2008/03/31

立体的な方向へ。

一人で酒を呑むことを覚えたのは高校に入ってからで、
どういうきかっけだか解らない。
中学時代から、呑むようになっていた。
酒は、ラジオの次に寄り添ってくれた、恋人だった。

子供の頃、死について考えていると、どうしようもなくなった。
死というのは、
死ぬのが怖いと思っているこの自分がなくなってしまうことだ、
と考える自分がいなくなってしまうことだ、
……という無限の連鎖。
大森荘蔵の云っている、あれだ。

そこから宗教なり、哲学なりに進むのなら、
真っ当なのだけれど、酒を呑んでしまうのが、どうにもクダラナイ。

逗子の商店街で、サントリーの一番安いウオッカを買い、
鞄に押し込んで帰宅する。

そして、自室で、イギー・ポップの「TV EYE」を聴きながら、
生でウオッカを呑むのだ。


ああ、今、おまえの犬になりたい
ああ、今、おまえの犬になりたい
(I wanna be your dog)


ジェイムス・ウィリアムソンの、野蛮きわまるギター・ソロ。

※『en-taxi vol.19(2007 autumn)』
「Another Girl, Another Planet(文:福田和也)」より一部抜粋

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もう随分前のことになるが、
大阪に来て3年くらいたったころ、初めて通天閣の下、
新世界の「洋食」と暖簾のかかった串カツ屋に連れて行ってもらった。
そのとき私は日本橋東という、
新世界から徒歩でほんの10分ほどの場所に住んでいたが、
まるで興味もなく、足を向けたこともなかった。
「大阪といえば○○」という場所であること、
なのに自宅周辺は生きることに無我夢中な人が道路を寝床にする街であること、
アンバランスさがどうしても南へ行く気を失わせた。

バカに大きい立体の駐車場にクルマを停めて歩く。
すぐそばにパッチが干された古い木造の家、細い路地、
たまに家の前にピンクのバラが咲いている。
その家々の間に同じくらい古い木造の喫茶店。
通りをかえてウロウロは続く。
ポルノ映画館、浮浪者の出店に
漫画やオモチャのなんや古いモノが並び、
「ヘタクソや」とかなんとかかんとか言われながら
近くの古いゲームセンターでスマートボールを打った。
新しい串カツ屋のすき間を抜けて細い商店街に入り、
将棋がパチパチと鳴る間に「洋食」と暖簾のかかった店で串カツを食べた。
説明によると、彼が浪人をしていたころ、
予備校をサボってこの界隈のパチンコ屋に通い、
パチンコ屋の後に新世界をウロウロして時間を潰したんだそうだ。
「ここのんは、エビがアホみたいにデカくてぷりぷりしてる」
と教えられるがままに頼んで食べたエビは、
本当に大きくてぷりんぷりんっとして旨かった。
彼に連れて行ってもらった「新世界」という街は新鮮に映った。
平日に仕事を抜け出して、だったからか、観光客も浮浪者も目に入らない。
いや、いても気に止まらなかっただけかもしれないが。

その数週間後、私はまたそのエビの串カツを食べようと店に行く。
同じくらいの時間に行き、同じようにビールを飲んで、
同じようにおいしく食べられる状況を作り込む。
エビはこないだと同じように肉厚でブリンッとしている。
でも、こないだと同じように「おいしい」とびっくりすることはない。
エビの他にいくつか何かを頼んで食べた。
でもやっぱりこないだと同じように楽しくもなかった。
ガッカリしながら店を出てブラブラと街を歩いてみるが、
見るものが平面的すぎて、見上げて見える大きな置物も何か悲しかった。

あのとき私は、恋をしていたのだ。

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最近、打ち合わせやらで人と会うことが増えた。
ついこの前まで全く知らなかった人、
もちろんどこかですれ違ったり、もしかして電車で隣り合わせだったりしても
これまでなら存在にすら全く気付かずに通り過ぎていた相手と話す。
その相手が結婚をしていることを知って、
「私の甥は、身内だからだろうけど、めちゃめちゃかわいい。
早く子どもを作らなダメですよ」と言うと、
「いや、実は、4月に産まれるんですよ〜」なんてニヤニヤしたりする。
「あら〜、まあ〜、働かなダメっすね〜」なんて言って
こっちもついついニヤニヤしたりする。
何かプレゼントでも買ってやらんといかんような気になる。
つい数週間前まで全然知らなかった相手、
繰り返すけど、
どこかですれ違ったり、もしかして電車で隣り合わせだったとしても
これまではその人が生きているということすら想像もしなかった相手に。

以前にあるバーで「動機はどっからくるんだろう」と
無茶苦茶な質問をして、うんうん悩ませた末に、
周りの人や環境からの影響だろうという結論をいただいた。
もっといい答えを期待していたからそのときはガッカリしたのだけど
今になってナルホドと思ったりしている。
人は立体的に見える景色の方向へ、
あるいは立体的に見たい方向へ進んでいく。

