落とせるか…てのが楽しみだけどヒヤヒヤする。
ともかく来週頭にもっかい打ち合わせ、
ようやく決まった撮影部隊とも初顔合わせにして早速の現実的な話に。
どこまで話を落とし込んでいけるんだろう。
はぁ〜、早く解放されたひ。

今からオーサカ帰ってマコの結婚式でござい。
挨拶って何を言えばいいんだ??
明日はたっぷり原稿に沈んで、
月曜はまた高松、火曜は大阪、水曜は新件の打ち合わせ。
あー、さすがにしんどい。

2008/11/03

さとみん、胸いっぱい。

ミナミにいれば人に会う。

昨日はアングリーアイとデートのつもりが
知らん間に参加者は増えていて、
ドラムのアベさんに、
あとはミナミホィールに東京から参戦の青空ドライブ篠原くん、
(おぎやはぎの深夜番組のタイトルテーマを演奏中。
今度1stアルバムリリース!)
高知出身のイカすDJササさんも同じく東京から。
元モデル、現社長秘書のベッピン久美子ネエも交わり、
今ノッてる酒場、ササヤにてビールにワインにハチャメチャに飲む。
つーか半分以上は初対面なんすが、
ササさんとはとにかく高知コトバでなじりあい。
お得意のグルーミング(毛づくろい)的
コミュニケーションで初対面感はゼロ。
天才ドラマーの含蓄あるモノヅクリ論も冴え、
合間で入ってくるミナミホィールのメンツのゲスト具合も、
ゴキゲンすぎる豚の炭火焼きに
味濃いナマ野菜もイチイチ場を盛り上げた。
ゴキゲンすぎるぜっ。

ゴキゲンな飲みを進めていたとこで天王寺の野球好きこと
浪花のチーター、ホルモンライターの松本さんから呼び出しをいただき、
全員引き連れてドブ六九。
ササさんの音源に、アングリーアイのジグザグガールズと、
ホルモン伝道師であり、プロレスラーでもあるバーは音堪能の場と化し、
その脇で喋る松本さんの街話もそうとうキテる。
イヤ、ゴキゲンにもほどがある。
やっぱミナミサイコー、ミナミナンバーワンやろ。

そんなこんなで、もう胸いっぱい。
飲めもせんのに最後にジェットへ漂着し、
飲めないからものの30分で帰路に着く。
はぁ〜、飲み過ぎですな。

先ほどまでニコにて撮影、
のち、来週の結婚式に向けての準備をしてメキシカンファミレス、
もっかいニコ、そこで山口ストアーのぐっさんやら
高山さんに会って、ガハガハと笑い泣き。
ケンタローさんとはあってはいかん話で最後盛り上がり、
つーかそれは、個人的に話し合いたい議題っすわ、と。
で、ナマズ。
ジョンが入って1周年、チーママと化したジョンをなじって帰宅。
明日は朝イチで高松ですわ。

2008/11/02

男より男らしいゲイって。

ミナミで取材2軒。
ジュニアくんのミューズと、まーくんのゴールデンボール。
音で言えば、一方はジャズの流れるカリブな店、
もう一方は歌謡曲のピンクなゲイバーと
立て続けに回るにはあまりに真逆なバーふたつ。
しかし同じように普段回遊している店でもある。

ミューズは忙しそうだったために、
撮影が終わってほんの少し飲んで店を出た。
カメラのエレファントタカ曰く
「今日は朝からどうやって撮ったらいいのかずっと悩んでる」との
ゴールデンボールにそそくさと向かう。
タカさんは自称・下戸。
酔っ払った姿は見たことがない、というか
いつも飲んでも1杯か2杯でやめてしまうので
その自己評価が正しいかどうかは知らない。
店の取材はしても、外で飲んでいる姿は想像できず。
だからゴールデンボールに対して
「あれから(いっしょに取材に行ってから)、
何回か来たんですよ」と言われたときにびっくりした。
店はあまたあれど、よりによってゴールデンボールか。

ミナミの中でもギョーカイ人率ナンバーワン、
元アイドルや芸人の姿もチラホラのこの店、
ミナミの輩も「や」の付く職業の人も姿を見せる。
黒い壁には龍のイラストがデカデカと、
カウンターを飾るのはいかがわしきグッズたち。
そこを仕切っているのはゲイでピンクのトサカのまーくん、
飲めるのはお世辞にもバーテンダーの作るおいしい酒とは言えず、
だから私はいつもそこでハイネケンの缶をいただく。
“酒場慣れ”していない人にはたぶんキッツイ店。
よりによって…の気持ちはラクに察することができるだろう。
私もミーツで働かなければ行かなかったと思う。
私らミナミの界隈生息人にとってはまーくんは母親的存在。
「男より男らしい」とかいう頭がこんがらがりそうな
チグハグな評価をする人も多い。
私もそれを提唱するひとりで、
あとはそろそろ還暦のジミーちゃんやポポさんやら、みんなそう言う。

ヒントをあげようと、たぶんそういう話を書くよと言うと、
「いやね、まーくんて、懐が深いんですよね」とタカさん。
続けて「だからヘンな客に来てもらわれてもイヤだし、
かといって元気のない写真もまーくんらしくないし…」
と道中から延々と悩み続ける。
店に入って準備をしながら、またも悩み始めるタカさん、
「全然降りてこないんです…」と悲しそうに言いながら
ついにはカウンターに座ってビールを飲み始めてしまった。
しばし歓談。
あーでもない、こーでもないと言いながら、
冗談のつもりで「ピンクレディ踊ったら?」と言ったら
「あ、それいいですねぇ」と盛り上がって、
ようやくアングルが決定した。
よかったよかった。
夢中になって撮る姿を、知っている人ならば想像できるだろう。
どこまで近づくねんてくらいまーくんに近寄り、
まーくんもそれに応えて夢中で踊り、
周囲の客はいっしょに踊ったり手を叩いて笑ったり、
そんな写真が撮れた。
「やっと降りてきました」とニコニコのタカさん、
「これ、表紙にしてほしいですね」といつもの厚かましい口調も戻り、
もう終電を過ぎてしまって高槻に帰れないというのに
ビールをさらにもうひとつ飲んでいた。

そういえばその後にニコに行けば
常日頃からふつふつと血を煮えたぎらせている
アッツき男・まっちゃんの送別会をやっていて、
シュンゴ兄ちゃんやらスタイリストの沢田さんにも会って、
ワキアイアイと飲んでしまいました。
ミューズに戻り、最後はHBH。
昨日もよう飲みました。
今日はアングリーアイと久しぶりの会談。
明日はキミヒコ先生とニコ取材。
いやー、水をえたサカナのように…とはここ最近の私のことですかな。

2008/11/01

大阪に住んでいる。

お初天神にて取材。
取材というか、ほとんど撮影だけなんですが。

インスパイアには、ミーツにいたころは特にだけど、
店がもう終わりかけの時間にお邪魔することが多かったりする。
客が私ひとりになると、とりあえず先に勘定だけを済ませ、
ユウジは店を片付けをして服を着替え、横に座って飲む。
ユウジはたいがい店の営業で酔っ払っているので、店の話でアツくなる。
話にアツくなる、とは言ってもそれは本当に静かな変化で、
酔っ払いながらもひとつひとつ確認するように言葉が出てくる。
最初にそうやって話を聞き始めたのは店が4年目ほどのことで、
「お客さんて3年周期で帰ってくる人がおるんやなって思った」
と言っていた。

一度「飲みごろ、飲まれごろ」に書いたことがあるけど、
カウンターに座っているこちらにも
ユウジの静かなるノホホン具合は波及することがあって、
ボンヤリと考え事をしている間に、
隣に別の客が座ったことにすら気づかないことすら。
そんなだから、ユウジから「また来てね」なんていう台詞が思いつかない。
むしろ「帰ってきてくれたらうれしいけど、
帰ってこなくてもいい。それはお客さんの自由」
なんてことを言ってしまうユウジの店はあったかい。
3年ごとに店に来る“常連さん”がいること、
私にとっても「帰って行ける場所」であってくれること、
そのことにいつも感謝する次第。

昨日の取材は9時半にスタート。
お客さんが来るのをのんびりと飲みながら待って、
キミヒコ先生も2杯ほどうれしそうに飲んで、
オイルサーディンを食べて(そういえば、撮っておけばよかった)
撮影をし始めたのは11時くらいだったか。
撮影が終わって、まだもう少しずつ、名残惜しむように飲んで、
キミヒコ先生が帰って行ったのが1時過ぎくらいだったか。
私はそれからもまだ飲み続け、
気がつくとお客さんは誰もいなくなっていた。
2時半を過ぎたころ、ユウジはボツリボツリと片付けを始め、
いつものように横に座って飲み始める。
私はハイボールとシェリーを行ったりきたり、
ユウジはジントニック。
その間にひとつした電話でなんだかやりきれない気分になり、
ユウジにそのやりきれない感じを話した。
どんな話もフワリと軽く空気といっしょに流れていく。
やりきれなさは残るものの、
残る感情の全てが悪いものではないと気づく瞬間がある。
私はいつもその空気に救われる気がしている。

考えてみれば、インスパイアに行っている年数と
私が大阪に住んでいる年数とは同じだ。
T氏に連れられて初めて行ったときに「3年目です」と言っていて
今、店は8年目だから、私は大阪に5年いることになる。
西日本最大のターミナル街・梅田は商業ビルが立ち並ぶ。
あんまり縁はないけれど、キタの匂いは、
本当はインスパイアみたいな路地の中の店の、
静かで求めすぎない匂いなんじゃないかとちょっと愛しく見えた。

3時半を回ってようやく腰を上げて、ミナミに戻るとする。
ニコに顔を出し(送別会のために、すぐにカンバンだったけど)、
ナマズで飲んだ暮れつつぐっさんに取材を改めてお願いして、
最後にうさぎでようやく食べ物にありつく。
(ケンジさんが偶然にもおりまして、よう喋った。
リョンリョンと似たオンナがいた)
その頃はすでに6時を回っていたから
ボンヤリと「これってすでに夕ご飯じゃなくて朝食やな〜」なんて思った。
今日はミューズとゴールデンボールを取材。
これもまた取材というよりも撮影という感じで、
書こうと思っている話を確認するだけなんだけどね。

あまりにも高松滞在が多いので、
母から「もう高松に引っ越したら?」とまで言われてしまったけど、
高松に住めば、ミーツからこういう嬉しい仕事をもらえなくなるし
(仕事を一生懸命するほど赤字、もう、趣味と言い切ってしまいたい)
大好きだと思っている大阪の街の匂いが遠ざかるのは寂しい。
意地でも引っ越さない理由はそれしかないんですが。

しかし、おかげさまで今日は昼過ぎに起床。
せっかくのバスケには参加できず。
それが残念ですね。

2008/10/31

未練なし。次へゴーゴゴー。

雑誌を作っていたときもそうだけど、
あるテイドの意思決定ができたらもう未練なんて残さないで
スパスパッと仕事を納めるように努めていた。
そうじゃないと、モノなんて作れない。
締め切りまでの時間の詰まり方が肝心。
…てなワケで、色校入稿時には
ウンショとネバってデザインやコピーの指示をゴリゴリと、
本分ではない自己主張なんぞしたワケだけども、
それが一度出て、今さらながらの提案ができたんならば
それに対する相手からの返答には執着しない。
結局はクライアントが金を出して作ってるもんだし、
こちらの主張は踏み台にしていただいて結構である。

そんなこんなで、帰校は受けるものの、
たいした意思ももうなく、「へえ、おっしゃる通りで」と
サクサクと訂正指示をこなしているので、
オペレーターに宛てた指示原稿を
ムキになって作っていた姿を知る親分には
「もう諦めたのか」と不安がられたけど
心配ご無用、頭の中はすでに次号に走っている。
今回も先方からの原稿は未着、ならばと、
「これを聞け」と言わんばかりの取材シートを作成した。
デザイナーもコピーライターもカメラマンも
活用できるよう、ページ切り口の欄、
商品のポイントの欄、それに商品の粗画、
おそらくキャプションが付くであろう引き出し線をつけ、
ついでにここまでの話から、
概ねこういう切り口でのカタログの流れですよ〜
ということまでわかるシロモノ。
我ながらよくぞ作った。へへ。
子分のねえさんには「これ、取材が楽しみになりますね〜」と
母のような口調で言わしめた。へへへ。
あとは前回の反省から作ったワークフローを見ながら
制作スタッフと話して現実的な線を作るのと、
前回やり取りでややこしかった撮影商品の搬出の促しを強化するのと、
撮影データのやり取りを円滑にするマニュアルを作れば
だいたいオーケーだろう。
その他は制作しながら対応ってことで。
しっかし、これやりながら、
前回のスタッフと反省会ができないのが残念なとこ。
苦労したことがナマの出来事として次に生かせないからねー。

自己主張激しく、収束する先を
なかなかまとめきれないクライアントは、
未だに今の号でワチャワチャと祭りをしている。
そんなこと、カンプを見た時点で諦めて、
とっとと次の商品へとベクトルを向けてくれなきゃね。
未練タラタラは御法度ですわよ。
来週頭からガッツリと1週間の商品取材、
出し抜いて、あっちゅう間に企画固めるかんね。
(間にミーツの取材で大阪に帰らなあかんのがキツイけど)

どうかどうか、次号はおもしろいカタログで
クライアントの度肝を抜けますように!
プランナーのねえさん、ハードル上げてしまって申し訳ないけど、
突っ走ってもらうためのレールは敷くので
どうかどうか、頼んますねー。

で、ようやく大阪。
鬼ほど写真を撮られて
デカデカと登場してしまったミーツをようやく拝見。
これ、イヤやな〜。
ほんで今からインスパイアを取材でございます。
飲むぞ〜って、違うか。

明日はミーツです。

相変わらずの高松←→大阪、行ったり来たり。
今日は高松3日目、ていうか月曜こそ日帰りだったけど、
火曜からずっとだから、1週間ずっと、なのね。
ともかく、カタログもたいへんだし、
ミーツの仕事もいつも以上に気合いを入れな、
という感じだから気が張りすぎている。
明日は高松にて打ち合わせの後、大阪で取材。
切れ目なし、ですね〜。

荷物を取りに行くために帰った月曜は、
タイミングよくミーツの兄さんから連絡があって
そのままミナミの街に出ることにした。
とにかくいろいろと発見があったのは、
こないだディレクターさんらと飲みに行って、
そこまで不安に思っていたことが払拭されたことから。
無茶してるよなと思いながらも飲みに行ったのは、
その話をどうしてもしたかった、てのもある。
いや、兄さんにしかその感動は伝わらないので。

ディレクターさんに連れられて行ったのは、ヘミングウェイとナジャ。
そのふたつの老舗での料理の食べ方や酒の飲み方、
店の人との距離感や交わす会話なんてのがおもしろすぎて
おもしろすぎるのがバチッときた気がした。
いや、ただ単に「気がした」ってだけなんだけど。
要するに自分らが街で遊んでいる感覚の類似感は
仕事でも同じくなんじゃないかと。
それも街の大先輩、安心できる自分の周囲の人の話で
偶然にも意気投合できたのもデカいのかも。
そういう人が、カタログをきちんと作っていることがうれしい。
ま、そんなことを兄さんに話して、
話をしながら、やっぱり仕事も街の話に落ちることに
なんとなく満足をしたのだった。
しかし、その「カンジ」って一体なんなんだろう。

それはこないだ書こうと思って、
ちょっとまとまらなくてアップするのをやめたことなんだけど。
いや、やっぱり仕事をしながら、自分の役割以上のことには、
見えていても手を出さないことというのは、
私はとても気になってしまうことで。
もちろん、スマートに、自分の立場を守りながら
仕事をすることは大事なことなんだろう。
とにかく、「受注する」「発注する」てコトバは
スマートすぎるがゆえに耳に障り、
そういうふうに自分の仕事の範囲をハナから決めてしまわれると正直困る。
あるいはラフやカンプなどの実制作中のやり取りでも、
自分の範囲外に手を出さないというスタンスは、
むしろ迷惑以外のナニモノでもないことはしばしば。
それよりも、どういうものを作って喜んでもらうかが本分だろうにと、
イチイチ気になって突っ込んでしまう。

「社会性」のくくりとは別で「地域性」てのが
どうにもつきまとって仕方のないドイナカでは、
カウンターに隣り合った、全く想像できようもない誰かとも
結局付き合うハメになりがちだ。
よく例え話で前の編集長が言うことだが、
成績が1の人間と成績が5の人間が
肩を並べて混じり合って生きているのが街だし、
そういうところではなかなか話も通じにくく
恐るべくうざったいことにもなりかねないが、
「街」とはそういう不完全なもんだから
奥行きも、予想外のおもしろさもあるんだと思いたい。
仕事も同じなんじゃないかと思うから、
街をおもしろがれるタフな精神が共通していることは大切だ。
「こういう人が来る」ということで店をくくるのはナンセンスだし、
でもそれがさらに、「芸能人」やら「OL」なんて社会的定義でもって
区切られてしまうのはやっぱりどっかおもしろ味に欠けている。
そういうスペック的な要素で立場を決めてしまうのは
単純に、おもしろくないよねー、
せっかく関わるんだからおもしろくしたいと思いたいよねー
…とまぁ、やっぱりまとまらない話ですね。

ともかく。
制作する人が変わったからと言ってクライアントの癖は直らない。
これからどこまで根気と機動力とを維持できるかが勝負。
期待すれば相手もしんどいだろうし、
期待ハズレだったらお互いにしんどくなるから。
ともかく、クライアントの立場に立って前段階でジャッジしたり
スムーズに仕事が運ぶように対応策を考えることが、
私の役割の核の部分ですね。

あーそれにしても、今回のミーツの仕事は、気合いがかなり必要ですねー。

2008/10/26

「穴の掘る場所と深さが似てる」とマコが言うので。

再来週あるマコの結婚式で挨拶をすることになっている。
マコはトッパンでいっしょに働いていたうみ姉の妹で、
トッパンにも一時期手伝いに来ていた。
そっからの付き合い。
出会ったときのマコは、ヒョウ柄のミニスカなんかはいたりする
ギャルギャルしいオンナで、うみ姉の妹じゃなかったら、
もしかしたら話をすることも、接点も何もなかっただろう。
ましてや結婚式で挨拶なんて、という感じで。

