2008/06/27

鳥肌さとみ。

遠い遠い、ああ、なんて遠いんだ。

※ついこないだ、ネタをもらうために行った店で
店主がトイレに行っている間に読まされた漫画より。
(書名失念)

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ある日、パソコンを見ながら悪態をついていた。
悪態をつけばつくほどに
「ああ、なんて羨ましいんだ」という相手への思いが芽生えてくる。
そしてまた少し腹が立ってくる。
いら立ちの種となるのは相手の行為や言葉かもしれないが、
その後最もいら立つのは
それに反射する自分の想いだと気づいた瞬間、虚しい。
修行の足りなさを実感、ああ。

凸の親分からのカタログの仕事が決まったので、
来週から不定期的に高松に通うことになった。
姉は小守要員が増えると喜んでいるので、
私が高松に通うのは仕事のためだということを
しかと伝えなければいけない。
甥・タクマは私にとってあまりにかわいく、
そこへと溺れてしまわないよう自らにも言い聞かせなければ。
しかも通販カタログであるために仕事の重量はかなりのもの。
これは方々に言っておかねばなるまい。
しかし、友人が昨年から続々と上京する流れに逆らって
望むと望まざるとに関わらず、”下京”。
これもまた、人生の水の流れである。
私はいつでも流れに沿うしかない。これもまた楽しや。

日頃世話になっているアニキが
とうとうプロポーズをしたということで、
気が向いたのでCDを作って持っていった。
タイトルは「こんなん言うたんか、タニモト!」、
メインテーマは思い出の「LA・LA・LA LOVE SONG」。
激しくユルいそのCDを聴きながらレッドアイを飲んだ。
寒気がしたし鳥肌が立った。

2008/06/25

すげ。



しかしなぜ、酒飲みは辛いもんが好きなんだろう。
今日はマッカーサーのライヴです。

2008/06/23

網目状、なのか?

バスケットボールのメンツは
経営コンサル軍団にスーツ屋にエンジニアにカメラマンと様々で、
毎度のようにバスケの後は飲みにいくのが常なんだけど、
そこではおもしろい話がいろいろ聞ける。
昨日はたまたまコンサルの長みたいな人と
ど理系のエンジニアに挟まれていたので、
文系と理系の頭の使い方の違いについて、なぜか話していた。

理系は、まずゴールありき、らしい。
文系は、ゴールよりも過程、らしい。
私の家は理系一家だから考えてみたら思い当たることがけっこうある。
たとえるならば、理系の人は、
目的地をわかっていてそこへいかに最短でたどり着けるかを考えている。
文系は目的地、というよりも流れ着いた先というイメージか、
それもたぶん鈍行の列車やら徒歩を使って物を見ようとする。
だから理系はより実務的な発想だし、
文系は哲学のように一見何の役にも立たなさそうなことを考える。
エンジニアの兄ちゃんの親は文屋で、だから、
「親父の言ってることにはいつも度肝を抜かれる」と言っていた。
逆も然り、だ。
生まれついての能力として違うんでなく、
これまで考えてきた(=使ってきた、鍛えてきた)脳みその部分が違うんだ。
もうひとつへんな方向に掘り下げるとしたら、
考えている(=使っている)脳の機能が違うということは
着眼点(=発想の根っこ)がそもそも違うということで、
もしかしたら見えている景色も違っているのかもしれない。
使う脳の機能の違いが先か、着眼点の違いが先か、
相乗効果的になっているんだろうけど、
その出発点はどこだったんだろう。
おもしろすぎる。

そういえば何年も前に読んで売ってしまった養老先生の本に、
解剖学はその部位の機能を調べることではなく、
どことどこで区切りをつけるべきかを探る学問だとあった。
何と何にどう優劣があるのか、ではなく
何と何がどこを境にして違うのか。
たしかにそれはおもしろいかも。
今さらながら。