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コンタクトレンズ、どんなに目が渇いても、世界が白く濁っていても、
寝るぎりぎりまで入れたままにしておやすみの直前に、
文字通りひっぱがすのですが、
はがしたあと、枕元に手鏡が落ちていたので、何気に覗いてみた。
するとそこには驚愕の色々が映し出されていて、おほ、と声が出た。
凄まじかったのは皺。
目の下に波状の線がぞくぞく編みこまれ、
集合させられ地図のようになっていた。
これは……あの、……皺、よなあ、と思わず声をかけた。
皺に。
ふだんの化粧、肌を見るのはすべてレンズ装着時なので、
近くのものにはピントが合わず、裸目ほどくっきりは見えないにしても
それにしても今まで見てた私の顔は何だったのか。
ないと思ってた皺が突如出現し、これは私が知らなかっただけど
私はそれをさっきまで知らなかったので皺はなかったのだが
今は見えたので皺がある。
これはどういうことなのか。ううむ。
なんかわからんが不穏な感じ。
図らずも裸目で見た自身の顔の細部にぶち当たり、
ここにも決して解決はできぬ、
世界と私と認識の問題の縮図があるのやなあ、難儀難儀。
って鏡を置いたのでした。

そもそもコンタクトレンズを初めて付けて
街を歩いた日のことはとても印象的で、運転してる人の表情、
隣人のまつげ、行き来する人々の服の模様の細かい部、コンクリートの粒立ち、
が、もう、がんがんに見え、その時も今まで私は世界の何を見ていたのか!
と驚愕したものやった。
って世界の彩に圧倒されつつも
そこにもやっぱり確かに同じような不穏があった。
本当はどっち。
人間の目がキャッチ出来る色には限度があるだけで
世界はそれの何億倍もの色を発してるというではないの。
そういうこともあるのだから、ああ本当はどっち。
なんて小学生のようにそわそわした気分になり、
なんやレンズを外してるのと付けてるのとの両方で、
飽きもせんと同じ問題にやられてる始末であります。

※『en-taxi vol.19(2007 autumn)』
「フワッ!&ガチッ!」>「皺のばして皺(文:川上未映子)」より一部抜粋

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映る色は、誰といっしょに見るか、
どんなことを考えながら見るか、によって変わる。
そのときの湿度や温度、人とすれ違う数によってもきっと違う。
何の因果か、という感じのことも作用するだろう。
だから私には、アナタの目に見えるその色が、
本当に私の目に見えているその色と全く同じだとは思えないのだ。

2008/03/25

田舎暮らしの本。

母親からの強い希望があり、
近く、50歳代のアレやコレやに会ってみることになった。
ひとりは、豊中に住む女の人。
高知新聞の論説委員の、たぶん、元彼女、らしい。
一度母親がその論説委員から取材を受けたときに
ぜひに会わせたいからと連れてきた美人。
その美人は女性の仕事について研究やサポートをしている人、
本人も出産、離婚をしているとのことだった。

「女性の働き方」というお題には全く興味がない。
私は今のままでも十分に生きているし、
出産をした姉も、不便ながらも家族のサポートを受けながら仕事をしている。
まず、母親が3人の子どもを産んでなお職場復帰し、
小さな自治体ながらも町役場の要職に就いている。
やろうとしてできないことはないと思っているから
そこんところの話は切実でなく、むしろややこしい。
ただ母が、「その人ねぇ、田舎が好きなのよ」などと
うれしそうに話すから会ってみようかとなったのだ。

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田舎で生きていくというのはたいへんなことだ。
これだけ「便利さ」が世の中を支配している中で、
田舎では電車やバスがないだけじゃなく
インターネットや携帯電話もつながりにくい。
ウチの田舎に限って言えば、5自治体合わせて1つの回線、
もちろん大元となるNTTやauなんかは一番大きな町にしかない。
当然、若い人は便利な大きな町へと流れる。
それは悲しいけど時流だし生活だから仕方のない話。
しかしかつて山肌を開拓して小さく田を重ね、
季節に合わせて田植えから収穫までを繰り返し
名物とまで言われて観光客を集めた千枚田は、
誰も手つかずとなり荒々しく雑草だけが残る。
「IT化」「便利化」はむしろ各地方を平均化させ、
中央集権社会を深刻にしたにすぎない。
高速道路を走りながら、山間の道路を走りながら思う。
「この景色は、別の場所でも見た事がある」と。
それではなんだか味気ない。

そんな中、母親のいる自治体が坂本龍一より援助を受けた。
世界を飛び回る坂本龍一、その移動で排出されるCO2を
なんとか還元したいとのことで、森林に対していくらかもらったと。
これは高知新聞に大きく紹介されるできごとでもあった。
実際の内容はどうあれ、
新聞やメディアにその話が載れば双方の広告となる。
坂本龍一のCDには援助した旨の一文が添えられ、
それはまた、自治体の広告となる。
母の働く自治体は人口こそ4,000人と小規模だが、
有名建築士に宿舎を設計させ、
あるいは若年層家族への援助開始も早かったりなど
インフラとしての公務をうまくやっている。
今回の坂本龍一の件も、人を賢く介した動きだ。
奥の「松原」という地域ではまた新しい動きがあるらしい。
母は「何か雑誌に出せないかな」「田舎がなくなったら日本は終わる」
と、これまで言わなかったことを言っていた。
小バカにしていた『田舎暮らしの本』なんてのも
切実に、発信側の需要は高まっているんだろう。
だけど、いくら田舎での生活を魅力的に発信したところで
文化や実際の生活がそれに追っついてなければ
ただ不便で、ただプライバシーがなくむしろストレス。
というか、私は今んとこ、田舎で生活をしたいとは一切思わない。
これほど詐欺に近い話はないんじゃないかと。