ま、ともかく私はマコに甘えっぱなし、
頭の中でうにょうにょとまとまらない話をまとまらないままに話し、
マコに話をしながら頭の中をまとめていったり、てのも多々。
それで意見が食い違ったりも多々。
話すのは、恋愛も、だけど、ほとんどが仕事の話で、
それもマコと私の職種は全然違うのに。
だから私にとってはとても大切な人だったりする。
私が言う話を聞いてくれるけど、
その全てが正しいと思って発せられているワケじゃない
ってことをマコは知ってくれている。
知ってくれているから、直球も変化球も試しに投げたりできる。
というか、マコに放つ球っていうのは
ほとんどが自分に言い聞かせてるようなもんで。

付き合いも長くなってしまったから
いつ、どのタイミングで、どういうふうに
二人で話をするようになったとか、
そのときにどんな話をしたのか、なんてことは忘れてしまった。
いつからどういうふうに、
私とマコは頻繁に会話をするようになったんだろう。
観察日記でもつけておけばよかった。

昨日の夜にいつものように二人で飲みながら
なんで仲良くなったんだろうね〜という話を感慨深くしていたら、
「穴の掘る場所と掘る深さが似てるんじゃない」とマコが言って、
なんかよくわからんけど、
それで全部説明できる気がして納得したのだった。

先輩がよくブログの中で「ご縁」のことを書いていて、
その話というのはかなり納得するもんだったりするんだけど、
たとえば偶然にでも「よく会う人」というのはすごい。
がんばって、努力してその場所に行く、てのじゃなく、
自然と似た場所で行動してるってことは、もうそれだけで。
それでもすれ違うだけの人が多い中、
お互いが「よく会う」って認識できるってだけで。
さらにそこで交わされる会話、
つまり興味の持ち方が似ていたりするのって
どのくらいの確率になるんだろう。
もちろん穴の掘り方は隣の人の様子を見たりしながらってのもある。
だけど様子を見ても、掘り方に影響しない人もいるんだもんね。
マコだけじゃなく、
マコとのつなぎ目になったうみ姉なんてシンクロしまくりだし、
他にも「なんでこの人とこんなに仲良くなってしまったのか…?」
てのをふと思って不思議でしょうがない相手は何人も。
で、自分の周囲を見渡してみれば、がんばらなくても、
自然と好きな人に囲まれている状況ができていた。
そういうのってすごいね。

昨日のことなので、昨日、ここに書いていたようなことも報告、
飲んでいるときに返ってきたメールを見せると、
「やっぱりそのオトコは浅いよ」とマコ。
やっぱそうだよね、と私。
マコが抱えている問題を拝聴、ちゃんとしてないやん、と私。
「こうしたほうがいいって思ったりするけどね、なんだかね」とマコ。
そう言った後、「お互い、そんなこと分かっちゃいるけど…やね」と、
ため息をふぅと吐いたのでした。
ま、アマい志向も似てるってことで。

ちなみに12月にはタマヤマノリコの結婚式。
大学時代にバイトしてたホテルでいっしょだった女の子。
この人も、まさか結婚式に出る羽目になろうとはって感じですね。

個人的には、新しいスタッフの人たちと
次のカタログを作っていくことに対して不安ももちろんだけど、
おもしろくなりそうな気もしてたりする。
単にカタログ制作をいっしょにするということじゃなく、
きっと他にも何かありそうな予感がしてワクワクする。
「ご縁」というか、「匂い」というか。
ともかく明日、提案ページのできあがり。
楽しみ。
あと、最近、仕事に埋没されて
すっかりご無沙汰していたバスケに、今週末は行ける模様。
それも楽しみ。
もう数ヶ月も行ってないから、カラダナマってるだろうなー。

ポッカリ空いた穴を埋めていくように、
無理じゃない努力はしようかと。
ま、取り急ぎの未来が楽しみってのはありがたいことで。

2008/10/25

感謝(驚)。

我ながら、未練タラタラで決断できなかった案件がやっと終着。

-+-+-+-

楽しかった時が終わって
気づいてみたらさみしい人だった
寄り添う肩も頼りにならないで
裏切ったような気分だった

なぐさめもなく
やさしさもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝込めて歌うだけだった
そう全部

正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部
指切りしない
近道しないよ
そう全部

夏休みが終わったみたいな顔した僕を
ただただ君は見てた

人影もなく
あこがれもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝込めて
見てただけだった
そう全部

正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部
指切りしない
あこがれじゃないよ
そう全部

正しくはない
近道しないよ
そう全部
正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部

※感謝(驚)/フィッシュマンズ

-+-+-+-

私の決めたことに、相手は何も言わないだろうから、
思いのたけを詰め込んで、ロングロングなメールをしたためた。
しかも送った後に、これもあれも言っておこう、
と未練たらしくも3部作で。
たぶんきっと、それに返事もないだろう。
オトナだからね。
でももういいや。
一方的に送っただけになっちゃうかもしれないけど、
もしかしたら送ったメールは、
私に言いたかっただけかもしれないけど、
そんなことも含めてきっとわかってくれるだろう。
天気は中途半端だけど、なんか晴々。
すっきり。

「未練」なんてコトバ、私の辞書にはないと思っていたけど
発見させてくれた相手に感謝。
ポッカリと穴が空くなんてことないと思っていたけど
それを教えてくれた相手に感謝。
とっても好きな人と一時でもいられたことに感謝。
巡り会わせてくれたご縁に感謝。
親みたく落ち着いて見てくれている相手に感謝。
次はもっとうまくやるよ、きっと。

季節は秋。
忘れたくないけど、すぐに忘れてしまうんだろう。
嗚呼、刹那、なんて今思ってることも
きっと忘れてしまうんだろうから、
だからとりあえず今のことを書いておくことにしました。
ばいばい、またね。
仕事はよろしく。

--








--

こないだは向こうのモチベーションにただただ圧倒されっぱなしで
私がどんな想いでこのカタログを作りたいと思ってるかなんて
全く触れることもできなかった。
それに、企画といってももう制作スタート直前だから
実制作に落とせるものを作ってほしいのに〜と思いながら、
そのあたりにも触れることができなかった。
それを親分に相談すると「それを伝えるのがオマエの仕事やろ」と。
あーやっぱり、と不安に思った昨日は、
「もしかしたらひとりじゃ言いたいこと言えないかも」と
ガキンチョのようなことを言って、
親分を高松からわざわざ呼びつけてデザイン事務所に駆け込んだ。

まずは制作の現場に突然邪魔しに来たことを謝って、
(だって、本当はイヤだもんね、作ってるとこ見られるのって)
もっとデパートみたいなカタログにしたくて、
催事の会場とか、定番の売り場とか、安売りワゴンの売り場とか、
そこでもそれぞれで接客の指導までしたくって、
だからみんなが迷わないようなカタログにしたくって、
本当はだからターゲット、とかいうことじゃなくって、と説明する。
実制作のレールに関してはまだちゃんと造りきれてないことも、
だけど実制作にきちんと落ちるように、
欲張ってたくさん作っても内容が薄くなるなら、
ページ数は少なくていいから
ちゃんと意図して情報を落とせるものがほしいと伝えた。
とりあえず言いたいことは全部言った。
相手も納得して理解してくれたみたいでよかった。

デザイン事務所の社長と、
担当してくれるディレクターさん(こないだプランナーとして
手伝ってくれたねえさんになった。心強し)と
親分といっしょに東心斎橋のヘミングウェイ。
ヘミングウェイでごはんを食べるのは初めてだったけど
さすがシェリーの伝道師、気が利いている。
つい意気投合しきって、
というか、大阪の制作業界の狭さにびびり、
社長に「いい飲み相手ができてよかった」と言わせ、
ねえさんに「この子は私が育てたらなあかん」と言わせ、
二軒目のナジャではグダグダになり
三軒目のナマズではイベンターの松本さんとも遭遇して
相当ゴキゲンに街をあとにしたのでした。
(結局、私って「酒飲ませときゃ楽勝」なんだよね〜。う〜む)

ともかく情報も想いも全部投げたので、
あとはそれに基づいて作ってもらうのみ。
それに色校帰校にむけて心構えを持つのみ。
ふ〜。

2008/10/24

まだまだカタログの話。

ようやく詰所から脱出したものの、
メタボな先輩に連れられ親分と3人で大阪。
メタボな先輩が突発的に制作陣営に入れた
デザイナーさんに会いに行く。
「突発的」とは語弊あり。
これまでも先輩の担当する小冊子でちょこちょこと出てきていた陣営。
先輩からしたらごっつ苦労をした前回、今度はもっと動きやすいように、
とのサービス精神からだけど、なんだか少しうさん臭い。
クライアントは大手で、
業界を牽引する立場になるべき会社ではあるけど、
だからといって「時代の流れに沿っていかなきゃ〜!」みたいな
テンションのアゲアゲ具合に思わずササーッと引いてしまい、
「クライアントにも制作に参加してるって気分を
味あわせてやればいいんでしょ」的な
押し売り型のコミュニケーション、喋ってナンボな空気感、
…いや、100m走じゃないんだからさ…。
またその喋りに圧倒されて、先輩も妙に心強そうな顔をしたりする。
いやいやいや、実際のページには商品も落ちてくる。
実現可能なものを作らないと、だし、
商品の実際のトコから剥離しても、だし、
雑誌じゃないんだから夢ばっか見せても、だし。
そもそも途中で息が切れてしまってもねぇ。
前回はモチベーションが低すぎ、今度はモチベーションが高すぎ、
その中間でクールにやってくれる人、おらんもんか。
(ミーツ時代、スタッフに恵まれていたと本当に実感する)

とにかくまぁ、次に向けて親分にお灸を据えられたのが、
役割分担とフローを完成させて、
自分が手を動かさなくても思ったものが作れるように流れを作ること。
スタッフに見下されないようにすること、
スタッフに言い訳させないようにすること、
「酒飲ませときゃ、コイツはイケる」て思わせないこと。
最終的に手を動かさなければいけない
今回のような状態は作らないこと。
それにプラスして、相手を立てつつ、
自分の思う方向に持ってこれるように、
てのは今回の自分なりの反省でもある。
ただ、次の会議に向けてお試しで数ページ上げてもらうんだけど、
今度はもう制作スタート直前だから夢なんて見せる余裕はなし。
できればそれをベースに走り始めたいし。
ちゃんと着地点の見えるものになるのか、ハテサテ。
…う〜ん。大丈夫かなぁ。
大まかなフローは完成しつつあるけど、
細かく作戦を練り直す必要ありです。

タローから帽子のカタログの話をもらい、
もらったというか、相談をされて、
ギリギリアウトかもしらんけど、
もしかしたら万が一くらい仕事につながる…かも?
こっちはどうもってくか、それも考えねば、ねば。

カンヅメになってオペレーション指示して
作ったプルーフ(なぜカンプと言わないのか)にて
「かなりよくなった」とお褒めの言葉をいただきました。
ただし、「その中間で何があったのかわからなくて困る」とも。
これ、次に生かさなきゃ、何のために苦労したんやら…ですね。
今日、初めて全ページを通して確認、まだまだ微調整は必要。
来週は次号の打ち合わせと色校の帰校にコンセ入稿(コンセだったっけ?)、
オペレーターさんたち、まだまだお付き合いください。

2008/10/22

なんか消化不良。

少々食い違いがあって、親分と少々ケンカ。
なんだかハッキリとしない私の立場にもイライラは募りまくり、
「え、こんだけ人いるんだから、私は必要ないんじゃないですか」
みたいなことを言って、自分の必要性を確認しようとするあたり、
とってもコドモ染みている。(いつものことだ)

プルーフ(なんで通販ではカンプと言わないんだろう)の訂正は終了、
なんとか自分らのやりたい方向に、応急処置的に持ってった。
そこで出番のなかったメタボな先輩が、
なんだかいきなり夏号にやる気を見せていて、
ほんで勝手に布陣を決めてしまったもんだから怒っている。
本当は現状の問題点を洗い出して先にフローを軌道修正したかったのに、
その話はおざなりにされてしまった。
方法やその新しい人たちがどうかかわるのかとかを決めてないまま、
ゴーサイン出してしまうって、どうよ。
今日は大阪にて次号のプレ取材に向けてのラフ打ち合わせ。
ラフ打ち合わせで「今までこんなカタログ作ってきました」と
自信たっぷりに見せられたものも、
つい親分と顔を見合せて「う~ん」と。
ホントに大丈夫?、と思うし、
(先輩が「今回よりは絶対いい」と言えば言うほどどっか不安だ)
ともかく、ここまでやってきたのに
私の知らんところで動いてしまっているから気に入らない。
なんだったら今日打ち合わせするのも、
提案の絵を作るのが彼らだと知ったのも、
昨日、プルーフ修正をしている深夜だった。
「せめて先に言ってくれればよかったのに」から始まって、
今作ってる号での中途半端なかかわり方への不満を持ち出し、
(もちろん、その動き方への理解も伝えたけど)
冒頭のセリフとなる。
例えるなら、着るごとに袖口が変わっていくような感じ?
動きにくくって仕方ないね。
ま、とりあえずは静観、うまくいけばそれでいいし、
うまくいかないならケツ拭く方法もあるってわかったし。

親分の返答は、「できるだけ何もしなくていいように、
懐を深く持っておかなきゃだめ」と。
自分が動けばスタッフが動かなくなるし、
手札を見せればクライアントに懐の浅さが測られる。
クライアントには手札の量を見せておくことが安心感につながるし、
スタッフにはやるべき仕事をやってもらわないと。
今の動き方については根回しも含め、
かなり突発的な先輩の動きだけれど(つーか、自分の趣味やんか)、
ともかく、ある材料からディレクションをしていかなければ、と。
ついでに「飲ましときゃ、こいつはいけるってのはそろそろ卒業しなさい」
と言われてしまいました。(これはホンマにそうだ)

たとえば、ミーツにいたときなんかは、
デザイナーさんやカメラマン、ライターさんに
これほどの不安や不満を思ったことはない。
むしろ自分だけのフィルタを通して、自分だけが思っているものを
作ることはやっぱりおもしろくなかった。
それよりもお互いの意思を共有した上で、
こちらが話を振ったことに対しての返答だから、
「あの話、こういうふうに解釈したのね」っていうのはおもしろい。
だから親分の言うことは納得できるし賛同する。

だけどトッパンには私の子分ができたし、
実務的な作業すらやることがない。
メタボな先輩がいるから、情報だってそこでまとめればいいし、
先手打って布陣を決めてしまうんなら勝手にやればいい。
意思を持ってやっているのは親分で、だからつまり、食えるとこなし。
現場にしかいたことのない私にとって「何もしない」って、
本当に我慢も満足もできることなんかな、と思ってしまった。
それに、私、トッパンの人じゃないしね。

2008/10/20

やっぱり仕事。



…………………

「昼からじゃないと見せるもんない」
とオペレーター長が言うので今日は昼出勤。
ゆっくり起きた朝、クライアントからケータイに電話。
夏号企画についての相談。
こないだ商品企画部的なページネーション案と
カタログ制作部的なページネーション案をもらっていて、
その擦り合わせを今日やるから、ちょっと意見がほしい、というもの。
もらっていたものは、私らが提案物を出す前に作っていたものらしく、
「いやー、あそこからかなり揺れてまして」と
問題提起をした私的にはうれしい反応をいただく。

これまで「夏号」と言えば汗染み対策やらで
商品的切り口としては守り気味なものが多かった。
でも夏号、「気づけば夏が来てたんだけど、ダイエットしてないしどうしよ」
などなど時間のない女の人に、
カンタン・インスタントのボディを言ってしまいたい。
もっと商品を深く掘り下げた上で
別の切り口をつけてあげればいいのに、てのが提案したこと、
ゴテゴテとイメージをつけてわかりにくい従来のページじゃなくって
パァーンとキモチよく率直に商品を謳いましょうよと。
若い下着売り場行ってもガードルなんか普通にあるし、
むしろTPOに合わせてきちんとアウターを着たいこともある。
薄着になって、下着の線やらカラダのラインが気になる夏、
「どういう服着るときにどの下着」ってきちんと提示してあげたい。
てか、少なくとも私は知らんし。
知ってる人だけが安心して買うのもなんかお客さんに申し訳なく、
せっかくページ数の少ない企画号、冒険してみましょや、と。

とは言え。
ガードルはまだ想像できるとしても、
商品ビジュアル的に厳しいボディスーツは…てのを
先方的には悩んでしまうらしく。
そこんとこも、最近ずっと思っていたような意見をそのまんま言いました。
たしかに、去年、ボディスーツなんかが巻頭で使われていた号を見ると
「これって何年前のカタログ?」って思うような仕上がり、
(リアルに10年くらい前のもんだと思って見てたし)
不安になるよね、絶対。
ま、切り口は全然違うんだけどね。
とにかくそんな話をすると、「そうだよね、そうだよね」と
ナイナイ岡村みたいなクライアントは繰り返し、
自分なりの企画案を整理しているようだった。

今週中、今日・明日ほどには提案物に対して
返答できるものをまとめるとのこと。
それをまたこっちで料理してハコをある程度設定した上で
スタッフを呼んで商品取材、という流れにしましょう、
そこまで、いくら呼びつけてくれても大丈夫です、と再度の念押し。
私の思っている流れでは、ページタイトル、キャッチ、
イメージラフ(サムネイルじゃないく)まで作った上で
実際のページや商品と向き合いたい(そうすればスタッフの迷いも減るはず)。
「ごめんね、入稿作業とかも実はしてくれてるんでしょ、
たいへんでしょ、朱書き多くて本当にごめんね」に
「なんだか楽しくてしょうがないって境地っす。
むしろこんなプルーフ出すねんて逆に申し訳ないことしたなって感じで。
ま、それはこっち側の話なんですけどね」と
本当に正直に返答、「最初だから仕方ないですよ」と広いのは向こうの反応。
追加の訂正を「ごめんね、実はこんな話になって」といくつかいただき、
いくつかは「それはちょっとどうかなって感じですね、
でも実はそういう話になると思ってこんなふうに進めてます」とハネ付け、
勝手に直しちゃったところ「ここってこうだったけど、
もっとこうしたかったからこうしちゃってます」と口頭で説明し、
…という、よく考えてみれば「私、ナニモノ?」的オチで電話を締めました。