たとえば。
バスケットボールをやるにしても、
私はできるだけ1番の役割に徹するようにする。
できるだけ無理のない場所から俯瞰的に判断するようにしている。
ミニバスから始めているし
一応一通り全部のポジションはできるけど、
それでもリング下でゴリゴリと位置取り争いをするのは苦手だ。
最前線で最も派手な仕事をするはずのセンターの仕事は、
私にとってはとても地味に思える。
でも、センターを極めている人にとって
その位置取りという”地味な”作業には花があるんだろう。
逆に、必要がなければボール周辺に関わったりしない私のような役は
とてつもなく”地味な”作業に見えるはずだ。
その発想の違いはどこからくるのか。
つまり、一概に文系か理系かなんていうことの後に、
さらに分類はついてまわる。
それは単なる系譜のようにどんどん細かく分類されるんでなく、
もっと細かい網目状のようなもんで構成されるように思えて仕方ない。
しかもアウトプットとしてパッと判別できるものばかりならまだしも、て感じか。

どんどんどうでもいい、当たり前の話になってきましたが。

2008/06/15

ミーハーです。

ブログは書かなくても、毎日何かを書いている。
仕事じゃなくても何かを写していたりする。
そういえば数学の問題集を、解説までまるごと写したノート、
しかも図形も正確に書かなければ気が済まない。
…なんていうのを作ったこともあった。
恐るべしチマチマした作業。
あのノートはどこに行ったんだろう。
だから私は、思考の整理で書く、ということではなく、
単に手を動かしていたいだけなんではと疑っている。

ま、とにかく書いている。
途中で辞めて捨ててしまうことも多々、
たまにパソコンのデスクトップ上に開きっぱなしになっていて
そのときに何を思ってその雑誌のその記事を写したのかわからない。
何かを思い出したかなんかだろうと、もちろん保存せずに閉じる。
昨日は書いてそのまま眠ってしまっていたらしく、
中島らものエッセイを写していた。

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CとAmとFとGしかひけない僕と
Fがひける僕を見て尊敬してしまったYとの二人組バンドは、
幾多の困難をものともせず
ストーンズの名曲「テル・ミー」に雄々しくたちむかっていった。
ところが困ったことにレコードをよく聞いてみると、
この曲はCのキーではなくてもっと高いキーらしいのだった。
むりやりにCで歌うと、
若山弦蔵がロックをやっているような無気味な響きになる。
「おい、これはGかFくらいまで上げんといかんで」
「Fに上げたらコードはどうなる?」
「えーっと……F、Dm、B♭、Cやな」
「えっ! ビ……B♭? お前知ってるか」
「知るかいな、そんなむずかしいコード」
「どないしよう」
「アホやな。頭を使わんかい、頭を」

僕の考えはこうだった。
C調のコードしかひけない以上、
弦自体の張りを高めていってFまで上げるしかない。
そうすればC調の形で押さえても高さはFになっているわけだ。
二人は馬鹿力を出してギターの糸巻きをキリキリひねり上げていった。
そんな馬鹿な試練に耐えるように作られていない弦は、
たちまちのうちにブチブチと切れてしまった。
「うーん。名案やったのにな……」
「そうや。高くするから切れるんや。
逆にゆるめてFまで下げたらええんとちがうか」
「えらいっ!」
僕たちは得心して弦をゆるめることにした。
あたりまえの話だが、今度は切れなかった。
そのかわりに、おじいさんのフンドシのごとくゆるんだ弦は、
はじくとフレットの金属に震えがさわって
「ブューン、ブューン」というなさけない音をたてた。
「おお……、これは……」
「これは……」
「シタールの音みたいやないか!」
普通の人なら心が沈んでやめてしまうような難局も、
我々二人にはいっこうにこたえないのだった。
その当時はちょうどジョージ・ハリスンがインド音楽に傾倒しだしたころで、
僕たちもラヴィ・シャンカールのLPは何度か聞いたことがあったのだ。

パチン・パチン・ミューン・ミューンと
不可思議な音色をたてるギターをバックに
Yが「テル・ミー」の出だしを歌い出す。
「♪アァイ」。
と、そこで僕が「♪アァイ」とあいの手を入れる。
輪唱である。
二人は「♪静かな湖畔の森の陰から」と
続けたくなるような典雅な響きで放課後の教室を震わすのであった。

※放課後のかしまし娘(中島らも/僕に踏まれた町と僕が踏まれた町/集英社)