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全く別のこととつながっていくことがないと、
作っていてもおもしろくないんじゃないか、
「作る」だけが仕事では私は困ることになる、
などと思い始めたのはいつだったっけな。
「作らなければならない」という強制からは
おもしろい話は何もないように思える。
伝える意味、伝えない意味、作る意味、作らない意味が
もっとあるような気がする。
母親には、雑誌だけじゃなくって別の方法も考えよう、
とにかくそれにまつわるいろんな人に会ってみたいと言った。
その流れからのひとりが豊中の女の人。
この人がどういうキーマンなのかは摑めておらず。

母は自治体のエラい人ですが、
きちんと企画書なり見積りなりを作って、仕事として提案します。
提案の期限はざっくりと、夏の終わりということでどうでしょうか。

2008/03/24

山ごもり。

山ごもり3日目。

朝。
長芋コロッケを作るためにひき肉を買いに外に出ると、
弟と弟の彼女が「ガソリン入れるしいっしょに行こう」と言ってついてきた。
新田商店街の今橋さんとこのスーパーに行くとひき肉は売り切れ。
他に開いているような店はないので、
そのまま山をさらに超えて隣の町のスーパーまで行くことにする。
山越えの急カーブを曲がって一気に視界がパーッと開ける。
天気はとてもいい。
青々として雲ひとつない空、隆々とした緑、
花粉に苦しめられてもなお、窓を開け放って山を登る。
途中、小学生頃によく行った友だちの家の千枚田が目に入る。
母が前の日の晩に「荒れた千枚田を見るとちょっと悲しくなる」
と言っていたのを思い出して見てみたら、
友だちの家の千枚田には、秋に刈り取られた稲の名残りがあり少しホッとした。
人っ子ひとりいない道中だが、それでも誰かは生活をしている。
馴染みのある遠い町の、その気配を思う。

昼。
姉が目を離した隙に、まずは私と義兄がタクマの靴下を脱がし、
母親が泣きわめくタクマを連れて、父自慢の庭に出る。
タクマは生まれて初めての素足に感じる土の感触に大はしゃぎ。
ワチャワチャとなりました。



私と義兄と母親は、姉におもっくそ怒られました。
でも、このホニャ〜ッとした顔、メロメロです。




山ごもり4日目。

雨。
雨。
雨。

晴れていたら北川の街を歩いてみようと思っていたのに、雨。
昨日までカラ〜ッと晴れていて、こんな日に限って雨。




明日は徳島へ。
あさって、大阪に帰ると思います。

2008/03/22

苦悩の人。

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2008/03/20

デジタル世代。

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↑タクマ(1歳1カ月)による初パソコン作業。

キーボードを叩くもんと認識しているのがすごい。
携帯電話も、遊びで持たせたらちゃんと耳に当てるし。
カメラを向けたらちゃんと笑ってみせるし。
オトナのやってること、ちゃんと見てるのね。
デジタル世代やね。
イヤなオトナになるなよ。

2008/03/19

山ごもりの業務連絡。

一日中、江坂で取材をしておりました。
通り一遍等な受け答えを予想していたけど
創業すぐのおっちゃんらによる
意外にアツ過ぎる話でそうとうにおもしろかったけど
ヘトヘトに疲れてしまいました。
ただ今フリーズ中。

地図本のリライト資料と今日の取材の資料を手に、
来週頭まで山ごもりしてまいります。
バルベス周年行けずで申し訳ない。
愛しのタクマをあやしてまいります。
それより原稿、でっきるっかな〜

2008/03/18

記録。記憶。

そのややくたびれた哀愁の町並み
見たこともない旧式のベンツ
川で洗濯をするお母さん
イワシの塩焼きの匂い
愛想はないが、もの静かで心やさしき人々
何もかもが心地よく心と体に染み込んでくる
ただひとつしんどかったのは、小さな村に行くと
そこに居る村人全員に見つめられることだった
でもあれから16年
ポルトガルの印象は熟成するポルト酒のように
年々豊かになるばかりだ

※『翼の王国(2001.11)』
「まなざしの彼方(文:齋藤亮一)」

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瞬間的な衝動に反射神経で応える。
それは瞬きにも似た感覚。
数時間前の像を呼び起こし、焼き付け、再び過去を旅する。
目の前にある、二度と出会わないであろう今を、
一瞬にして時流の産物にしてしまう。
過ぎ去りし時に皆、「ああだ、こうだ。」
思い出を語るには、あまりにも乱暴ではかない行為。
切り取られた像は有無を言わさず、刹那の現世界。
写っている事物のみがリアルな形状を語らう。
感情の入り込む余地など皆無に等しい。
本来写真とは、そういった欠落の連鎖から
抜け出せないものなのかもしれない。

けれども、空間が二次元に燃やされながら永遠に過去へ追いやられる傍ら、
一度手を離れた写真等は、見る人の情操に紛れ込み、根を下ろす。
すでに苔を落とした世界はあらゆる眼光を浴び、
内に秘めた思いをじわりじわりと吐き出すかの様に再び光合成を始めるのだ。
花達は、自らを装飾するかの様。
匂いにも似た色気を滲ませてくれる。
彼等の色っぽさに、僕は心奪われ、陶酔する。

不思議なもので趣の一切を受け入れないであろう写真は、
矛盾との同時性のなかで余情をまとうのだろう。
この所僕は、再度蘇生した世界から
頻繁に余情めいたものを感じ、それらを快いとさえ憶う。