あーしかし、親分に報告したらきっと、
「さとみはライトに言ってしまうからな〜」って
またウ〜ンと悩ませるんだろうなー。
だいたいにして、謙虚じゃないからなー。直さな。

むー、脱出できぬ。

今日はようやくブラジャーのページのチェックと
昨日のヘビーなページのチェックバックが終了。
ほとんどイチから考え直すくらいの勢い、
オペレーターに「あー、破って捨てたい…」なんて(ああ、ひどい!)
ブイブイ言われながらもやりきった。
あとは一番重たい表2と表紙を残すのみ。
それに今日チェックした分のチェックバック。
さすがに朱書きが多過ぎてオペレーターもさばききれず(ごめんなさい!)、
月曜までの滞在が、また一日延びて火曜になってしまった…。
予想では間髪なく色校の第一便、同時に夏号開始。
いつ呼ばれるのかもわからないし、
せっかくだから今週はタクマのお守りをしに、徳島に行きます。

ミーツ次号のネタ上げを振ってもらえてうれしいけれど、
たかだかネタ上げくらいで悩みのドツボにハマってしまった。
「なんで私がそこに行きたいと思うのか」
個人的なところにぶつかってしまうから難しいし、
そういう店って、いざ書こうとなると
「本当にこれが自分の思っている“その店”なのか」が
うまく言えないことにイライラしてくる。
あーがんばります。

いやー、その他もろもろ、
どうしたらええんかわからんことが多すぎる。
ていうか決めたことに従うから、好きなように決めておくれやす。
高松では今、タモリ倶楽部絶賛放送中。
安西肇が坊主になってる…。

2008/10/19

頭の整理的に。

今作っているカタログの中で、
一番客とのコミュニケーションがうまくいっていないのが、
ボディスーツやガードルなどのファンデーションとストッキング。
実際にはコンビニで置かれるほどような消耗品だったり、
競合会社のガードルが今、おもっくそ話題になっていたり、
本当はそこで先手を取るべき立場にいるはずなのに
うまく売れる方法を見つけることができていない。
親分やアドバイザーなんかが
「ここを売らなきゃどこで売るねん」的な感じで
アツくなっている部分だったりするので
当然ながら見る目も厳しくなる。
いや、デザインがどうこうよりも、
これで本当にコミュニケーションがうまく取れるかってとこで。
で、まぁ、そのページの訂正指示が終わって
なんとなくちょっとラクになった。
あとはブラジャーを残すのみだけど、
ブラジャーなんてみんなが気にして見ているページだから
本当はそこまで気合いを入れて見なくてもなんとかなる。
一息、親分とともに和民で打ち上げと次の話。

作るときに、無印やユニクロみたくブランドイメージで、
なんて大それたことは思っていない。
もっと気軽に便利に、付箋紙なんかつけたりして、
それぞれの欲しいと思うものがココにある、
てことがすぐわかることのほうが大事だと思っている。
言ってみれば、一社に一冊のアスクルみたいなもんで
家に一冊、どうですか、てな気分だし、できればそれを線にして、
たとえばストッキングなんかは会社でまとめてお買い得とか、
ガードルなんかだと「あれ、ちょっと痩せた?」「んーへへ、実はね」
なーんて会話があったりするといいな、みたいなカンジ。
そういうことができるように計画を立てて、
おさえる号はおさえて、冒険する号は冒険したいねーてことで意見は合致した。

そのへんの反応をきちんと見なきゃってのは、
雑誌を作っていたときとリンクする。
要するに売り手と買い手のコミュニケーションなんだよね、なーんて。
そういうことを考えると、通販カタログって、
単に誌面を作るというよりは売り場の設計と建設と企画、
さらに売り子の教育、話し口調やアフターフォローも、てことと近い。

最近「クライアントの本当の成り立ちって一体なんなの?」てのが気になって
聞けば、もともとはコミュニティ的なとこから、
「それって商売になるやん」てことでできた会社だと教えてもらった。
なんとなくそれってミクシィ的というか、
誰かのことをうらやましいと思う心理からきてるというか、
だからクチコミなんだなー、みたいな。
このごろそれをクロスメディアなんつってメディア戦略の中のひとつとして
カリスマブロガーを雇ってクチコミを“作ったり”もしてるけど、
なーんかそれってやっぱりマルチ商法的だよな、とか、脱線して思ったりも。
クチコミ作りのために金が絡むなんて。
(最近はタレントブログを広告に使ったりもしてるそうな)

たとえば身重な妊婦さんが、病院で妊婦用のカタログを見つけて
持って帰って家で商品を選んだりマメ知識を得たりしながら
生活の中で便利に使えるモノとして通販でお手軽・カンタンに商品を買えて、
買って良かったと思ってもらえるものがあって、
また使ってもらえて、「じゃあ今度はこれも買ってみようかなー」てとこから
別の商品に手が伸びるような感じだったり。
良かったら知り合いの後輩妊婦に「これ使うと、意外に便利だよ」みたいに
マメ知識といっしょに伝わって、次のお客さんが来てくれるようなカンジ。
それは即効性のあるもんだったりするとどっかうさんくさい。
クライアントが抱えている商品自体もそういう性格のものが多いし、
広告的、戦略的なことを考えてもダメだなーと思ったりする。
カタログってやっぱり広告じゃなくて売り場だし。
だから、売れた方がいいなと本当に思う会社の基本の商品があって、
クライアントの場合、「じつは…」で語られるもののほうがそういう商品なら、
やっぱりストッキングだったりファンデーションだったりするんだけど。

ま、そんなことを考えられるこの仕事は、おもっくそめんどくさくておもしろい。
まー、今作ってる号の目も充てられぬ状況が、次号の企画を止めてしまっているし、
そもそもこんなモノを上げてしまった私らに、次ってあるんか、てのも心苦しい。
考えることは考えても結局作れなきゃイミがないし、
たぶんそうやって考えたことも、
クライアントと時間をかけて付き合わなきゃできない現実もある。
アスクルって安定してモノを売るコミュニケーションができているから
あるときから商品を自分らで企画して作る、みたいなことをできるようになった。
それがまた当たって今の状況を作ることができている。
そういうふうにできたらいいけど、それには自分たちの成長ももっと必要だな、と。



姉が高松に寄ってくれたので、親分と別れてお茶をしながら話をする。

姉はフリーの設計士。
人に誘われて、今、徳島にある農村の、
小さな小学校の建設でコンペに参加している。
その企画の話を一通り聞く。

街ナカで育った人には想像しにくいだろうけど、
私や姉のように過疎地で育った人間には、
街の学校の、コミュニティ的な性質を実感のなかで理解できる。
街ナカであれば、セキュリティやカリキュラムに沿って
学校を設計することはとても大切なことなんだろうけど、
実は過疎地ではそれとはまるで逆の発想があったり。

ひとつ、ITでの事例を出すとすれば、高知県のとある農村では、
「IT化」なんてことが言われる前からネットワークの構築がうまくいっていた。
実は実験的に、別の、高齢化の進む農村で、
24時間ブロードバンドで畑を監視しながら作物の面倒をみられるという
システムを作っていたことが同じ時期(もう10年以上も前だと思う)に
あったんだけど、それは予想を大きく裏切ってうまくいかなかった。
作物は実際に目で見て、手を動かして作るもんだ、いや、年をとってもさ、
みたいな具合に身体的な感覚を信じてるトコあるから。

うまくいった農村の、その使い方は、
廃校をバーチャル学校にしてしまおうというもの。
たとえば過疎地の学校の運動会は、イコールで地域の運動会となって、
子どもがいてもいなくても、それは地域として参加すべきもの、
みたいな暗黙の了解がある。
学校が地域になくなってしまったら
そういうお付き合いは縁遠くなってしまって、
中には村から外へ出ていく人もいたりして、
それを再建しようとして使ったのがネットだった。
そのバーチャル学校には、先生と生徒、とか子どもと大人とかの
あらかじめ前提として作られてしまっている状況はない。
定期的に地域として集まったりして「一日先生」的なものもしたりするけど、
それはたったその日のことでしかないし、誰でも先生や生徒になれる。
基本、どこにいても参加することができたりして、
結果、その農村に直接関係のないヨソの人までがその学校に参加するようになり、
村に遊びに来るようになって、村自体が活性化された。
つまり、学校=地域コミュニティ。アナログなミクシィみたいだけど。
そう考えたら、農村での学校の建て方って
「こう使うからこうしよう」みたいな話じゃなくて
使われ方はその農村次第てとこもあったりする。
「だからしんどいわー」と姉もボヤいていた。

「付加価値」「ブランド戦略」なーんて言ってるけど、
要するに全てはコミュニケーションから始まっている。
広告も、カタログも、雑誌も。
街も店もそういやそうだなーとか思う。

2008/10/18

嗚呼、高松。

文句タラタラ…でしたが、
上がってきているものを見て愕然として、
親分の気持ちがわかった次第。
「誰が見てもダメだとわかるものをなんで客に出したんだろう」
「愛もサービス精神も恥ずかし気もない」
「センスのハナシに到達する前に情報整理すら…」
「ようこんなんでメシ食っていけますよね」
なんて、そのへんのハナシはもう散々親分にしたので、
ここでは云々々々々…で省略しておこう。
するほどに情けなくなるので。

ともかくほとんどのレイアウトを、
ここで受けたオペレーターの作業がしんどくない程度に調整指示を出して、
ほとんどのキャッチコピーを書き直している。
鬼ほど書かれた先方朱書きを全て直した状態から、なので、
作業の度合いはかなりのヘビー級(親分は無差別級と言っていたけど)、
「直したのに…」と思われているだろうな〜と良心を痛めつつ、
頭の中もヘロヘロになりつつ、
書体見本や色見本を見ながらガシガシと朱書きを続ける。
朱書きもらうことを前提に〜なんて思ってる人は、
一度誰かの朱書きをなぞってかいてみてほしい。
恐ろしくしんどいから。
朱書きを書くので一苦労、オペレーション作業で一苦労、
再度のチェックバックで一苦労と、作業効率は悪い。
そんなワケで高松滞在は月曜までに延ばされた。
日曜日のいろんな楽しいコトに参加できません、涙、涙。
せめて、次に出したときに
「最初からこうしてくれたらよかったのに」
と言われることを夢に見つつ…。

2008/10/16

手際が悪い、ですよね。

先週末、親分より「来週は高松来れる?」との申し出あり。
連休明けの朝、「今日の夕方、高松来れる?」
同じく昼間、「やっぱり明日の午前中でいい」
同じく夕方、「やっぱりあさっての午前中で」
次の日の朝、「あさっての午後に来て」と。
ウロウロと定まらない日程、
最初の「来週来れる?」で
全ての原稿を週末に片付けてしまっていたので
やることがなくて仕方ない。
しかもこれ、私の手からはすっかり離れてしまっている物件。
対外的には「もう離れている/次号に向けて動いている」を通すため、
裏でコチョコチョと加担するらしい。
「いつ出る? あ、出た。まだ出る? まだ出た」
てなおじいちゃんのおしっこ(@マルタニさん)みたい。
親分、振り回されとるなー。

というか。
そんなにクライアントにヘコヘコとパフォーマンスして、
結果、振り回されるのは本当にいいことなんか。
見てないけど、たぶんプルーフ(カンプ)も、
そもそも撮影自体、噂では「ヤバイ」出来らしい。
その兆候はいっちゃん最初のサムネイルからあったし、
途中のラフでもごまかしながら〜てのを経て、
もうごまかしの効かないプルーフでの訂正は切実かと。
いや本当は、それまでにできることはたくさんあったやないの。
撮影前に私を今の号から抜いたのは、
夏号の準備をするためと、今の号での手際の悪さを
私とは無関係にするパフォーマンスだと理解しているけど、
いやー、それにしても、なんだかね。
で、不満を持ちながら高松にやってきました。

今日は午後からだし、前乗りする必要はないけど、
なんだかヒマだったので昨日の晩から高松におります。
高松に来たけどやっぱりヒマで、
ただ騒ぎたいだけのお昼のワイドショーなんぞナナメに眺めながら
ボソリ呟いてみたりしました。
で、結局ここまでの経緯がスコンと抜けたまま
最後のチェックバックのためだけ、という中途半端な関わり方で
今日から日曜まで高松から出られませんわ。
て、なんでやねん。

2008/10/13

のうが悪い、もごもご。

私の実家は祖父に祖母、父に母、それに姉と弟と私の7人。
そのうち母親は広島出身で、
今ではもうバリバリの土佐言葉を使うけど、
私がまだ実家にいた頃は広島に高知がブレンドされたマイルドな喋りだった。
地形的にも愛媛の言葉と近かったと思われる。
母は働きに出ていたが、ほとんどの家の会話は母から始まったので
子どもたちも中途半端な土佐言葉になってしまった。
田舎の村で誰からも指摘されたことがなかったことは不思議だが、
高校で高知市内の学校に行っていた頃はそれをバカにされたもんだ。
反対に父の言葉は荒くたい喧嘩上等言葉、
本人は浪人時代に京都、大学時代に仙台と居住区は様々に変わっているが
土佐のココロを忘れたことはない、
いやむしろ厚かましい大阪人のごとく
土佐言葉を標準と思っているところがある。

-+-+-+-

「何しよらぁ、おんしゃあ!」
高知の実家に帰省したとき、
空港まで車で私を送ってくれた弟が
無理な割り込みをされてとっさに発した怒号です。
けっこう無茶かつ危険なタイミングで割り込まれたので
笑い事ではなかったわけなんですが、
聞いた瞬間思わず笑ってしまいましたねぇ。
あー、そうだよ、
この荒っぽい腹の底からの怒号は確かに土佐の言葉だよ。
土佐の喧嘩言葉だよ。

単純な直訳としては
「何をしてやがる、この野郎」程度の感じなんですが、
やはり土佐弁のほうが無駄に荒い。
そしてこの言葉にはやはり腹の底から
喧嘩上等でたたき出す早口の怒号がよく似合う。
(中略)
「何しよらぁ、おんしゃあ!」
これは相当怒ったときしか出てきません。
とっさにこれが口をついて出るということは
その瞬間激怒しているということです。
世の中、アホ・バカ・ボケ・カス、罵り言葉は数ありますが、
この「おんしゃあ」という怒号にはそうした一般化された言葉では
表しきれない深刻な罵りが籠められているのです。
(中略)
「何しやがるてめえ、危ねえだろうが、
目ン玉ついてんのか、前全然見てなかったろ、
このド下手くそ、ぶつかってたらどうする気だ、ぞっとさせやがって、
もしぶつかってたらただじゃおかなかったぞこの野郎、
事故にならなかったことを神に感謝しやがれ(以下略)」
とまあ、軽くこれくらいのニュアンスが載っているわけです。
これが一言に濃縮還元されて、「何しよらぁ、おんしゃあ!」であります。

方言の豊かさ、というものを実感した瞬間でした。
あんまり品のいい場面での実感ではありませんでしたが、
まあ喧嘩上等のお国柄なのでそれはやむなし。
(中略)
この喧嘩腰のニュアンスを遺伝子レベルで覚えている自分も
なかなか大したもんではないかと。
あまり誉められたことではないかもしれませんが、
こういう場面でとっさに「何しよらぁ、おんしゃあ!」
と出てくる弟も、それに共感できる自分もそんなに嫌いではありません。

※とっさのほうげん その22(asta* 2008年8月号/文:有川浩)

-+-+-+-

喧嘩言葉という道具を持っていることは仇ともなる。
(道具は活用するためにあるからだ)
おかげで父といっしょに街に出るのは恥ずかしかった。
なんせ車から窓をわざわざ開けて
「何しよらぁ、おんしゃらあ!(複数形)」と
荒くたい運転の輩に当然のごとく喧嘩を売り、
レストランで料理を待ちきれなくなったら
「のうが悪い!(具合が悪い、環境が悪い、居心地が悪い、など)」
と捨て台詞を吐いて店をとっとと出ていく。
母は堂々たるもんで、そんな父親にピクリともせず、
料理をじっくり待ってきっちり食べる。
父の元に戻れば、車の中ではカメラを持ってケロリの姿、
母親の怒号に今度は父が肩をガックリと落とすのだった。

言葉は土佐ではないが、私の喧嘩上等な性格は父譲りか。
こないだタニモト氏にいろいろと報告をしに行った際に
自分の熱気が恥ずかしいという話をしたのだけど、
そろそろ自制心を持ちたい、そろそろマイルドになりたい、
と思う今日このごろ。

というわけで?、よくわからないこの状況下では、
諦めるもんは諦めるの精神でいこうかと。


生粋の阿波×中途半端な土佐のこのヒトはどんな言葉を喋るんやろ。


追記
方言のことを考えていたら、
難解な土佐言葉を思い出しました。
「おんしゃらあ、まっことしわいきにゃあ」
翻訳できる方、いらっしゃいましたらご一報を。
(文節すら分からない方が多いのでは)
これちなみに、中学のときの先生がよく使ってました。
難解…と言えば文中の「のうが悪い」は最大に難解な土佐言葉。
漢字で書くと「能(能力、能率)が悪い」ということでしょう。
一度使うと他に言いようのない便利なニュアンス。

(文中以外での使用例)
・このイス、のうが悪い。(=座り心地が悪い)
・今日はのうが悪いので早退させてください。
(=原因不明だけど気分が悪い)
・そこに座ったらのうが悪い。
(=何かが見づらい、狭い、など不快を表す)
などなど


追々記
「縁」は人を呼び、人は「運」を運ぶ。
いい言葉ですねー。

またもマッコリにて。

週の頭から「にっしゃん飲も〜」と
キイロい声で電話をかけてきていた粉子ならぬ麺子と
およそ1ヶ月ぶりの天下茶屋のしんみどう。

約束の時間より少し早めに到着したカウンターには、
…あれれ、トッパン時代のクライアントカップル。
仲睦まじく炒飯とソーメンみそ汁をつついている。
その男のほう、内装ドアの中でもパイン材やビーチ材の
無垢の商品開発を担当していた彼とは、
クライアントでありながら頭をペチペチと叩き合う仲であった。
常にタイトな日程の中、
出張校正で海老江のトッパンにやってきては
近所の中華屋でアテをつつきつつ、
内装部材の辞書的なカタログには不要の
部材の調理方法などの情報を語って聞かせられたことも。
(もうその知識もカタ〜い引き出しの奥にしまわれて出てきませんけど)
とにかく、クライアントとのそういうやり取りは充分に刺激的だった。
その会社が業界でどの位置にいるだとか
「私はカタログを作る身分である」だとかってこととは別で。
懐かしさの余りについつい話し込み、
ココロはいつでも仕事をいただきたい所存であることを
「でへへ〜」とチョーシに乗ってほのめかしたりしながら、
麺子が来るまでにすでにビールを3杯飲み干した。

