2014/01/14

直前なんですけど。

センター試験まで、あと4日しかありません。
バスケで言うなら、準決勝のゲーム終了2分前で5点ビハインドという気分。
30秒ルールをフルに使うとして単純計算すれば、お互い2回ずつの攻撃ができる。
こういうときは、焦らず、奇策を練らず、丁寧に1つずつプレーを完了させるべし。
相手はスローペースにしようと、大きくスローなパス展開にするかもしれない。
ディフェンスは普段より攻撃的に。相手のミスを見逃すな、というところ。

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妙な事にこの時ほどおとなしい気分になれた事は自分が生れて以来始めてであった。相手がどんな間違を主張しても自分はただはいはいと云って聞いていたろうと思う。実を云うと過去一年間において仕出かした不都合やら義理やら人情やらが破裂して大衝突を引き起した結果、あてどもなくここまで落ちて来たのだから、昨日までの自分の事を考えると、どうしたって、こんなに温和しくなれる訳がないのだが、実際この時は人に逆うような気分は薬にしたくっても出て来なかった。そうしてまたそれを矛盾とも不思議とも考えなかった。おそらく考える余裕がなかったんだろう。人間のうちで纏ったものがものは身体だけである。身体が纏ってるもんだから、心も同様に片づいたものだと思って、昨日と今日とまるで反対の事をしながらも、やはりもとの通りの自分だと平気で済ましているものがだいぶある。のみならずいったん責任問題が持ち上がって、自分の反覆を詰られた時ですら、いや私の心は記憶があるばかりで、実はばらばらなんですからと答えるものがないのはなぜだろう。こう云う矛盾をしばしば経験した自分ですら、無理と思いながらも、いささか責任を感ずるようだ。して見ると人間はなかなか重宝に社会の犠牲になるように出来上がったものだ。

同時に自分のばらばらな魂がふらふら不規則に活動する現状を目撃して、自分を他人扱いに観察した贔屓目なしの真相から割り出して考えると、人間ほど的にならないものはない。約束とか契とか云うものは自分の魂を自覚した人にはとても出来ない話だ。またその約束を楯にとって相手をぎゅぎゅ押しつけるなんて蛮行は野暮の至りである。大抵の約束を実行する場合を、よく注意して調べて見ると、どこかに無理があるにもかかわらず、その無理を強て圧しかくして、知らぬ顔でやって退けるまでである。決して魂の自由行動じゃない。はやくから、ここに気がついたなら、むやみに人を恨んだり、悶えたり、苦しまぎれに自宅を飛び出したりしなくっても済んだかも知らない。たとい飛び出してもこの茶店まで来て、どてらと神さんに対する自分の態度が、昨日までの自分とは打って変ったところを、他人扱いに落ち着き払って比較するだけの余裕があったら、少しは悟れたろう。

『坑夫』夏目漱石より一部抜粋

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現代国語で問題集にあったので。
小説は一番最後に解くと決めているけど、
なんというか、そこまでやっとたどり着いた疲労感もあってか、
異常に感動しながら読んでしまう向きあり。
こないだは感涙にむせびながら解いていた。
ああ、哀れなり。

TBSの堀井アナ、好き。
『トップ5』に『久米宏のラジオなんですけど』に『月夜の蟹』。
久米宏や竹中直人のような人たちを相手に、
しなやかにスルリスルリと会話を受け流す感じもツボ。
ときどきやる気を出して自分でコーナー企画を出しているけど、
微妙にハズしてる感じもツボ。
最近、交通ウグイスの阿南京子さんのモノマネを練習しているらしい。
阿南京子さんの声も、好き。
やっぱり、みんな「色っぽい声やな〜」と思っていたのね。