※『81LAB. vol.9』
「29℃ 12分。焦げたフィルムの果てに(文:横山隆平)」

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実際にサント=ヴィクトワール山を目にして驚いたのは
方角や距離、さらには光線の変化によって
まったく別の表情を見せることだった
山はまるで描かれることを拒んでいるように感じられた
その後、あらためてセザンヌの絵を見てみると
まずそのサイズに驚き、質感、色、グラデーションといった
画面を構成しているあらゆる要素の的確さに心を奪われた
そして自分が記憶していたものが
いかに曖昧で僅かなことだったかを思い知らされた
それは「写真を見て知っている」という
認識の危うさがもたらすものだ
私は写真を撮りますが、見えてることだけを信用していません
見ようとしたことがそこに現れていなければならないと思っている

※『翼の王国(2001.11)』
「まなざしの彼方(文:鈴木理策)」

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ロバート・キャパが来日したときのことだが、
おそらくは本人が気がつかないうちに撮られたのであろう、
一枚のスナップ写真がのこされている。
キャパはそれを見せられて
This is certainly myself.
という一行を添えてから、キャパと署名したという。
certainlyというのは、字義通りに受けとれば
「確かに」ということになるが、
そこにはむしろ「不確かさ」のニュアンスがありはしないだろうか。
いつも撮ってばかりだったのが、
いきなり被写体になったという戸惑いもあったことだろう。
あるいは、そこに世界的な報道写真家ではなく、
ハンガリー生まれのアンドレ・フリードマンが写っていることに
不意を打たれたのかもしれない。
絵画のような注視のメチエに対して、
写真はまなざしのようにすばやい。
まなざしのようにきまぐれだ。
写真はカメラアイという客観性を特徴とする機器というよりは、
まなざしによって事物を知覚する人間もどきの何かなのだ。
人間が旅をするように、カメラも旅をする。
世界の果てまで行きたいという欲望は、
未知のものを見たいという衝動でなくて何であろう。
人間の眼玉、カメラのレンズ……、
そのまなざしの彼方には、何があるのだろう。

※『翼の王国(2001.11)』
「まなざしの彼方」

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いつか誰かから「アナタは記録をしたいんやね」
とわかった風に言われたことがある。
伝えたいなんてハッキリと言ってしまうのも少しおこがましく、
じゃあ一体何をしようとしているのか
迷っていたときのことだった。
たしかに私の中で情報は、
啓蒙するための道具にも物を売るための道具にもならない。
見ているものを見ているままに。
文体や方法よりも、私に見えた事物や出会った人に誠実に。
一度自分のフィルタを通したものならば、
あえて味付けなんかしなくても「私に見えたもの」。
そうやって何かを追っかけたいって理想は
きっといつまでも変わらないことなんだろう。

2008/03/13

網重さんとスマップ。

私の家にはゆうせんがついている。
自分の持っているもので飽きてしまったら
J-POPに合わせて聴いたりもしている。

スマップを聴いていつも思い出すこと。
大学の1回生から1年か2年くらい働いた居酒屋のみなさん。
私は衣笠の学校の近くに住んでいて、
バイト先のその居酒屋は徒歩1分もかからない場所にあった。
網重さんというおっさんは店長でもないのにエラそげに
(エラい理由は後でちゃんとわかったんだが)
厨房の洗浄機の前に陣取り、洗浄機のケースに座って
禁煙パイポをくわえて新聞を読んでいた。
数十年呑み溜めたアルコールがカラダを蝕んでガンを患い、
幸い初期の発見だったために治療でよくなったのだと聞いたことがある。
退院して後はガタのきたカラダを引きずっているようでもあった。
始め、網重さんと顔を合わせるのが怖くて
私はあまり厨房の中には入らず、
厨房から出てすぐ、座敷のある2階の上り口のところで
ボンヤリとフロアを観察していることが多かったように思う。

網重さんは、忙しくないと動かない。
場所柄もあってそんなに毎日客が大勢来るワケではない。
忙しさの中心は週末、平日は常連の客ばかりだ。
そんな平日のど真ん中のある日、居酒屋に行くと
2階の座敷は予約で満席になっていると知らされた。
ホールを網重さんとふたりでまわさないといけなくなった。
私は2階のドリンク場と厨房とを往復、
たまに1階のフロアをのぞけば満席、ヘトヘトになりながら動いた。
波が終わって2階が2回転目に入ったころには少し余裕が出てきて、
店のゆうせんから流れる音楽が耳に入るようになった。
そのときに流れたのがスマップ、曲はなんだったか忘れた。
フと網重さんが油場の板前に、
おもむろに「ケケケ…」と笑いながら声をかける。
「オマエ、見た目も歌も喋りもキムタクに負けてんねん」
板前はチョーシよく照れて「たぶん料理も負けてますわ」と答えた。
特におもしろい会話じゃなかったけど、
そのやり取りはなんだかホッと落ち着いた。
網重さんは肩の力を抜いた私を得意げに見てニヤッと笑った。
営業が終わって売り上げを計算しながら網重さんは
「こんな売り上げをバイトとふたりで回したんは、初めてやなぁ」
と言って、くわえたパイポを上下に動かした。
それがとてもうれしかった。
その日、私は初めて網重さんと会話をした。