豚キムチと同時に麺子登場、
さらにじゃがいもチヂミともやし炒めを頼み、
突き出しのキムチをつつきながら杯を進める。
(松っちゃんのように豚足マスト、ではない)
麺子からの人生相談が佳境に差し掛かったところで
大先輩の曽束夫婦が偶然登場、ひとまず人生相談はおいて
(というかこの時点で酔っ払いすぎ、
夫妻の登場はうまい逃げ口になったのだった)
前の日まで行っていたという東京のトンカツ事情で軽くジャブ、
先日出た『西の旅』のうどんの記事に対する高松の返答に、
どこのだったか忘れた店のおもしろ話に、
高松で最近ひいきにしている居酒屋のカウンター話にと、
データ化しようもない街の噂話の応酬。
夫人と麺子に挟まれ、
「ライターのくせにデータに弱すぎる」と攻撃を受け、
「でへへ〜」とごまかしながらくいくいっとグラスを傾けたのでした。

…とまあ、金曜日はこんな案配。
こんな調子ではゴキゲンにマッコリが進みすぎ、
最後はメーワクにもアテなしにてマッコリ1パック半を飲み干した。
そのままひとりでミナミに繰り出そうとタクシーを走らせるも、
途中、ひどい眠気の波が打ち寄せたためにUターンして帰宅と。
時間の停まっていたいくつもの古巣が現在進行形になる瞬間、
酔っ払いながらも妙に爽やかな満足を得たのであった。

-+-+-+-

目を覚まして庭を見ると雪であった。
雪は寝床にいるときから気配で分かる。
何かがしんしんと世界に積もっていく密やかな堆積感を、
体のどこかが感じている。
窓を開けると別世界が燦然と現れる。
なんという光景をこの世は持っているのだろう。
水蒸気が空気中のちりを核にして雪の結晶となる。
そしてそれは目覚ましく白い。
そういうものがおびただしく降り注いで世界を覆い尽くしている。

近年、建築や年、人や言葉は、どこか半透明になってきた。
言わば半物質的な存在感とでも言おうか。
建築はガラスや新素材で存在感が軽くなり、
インターネット上を飛び交う言葉は、立ちも座りもせず浮遊している。
それは知らぬ間に更新されているか、
あるいは古色もつかないまっさらの様相で何年も存在し続ける。
そんな状況に新鮮さや可能性を感じて、
それをさらに拡張しようと僕らは日々努力を続けている。
おそらくこの半透明の世界は今後も増殖を続けるだろう。
やがて僕らの意識の大半は、そこに住まうことになるのかもしれない。

しかし、こうして雪に遭遇する。
それは手の平に静かに舞い降り、溶けて光の露となる。
僕らは、消すことも、更新することも、
半透明にすることもできないこの身体を通して、白の摂理に感じ入るのだ。

雪は当分やむ気配がない。

※『白』著:原研哉/中央公論新社

-+-+-+-

酔っ払いの末に麺子の悩みはすっかりおざなりになってしまった。
ほったらかしにするワケにもいかず、
次の日の朝、聞いて思ったことをメールにしたためて返した。
要約したところ結局は、かわいい麺子ゆえ協力者は多し、
最優先事項だけ決めれば流れのままになりまっせーと。
それって“半透明”じゃないからっすよね。

ちなみにしんみどう、この連休のうちに改装を決定。
原節子曰く「テレビのおかげやな〜」と。

2008/10/10

世の中は便利。

データをとっととサーバーに上げろと急かすわりに
サーバーがいっぱいすぎて写真の一枚すら上がらん、
というワケで、サーバー上のデータの整理を待つ合間でございます。

てか、この撮影、結局は乙女すぎて
判断基準がよくわからんかったてのが正直なところ。
向こうの担当者が来て写真を撮る端から確認、
それで「かわい〜」と言いながら
オッケーしていたからよかったというか、
モデルちゃんも「かわい〜」とか
「ブック用にくださいね〜」とか
キャピキャピ喜んでいたからよかったというか。
こちらは撮影終わりにキミヒコ先生と居酒屋にて向かい合い、
「ようわからんかったわ〜」と慰め合いつつ酌み交わしつつ、
お知恵を拝借したふじも兄にも
「オタクっぽいんかな〜?」との感想をいただきました。
化粧が濃かったか?
むむ、しかし、全て仰せの通りにやったからいいのか?
「クリスマス企画」だかいいのか?
などと自問自答をしながら今に至る。
むむ、難しい。

↑こんな感じ。
(かわいいけどボツだろうなーってのをセレクトしました。念のため)

とボヤいている間にサーバーの整理が完了したらしい。
不便だけど、便利ですね。

--

こないだの日記にてけっこうな心配メールをいただきまして。
先日は検査が中心、本日より治療開始。
検査の結果を聞きながら、
知らん言葉にイチイチ食いついて質問をしておりましたら、
最初は至極丁寧に答えてくれたお医者さま、
自分のペースで喋れなくなったことに業を煮やしたか
(しかもあんまり私には関係のないことまで質問しすぎて)
最後のほうは「ネットで調べたら出てくるよ」と。
看護士さんと笑ってしまいました。
というか、「どうせみんななるもんでしょ」と
タカをくくっていたのですが、
ま、お医者も笑いながらの診察、
少々タカをくくっていてよさそうです。
「そのままじゃ子どもはできへんやろな」と
ガハガハ笑われたのにはまいりましたって感じですが。
ま、そんなノリで。

今日は念願のしんみどう!
粉子ならぬ麺子とともに参上いたしやす。わーい。

2008/10/09

カウンターな関係。

ま、だいたいが酒場で知り合った人なんである。
大学のときは大学のナカマが中心だったし、
高校では高校の、みたいなのが普通なんだろう。
大学を出てどっかに所属をしてからは、
そういえばミーツのときなんてとくに
酒場でしかトモダチなんてできなかったに等しい。
ミーツを飛び出して至る今でも、
どこか遠くにいるトモダチより近くにいる酒の友、か。
約束なんぞしたこともない人、下手したら名前すらあやふやな人、
連絡先なんて知らない人のほうが多いし、
顔を見ても記憶になく「こないだこんな話で」と言われて
「ああ、あのときの」となることも多々。
だからおもしろい、だから近い、てのもあるのかもしれない。
むしろ、そうでなければ続かない薄い関係でもあり、
しかし隣のおっちゃん、おねえちゃん、みたいな
妙に旧くから知っている関係のようでもある。
なんというか、縁、みたいなもんなんだろうと。

関西発の雑誌他、いろんなところで絵を描いている奈路さんも
今年のまだ夏になる前に富士で会って以来、
そんな不躾な私の飲みトモダチみたいなもんで、
不思議なご縁を感じるひとりである。
(偶然にも同郷でもある。聞くまで知らんかったけど)
前回の展覧会も良かった。
(和田ねえさんは買っていたけど、私はさすがに買えんかったけど)
まずは告知を。

--

七人の筆侍展・十二年企画第七弾
似顔絵とは「ひと筆」違う
七人の人相書侍展

平成20年10月14日(火)〜23日(木)
平日9:00AM〜5:15PM(最終日〜4:00PM)
※土・日休館
会場/平和紙業ペーパーボイス
(大阪市中央区南船場2-3-23 tel/06-6262-0902)
東學/北村信明/寺西晃/中川学/仲里カズヒロ/奈路道程/山本重也
http://7fude-samurai.akirat.com/

--

よくよく名前を見てみれば、HBHのカウンターにて
実は一方的に知りながら名乗りもせずに話し込んだ東學さんの名も。
14日の開催記念会には是が非でも参加いたします。


こないだ妙に感慨深くなってしまって
HBHで松田さんと、ボンヤリとカウンターについて話し込んでいた。
いや、カウンターってすごいなぁと。
筆侍の方々(どの方も黒帯な人相である)に
なんの屈託もなく話しかけられることもそうだが、
ふと考えればこの数年、
よくも知らない誰かとたまたま同じひとつの板
(凝った白木の板のこともあれば、古い茶色の板も様々である)
に並び合って、笑い合ったりケンカをしたり
またすぐに仲直りをしたりを繰り返しながらいる。
中に個人的に仲良くなって飲みに行くようになったトモダチもいるし、
こちらは覚えているけど向こうは常に酔っ払って覚えておらず、
しかし仕事をお願いするような関係になった人もいる。
人によってその関係の作り方は違うけれど
スタートはカウンターに座った見知らぬ者同士。
道ですれ違っても絶対に話しかけないような人、
あるいはむしろ避けて通りたいかもしれないような人ばかりだ。
カウンターがなければこうはなっていなかった、絶対に、だし、
だからいつからか自然とカウンターを目指してしまう癖もついてしまった。

もともと、その人が何者であるとかのデータ部分、
たとえば名前や年齢や血液型や職業や家族構成みたいなものに
興味を持っていないところもあるんだが(だから人によく怒られる)、
カウンターに座ればそういう細かいことはさらにどうでもよくなって、
今話しているコノコトにどう反応するか、みたいなことや
酒場の今のこの空気をどう受け取りながら行動するか、
みたいなことばかりをもっと切実に考えている。
酔っ払っているから。
たまたまそこにいるから。
それって私にとっては今さら気づいたことだけど、
そういえばミーツではずっと言っていたことだよなーと。
松田さんはフムフムとリーゼントの頭を揺らして聞きながら、
「そういえば、カウンターに座ったらみんないっしょやね」と
カウンターの中からの想いを言っていた。
(松田さんはそういう返しをするからおもしろい)

そんな会話の次の日だから、
奈路さんから「ゼヒ!」とだけ書かれたハガキが届いたのも
妙に心躍ることだったりしたのだ。
(しかし、宛名もいつもながら味あり)
んー、今日は富士に行こう。

2008/10/07

不安要素、いくつか。

あまりの動きの緩慢さに耐えかね、
「やります」と啖呵を切ってみたものの、
モデルを起用しての撮影なんて初めて。
というか、こちらの考えるページの意図があるのに
クライアントに全ての決定を委ねてしまう現状にも
本当にイライラとしていたので。
さて、編集部の兄さんに相談しまくりながらの撮影は今日。
カメラは勝手に信頼を寄せている新田先生だし、
スタイリストも若い割に経験豊富な宮下さんだし、
モデルも希望していた人に決まった。
そこには全く不安はないけれど、
何分、私が慣れていないので、てなとこか。
しかもクライアントの立ち会いあり。
ちゃんと動けるかどうかも微妙なとこやな、と。

--

ここんとこ体調はあんまりよくない。
ジンマシン的というか、だけど、
中耳炎は解決できたっぽいけど、耳から膿がダラダラと出るし、
後頭部は何やら発疹ができて痛がゆい。
その他ポツポツと後頭部とは別の発疹ができたりしている。
元来の病院嫌いもあって自然に治るやろという楽観的見地から
しばらくほったらかしにしていたものの
さすがに…ということで、昨日は時間を作って検査に行った。
元保健婦の母親と薬剤師の父親のススメにより初の産婦人科。
関係のない検査もいろいろとやってみたら、
卵巣に炎症が見られるらしいということが判明。
こないだ明玉さんに言われた
「子どもは産めないかもよ。何かしら検査したほうがいい」
てのが頭をよぎって身震いしました。
早めに検査しに行ってよかったっす。
これからしばらく通院らしく、しかしそんな時間を取れるのか?

--

とにもかくにも、次号のカタログが勝負ということで、
ネバりの必要そうな進行中のカタログ制作からはそそくさと撤退、
次号の企画に勤しんでいたわけですが、
昨日東京に、プルーフ(カンプのこと)チェックに行った先輩からの連絡。
「たぶん、愕然とすると思うよ。ボクが見るだけでもそうやから…」と。
しかし親分からの要請がなければ動けない私、
そんなことを報告されて一体どうすればいいのか。
大阪にて原稿をシコシコと書きながらモヤモヤとしとりました。

で、次号の企画とは言え、こないだのプレゼン後に全く動きなし。
向こうからの回答を待つだけでいいのか、
他に準備できることはないんか、なんだかヤキモキしております。

--

あと、どうでもいいけど、メガネをようやく買いました。
それと、これもどうでもいいけど、
一度切ってもらった領収書の変更はできるということを昨日学びました。
助かりました。

2008/10/02

化学反応。

慎太郎氏より思いがけない一言…二言。
「たいへんっすね」
これは、昨日急遽高松に日帰りで行くハメに
なったことへのねぎらいかと。
「楽しそうっすね」
これは、今日企画書の原稿を持ってって
説明をし終えた後での感想…なのかしら。
まーとにかく、同じ日のうちで
私の仕事っぷりに真逆の反応を見たわけで。
いやーいろんな話聞かなあかんしめんどうっすわ、
と逃げたものの、後々チャリンコこぎながら
あー、やっぱ楽しいかもとこちらも思い直しました。

昨日の高松での情報収集的会談はさておき、
今朝の島田ねえさんとの会談は
やっぱりそうとうアタマが刺激される。
それはねえさんがおっとろしく業界知識に長けていたり、
ていうかそれを自分のこととして
おもしろがって言っていたりするからこっちもおもしろい。
あーじゃあ、これってこういうことですね、
というまとめから「そのココロは」てなビジュアルが
ほとんど本能的に、同時にポンと浮かんでくる。
で、たぶん、それは話を進めながらたどり着いていくので
お互いに思っているイメージってのはそう離れたとこでもないらしく
メモったり口から出してみたコトバや、
チョロチョロと描いた絵が
ねえさんを刺激できたりした瞬間に
ねえさんからまた話がぶわ〜っと広がって、
知らないコトバが出てくる。
それをまた消化してキャッチやらフレーズを
チロチロ書いて〜みたいな繰り返し。
…いや、そういうことがイコールで「おもしろい」じゃないね。
私が勝手に「こうしなきゃいけない」
「こう語るのがカタログだ」とか思っていたことが、
ねえさんのおかげでグズグズに崩されて、
話を詰めるごとに足場がしっかりと構築されていく感じ、というか。
(ま、ねえさんはカタログを作ったことがないしね)
まーそんな具合なので、
最初に話の材料にしようと、タタキとして持って行っていた
チョロ描きのラフなんてザコみたいに自分の中ですぐに覆った。
そういう化学変化がめちゃめちゃおもしろい。
横で聞いていたトッパンのメタボなおっちゃんは、
私らふたりのやり取りを眺めながらニヤニヤとただ笑っておりました。
こっから細かくページ企画を詰めるのが私の仕事ね、はいはい。
つーかプレゼンは明日なんですが…。

てなことで、慎ちゃん、
そろそろホンキでデザインしておくれやす。


追記
alainfinkielkrautrock.comのnew dirty edits、めっちゃかっこいいっす。

2008/09/30

サボり魂、百まで?

頭がイんでいるので、何をするにも歩みが遅い。
そろそろヘコんでいるとかいうモンダイでもなく、
サボりたい病がただムクムクと育まれているような気がする。
さて、昨日企画書のページアップをお願いしたデザイナー氏、
あんな貧相な素材で大丈夫かと気になる。
準備の遅さが致命的、ああ、サボりたい病、忌むべし。

しかしプランナー島田ねえさんのアドバイスにより、
市場調査という名の巡り歩きくらいには出てみる。
取り急ぎ、下着屋さんに入ってみようかと。
とはいえギャラもらったばかりの女子ゆえ目移り激しく、
全然関係なく店に入っては試着をしたり、
ほいでなんか、関係ないのにニットとか買ってみたりと、
平日のよき日を休日のように遣ってしまい、
「なんばって、こんな南まで車の停まってる街やったっけ?」
と特集作ったのに、ほんでめっさ近所に住んでいるというのに、
今さら気づいたパークス的街感に感心しきりと、
やっていることがとてものんびり。
(いや、ナンコメも意外にツカえる。どうも腑に落ちんけど)
で、結局入ったのはなんば駅前、
ワコールのウンナナクールくらい。ああ。
(本当は南船場まで行きたかったんやが)

ウンナナクールは、
広告でかなり評価されているワコールのショップ。
「ぱん つう まる みえ」てのは記憶に新しいんでは。
↓こういうノリですねー。

まぁ、とにかくかわいい。
うちのクライアントの手にかかれば、
ベージュにゴテゴテなロングガードルも、
(こないだキミヒコ先生は
「脱いでこれやったら引くな」と申しておりましたが)
ウンナナクールであれば、あらら、まぁ…と、
ガードルはガードルでも、ピンクのテロッとサテンの素材でキュート。
横を見ればグレーでもちょっとドットの刺繍のある繊細なガードル。
あらら、まぁ、ですわ。
ほんで、超アウター的ブラショーに、キャミにと
雑貨屋の感覚で、あれもこれもと手に取るうちに散財。ああ。
ちなみにここの商品も広告に引っ張られてるんですね。
(さらにちなみに、実はその広告作ってるのは女の人ではないんですね)
ま、話しかける相手は全然違うんですが。

さてこれからスタイリストさんと打ち合わせ。
忙しいスタイリストさんと、ヒマ(ヒマじゃないけど)な私。ああ。
ほいで、編集案をガッツリ作らなければー。ああーー。
できれば打ち合わせ後、
そのまま飲みに行きたい…て、いかん、いかん。

情報レベル、カタログタイプ。

大学のときから、雑誌を恐ろしいくらいに買っていた。
よく引用している『翼の王国』は定期購読、
眺めていただけの『アイデア』『AXIS』『広告』も定期購読、
後に自分が作ることになろうとは…の『Meets Regional』に
『サイゾー』『TV Bros』『広告批評』『BRUTUS』、
なぜかここに『暮らしの手帖』、
『STUDIO VOICE』に月刊の『PLAYBOY』、
『Gap』の建築特集や『A』、『skypaper』、
姉の影響で、用事のない建築雑誌も数冊は。
あと、おもしろそうな雑誌はいくらでも買った。
すぐに廃刊になってしまった『eat』のコラムはおもしろかった。
見かけるたびに奮発して買った『archives』で
海外のCMを見るのもおもしろかった。
その他に書籍もアホほど買っていたので、
月のうちの書籍・雑誌代はバカにならない。
いやしかし、女性誌…というか、
何か喋る相手を限定した雑誌というのを
ちゃんと買ったことがない。
…ということに今さらながら気がついた。
いやたぶん、うちの家系的にそうなんだろう。
姉や母が、ファッション誌を読んで購買行動に、
ていう姿は見たことがない。