網重さんは今、京都の山奥に眠る。
やっぱりガンは完治していなかったらしい。
それでもスマップが歌っていると、網重さん、元気かなぁと思う。

誰かの気配を感じるために、
記憶を刺激するものはあるんだろうな。

2008/03/11

グッズを買いに。

取材が夕方からだけになったので、
面倒なコピーライトを済ませ、原稿に取りかかるとする。
一息ついたところでたまった経費などなどを整理する。
トッパンからも請求書の請求がきていたので送る。
というか、基本的にそういう作業を家でしたことがなかったので、
封筒やら朱肉やら便せんやら、領収書を整理するためのグッズやらがない。
伝票すらも持っていないので、難波まで買い物にでかけたりする。
オフィス用品の店が見つからないので
グランド花月にあるダイソーに向かうと興業に並ぶたいそうな列。
昼前というのにたこ焼き屋は盛況。
春休みとみえる学生の群れ、ふらりふらりと流れるおっちゃんおばちゃん。
オフィス街とはあまりにかけ離れた街の風景。
しかし元禄寿司に入れば意外に空いていて並ぶことなく座れた。

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某会社のアルバイトさん向けの社内報、第一稿目ができた。
第一稿目とは言ってもまだ取材はいくつか残っている。
とりあえずクライアントと理解を共有するための
ダミー校正といったところか。
ファンシーすぎる感じが趣味ではないが、
担当の姉さんがご満悦な顔を浮かべていたのでよしとする。
いや、やっぱりもうちょいワガママ言って
ファンシーさを緩めてもらおうかしら。
なんにせよ、初めて作るもののカタチが少し見えたのでホッとした。
それに、相手が満足してくれるのが一番大事なとこだし。

2008/03/10

ジャンルレスというよりジャンル不明。

ミーツ編集部をやめて半年、
誘われるがままにデザイン事務所を手伝いながら
自分の立ち位置を定めるのにウゴウゴと蠢いていたら
なんとなく流れに沿ってフリーという立場になっていた。
主には、これまで世話になってきた人から
何か頼まれごとや相談を持ちかけられると
どないかして力になれんかと思うとこから始まり、
その相手が古巣にいる人であったり
あるいは街場で仲良くしている人からであったりし、
それもときに大口だったり小口だったりのマチマチであるから
どこかに所属しているよりも動きやすい、ということで。
ありがたいことにそれで生きていける算段がついたから囲ってもらうのをやめた。
何か肩書きを口から出すと(それでも誰かの紹介で言われることもある)
能力も追いついていないし、それを専業にしようとしているワケでもないので
恥ずかしくてなんだか鳥肌がプツプツと沸いてくる。
なので私はできるかぎり「便利屋です」と言うことにしている。
実際、打ち合わせの中で必要事項や大筋を大まかに決めてしまえば、
みんなが勝手に考えてやってくれるし、
逆に大まかに決めてもらった出発点と着地点の中で
道順を決めてコトを運んだりもする。
改めて、同じ「作る」仕事でもやり方も関わり方も様々だなと思う。
たくさんに関わらせてもらうことで、
自分から見える景色がどれかひとつに限定されないことが
最もありがたかったりもする。
そういえば、「どうせヒマだろう」というので
もらいかけている仕事のひとつに「年明けからカフェの店番」というのがある。
こないだはバーで店番をやったし、想定外に便利屋を極める可能性も大だが、
とりあえず自分の体力が許すままに、流れにまかせておこうと思っている。

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肉の最もまずそうな動物ベストテン。
(ナマケモノ、フラミンゴ、アルマジロ、オオサンショウウオ、
マレーバク、スカンク、カメレオンetc.)

もし万が一過去にタイムスリップしてしまった場合に備えて、
自分が未来人であることを証明するために覚えておくべき出来事。
(地震やテロの日付け、ワールドカップの勝敗etc.)

もとは土の地面だったところが舗装されてしまったら、
その下で羽化を待っていた蝉の幼虫はどうなるのか。
(だからアスファルトの下には、地面に出られなかった
幼虫の死骸がびっしり並んでいる)

私の仕事は、ほとんど体を動かさない。
だいたいいつも机に向かい、腕を組んで考え事をしている。
傍から見れば真剣に沈思黙考しているように見えるかもしれないが、
実はろくなことを考えていない場合が多い。
もちろん最初のうちは、真剣に沈思黙考していたはずなのだ。
それがいつの間にか思考の経路が脱線して、
気がつくとこんなことになっている。

それでも、ごくたまに、そう、脱線思考三百件につき一件くらいの割合で、
もしかしたらこれは実用化できるのではないかと思わせるような
有益なアイデアが浮かぶこともある。

たとえば、「猫マッサージ屋」。

飼ったことのある人なら覚えがあるだろうが、
猫というのは体重はたいしたことがないのに、
胸や腹の上に立たれるとけっこう重みがある。
それはなぜかといえば足裏の面積が小さく、
点で圧迫されるかっこうになるからで、
ならばそれをマッサージに応用できるのではないか。
客をうつぶせに寝かせて、その上に猫をのせるだけでいい。
うまくツボにはまればけっこう気持ちいいはずだし、
猫好きにとっては一石二鳥だ。
好きな猫を指名できるようにしてもいい。
従業員が猫なので人件費がほとんどかからないのがメリットだが、
問題はその従業員の勤務態度だ。

それから、「汚れの通販」。

テレビの通販のコマーシャルで、
いつも目が吸い寄せられるのは掃除関連の商品だ。
クリーム状のクレンザーや蒸気の噴射器などを使って、
ものすごく汚い洗面台や鍋などが見違えるほどピカピカになる。
思わず欲しくなる。
でも、その“欲しい”の気持ちをよくよく分析してみると、
「うちの洗面台の汚れを落とすあの商品が欲しい」よりは、
むしろ「あんな風に気持ちよく落ちる汚れが欲しい」であることに気がつく。
たしかにコマーシャルに出てくるあの洗面台の汚れは、
何か特殊なものでできているような気がする。
ならば、それをチューブに入れて売ったらよくはないか。
クレンザーのおまけにつけてもいいかもしれない。
みんな汚れ欲しさにクレンザーを買うかもしれない。
私なら買う。

あるいは、「水ゼリー」。

私は寒天やゼリーやプリンなどのぷるぷるした食品が好きで、
わけてもゼリーを愛している。
できることなら、ウィスキー、麦茶、おでん汁など、
何でもゼリーにして味わってみたい。
しかし究極は何といっても「水ゼリー」であろう。
純粋に、ゼリーのぷるぷる感と透明感だけが味わえる。
ゼリー好きにとっては至福だ。
どうせなら、水はエビアンとか「南アルプス天然水」などと凝りたい。
海水や川の水、雨水なんかもいいかもしれない。

他にも「熱い息鍼灸師」とか「トラウマ弾き語りバー」とか、
いろいろ有力な案があるのだが、
実行に移す根性も体力もないのでそのままだ。
惜しい。
誰かが代わりにやってくれたら、私はきっと客になるのに。

※『ねにもつタイプ』(著:岸本佐知子/筑摩書房)

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昨晩いっしょに飲みに行ったアイちゃんからミックスCDをもらった。
本人曰く「テクノからディスコからヒップホップも、
オールジャンルごちゃ混ぜやで〜」とのこと。
ちなみにこれ作るのに1週間こもったそうで。

アイちゃん、とは、年末頃に知り合った女友だち。
大阪でここんとこ人気急上昇中のバンド、
マッカーサーアコンチ(ミーツのファッションでも登場した)で
万年怒り続けるというキャラ設定の女トロンボーン吹き。
その他にもラテンバンドやガールズバンドにも参加している。
劇団KGBの女役者マイキーと3人で飲むことがほとんどだったが、
KGBがニコルソンズと改名して上京するにあたり、
このごろふたりで週一回ほどの割合で徘徊するようになった。
たいがい、アイちゃんのリクエストで最後はナマズでダラダラとなる。

ジャンルとは何か。
ええやんけそんなこと、である。
だいたいジャズからヒップホップに分家してたり、
レゲエとジャムの違いだって微妙だし、
テクノだっていろいろとあるけど、私にゃようわからん。
サイキョーの消費者的にフィールソーグッドでええんじゃ。
と、私は思っている。
聴いてみればアイちゃんの言うようにまさしくなごちゃ混ぜ、
しかもさすがに音の世代が同じなので微妙に古いディスコナンバーなんか、
ナ・ツ・カ・シィ〜〜という感じのツボつき具合でむしろキュンとする。
ネエさん、さすがである。

なんとなくおぼろげに理解をしているのが
広告的にいう「ブランド戦略」というのは
この「ジャンル」というのをさらに細分化させての記号化か。
企業の銘柄自体が唯一無二のものとして、
あわよくば「ジャンル」としての存在化ではなかろうかと。
仕事における肩書きをジャンルとするならば、
私のようにジャンル不明に
関係性だけで仕事を成立させていく商売とは対極として見ている。
ま、えいやっと無理矢理に例えて商店的に言うならば、
自らを記号化して不特定多数から信頼を得ようというあちらは
大型ショッピングセンターの地域進行と似ていなくもなく、
ならば、知っている人からの仕事だけでお願いしますという私は
商店街の小さな薬局兼写真屋兼文房具屋兼化粧品屋か…て、それは実家か。
記号化や不特定多数からの信頼がいいか悪いか、ということはさておいて、
とりあえず私とはあまり絡みのない話である。


200803100124
気付いたら前回の更新からすでに2カ月。
もうちょい書くようにいたしやす。
というか、こちらに移行しますので、
またみなさまよろしくたのんます。
http://nsatmi.blogspot.com/

2008/03/09

お腹が痛かったのさ。

今さらながら。
今朝目が覚めて、体調が元通りになったと確信。爽快。
先週半ばからどうにもスッキリしない胃腸の具合で、
消化処理がひとつもされていない透明な便に
さらに上からも同様の逆流。
食事中の方、すいません。
飲めば治るさと開き直ってのロケハンも
夜中に寒気で目が覚めトイレに駆け込むなど。
昨日はアイちゃんとの約束でごはんに行き、
途中でウミちゃんやマコと合流したりして
会いたい人に一気に会ったという感じだったけれども
それでも途中から意識が朦朧としておりました。すまぬ。
そんな一週間、打ち合わせや取材を淡々と(しかできない)こなし、
フリー初心者ながらまずまずの出だしではなかろうかと。
たくさんの人とたくさんの会話を交わしたことを振り返って、
朦朧としていて気づかなかったけれど
密度の濃い一週間だったとも確信したりして。

-+-+-+-

週の頭ほど、トッパンに打ち合わせに行ったときに
ツルは単に退職したんじゃなくて寿退社だったと知らされる。
トッパンでのツルのツライ時期をともにしただけに
かなりうれしい知らせではあった。
その後ふたつの打ち合わせをした後で神戸に行き、
帰ってファックスを送るためにコンビニに行くと、
トッパンの元同僚、吉川がいた。