たとえば(これを言うと怒られそうな気もするけど)、
私は『Meets Regional』を毎月読んでいたけど、
それを読んで、載っている店に「さぁ行こう」と行くときというのは、
そこに載っている店の記事が自分の知らない魅力的な世界で、
自分の知っている手札では
おそらく叶わない時間がそこにあると思ったときにしか行かなかった。
今、髪を毎月切ってくれる「斉藤さんとこ」はそうだし。
ただ、それらは気分でしかない。
その店の記事を読むために雑誌を買っているけど、
その店に行くために雑誌を買っているつもりはない。
だから全部読み切ってしまったあと、
何ヶ月か経って読み返したときに
「あ、そういえば、行ってみよ」となるのが常。
雑誌購入がイコールで消費行動には結びつかない。
いや、書いている人らのキョーレツに遊んでる具合も、
その店にいきなり行ったからって
同じようにできるわけじゃないってのも、
読んでいればすぐに分かることなんだよね、てのもある。
…それは一種、臆病とも言うのか。

最近では、仕事柄、情報や参考物件を探すためによく女性誌を買う。
女性誌とは「目的」がおそるべくハッキリとしていることに気がつく。
誰かに言ったことがあるような気がするけど、
ひとつ“カワイイ”デニムの商品が載っているだけで
たぶん雑誌は購入される。
そのデニムを買おうとして雑誌を“ためて”おきたいと思うんだろう。
そのデニムに付随するコーディネイトや小物、
似たデニムは同時にそのページに載っていて、
それらを自分の生活の中に取り入れようとするから。
つまり、より実務的で実際的、
情報的な性格が「女性誌」というものにはある。

今、雑誌の廃刊ラッシュだ。
私が買っていた雑誌の中でもいくつかはもうなくなってしまった。
(そもそも雑誌バヤりの中で出ていただけのものもあるし)
いや、残っているものって、
けっこう消費行動に直、てものが多いんだなと。
そうじゃなかった雑誌もそうなっていく傾向はあるよね、と。
(そういえばこないだの『ハイファッション』では
「カタログ的な雑誌が増えている」みたいなコラムとともに
アイテムを「カタログ的に」ズラッと並べていたんだが、
たぶんそれは「あえてカタログ的な〜」と言ってしまったがために
全く「カタログ的」ではなかった。それが狙いなんだろうけど。
というか、それらはたしかに「カタログ的」と言われるんだが、
あまりにカタログを卑下した言葉になっていて聞いて気分が悪い)
それがいいか悪いかってことではないんだけど、
ひとつロマンがなくなったような、そんな感じはあるのかも。

2008/09/29

そういえば、やることいっぱい。


敬愛するやきそばかおる先生のブログ、
ご存じ「やきそばかおるの気になるじゃないか」。
『世界ふしぎ発見』の黒柳徹子の回答、
縦書きなのは確かに気になっていたけど、
これ(↑)「羊の毛を刈るので生えてくる。刈らないとハゲチョロケ」。
「ハゲチョロケ」って。
いや、どうでもいいんですが。

さて、次の号の企画書のためにデザイナーさんのとこで打ち合わせ。
本当はページネーションやら
お願いしたサンプルページ以外のキャッチ案も
考えないといけないのだけれど、
その他の雑務に追われて何もできず。
なんとなく『M-1』のDVDを流しながらやってしまったので、
そっちに気を取られて何もできず(えっ)。
そういえば、クリスマス企画とやらの撮影準備もしなければ。
そういえば、ネタを上げないと。
そういえば、原稿を書かないと。
と思いながら机を見たら伝票がようけあって、
しかも見積りの締め切りが明日着のヤツとかもありまして、
焦って作ってそそくさと郵便局に走ったりしておりました。
とかやっていたら、仕事のオファーをいただいたりして、
頭の中で算盤をはじいたりしながらフムフムと拝聴しとりました。
えー、いろいろありまして。

そういやタローが放浪から帰ってきたらしく、
昨日のヘコみ日記の感想をメールにしたためて
軽く帰国をアピールしておられました。
猫の手を借りたいときには、
猫の手ほどのタローくんの手をお借りします。
何卒。
マコの結婚式も間近。
祝辞を読まなければいけないというのも
これまた馴れぬことゆえにプレッシャーも甚だしく。
プレッシャーからはできれば逃げたくもあって、
マコに聴かせて喜んでもらえた
美空ひばりの「ラブ」(ナットキングコールのカバー)やら
もろもろをコンピにしてあげる予定。
んー、そんなんもあるんやね。

日々に謀殺されてしまえー、でもある。
ほいで、やきそばかおる先生の
新ブログ「コンセントでいろいろつくってみた」も
しょーもないので必見。

2008/09/28

芸の肥やし、か。

-+-+-+-

蓮の花の咲いた日に、ああ、わたしの心は彷徨っていた。
なのに わたしはそれに気づかなかった。
わたしの花籠は 空っぽだった。
なのに 花には目もくれなかった。
ただ、ときとして、ある悲しさがわたしのうえにふりかかり、
わたしは 夢からふと目覚め、
南の風に あやしい香りの甘い余韻をきいていた。
その仄かな甘さが わたしの心を “あくがれ”にうずかせた。
それは 終焉を求める夏のはげしい息づかいのようにも思われた。
そのとき わたしは知らなかった。
ーー花がそんなにも身近にあり、
それがわたし自身のものであったことを、
そして このような全き美が
わたし自身の胸の奥深くに花咲いていたことを。

ラビンドラナート・タゴール
『ギタンジャリ』より/森本達雄訳註(第三文明社刊)

※インド・マイソール(文:朝比奈千鶴/『翼の王国2008年9月号』)

-+-+-+-

ひとつ、開いていた気持ちが、
夏の終わりといっしょにシュッと閉じた。
季節外れの大きな台風がまたやってきている。

何かを諦めるというのは、いつだって悲しい。
自らの至らなさがぐっと身に沁みて、
しかし、「もう一度」というものでも
「次に生かそう」というものでもないから
何をどう考えてみればよいのか分からない。
きっともう二度と、言葉を交わすこともなく
いつか、なだらかに波はおさまっていく。
互いに違う方向を眺め、もう二度と交わることもない。
そう思うと途方に暮れる。

この3日間、ひどい喪失感にただ明け暮れ、
ひとりでは居たたまれずに無理矢理に誰かのいる場所へと向かった。
誰かのいるところで、バカ話をしたり
仕事の苦労を聞いたりしていた。
帰りにはボンヤリと空を見ていた。
真っ黒な空。
雲が流れたり、ときには星も何も見えない、
ただ真っ黒なだけの空。
夜だから。

-+-+-+-

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ 私がさようならする

あともう一回だけ あの日を見せて
あともう一回だけ 私がさようならする

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ あの日を見せて
あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ あの日を見せて

あともう一回だけ

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ 私にキスする

※あともう一回だけ/J

-+-+-+-

ただ一言「ごめんね」と伝えたかったのと、
自分の言葉足らずを悔いるのとで精一杯。
相手からしてもらったことへ感謝を伝えたことってあった?
何から「ごめん」を言えばいいのかも、
(そもそもそれを伝えるときは来るのかい)
その他には、何が悲しいのかもわからないままに
何かを思い出してはまた、涙がこぼれる。
今、私はそれだけでしかない。


追記
胸も痛いが耳も痛い。
右耳はどうやら内部がドカンと腫れてしまったようで、
(見たわけではないからわからんが)
耳に何かを覆っているように聞こえない。
聞こえないばかりか、物を食べると激痛が。
これ、中耳炎?
左耳からは昨日、ほんの少し液が垂れたおかげで痛みは緩和。
右耳からも同じように液が垂れるのか?

居たたまれぬ私にお付き合いいただいた
タニモト氏、マコちん、ぐっさん、サンキューです。
特にタニモト兄、泣き過ぎ、たいへんご迷惑をおかけしました。
残念ながら、たぶんもううまくはいきません。
あーしかし、大丈夫か、私。
何分、恋愛検定8級の初心者、
こんなにヘコむのは初めてのことなので、
この先どうしていったらええもんか。
あー、大丈夫か、私。

2008/09/27

下着って、女って、深い。

朝からディレクターさんと打ち合わせ。
サバサバした女の人。
下着の話をヒアリングしながら、
へぇ、ほぇ、奥が深ェ〜とただただ口あんぐり。
具体的なページの話にまでは時間がなくて至らなかったし、
(て言っても朝からかれこれ2〜3時間は喋っていた)
現状のカタログを考えると
「それはすぐには実現不可能やわ」て部分はやっぱりある。
でも、カタログで目指したい方向が
これまでよりももっとリアルに見えてきた気がする。

下着の話って難しい。
結局はアウターのためのモノであったりするし、
かといって、TPOに合わせて服を着るように、
その服に合わせて下着を選びましょうってなると
いや、(気持ちは)わかるんだけど、
(実のところどう選ぶべきか)わからない。
ディレクターのねえさん曰く
「そういう女の人ってけっこうおる。
店に立ってるスタッフでも、わかってない人っているし。
でも、そこで終わってしまうともったいない」らしく、
「じゃ、どうせ選ぶんならやっぱり、やし、
きちんと選べば数段キレイなカラダは作れる」ってなる。
それは夢を見させるどうこうの話じゃなく、
具体的にどういうシーンで、どういうことをしたいか、によるらしい。
たとえば、見てほしい下着は「こう見てもらう」と具体例がほしいし、
どうカラダを補正するかは
「このアウターで見てもらう」という例がほしい。
つまりそれぞれの商品に具体的なシーン設定が大事だと彼女は言う。
だから、「こうじゃなくて、こうね」と、
ひとつひとつ、思ってきた方向性を修正してくれる。
私はただ感心しながら「あー、そうか、そうか」と思う。
「西村さんは若いから、まだ結婚も出産もしてへんでしょ。
カラダのラインが気になるのは出産後やからね、難しいよね」
「20代の後半から、胸が垂れてなくなっていくの、知ってる?
だから週に何回かはボディースーツで正しい姿勢を作らなあかんで」
などなど、カタログ制作をしてるからってだけじゃない豆知識がきて、
「今のカタログって、結局中途半端に夢を語ってるだけやん。
“夢”で終わるとすっとばかされてしまう。
春夏の号のラフも見たけど、なんだかね。
買う人は、切実にほしいんやから」と締める。
その上で「フォローとして、売りにはつながらへんやろけど、
コラムだって行く行くは必要やと思うで。
あんなにボリュームあるんやし」とコメント。
うむうむ、なるほど。

で、今の号の作り方を相談してみる。
「それさ、言うことはよくわかるけど、
相手の懐にたぶんまだ入ってないねん。
もっと女の子らしく言うたらええのに。
ベテランのおっちゃんらなんでしょ、
それに東京は大阪とやっぱり作り方も違うんやし。
もっとうまいこと使わな。しっかりしすぎやし、
我慢しすぎやと思うし、もっと要所要所でうまい方法あるで」
とガシッときた。
あー、それ、まさしく今反省中のこと。
打ち合わせなのか何なのかよくわからん女同士の話が始まり、
ランチに突入し、ビールをふたりで飲み始め、
ついでに恋愛相談なんかもしたりして、
「それはアンタが謝ったほうがええと思うわ」など言われたりして、
(しかし謝る勇気が一向に出ず)
「やっぱり、女のトモダチをようけ作らなあかんと思うよ。
私も“女なんて”って思ってた時期あったけど、
それはそれでおもしろい。市場の研究はそのついででええねん」と。
いやーねえさん、勉強になります。

とにかく、ねえさんの制限時間ギリギリまでお付き合いいただいて、
近所にあった「ここはいい売り方してるよ」という
ランジェリーショップの前を通り、
「今度いっしょに下着買いに行ったるわ」てなとこでお開き。
いやー、かなり勉強になりました。
つーか私も女だから、
「ようわかる、それ」っていう参考ラインがわかった。
これからもご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

2008/09/26

目は寸止め、鼻は垂れ流し。

牛タン専門店取材にて、
よほど物欲し気な顔をしていたのか
「ビール、飲みませんか?、まだこの後あるなら小グラスでも」
と言われたので、お言葉に甘えて、
ビールと、甘くて柔らかいタンの肉にあやかるとする。
数ある部位の中でも
あえて、あっさりとアテになるタンを選んだ店主の
酔狂さにもほどがあると思いながら、
しかしいつもなら前菜の役割を果たすタンの
ジューシーさはキョーレツであった。
そこでついはずみがついての2軒目。
本当はカメラの竹田さんも飲みたそうにしていたけど、
その後に取材が控えているとのことで
ひとり、アメ村のメキシカンダイナーへ。
(メキシカンファミレスから昇格)

週末のメキシカンダイナーは混んでいる。
オープン直前に足を運べば、もうすでにテーブルは予約で満席、
座って飲んでいるうちにカウンターも予約で埋まってしまった。
「ごめんね、食べもしないのに」とタニモト氏に心で謝る。
大阪に住み始めて6年、すぐに仲良くなって
ケンカもたびたび…のタニモト氏は、やはり私の兄ちゃんである。
ここ数週間、行かなかった間の近況を報告し、
報告したらすぐに満席で店はてんてこ舞いになって、
報告したことを、熱帯魚の動きや
兄ちゃんの動きを目で追いながら反芻する。
反芻しながら、そこに付随する想いが募って、
ついでにお酒もちょっと入っていたりしてついつい悲しくなってくる。
というか、「兄ちゃ〜ん」と泣きついてる感じが
まったくもって情けなさ全開でしょーもない。
あー、こんなことって、未体験ゾーン。
兄ちゃんも「こんな満ちきちんのレストランの真ん中で…、
ていうかそんな悲しそうなん…」なんてびっくりして
頃合いを見て慰めのシェリーを奢ってくれたりするので
(たぶん私が飲まないと減らない酒なんだと思うけど)
余計に泣けてきてしょうがない。
泣けてきてしょうがなさすぎるのと、
客で埋まりすぎて申し訳ないのとで、そそくさと店を後にした。
たぶん、兄ちゃんは心配の余りに夜中呼び出すんだろう。
呼び出された私はまた、えーんと泣きつくんだろう。

雨の上がった大阪は肌寒い。
千日前の交差点で信号を待っていたら、ふらりと3人組。
「渡ったところでええんやんな」
ひとりが確認のために振り返って言う。
長袖を着た3人組。
南からまた、冷たい風。
腕を覆いたい気持ちで信号を待つ。
何も考えないままに信号を待ちながら、
鼻から自然に涙が出てきて止まらない。
目は寸止め、鼻は垂れ流し。
ほろ酔いでチャリンコをマッハで漕ぎながら
自分へと、相手への言い訳が頭でぐるぐる回る。
その後に、もうどうしようもないってのが
よくわかって余計に泣きたくなってきて
上を向いたり下を向いたり、忙しくってしょうがない。
もう本当に、あー、としか言いようがない。
あー、不安定なこの感じ、サイアク。

2008/09/25

通販カタログ。

ゴキゲンに音と酒と戯れた週末よさよなら、
気づいたらもう木曜日、9月も終盤。
てかもうそろそろ10月になる。
作っている号もそろそろ撮影は中盤、
私はそそくさと次号に向けて企画を準備中。
てか今日、その考え方のまとめを届けてきた。
一体どこまでコンセンサスが取れているのか
自分では冷静に判断できないけれど、
今、納得してもらっている実感のある自分の提案を
早くカタチにすることが次号での段取りを作っていく。
だから、早く、早く、と気が焦る。

-+-+-+-

彼が、デザインとは
「相手にものを贈ることを想像すると一番分かる」と言っています。
たとえば「あの人はこの花を喜んでくれるかな」と花を選ぶこと、
「どうやってラッピングしたら
あの人は喜んでくれるだろうか」と考えること、
さらに、いつ贈ればよいのかと
想像するのもデザインだと言っているんですね。
とても感銘を受けました。
そしていつからか、人だけでなく、
花自身にも喜んでもらえることこそデザインではないのかと。
大変な結論に導いた(笑)。
そう思っていたところにとらやとの出会いがあり、
仕事を続けるほど、
このデザインに対する思いは「間違いない」と実感しました。

※「とらや」を超えるためのデザイン
/企業力とデザイン(PIE BOOKS)

-+-+-+-

他人に言わせれば「こんなボリュームのある下着のカタログなんて」
なんだろうが、私に言わせれば
「これだけボリュームのある下着のカタログは他にない」。
いわゆる妊婦用のカタログやらとは違って
話しかける相手は幅広く絞りきれない。
「ホントに迷惑をかけてると思う、ごめんね」とクライアントは言う。
だけど、だからこそのやりがいを持っているのも事実、
解決するモノが多くてウキウキする。
作りようによっては下着のデパートにできるやん、とかも思う。
それだけに編集力がかなり必要で、
おもろいもん作ってギャフンて言わしたる〜と俄然奮起。

下着のカタログを作ることは、
特にそのクライアントにおいては
他での露出がほとんどないだけに
売り場を設計/運営するのと同じ意味合いを持つ。
売り場でインストラクションしてくれる人がいないだけに、
商品語りはかなり大切なものともなる。
誘導してくれる人がいないから、商品を探すにも手間がかかる。
似た商品がページをとばしてあれば、
「あれ、この話ってさっきも言ってなかったっけ?」みたいに迷うし。
商品を手に取れない分、撮影で
いかにその商品に性格をつけてあげるかってそうとう大事だし。
ボリュームが大きければ大きいほど、
商品は羅列でなく緩急のついた語りや明確な違いが必要。
それに、作った“モノ”としての機能は同じでも
作り始めの経緯が違っていれば、それは全く別の語りが必要になるんだ。
それは商品シートをいくら眺めていても答えは出ない。
実際に話を聞いて、どういう想いから作られたのかを知る必要がある。
…なんてことを昨日の晩に親分に、愚痴がてら散々喋ったんだけど。
そういうことがわかるものを作りたい。

クライアントに謝られた後、「でも、実はこうですよね」と、
昨日の晩に親分に散々語ったその話をすると
思いもつかなかったことを言われたような顔をされてしまった。
…少々引かれてしまったかもしれない。

アスクルがカタログをきちんと整備した後、
サービス精神旺盛な商品を作れるようになったように、
で、もっともっと遊び心のあるカタログを
作れるようになったみたいに、私もそんなことをしたい。
クライアントは、きちんと整理はできてはいないけど、
充分に自分の商品に愛情を持ち過ぎな人らだ。
それが元で制作的にはそうとうに面倒なことにもなりがち、
それは彼らの想いが制作側に伝わっていないことからもきている。
きっと、ガッカリしたこと、ものすごく多いんだろうなと。
できればガッカリさせたくないなと。
で、作り方も変化が必要。
編集力が必要な商品と、デザイン力で勝負でしょってページに
分けて作りましょうと親分に提案したら、
意外にすんなり受け取ってもらえて
早速それを先方に提案してくれたこともうれしい。
加えて、私が酔っ払いながらフニャフニャ〜と言っていることを
親分がちょこちょこ自分の意見にしていることは、
「それ私が言ってたこと、盗んでる〜」となって悔しいけれどうれしい。

「アイツら(商品担当者たち)ね、いつも勝手なこと言いよるんですよ。
本当は、『カタログの話に参加したらワチャワチャにしてしまう、
任せたほうが絶対いいものができる』って
言わさんといかんと思うんですよ。
もっと商品も整理しんといかんと思うし、
わかりやすいもんを本当はちゃんと作らんといかんと思う。
そういうふうにできるもの、作りましょう。いや、作ってください。
この企画書なら、Mとも“早く作ってほしい”って話ができると思う。
要するに、この考え方をどうカタチにするか、ですよね。
て、言いながらそれでもへんな商品突っ込まないといけなくなったら、
そのときは本当に、ごめん」とクライアント。
てかやっぱり、何をどう作るか、
それによってどういう方向に目を向けられるのか、
てなことをちゃんと話しながら作れる相手っていい。
私は相手にとってそうなりたいと、最近本当に思っている。

とにかく来週末には設計図を作ってお届けの巻。
まとめきれるかな〜。
他媒体の撮影も進めなきゃ。
せわしないな〜。
手伝ってくれる人、随時募集中。
いかんせん、想いはあってもワザが足りない。
できれば、私よりも編集に長けてる人、ぜひに。


さて明日は久々に取材。
肉だ肉。
来週は牡蠣も食いに(季節外れだけど大丈夫?)行ったりするらしい。
東京の編集部からは「トンカツ食べに行かな〜い?」と
別冊の編集部からは「晩ごはん食べにどう〜?」とお声掛けをいただいた。
どれも同じ時期の取材、むむ。
スケジュール決めたもん勝ちですよー。笑。
つーか、食べてばっかやな〜。
つーか「酒場ライター講座」、ギガント行きたいっす。

2008/09/23

酔いどれ音紀行◎△?×□

酔った勢いで買ってしまったチケット、
本日の@シャングリラ、トラベラーズのライヴ、
いや、DJジュニア主催のイベント、DIG THAT BEAT。

ニューオリンズジャズ・トランペッター
ミッチーさん率いるバンドに
久留米発のジャズバンドトラベラーズ。
シュウくんに触発されたがための前売り購入ではあったものの、
いやー、ええもん見ました。
トラベラーズは幾度も見ているけれど、
今日ほど客のテンションが上がりきってしまって、
それにライドしてライヴをしてもうたトラベラーズ、
てのもあまりないんではないかと。

そもそも、乗せられることが好きだ。
ほっとんど自意識のカケラもないままに、
音によって踊らされる。
音によって飲まされる。
カラダを動かすのが好きなのはそうなんだけど、
それにしても、自覚なく“踊らされる”てどうよ。
シュウくんは踊りながら音にダイブし、
私は知らん輩に肩を組まれながらジャンプしまくり、
偶然遭遇のゼンさんも「かっこいい〜!」とホレボレしまくり。
ただただ彼らの鳴らす音に揺らされてしまった。
(スウィングジャズ的なもんなんだけどね。※ジャンルくくりはNG)
最前列には推定50歳のミセス軍団、
壁際で音にうなずいているのは推定60際のナイスミドル、
たまに目が合い、微笑みあってうなずきあって、
またみんなそれぞれに音に向かってダイブする。
なんだかキモチイイのだ。

土曜日に続いてシャンデリアビカビカのシャングリラ。
ハッチやチキンジョージじゃない小さなハコで街は動く、ゴニョゴニョ。

--

もちろんその後はつばめいろ。
つばめいろの後はインスパイア。
(ケンタロー氏に遭遇、うふふ)
そうとうゴキゲンサンバな酒場行脚、
いやー、やっぱり大阪、サイコー。

2008/09/21

やっぱ仕事はおもしろい。

アングリーとの約束でシャングリラ、
往年のホップヒップ・トランポリン・スクールの
(社長の、金持ち逃げによりメジャデビューの逃したおっさんら)
ライヴは、マキちゃんにデグルチーノ、ぶっきら兄弟、
ゴールデンローファーズ、アウンサンスージーらがゲストで登場、
はちゃめちゃなステージを見守る街場の音楽関係者、
という構図がそうとうに笑けまして。
つーか、いつも酒場で見る近しい人たち、
特にケイタくんとか阿部さんとか、
なんかかっこよくってホレボレしました。
ていうか音楽だけでこんなに楽しくさせられるのってすごい。
やー、いつもいいライヴも後に思うことなんだけど。


というか、その後。
アングリーと久々のつばめに行ったはいいが、
それに付いて来る関係者に出演者、
10人ほどの席に15〜16人が入り乱れる大所帯。
収集つかない彼らを見守りながら、
アニキに呼ばれたのでミナミへと帰還。

夕方、打ち合わせをしたサーファーデザイナー氏から聞いた
衝撃の異動劇の真相を聞き、なんだかモヤッとショックを受けたまま、
連れられるがままにライター中川さんと3人で連れ立って
ジャンカラにてイエモンナイト(なんでや?)。
なんかわからんけど、とにかく書き続けようということで会を締め切り、
(「飲みごろ、飲まれごろ」は、書いてないけど継続いたします。
んで、中川さんも参戦予定、予定は未定、う〜む。
ともかく明日までに何かしら書かねば、やね)
去りにくいまま最終終着地のHBHへ流れて
ティフィンに代わるやさしいお酒
(味はわからんかったけどたぶん焼酎のお茶割りやね)
をいただきつつ、そこで偶然遭遇の先輩と話をする。
ほとんどがミーツの次号の反省を、
アニキと先輩が話していた感じだったけど、
それを聞きながらなんとなく刺激をもらったというか。
やっぱり紙面を作るにはサービス精神が必要で、
これをどう紹介してあげるかってことを
考えて実行するのが私の仕事やと確信。
キャッチやレイアウト、写真も、当たり前だけど
それぞれの店や商品や話したい内容から引き出されてくるもので、
たとえば「これって固有名詞を入れ替えてもわからんよな」
っていう作り方って、読者にとって本当に親切でない。
そこんとこでサボったら私の仕事の意味がないんだよね、
なーんてことで頭を締めくくったのは朝の6時のことでした。

ていうか、久々の濃い話、濃い酒、濃い遊び、
いやーおもろかったっす。
やっぱ大阪っすわ。
来月はバンバン取材行きますんで、
バンバン仕事を振っておくんなまし。
飲みごろ〜は、年末号に向けての肩ならしってことで、
ドンドン書き進めていきましょうやい。

2008/09/20

ささくれ取れた。

超短時間の帰省だったけど
やはり家族の力というのは重要らしく、
あんなにプンスカプンスカと湯気を立てていたのに
すっかり上機嫌になって帰ってきた。

やっぱりイナカはいい。
いや、タクマがいいのか。

タクマはもうすっかり歩みもスムーズになり、
人間の言葉を聞き分ける力を身につけておりました。
ごはんを食べながら「うまい?」と聞くと「うまい」と返し、
「堂本タクマくん」と呼ぶと手を挙げ、
「足は?」と聞くと足をつかみ、
「手は?」と聞くと手を振るなど、
いよいよ身を守るため(大人に愛されるため)の芸は達者に。
それを「芸人魂も順調に育まれてるなぁ〜」と感慨深く言うと
姉と義兄に「オーサカのおばはん、やめれ」と怒られましたが。

ささくれ立った気分はどイナカのおかげで滑らかに。
空っぽになっていた癒しのバケツも10cmくらいは満たされました。

--

高校時代のバスケ部では、同級生の親が
外部コーチとしてしばらくきていたことがある。
そのおっちゃんはイカツく土佐弁丸出しで叫びまくる。
もちろん、コートの上でもイカツく頑丈。
ブチ当たられて(本人にその意思はないだろうが)、
アザを作りながら転んだことなんて幾度やら。
試合のビデオを見ながら「らん、あそこはオマエや」と
他のプレイヤーにパスを出したことを怒られまくり、
でもガツンといい攻撃を仕掛けたらおもっくそホメられた。
とにかく消極的なプレイを嫌うおっちゃん、
特にチームの稼ぎ頭だった私は、自宅に呼び出されて
チームメイトとともに何度も何度もビデオを見せられた記憶がある。
インターハイ、一回戦で負けたけど、そのときの試合では
コートでおっちゃんが、ちょうど油の乗りまくった私に「らん、今や」
「らん、今のええぞー」などといつも以上に叫びまくって背中を押した。
おかげで全国ランキング6〜8位、
平均身長170cm以上のデカいチームを相手に
170cmにも満たない私はダブルチームを敷かせ、
それでも個人得点35の快挙(78くらい対65くらいで負けたけど)。
あー、過去の栄光(でもけっこう自慢)。
ミニバス時代は敵チームのコワ〜い監督でもあった分、
味方についてもらったときのあの安心感は未だ忘れられん。

高知駅にて、大阪行きの切符を買っていると、
後ろから「あの、お話をお伺いさせてくれんかね」という声。
振り返ればおっちゃんが、ニコニコ笑って立っていた。
なんでも「コロシがあってな」と。
「あー、そういえば、警察官でしたねー」と笑う。
同級生は来月、結婚してオーストラリアに移住する。
そんな知らせがメールに来てたな、と振り返る。
(あんまり交流がないのでスルーしてました、すいません)
「ちょっと仕事に戻るわ」と一旦どこかに消えて、
ケータイを持って走って帰ってきた。
自分の娘に電話をしたらしい。
しばし代わって話をする。
懐かしい高校時代がブワーッと甦ったのでした。

--

弟が仕事で、セミナーを受けに行かなあかんというので
それに合わせて帰ってきている途中、隣の町では大輪のヒマワリ。
ザッツ・イナカ、ビバ・イナカ。

2008/09/18

エラそうなんスかねぇ。

ここにきて、よく文句を言われている。
親分にも言われるし、制作からも言われるし。
でもそれってさ〜、最初っから準備が足りなかったってことでしょ。
今、それも私に、押し付けるように言われても。
ていうかそれってさ〜、もっと前から見えてたことでしょ。
ずっと前から言ってたやん、私。
今さら言われてもさ〜。
だから次号はそれを回避するためにこうしようよとしか言えないでしょ。
カタログ制作にありがちな、目の前の問題に必死すぎる傾向。
ヤバイな〜とひとりビールをグビリといきながら思う。

たとえば。
トルソ撮影で着用するブラジャーは
どのサイズで搬出されるのかという質問を、
考えなしにそっくりそのままクライアントに質問したってねぇ、て感じだし。
つーかそれじゃ、他の商品についても小出しに質問きて、
そのたびに走り回らなきゃいけないやん、て感じでしょ。
凸はクライアント及び制作の小間使いかよ。
いくらクライアントから「撮影ロケのイメージを知りたい」
って言われたからといって、ロケ場の資料を持ってってもねぇ。
向こうが知りたいのはそうじゃないじゃん。
ラフにイメージが添付されてなかったから、それを知りたいだけだって。
つーか、自分らは「責任の範囲外」とかってノータッチだけど、
その制作の現場で使用するものをそのままクライアントに渡して、
じゃ、誰が仕事を請け負ってるのか、てな話にはならんのかい。
商品シートについてだって、シラッタのが必要だ、なんて今言われても。
それって、私が書いたものをコピーして渡したときに指摘することやん。
今言われても「次から気をつけまーす」としか言えないやん。
ラフに明記しているモデル着用の商品に関しての質問の中で
「詰められてないことが多いすぎる」なんて言われても、
それって、でも、各持ち場の人が意識してないから
実際にクライアントに詰める場である取材や会議で話せてなくて、
ラフに反映できてないってことでしょ、としか言えない。
それを誰がやるべき「だった」か、てのは今言うことでもないし。
つーか、最初の取材やら初ラフのときに指摘したことやん。
なんてことをグチグチと方々に返しましたとさ。

他の人が「こういうふうに」「これ」を使って「どう作業する」かが
もっと私に見えていればもっと先に自ら動けたんだろうが、
いかんせん通販に関してシロウトなんで。
ていうか、だからずっと前からそういうことは
先につぶして警告してくれなきゃ動けないと言ってきたつもりなんですが。
自分だけの心配事として曖昧に悩むんじゃなくって、
具体的な懸念事項として出してくれなきゃ。
「だからボクは言ってたんだ〜」なんて今さら予言者のごとく言われてもさ。
むしろ、私の役割っていうのがアヤフヤにされながら
「そこはタッチしてほしくない」「じゃ、次回は編集で関わって」
なんてフニャフニャになっているにも関わらず、
なんだかんだ言って求めてくる。
だ・か・ら、どーせーっちゅうねん。

クライアントに対して
「ああいう言葉遣いって自分たちの中での記号でしかないよね」
なんていつも言って却下しているタイトルや商品名と同様に、
自分たちにとっての動きやお金の流れや責任でしか
語られないことが私はとにかく気に入らない。
そのあとに品質やクオリティ云々の話がくるでしょ、と言うならば、
じゃ、段取りしやすいように最初に動いていけばいい。
動きにくければ言ってくれたほうがいいし、
それに対して制作が何かしようとしたことを
凸はジャッジしながら完璧にサポートするべきだし、
制作に見えてないことを指摘するのも凸の役割だと私は思う。
クライアント自体に問題があることは、もう仕方のないことなんだから、
それはあることを前提にして動くべきだし、
凸はクライアントの問題を解決するべく動きながら
クライアントの問題解決につながるように、
制作できるようにサポートするべきだし、
制作は制作で凸がクライアントの問題を解決しようと動いていることを
理解、共感しながら動くべきでしょうと。
今は全てがブツ切れになりすぎ、どこにも連携なんてない。
これって、受注とか発注とかっていう言葉を使いすぎてるせいなんじゃ、
なーんて思ってしまったりもする。
ていうかさ、あんだけ初ラフに朱書きを入れておいて、
撮影は「責任の範囲外」って逃げるのもどうかと思うよね。ホント。
あんだけ朱書きを入れておいて、
「そのイメージは持ってない」なんて言っちゃいかんよね。
いや、知らないだけなんじゃないの、と言いたい(けどそれは言えない)。
全体が見えていないくせに細切れにしか問題を洗えないことのほうが、
よっぽど品質やクオリティに響くように思う。
だから、私にとってはこの号をある程度のどこで諦めるべきなのか
その回答を親分からいただこうと相談したけど答えはやっぱりあやふや。
聞き方もマズかったけど。

で、これから出るであろう「目の前の問題」を予測して、
ここまでのクライアント側の問題や凸の対応の問題、
制作サイドの動きの問題を洗って、
一応その回避策のタタキをさっさと出したんだが、
親分には電話で延々説明してようやく理解してもらった程度。
親分だけじゃない。
みんな自分の目の前のことに必死すぎる。
全ては「カタログの中の素材の一部」でしかなく、
それを見てレスポンスを起こすのは結局お客さんなのにね。
でもそういう話って、企画段階でしか通用しないのってどうかと思うよ。
てなワケで、一旦落ち着いたら、ここまでのやり取りから
次回予測される問題をクリアにして
ワークフローと資料を作っていこうと思います。
どうやら凸の管理人から編集に、役割が代わるらしいので
つたない引き継ぎだけどやっとかなきゃスッキリしませんねぇ。
かしこ。


追記
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、
前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、
軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち
『これでいいのだ』
と。

うーむ、結局着地点は、それがいいね。
さて、誰の言葉でしょう。

2008/09/17

突然なる疑問。

せっかくもらった楽し気な仕事でしたが、
その工程やらもろもろを考えると
日程を合わせられないことに気づいて
他の、新進気鋭のライター嬢に仕事を流用。
大型モンの制作は、日程も頭も取られる。
おかげで収入は減る一方、嗚呼、刹那。
お断りの電話の直後に他の媒体2誌からのオファー。
ひとつはネタを見つけれたらということで拝受、
もうひとつはスケジュールが合わずに断念、
「情報」を売る仕事ってのは後を絶たず。
一体、どれだけの人が、
その「情報」とやらを切実に欲しているのか。
一体、どれだけの人が、
その「情報」とやらをいかなる手法で発信しているのか。
テレビを見れば、
一方で各界での「カリスマ不在」を嘆く“知識人”とやら、
一方で「独裁者」を誉めたたえるお笑い芸人、
一方で「パラリンピックで“勇気”をもらいました」という元スポーツ選手。
もはや突っ込みところ満載の無責任な発言は、
大物政治家のみならずで、テレビは今さらながらおもしろい。
「情報」を握っている人が強者もしくは大半、
あれやこれやと巧みに言葉を操り、
映像を操り、画像を操って援護射撃は後を絶たず。
武器を得るように「情報」をただ得ようとする者が
エサを待つ池の鯉みたく口をパクパクさせて待っていやがる。
迎合せず、いかに流されずに立っていられるか。
なーんてことを突然にして思ってみたり。

2008/09/15

美メロ。

少し前、閉店してしまう前のノマドのカウンターで、アイちゃんが
「美メロのラインアップで相談されてんねん」という話をしていて、
なんだかおもしろそうだったので考えてみたことがあった。

京都に住んでいたころ、隙間を埋めるようにして
アホみたくひたすら映画館に通った時期がある。
大学の最後の4年くらいの暇な時間はほとんどそこに費やされた。
テストをサボってまで、だったから、対外的には「暇」とは言えないけど。
かといって何を観たかなんてリストみたいに覚えているワケじゃない。
何かしら、のときに引き出しがククッと引かれて、
ほとんど詳細も朧げなままにその頃の状況や心情とともに開放される程度だ。
よく映画を観ていたころは、タランティーノやらウォンカーウァイ、
日本人なら岩井俊二辺りの単館系の映画がハヤっていた。
今思えば、音楽でもなんでも「インディーズ」や「ディープ」であることが
もてはやされ始めたのもあのくらいなのだろう。
ともかく、私は家の近所にあったみなみ会館によく足を運んだ。

「美メロ」と聞いて思い出したのは、
『ヴァージン・スーサイド』という映画だ。
美人四姉妹、周囲から羨まれるいいとこの娘さんらなんだが、
なんにせよ家や周囲からの縛りがキツイ、でも好奇心旺盛な中高の四姉妹、
忘れてしまったけど、何かがきっかけでみんな自殺してしまった、という話。
花や香水の匂いがしそうなパステル調の映像が印象的だった(気がする)。
私はその、自殺しちゃった、ていう短絡的で刹那的、
ショッキングな部分よりも、その四姉妹の近所に住む男の子が、
友だちらと彼女らとの逢瀬を夢想しながら
次々にレコードをかけていくシーンをよく覚えている。
トッド・ラングレンの「ハロー・イッツ・ミー」、
10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」、
アル・グリーンの「ハウ・キャン・ユー・メンド〜」やら。
彼女らへの届かない憧れと、
それでも近くにいて見ているやさしさみたいのがよくわかるような。
気持ちが隙間だらけ、目標や目的が必要だと思っていたのに
そのころの自分には何もなかったから、そういうのはぐっときた。
映画に感動したというより、音のラインアップが沁みたんだと思う。

やさしさも美しさも、失ってしまった後、
その後を埋める何かを持って来てはくれない。
「いい気分」なものってのはたいがいがそういうもんで。
希望や欲望がいつでも満たされている場面ていうのは苦しい。
満たされた後、それは継続されなければ、同じようにポッカリと穴を作る。
作られた穴は修復されることはなく、
だからできた穴にいろんなものがしみこんでいく。

図解すると↓こんな感じ?