吉川はトッパンの社員として入社し、
たぶんホープとして期待された新人だったのだけど、
理不尽な転属に反発して退職をした。
今はフリーで動画の制作をしている。
会うのは5年ぶりほど、それもこんな近所で。
ファックスを送ったあと、
それこそ近所の喫茶店に行って近況を話し合った。
相変わらず少年みたいな風貌で、いや、相変わらずのフェミニストで、
だから余計のこと、今の結婚生活なんかも絡めた仕事の話を聞くにつれ、
ツルんでいたころが遠くに思えてくる。
吉川も「“さ”は、トッパンでメジャーな名前やったのに
だんだんと周りにその名前を知ってる人がいなくなってきて、
あー、やめたんやなとそんときに思った」と言っていて、
あー、そんなこともあったわねと私も思った。
みんな過去を遠くに思う時期なんだろう。

とにかくツルの結婚話を聞いた日と吉川との偶然の再会には
妙に縁めいたもんがあった。

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ケイブに入ってカウンターの中に立ちながら、
“こちら”と“あちら”の景色の違いを考えていた。
お初天神の“遅れてきたルーキー”は
「カウンターの中から外を見てみたいと思った」
というのがバーテンを手伝い始めた理由のひとつと言っていた。
好評だったようなのでまたやるかもしれません。
そんときはまた、みなさんお越しくだされ。

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取材の途中でカメラマンさんと話す内容がすっかり変わった。
ほとんどが「生きるための仕事」と
「楽しむための仕事」とのバランス感覚の話になる。
雑誌の仕事は、生活を保証されるほどのギャラにはならず、
あくまで余剰としてのスタンスでなければ生きてはいけない。
かといって新規に売り込みに行って
イチから関係を構築するリスクを負うつもりもなく、だから私の場合、
自分の生活の柱とすべき仕事や関係ができたことがラッキーだった。
それに絡めて、雑誌編集のことをクールに見ているのも外のフリーの人ら、
それも同じく柱をいくつか持っている人なんだと初めてわかった。
ひとつの世界にどっぷり、ではないから見えることかもしれないけど。

単純に広告と雑誌とでは、撮影ひとつにしてもかかっている金と手間が違い、
いや、手間の違いは“かかっている金”の時点でわかりきったことだけど、
だからこそ、こないだ建築部材のカタログの仕事で
撮影に、打ち合わせから立ち合わせてもらえたことはいい経験だったと思う。
そのときの撮影のことを話すと、カメラマンさんは、
「最近はそういう、スタジオをまるまる借り切って
建築士やらコーディネーターが入って、建て込みをして、ていう仕事は、
金を出せる企業が大阪に減った分、少ないと思う」と言っていたので。
とりあえず私は、その撮影でカメラをかまえた大御所カメラマンの元で
3人ほどのアシスタントが三脚を伸ばしていることにちょっと笑えた。
たいへん矛盾することのようにも思えるけど、
お金をもらっている仕事のほうがお金をもらっている分、
何かを書くときに気配を消すようにする。
本当は、気配を消しても何かしら漂うようにしたいもんだけど。

とにかく、カメラマンさんが
「西村さんの仕事の仕方はバランスがいいと思うよ」と言っていて、
ついでに「また仕事を紹介すると思うけどいい?」と言われたので
たいへんにありがたいと思った次第。
漂わせる気配と消す気配、まだまだ修業しなければ。
それも、生きていく、を前提に置いた話の中で、だけど。

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最近よくする話で、いや、それこそこれは
クライアントとの間でも交わされたのだけど。
たいがいが年齢の話から、その年齢への自覚の話として展開するところで。

最初は結婚して子どもを産んだ同級生と話をしていて、
そんときに「そうか、もう卒業して8年になるのか」と友だちが言い、
あれれ、そんなになるんだっけと思いながら計算をすると
たしかに私は2留をしているので8年ではないけれど
トッパンで過ごした年月、ミーツで過ごした年月、
ふらふらと過ごした年月を数えるとちょうど6年になっていた。
何の自覚もないままに、京都で過ごした時間と同じかそれ以上に長く
大阪に生きているんだと思ったらびっくりした。
私はずっと、「大阪はまだ3年くらいなので短いです」と言っていたけど、
よく考えたらすでにもう6年になっていることに初めて気づいた。
京都での時間をとても濃いものだと思っていたのに、
そうでもないのかもしれないと思い直した瞬間だった。

大学に入る直前から仲良くしていたミキとは
大阪でもすでに12年の付き合いになるけれど、
大阪に出てきて仲良くなったタニモト氏やウミちゃんなんかは
すでに6年くらいの付き合いだし、
ミーツの人らも、ミーツで知り合った人らも、
考えてみれば3年くらいにはなるのか、とか思うと変な気がしてくる。
まだ付き合い年数が浅いと思っていた間柄が、
悠々と中学校ほどの年月が過ぎていたことにただ驚き、
あー、そら、単に深いお付き合いってワケじゃないわな、と。
フリーになったことで私の大阪永住は半分決まったようなもんだけど、
(仕事のもらい方がそういうふうになっているので)
最近始めた社内報の制作でいっしょに仕事をすることになったデザイナーさんや
最近いつも飲んでいるアイちゃんやらミナミさんなんかも
そんなふうに長い付き合いになっていくんだろうなぁ。
などと妙に感慨深くなったのでした。