というか「サヨナラ」が前提にあるお付き合いって、いや〜ね。
て、結局それか。

2008/09/14

オーサカ、フォーリンラヴですねー。

昨日はタイミングよくマコから電話をもらったので、
ふたりで街に繰り出した。
マコからもらったのは、結婚式の招待状+スピーチのお願い、
(スピーチって何を喋ればいいんだ?)
それにヨシノリから二次会の案内(といってもライヴだねー)、
あとケンボウさんからも二次会の招待状送るとの予告。
ミナミの街、結婚祭り。
世話になってきた御三方の結婚式及び二次会にはぜひとも、て感じだけど、
毎週のその動きは正直、財布がキツうござんす。
「人のシアワセ願うより、自分のシアワセ買いたい」
とバンバンも歌っているように。
ま、うれしい悲鳴でしょうか。

昨日はマコに会う前にバッタリとシュウくんに会い、
ニコの後にミューズでジュニアさんと会い、
ミューズの後にナマズでぐっさんとジョンに会い、
マコと別れてからも、アンクルでタニモト氏と会い、
ドブ六九でポポさんとリョウちんに会ったりして、ま、よう飲んだ。
HBHにもイタツイにも行きたかったけど
さすがにたどり着くのは不可能でした。
大阪から離れていた時間を取り戻すように、ですな、まさしく。
今日は九条に行きたいね、せっかくだから。

住めば都なのかもしれないし、住んでないし、なんだけど、
今んとこ、こんなふうにフラフラと
回遊して遊んでいるイメージが東京では浮かばない。
だから、やっぱり大阪に甘えて暮らせていることはありがたい。
東京のおっさんらには「大阪再発見て感じでいいかもよ?」
って笑われたけど、本当に、切実に最近はそう思えてくる。
週明けにはまた東京で、次の日には高松で、
その次の日にはまたもしかしたら東京かもしれなくて、
この、ムムム…て具合の動きの感じは、
きっと東京に軸を置いたほうが効率がよかったりするんだろうし、
東京の編集部の方々も「東京で取材なんかいくらでも振りたいわ」なんて
言ってくれちゃったりなんかするけど、んー、もっと考えます。

ともかく、ここ数ヶ月、喋っている人のほとんどが
江戸弁なのでかなり影響されまくっております。
他人が喋るのは全然構わないけど、
自分の口から出てくるものがそうだとちょっとおぞましくもあり…。

2008/09/13

欲しがる女。

先週はずっと高松で、昨日の晩に東京。
打ち合わせが終わった(深夜3時!)ので、やっと今日、大阪に帰れる。
正直、落ち着き場がどこにもなくてヘトヘト。
ヘトヘトになるとカナシイイメージばかりが頭を巡るし
考えなくてもいいことばかりをひとりで終わりなく考えて余計に疲れる。
昨日は追い討ちをかけるかのごとくお断りメール(本当に些細)がきて、
なんのこっちゃないんだけど、なんだか虚しくなって眠った。
虚しさは、無理だとわかりながらも期待をした自分のアホさ加減と、
なんだか自分ばかりがグルグル巡っているような空回りな気分に、だ。
カラダは高松と東京のビジネスホテルを転々と。
旅人になれない私は、早く自分のいる場所に帰りたくてしょうがない。

あー、できればもう、しばらくは「誰か」に連絡をするのはやめよう。
近くなると無駄に期待してしまうし、期待がほのかであればあるほど、
応えられない相手の状況が歯がゆくなる。
なんとなく無理だなとわかっていることほど、
本当に無理だということが判明すると泣ける。
ただ横にいられればそれでいいと思うことが、
どんどん単なる最強のワガママに見えてくることもカナシイ。
何度も頻繁に会っても、ものすごく疲れていても、
(いや、疲れてしまっているほど、のマチガイ?)
まだまだ足りないと思ってしまうのはどうして?
こんなにも私は欲しがる女だったのか。
それは本当に、個人的にはショッキングなことで。
かなりマイッチング〜、だね。

さて、大阪に帰ります。


追記
新幹線でムニャムニャと考え事をしながら、
そういえば、「居候」ってすごいコトバやなーと思ったりして。
ただ単に、そう思っただけなんですが。

帰ってきたら『西の旅』の最新号ができておりました。
松山、かなりよかった。
タカさんの写真を見てるとまた行きたくなってきて、
時間を見つけてまたフラリと行こうか、なんて手帳を開いてみたり。
親分には、東京に住んでもらったほうが便利でいいと言われたけど、
全然真逆にある松山に住むのもありかなーとすら。
ま、今や大阪に住んでる「意味」もないし、その延長での妄想ですね。
「いる場所に帰りたい」なんつって弱っちょろいこと言いつつ、
同時に「仕事なんて距離あってもできるわい」
なんてタフなことも最近思うワケです。
あーしかし、大阪ですわ。やっと落ち着いた。
再来週はなんや新しく取材の仕事もいただいたし、
今日の回遊はニコからスタートでテンション上げますかー。

2008/09/07

付き合い12年。

おとつい。

エリート警察の栗田氏が赴任先だった西宮から東京へ異動とのこと。
何年ぶりかで大学のバスケ仲間で集合、
懐かしの二条駅近くの中華、大鵬で飲んだり食ったり大騒ぎ。
(テリドンで有名、サークルの伝統で、男の子は代々ここでバイトする)
しっかし女の子はひとつも変わらんけど(独身だから?笑)
男の子はタバちゃんの河内なヤンチャ具合が増したくらいで
みーんなおっさんになった。これは結婚して子どもができたせいか。
ミキがおもむろに言い出すには、私らの付き合いはもう12年。
(内、会っていた期間は約1/3、「付き合いが12年」、ん?)
そういえば、といろいろ頭を巡る。

普段無精なくせにわざわざ電話をかけてきた近藤は
女の子がまだ私とグラとモモの3人しかいない時代に
男の子一人でずっと奮闘していた阿波の国のフォワード。
グラの家に私と近藤と3人で集まってはダラダラと飲んで、
グラが寝静まってしまって、間が持たなくなって
デヴィット・リンチの『エレファント・マン』とか、
あーだこーだ言いながらふたりで観ていたり
近藤が好きだったハイスタとか、私が好きだったマゴコロとか
これまたあーだこーだ言いながらふたりで聴いてたりしたなぁ、など。
あれ、そういえばふたりの話に退屈したグラが寝てしまったのか、
どっちが先だったんだろう。

その数年の時期というのは、
ケガをして第一線を退いて
バスケに対する目標を失って悶々としていた時期で、
サークルのバスケで勝つか負けるか必死になったりするのもアホらしく
たかがそんなことのためにディスカッションするのも虚しく
スネてナナメ方向からしかモノが見えずに
学校にもサークルにも行かずにひたすら遊んでいたころでもある。
ふらっとサークルに戻ったとき、
ハレモノに触るようにしてきた他の仲間に対して近藤だけは
アウト・インでポイントを稼ぐプレイから
アウトのみでコントローラー志向になった私をちゃんとわかっていて、
「らん(私)、もうガツガツいけへんねや」とバスケ批評をして出迎え、
「あんたの向こう見ずなプレイは変わらんなぁ」とバスケ批評で返して、
それがあったからまたバスケをしに行くようになった、ような気がする。
何気ないそのやり取りは今もたまにふっと浮かぶ。

栗田氏のおっさん臭いテクニシャンなバスケには憧れたし
ナオキくんの投げやりな思いやりのコトバはぐっとくたし
グラの母のような達観した物言いにはよく泣かされたし
ミキの“KY”なコーフンぶりにはしばし突っ込まなきゃいけなかったりするし
(つまりほっとけないのね)
イヅミの無意味に勝ち気なプレイはそれこそ「ストップストップ」なんて
コントロールしてやらんとなんともならんし、
思い出してフフと笑みがこぼれる印象は、
「付き合い12年」の今もそのまま、か。
でも、なんだかんだ言いながらサークルで
一番最初に思い出すのは近藤だったりする。
特に連絡をするワケでもないし、好きとかそういうことではなくして。

私はサークルでは未だに“ハレモノ”であるがゆえに
一応そこはデリカシーを持って、集まりには参加しないことにしていた。
改めて話すことはないし、同じ思い出も少ないので。
あー、でも、このたびは行ってよかった。
近藤はいつも、こういうナイスなときに私を呼ぶ。
私と同じく、集まりにほとんど来ないタバちゃんも
(「お互いジコチューの位置やな〜」と共感し合う友人である)
そこのこぢんまりとした集合の輪にはいたからだろう、
近藤はホントにうれしそうによく喋っていた。
あのころの悩みなんて、もう笑って済ませられる話だね。
イチビったメガネかけて、ボッサボサの頭でヤツレた顔をして、
ケータイの中の子どもの写真をイキって見せたりして、
ホント、いいおっさんになった。

カラオケはさすがにもういいやという感じもして、
兄さんを呼び出して夜の木屋町をフラフラと飲み歩いた。
酔っ払いの四畳半酒場にて、ニルヴァーナのライヴPA氏を相手に
散々語って周囲をヒヤヒヤとさせたらしい。
大丈夫、PA氏には「アンタはかわいい人やなぁ」と言われたから。
て、これ、気を遣われてるんかしら。
最後はウトウト、兄さんが落ちたのでそのまま始発で大阪に帰った。
久しぶりの京都は、やっぱり朝帰りになる。
出町柳←→淀屋橋を何往復もしなかったことが奇跡だ。



甥の成長をイチイチ喜ぶなんて、私もいいオバハンになった。
ちなみに手前にいるのは弟。
1ヶ月くらい前に帰ったときにタクマは姉と私を間違えて泣いていた。
ざまぁみやがれ。へへ。

2008/09/05

ねぇ、なんで?

なんで店をやり始めたんですか?
なんで他の店にしなかったんですか?
なんでフレンチじゃなく中華なんですか?
なんでまたこんなところでお店を?
なんで歌謡曲が流れてるんですか?

とまぁ、私の仕事はもともと、「なんで」が好きだ。
セロリじゃなくて大葉を使うんだって、
それが本当においしいかどうかなんて証明するよりも、
なぜ・どのタイミングで・誰と食べて
アナタがそれをおいしいと思ったのか、が遥かにおもしろい。
ハヤりの簡素なテントみたいな造りじゃなくて、
今さらデザイナーズカフェを造った
そんなアナタの生きざまを教えておくれ、である。

そんな理由聞いてどうなるワケでもないけど、やっぱり気になる。
「なんでアナタはそうすることにしたの?」

続ける。

なんでカウンターしかないの?
なんで一人でやってるの?
なんでカクテルを出すの?
なんでそのサロンじゃなくてTシャツとジーンズなの?
なんで市場に行くの?
なんですし屋なのにワインがいっぱいあるの?

なんでこの商品を作ったの?
なんでその話を誰かに聞かせたいの?
なんで巻頭の商品はコレにしたの?
なんでこの会社に入ったの?


なんでお酒を飲むと楽しいと思うの?
なんでその音楽が好きなの?
なんで女の子を追っかけているのが楽しいの?
なんで男の人を追っかけているのが楽しいの?

なんでその店に連れて行こうと思ったの?
なんで誘おうと思ったの?
なんでキスをするとうれしい顔をするの?
なんでオッパイを揉んで楽しいの?
なんで電話で話してると眠たくなるの?
ねぇ、なんで、どうして?

考えてみれば、この仕事はとてもオンナっぽい仕事に思えた。
あ、私が想像するからか。


※再録&書き直し。

遊びたい。遊ばしてくれ。

水曜日は誕生日ライヴ…のつもりが、
行く前にひと眠り、とウトウトしていたら
気がついたら深夜の12時、終了時間ていつやったっけ…。
「え、今来たん?、信じられへん、もう今終わったのに」と
会う人会う人にドヤされながら駆けつけ4杯をングングング、
そのへんにポイッと置いてあったチップスをつまみ、
スージー+キャイさんらのヒドイ即興をヤジ飛ばしながら聴いて、
即席SSP復活の演奏を観て、振る舞われたケーキを一口いただいたりした。
頭の中ではグルグルと、やらなければいけないことが巡っている。
ミーツのイベント告知に掲載してもらうライヴ素材を
関係者にちょちょいっとお願いしたりなんかして、仕事はパーペキ。
んで、また飲む。ングングング。
ライヴが終わって、ライヴの片付けが済んで、
みなさまと談笑しているころには一丁できあがり、と。
流れに身をまかせて向かうはかすうどん山本、
締めにかすうどんを食べる輩を見守りながら、
私はアイちゃんと、ビールにもやし炒め、たたきキュウリ。
何か忘れたけど、ケケケと笑いながらゴキゲンに終了。
帰ってその勢いでバリバリバリと仕事を片付けて今に至る。

いや、片付いてなんておりません。
とりあえず他にやることがありすぎて、
今週の高松行きはカンベンしていただきました。
カタログ制作における「西村さとみのお悩み相談室」は、
開設すればするほど仕事が増えるので、
そろそろ打ち切りにしとうござんす、などと思いつつ、
夜は夜でやっぱり親分からのお悩みを聞き、
答えているうちに、次号の仕事も増えそうで身震いが。
いやホント、ここんとこカタログの話ばかりだけど、
カタログ以外の仕事も一応ちゃんとやってるのよね〜、マジで。
オーディションの最中もかかってくる相談の電話、
ラフをチェックしている最中もかかってくる催促の電話(ん?)、
ほんの休憩時間には全然別の仕事でいろいろ手配を
コソコソッとやったりもしてるわけですよ。
まー、アテにしてもらえることはいいことだ。
贅沢な悩みだと重々理解しております。
それに充分楽しませてももらっておりますわよ。
来週は、先方の話を意訳、細かい指示なんてもんには
思い切り逆らって作った再ラフの帰校にブルブルと震えるのね。
(あ、でも、いぶし銀のオヤジには「かなり良くなってる!」と
激励のメールをいただきました。でしょ、でしょ)
なんて思いながらケータイの着信を見れば
仕事の用件ばかりで埋まっていたりして、ちょっとヘコむ。
トカナントカ、グチもこぼしつつ。…寝ます。

あー、そういや明日は京都か、忘れていることにしようかな。むー。
いや、無精の近藤の企てだから行かなきゃマズイね、あー。

2008/09/03

流れる。何度も思う。

やっと、帰ってきた。
…ということばかり書いているのでやめておこう。
ほんの3日ぶりの大阪だが、キモチは数週間ぶりである。
想うことは公私ともに多種多様、
ゆえに随分遠くに行ってきたような感じもする。
明日は高松だけど今日は大阪。
メキシカンファミレスで誕生日の祝いライヴに行ってくる。
それだけはどうしてもハズせない予定だ。

--

小さいときから川を見ていた。
水は流れたがって、とっとと走り下りていた。
そのくせとまりたがりもして、
たゆたい、渋り、淀み、でもまた流れていた。
川には橋がかかっていた。
人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着なく、
平気で渡って行った。
私もそうした。
橋はなんでもない。
なんでもないけれど橋へかかると、
なぜか心はいつも一瞬ためらって、
川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。
水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、
橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。

※流れる(著:幸田文)

--

方丈記「川の流れはたえずして、またもとの水にあらず」云々、
よく人生は川の流れにたとえられる。
川の水は流れのあるところで交わり、
岩にぶつかっては離れ、またどこかで他の流れに別れ、
同じ流れに戻ることもあれば、
さらに分岐して違う流れに交わって行くこともある…云々。
観察をしていればするほど、
あるいはそれを想って街行く人を眺めれば眺めるほど、
はたまた自分のことを振り返っても、という感じがする。
達観や俯瞰から自分を眺めることが必要だと
本能的に思っているときに川の流れを思い出すようだ。
一体、自分は今、どこにいて、どこに行こうとしているのだろう。

いくら決断をしたところで、その決断すら
自分のおかれている状況、つまり自分の今いる流れの
大きな流れの中で、自然に道を定められている気がする、
なんていうのはこれまでだって散々思って書いてきた。
実際、私自身が全ての決断を流れに任せているのもあり、
(いや、そう思うほうが言い訳がしやすいのだ、単純に)
その時間、場所、相手がいる場合はその相手や
それまでに生きてきた自分の流れを見過ごせない。

改めて思えば「今、なぜ大阪にいるのか」というのは、
出身地なわけじゃなし、仕事があるからと移住したものの、
仕事で高松と東京を往復している今では理由を言うのが困難だ。
友だちの多くは昨年のうちに東京へ移住してしまった。
それでも大阪に住んでいるのはおそらく自分の意思である。
「意思」と呼べるほどのものがないから、余計にそう思う。
仕事でもなければ、たとえコイビトがその街に住んでいるとしても、
ココから移動してほんの少しでも流れを交え、
触れ合っていこう、なんて努力すらしないだろう。
ごく自然の流れで会う人だけで充分だと
ワタシのアタマとカラダが言っている。
(だから今、「行かなければいけない」という状況はおもしろい)
諦めが早くて刹那的、だから味わい深い。

この数ヶ月、いろんなことが交錯した。
それでも軸足は、確かにココにある。
それは「流れ」か、それとも「流れに逆らおうとする意思」か。
大阪を出て行くイメージはこの先もない。
意思がないという意味ではなく、イメージとして浮かばない。
大阪が好きかどうかという話ではなく、そういう気がしている。
だから、と思う。
いや、考える材料はそれだけじゃないけど。

で、結局、何が書きたかったのかがわからなくなったんだけど、
(ということは、何を書いているのかもわからない)
とにかく、いろいろ、そろそろ、という気分だ。
会って触れれば安心し、離れて顔が見えなくなった途端に不安になる。
イイコトを言われたときにはうれしく、
言われたことを反芻すれば悲しくてズキズキする。
どちらを意思に反映するべきなのか。
答えはとっくに見えていて、
その決断を急ぐか先に延ばすかの違いにも思える。
流れにまかせるか、流れないように踏みとどまるか。
どうするのが自分にとって一番「やさしい」方法か、
今の私にはよくわかっていない。
挙げ句の果てに思考を閉じてしまおうと結論づけた。
…ま、そう思うのもいつものことか。

--

その昔、広津和郎は、散文精神を問われて、
「いたずらに悲観もせず、むやみに楽観もせず、辛抱強く生き抜く精神」
と答えている。
この言葉がボクの心情に棲みついて十五年ほどになる。

人生ながれるままに、だ。
風まかせであるけれども無駄な事など何ひとつないとも考えている。
誰でも自分をわりと神経質な人間だと思っているだろう。
ボクもそうで、些細な感情の行き違いにネチネチ、
グズグズとこだわる性質だ。
こだわるけれども、人はイデオロギーでは動かず些事で成る点を
たいへんに面白がって、全てを創作に生かす術を多少は知っているので、
どんな失敗も背徳行為も、全面的に否定はできない。
愚かであってこそ人間だ。
ある程度の事は、他人を許すし、自分はもっと許す。
元来が臆病なのかも知れない。
どうせそんな事だと思った、と、期待をしないから
裏切られたと思う感情は小さなものでしかないし、
大きな賭けをしないから大失敗もない。
もちろん大成功もない。
そうだ。
見事に平凡な道を歩いているのだ。
今後も、できたらそうありたいと願っている。

※家族の光景(著:畑中純/私/交遊社)

--

松本ニイさんに『美女と竹林』が出ていることを知らされ、
東京に向かう段階からずっと書店を探していたのだけど、
(もちろん自分の歩く範囲で、だけど)
ようやく品川で発見。
つい書籍オトナ買いで、
またも「読まねばならん」本の山が高くなってしまった。
…これも「流れ」の産物、行きがかりじょう、である。


追記
東京にて徹夜のラフチェックに
お付き合いいただいたディレクターさんの話。
「パパがいないと眠れないよ〜」なんて
カワイイこと言われているのに
徹夜に付き合ってくれて本当にすいませんでした。
なーんてことを、「はよオーサカ帰りたい」と思いながら、
しかし矛盾する環境下でボンヤリと考えたりもしたのでした。

さて、仕事、仕事。

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行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、ま たかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、
代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれ ば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、
あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。
所もかはらず、人も多かれど、 いにしへ見し人は、
二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、
たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、
いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあ らそひ去るさま、
いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。
のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。
消えずといへど も、ゆふべを待つことなし。

※方丈記(鴨長明)

2008/08/31

オーサカ・ラヴ。

やっとサムネイルもろもろでの指示を終えて、
(ていうか、人生の中でホテルでカンヅメになることがあるとは…)
やっと、恋焦がれた大阪。
親分と高松からの電車に揺られながら、
近づいてくる大阪の匂いを思い出す。

お初天神の路地に迷い込んでしっぽりとシュンでしまいたい。
ミナミの碁盤でエンドレスなゴキゲン回遊をしたい。
鶴橋の深夜の市場をふらふらと、誰かと歩きたい。
九条のトライアングルに囲まれて笑いっぱなしになりたい。
大正のおっさんの店でワインとてびちに揺れたい。
大阪の街にいれば、どこに行ってもおニイやおネエに会う。
言い訳できる相手が身近にいるということのシアワセ。
離れてこそひしひし、だ。

昨日はその中でも最もナニワな街に出た。
道頓堀でも新世界でも法善寺でもない。
高松にいても東京にいても
なぜか思い出されるのはいつでもしんみどうで、
しんみどうでもあのマッコリのパックとキムチチヂミが恋しくなる。

松本のアニキに電話をして現地集合、
早く浸かりたい私は電話後10分で到着、
勝手に出された豚足の烏龍漬け焼きと筑前煮とキムチにまず敬礼、
すかさず先にキムチチヂミを頼み、アニキの到着を待ってまずは生、
原節子なママの韓国語混じりのべっぴんトーク、
テレビで流れるバラエティ、とっとと生3杯を飲み干して
待ち受けるは1リットル500円パックのマッコリ。
私からアニキに近況報告、アニキからは雑誌の話に珍しく人生の話。
ジュリーの『東京』から引用のフレーズの洪水に溺れつつ
ママに勧められるがまま今季初の鉄板キムチ鍋、
キムチにも関わらずククッと効いたダシに悶絶、
おもむろにママの手から放たれた山芋が鍋にイン、
最後のうどんが鉄板に焦げ、
キムチとダシが濃厚に沁みて泣ける。
マッコリはくいくい進む。
ママの「おネエちゃんに1本あげるわ」に甘えてもう1本、
破裂寸前の腹を抱えながら名残惜しくもハムエッグ。

しんみどうのどこに大阪を想うのかは、結局わからないままだ。
自転車でほんの10分の場所にあることか、
近所のおっちゃんらの白熱するトークか、
キムチか鉄板かチヂミか、はたまた韓国出身のママなのか。
アニキに「なんでやろなー」と言うと、
「ようわからんけど、ええことやと思うで」とあっさり返ってきた。
答えはない。きっと考えるようなことでもないんだろう。
それがなんか、いい。


ほんで今から東京デート&出張でーす。

2008/08/29

「ま、しゃーない」の精神。

お互いフリーになったから、育児手伝えるときは手伝うよー
なんて言ってかれこれ数カ月。
そのためにお互いのスケジュールを把握するカレンダーを
ウェブにこさえたにも関わらず、
なされるのは互いが今何をしているのかの確認のみ。
予想外にヘビー級のカタログ仕事に雑誌や社内報の取材と、
育児の手伝いなんぞが入ってくる余裕などひとつもない。
高松←→徳島間はほんの数時間とは言え、
当初の「えへへ〜、高松行くとき子育て手伝うから泊めてね〜」なんて
タクマに首ったけな甘ったるい計画はいつ実行されるのか。
「太田さんの行った店、全部行ったろ」などという
夢の異国の街遊びすら未だ実行に移せてないくらいだし。
今回の1週間の高松遠征も
「途中、1日空きそうだよ〜」なんてアナウンスしていたのに
結局は高松でガッチリ捕えられ、身動きなんぞ、いっこも。

ついに業を煮やして姉が高松にやってきた。
うそ。
うんしょと肩に背負っていたいくつもの仕事が終わったので、
営業で高松にやってきた。
殺伐としたラフ帰校、帰校を受けての作戦会議の後、
事務所近くのスタバ(…くらいしか知らんのがカナシイ)にて
久しぶりの姉との再会。
この後にホテルでカンヅメになって
サムネイルやキャッチとガシガシ格闘する殺伐な心構えに新風、か。
ほんの数十分とは言え、タクマは親にあずけてきたとは言え、
やっぱり家族といるのはホッとする。
かなり和みました、ありがとう。


(タクマ、ラヴリー♡)

姉の建てた私の実家は、高知の奥地、
四万十川の上流っていうか源流近くにある。
家から数歩ほどに流れの激しい&岩がゴツゴツとある川があり、
数100mほどにはサラサラと流れる渓流。
私の通っていた小学校はその渓流のすぐ上にある。
今もなぜか強く印象に残っていることに、「亀逃亡事件」がある。

ほんの少し川を下った先にタイラくんという男の子の家があった。
タイラくんの家は農家で、和田アキ子みたいなおかんがいて、兄弟は6人。
たしか私らが小学校を卒業するくらいにもうひとり産まれたから全部で7人。
そのタイラくんは生き物を捕まえることが好きで、
ことあるごとに、小鳥やヘビや、果てはヤギまで(!)学校に連れてきた。
あるときいつものように連れてきた2匹の亀、
それをクラスで飼おうとなったことがある。
飼うために、花壇にこっそりでっかい穴を掘って、
脇を木枠とビニールで固めて池を造ったり(全然“こっそり”じゃないね)
誰かがこっそり家から拝借してきた電気ドリルで
亀の甲羅に穴を開け、そこにヒモを通して逃げないように確保した。

学校帰りにはよく、2匹の亀を連れてブラブラとその川に寄って遊んだ。
そういうときの亀の監視役はたいがいおとなしい誰かがやっていたんだが、
そのときはじっくり亀を監視してくれるような人がいなかったので
「ま、逃げてもすぐに追い付くやろ」の考えのもと
私らは亀をほったらかしにして川の水に浸ったり、石を投げたりして遊んだ。
遊びに夢中になっていて、ふと気づいたら2匹ともいなくなっていた。
しばらく探してみたけど見つからず。
でも誰ひとりとして、ほったらかしで遊んでいたことを後悔していなかった。
その遊びが特別なことじゃなかったにしろ、だ。
次の日、その報告に対しのみんなの反応も、
「そら、逃げたくなったがよ」と妙に納得した様子だったと記憶する。
あ、ヨソから赴任してきた先生だけがギャアギャアと
「生き物を大切にしなさい」なんて言ってたな。
情操教育かなにかと混同してしまったらしい。
でも、亀は戻りたいところに戻っただけなんだ。

大自然と対峙していたあの頃、
それらが自分たちの思うようにならないことは百も承知、
「ま、しゃーない」てのは牧歌的だが正しい。
むしろ数年に一度は誰か自然に対して無茶する人がいたりして、
そうすると自然をよくわかっている人でも亡くなったりする。
それを間近でよくわかっている。

ちなみにその亀、数日後にゴツゴツとした岩場で発見。
甲羅に穴があったところを見ると確かにその亀なんだが、
“仕方がないので”見なかったフリをした覚えがある。

2008/08/27

必要なケンカ。

悪いけど、ヒール役には慣れている。
バスケットボールなんて団体競技をしていくには、
エゴイストで純粋な愛すべきチームメート達の選んだ
「勝つチーム」にすべく“当て馬”に徹したつもりだし、
雑誌を作る上での衝突なんかはしょっちゅうだった。
「嫌われる」?、「衝突する」?、否、
それはいいものと思えるものをチームで作る上で、
必要不可欠な意識や意図の確認作業である。
悪いけど、その中でのヒール役には慣れている。
極論を口走り、できもしないことをふっかけて挑発する、
間違っていることを間違っているとわかって言ってみる、
それは私の得意芸、要するに考えてもらいたいのだ。
自分の立ち位置が、なんてつまんないことよりも
ゴールを見て、客がいれば客を見て、
ベストな方法を選択してほしいというのが意図である。
てなことを今日の朝、勇気を振り絞ってやった。

ま、認識違いというのはよくある。
その原因はクライアントどうこうというよりも
スタッフ間での認識の共有なさからくることが多い。
制作的に言うと、ま、こと作業となれば余計にだが、
クライアントの顔よりも、どっかから仕事を流用してくれそうな
同じ仕事をしている仲間に意識がいくのは当然だ。
同じ時間を過ごすことも断然多いだろうし。
でも、そもそも自分のやる仕事の意義を思えば
「いいもの」を作るに越したことはない。
仲間内でなぁなぁになって許し合うのは結構なことだが、
それでは相手に気遣うばかりで、本当に自分のフィルタを通した
クライアントの客に向けての表現はできない。

運良く、か、私はスタッフの中で最も若い。
しかも制作スタッフでは情報を多く握る位置にいるときてる。
その立場を利用しないテはないんである。
「生意気に何を言ってるんだろう」と思ってもらえたらしめたもん。
というか、そう思ってもらわなきゃ、
今のままでは次のステップに進めないんじゃないだろうか。

--

こんなに痛い経験をしたにもかかわらず、野性的なお跳ねはしずまらなかった。
しかし一方にはまた、お嫁さんお婿さんの話でがっかりとめいってしまうような、
女の子本来のところがないでもなかった。
身につける美しい着物がほしかった。
簪がほしかった。
縁日の晩、ほろほろと揺れる灯に鍍金とガラス玉で光る簪には何度見とれたろう。
でも、友達が自慢そうにそれを買うのを見ると、
なんだあんなものをと軽蔑した。
ははが「虚栄は悪魔の囁きなり」と教えていてくれていたからでもあり、
簪は虚栄と信じていたからである。
それに、ちいさいときから何かほしくても
なかなかねだらない意地っ張りがあった。
あまえる調子というものが気恥ずかしくて、
よほどどうかしたうまい拍子ででもないと、
すなおにあまえ言は口に出て来なかった。
友達がおかあさんに抱きついて、
「ねえ、ねえ」なんぞといっているのを見ると、
ことにそれが食べものを買ってくれとねだっているのを聞いたりすると、
なんだかぞっと鳥肌だつようにいやだった。
離乳期をとっくに過ぎたくらいの子供がだだをこねて、
飲みたくもないお乳をせびっているのなどに出会うと、
ぴしゃんとたたいてやりたいほど憎らしかった。

それが後年自分も子供を持ってみて、なお厳しくなっているのに気づいた。
よくどこでも見る風景で、
あまえた子のなぶるままに胸をあずけている人がいると、
その都度私は皮膚的にたまらなく不快が走った。
母親には子のあまえがほんとに必要から生じているのか、
いたずらのあまえか明瞭にわかる。
幼い子になぶること、もてあそぶことを許しておくべきでないと
その話をしたら、ある人が、
「あなたは子供の頃からおそろしく強い人ですね」と返辞をした。
性感とだけでは、なるほどというわけには行かない。
とにかく、すなおにあまえられない私の性質に油をそそいだのはははである。
「だらだらとしないのは文ちゃんのたった一ツの取り柄だ」と褒めてくれる。
女のあまったれは不道徳であり、毅然としていなくてはいけないのだという。
私は、いったい誰があまったれなのか知りたかったので訊いてみると、
うちへ出入りしている女の大抵はそれであり、
ひとりははのみ、「私はあまえたことはない」とはっきりいうのである。
身みずから範を垂れたのだろう。
私はいよいよあまったれ技術習得のチャンスを失い、
ほしいものは抹殺してしまうことに強くなって行った。
あまえということは誰しもどこかに持っているらしい。
すなおでなく、ちょっとぎこつとした構えのようなものを持っているのは、
強いようにも考えられるがその実あぶなっかしい性格であり、
よいほどにすらりとあまえられる人のほうが、
不潔なあまえに毅然たる態度を持して行かれるのではあるまいか。

※ゆかた(文:幸田文/みそっかす)より

--

そのスタッフの元締めとはよくやり取りをしているが、
そういうメールを「転送してほしい」と送ってしばらく後、
本当に送って、印象を悪くしていいのかと質問されてがっかりした。
これまでも散々、私が思っていることを
思っている通りに「西村がこう言っている」と言ってくださいと伝えている。
制作の窓口である彼にそう伝えていることで覚悟は決まっていた。
じゃ、一体、この人はこれまで私のどの部分と会話をしていたんだろうと。
きっと、思ってもらっているよりも肝は座っているし、
思われているよりも目的はかなりハッキリとしている。
グジャグジャというよりも、どうすればうまくいくのかを考える段階にきている。
悪口や不満を言っているんではなく、問題点を明確にして
解決していこうというメールじゃないか。
意思がないというんであれば、作るようにコントロールすべきである。
「転送する/しない」を任せたのは、自分のメンツではなく、
彼の立場に都合が悪ければ、ということでしかないのに。

今日、彼が時間のない中、苦労をして作ってもらった提案物は
思っていた以上に相手に喜んでもらえた。
「なるほど、こういうふうにモノって作っていけば安心できるんですね」
「今やってる号のチェックで疲れてたんですけど、
今回は何もしなくてよさそうですね。ちょっと休みますね。笑」と。
中でもきっと、彼が楽しんで作ったであろうタイトルロゴは
「あ、これ、かわいい〜」「これ、いいですね」なんて喜んでもらえた。
そのことがとてもうれしかったことは説明するまでもなく。
自分らに伝えたいことがたくさんあるクライアントから
「でもボクたちは作ることができないし、
外の世界を知らないから冷静な判断もできない。
変わらなきゃとは思っているけどどう変わっていいのかわからない」
と言われて奮起しないワケはない。
もちろん、たくさんの制作物を作っている会社である。
スタッフの顔や反応を見て、どんなものができるのか、
なんて推測することには慣れっこ、
ガッカリさせられたことだってたくさんあるハズなのだ。
そのクライアントから「よかった、ホッとした」と言われることを
私は単純にうれしいと思う。
そのために仕事をしていると、確認できる。
で、未だに純粋にそう思えるということは誇らしい。
フリーになったのは、もっといろんな人の役に立ちたいと思ったからで、
何も自由にやりたかったからってワケじゃない。改めて。
その軸足はブラさないようにどんどん先に進めていくだけである。

ま、もっと、そういうキモチが伝わってくれたらいいなとは。