さて。
明日からまた、取材と打ち合わせの応酬。
しばらく週末と仕事以外で飲む余裕はないです。

-+-+-+-

蛇足。
随分前に話をした運命鑑定士の明玉さんに言われて
そこはなぜか軽く流して聞いていたのだけど
「これから1〜3年の間に独立するから忙しくなるよ」というのと
「独立しても取引先は少なくても3〜4社はある」というのとが
微妙に当たっているような気がして少しびびっております。
あと、「大阪から出ることはありますか」という質問をしたときに
「出ることはない」と断言されたのも、あー、てな感じで。
一応、「3年のうちに結婚する」とも言われたんですが。

2008/03/02

ルドルフとイッパイアッテナ。

小学生のときの担任の先生が、毎朝5分間だけ本を読んでくれた。
砂時計を目の前に置いてクルッとひっくり返すと、
いつもうるさくて授業を聞かない男子も、
私立中学の受験でも目指しているのかいつも内職で勉強している女子も、
みんな全ての行動をやめて先生の音読に聞き入った。
『大泥棒ホッテンプロッツァ』(だったかな?)
『ふたりのイーダ』
『モモ』
などのラインアップの中、私が一番好きだったのがネコの友情物語。
その物語は、ルドルフという新参者のネコが
どこか斜に構えて世を捨てたネコにいろいろと教えられながら
大きく成長していく話(だったと思う)。
台詞は想像。出会いの場面が印象的。
「ボク、ルドルフ。キミの名前は?」
「う〜ん、名前ねぇ。…いっぱいあってなぁ」
ルドルフは「…いっぱいあってなぁ」というのを
「イッパイアッテナ」という名前だと勘違いする。
それで本の題名は『ルドルフとイッパイアッテナ』。
イッパイアッテナは「イッパイアッテナ」という名前じゃないことを
はじめは指摘するけど、だんだんとそれも面倒になってやめる。
幼すぎて話のほとんどはもう忘れてしまったのに
その出会いの場面は忘れられず。

このブログの名前は、その「イッパイアッテナ」からとっている。
それをヘッドクォーターのリュウちゃんに指摘されてびっくりした。
びっくりしたのは、初めて指摘したのがリュウちゃんだったから、でもある。
いや、なんとなく。
一応、自分が何と言われようが私が私であることからは逃げられようもなく、
はたまた自分自身が何かの考えにとらわれようとも
一瞬後には考えも変わるかもしれないし、
考えが変わったとしても、それも含めて私でございます、
という「いっぱいあるよ」のスタンスで生きておりますと。
暴言吐いても許してね、という逃げでもあり…。

-+-+-+-

私信。
「イッパイアッテナ」とは言え、
ケジメをつけられないことにはいくら友だちでも腹が立つもんで。
名前やら事の顛末は伏せるけれども、
私はアナタがどう決断するべきかの答えを持っているワケではなく
アナタが決断することを聞くことでしか力にはなれない。
聞く以外の行動で手助けできるならまだしも。
「こう決断します」と決めたことを聞いて一度は反対したけど
それでもアナタの決めたことだからと納得した次第。
決断したことをやるには周囲の環境を整理することが必要で、
でも一向に整理している気配が見えないのは、いかがなもんかと。
相手を傷つけるのがイヤだ、そんなこと言えない、なんてのは、
アナタがこれまでしてきたことを考えて、
さらに決断すると決めたならば
初っ端からわかりきっていたことじゃないか。
結局は「相手を傷つける=自分が傷つく」からと、
逃げきってしまうつもりなら、いっそ、
決断したことを考え直すほうが潔いのにと思ったりして。
それで数カ月の時間を費やしたことに果たして意味があるのか。

こちら側的にワガママに言わせていただくなら、
アナタと飲んで話す話も、そろそろ先に進みたいっす。
こないだ「夜中になるのはしんどい」と言って断ったのは、
わざわざ夜中に時間を合わせてまで、
なぜその進まない話をウダウダと聞かねばならんのだと思ったから。
それも、その電話が整理するべき場所からのものだったのも、
時間が遅くなってしまうのがその場所にいるからというのも、
私は一体何なんだろうと思うワケで。
アナタにも私にも時間は無限にあるワケじゃない。
「この時間を誰と過ごすのか」の決断ですらできないってのは、
盲目すぎて誰のことも見えてないってことなんじゃないのか。
「いっしょにいれば薄れる」もんじゃないなんてすぐわかるじゃん。
もっとしっかりしなさい。
そんなオンナじゃないだろ。

初っ端の決断は慎重に。
決めたならば行動は早く。
間違えたと思うならすぐに引き返すこと。
これ、私生活でもスポーツでも仕事でもいっしょだよね。

2008/03/01

金のハナシ。

引越しました。
新しい家具を取り付け作業中。




嘘です。
建材メーカーの、新商品撮影。
スタジオは、その建材メーカーの資材置き場。

久しぶりに住之江のその会社に行ってきた。
昼から夕方まで、あれやこれやと話を聞く。
そのほとんどが他メーカーのカタログを見ながらという
追随的な立場というのには少々目をつぶる。
途中で社長が視察にやってきて満足気にしながらも
造り付けていた現場の職員には何も声をかけなかった
というのにも少々目をつぶるとする。

撮影。
1カットへの、カメラマンへのギャラは数万。
ちなみにこのセットを建てるために使った費用は別。
床材の下には大理石のタイルが貼られている。
そういう仕事から長らく離れていただけに
ひとつのカットにかかる時間や金を考えて愕然とした。



後にトッパンへデータを届けに走り、
ツジムラさんの粋な計らいで納品書やら請求書にサインした。
「粋な計らい」っていうか本当は、
事務所から仕事を請け負っているんだけども。