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木曜日に、アイちゃんとともにアーガイルバーのケイブに行ったら
トランペッター、フルート奏者、トロンボーン奏者の
管楽器トリオが揃ってしまって
全く話に付いて行けなかったことに由来するのだろうか。
いやしかし、ほとんど本能的に「今はこれを読みたい」
と写しているから真相は定かではない。
たしか途中で古畑任三郎に夢中になってやめたと記憶する。

そしてそのほんのりな記憶は、次の日になって読んだ哲学書でもって、
「音楽も関係とその関係かなぁ」と無理矢理な結論に達した。
思考の全ては曖昧で、流れるがままである。
そういうミーハー嗜好も悪くない。

2008/06/12

「生きる」。


先日、母方の実家である広島に、姉とタクマといっしょに行った。
前回会ったのがゴールデンウィーク。
タクマはそれからのほんの1カ月の間に、
たくましくワガママを言う子どもになっていた。
ほしいオモチャを奪い取り、奪い取った先々で興味を失う。
本は読んでいる恰好をし、絵を描いている恰好をマネする。
姉は「恰好だけよ、この男は」と言っている。
ともあれ、ほんのりと自我の芽生えだ。
「私とトモヤくん(旦那)の、社会性を省いた結果かと思うと恥ずかしい」
と笑っていたのが印象的だった。
やる気のなさか、12kgにもなるのにハイハイしかしなかったタクマも、
たかだか両手にオモチャをいっぱい持っていたからという理由で
人類の大きな一歩を踏み出したらしい。
好きな店に行けずとも、
外に出るたび引っ越しのごとく荷物が増えてしまっても、
それだけの価値=喜びを親類に芽生えさせる、希有な存在であることはたしか。

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ケヤキの裸樹は美しい。
長らく関西にいた私は、
東京に戻ってきてあちこちの公園や屋敷森にケヤキを見つけるたびに、
その姿が東京の冬を特徴づける重要な意匠となっていることを知る。
すっくと立った幹は、
易者が筮竹を見事にさばいたように広がり、
その枝は直線的に分岐してその都度、細くなる。
それでいて遠くから見ると、
枝の先端を結ぶ面はたおやかな円蓋(キャノピー)を示すのだ。

ケヤキの樹には、二本として同一の形はない。
枝分かれは、その地点、地点で、ある一回限りの選択によってなされ、
ひとたび分岐すればそれがやり直しされることも、
逆戻りすることもない。
ケヤキの内部で行われる細胞の分裂とネットワークの広がり、
つまりその動的な平衡のふるまいは、
時間に沿って滑らかに流れ、かつ唯一一回性のものとしてある。

しかし、私たちは、ケヤキはどれを見てもケヤキの姿をしているがゆえに、
一本のケヤキのあり方の一回性を、
しばしばある種の再現性として誤認しがちなのだ。
しかしそこには個別の時間が折りたたまれている。

インテリジェントビルの、精密の制御されたエレベーターのように、
最小の振動ときわめて微弱な加速度しか感じさせない乗り物に乗ったとき、
私たちはそれが上昇しているのか下降しているのか、
あるいは動いていることすらわからないことがある。
時間という乗り物は、すべてのものを静かに等しく運んでいるがゆえに、
その上に載っていること、
そして、その動きが不可逆的であることを気づかせない。

先に述べたこと、すなわち遺伝子をノックアウトしたこと、
あるいはノックインしたことによって引き起こされる
すべてのこともまた時間の関数として起こっている。

ノックアウトされたピースは、
完成された全体から引き抜かれたわけではない。
時間に沿って分岐し、そしてまた組み上げられていくそのある瞬間に、
たまたま作り出されなかったのである。
ノックインされた不完全なピースは、全体が完成されたのち、
部分を切り取られたわけではない。
これもまた時間軸のある地点で、出現し、
その後の相互作用の内部に組み込まれていったものである。

遺伝子産物としてのタンパク質が織り成すネットワークは、
形の相補性として紡ぎ出されるから、
それらは枝の分岐というよりは、
角々をあわせて折りたたむ折り紙のようなものと
たとえたほうがよいかもしれない。

時間軸のある一点で、作り出されるはずのピースが作り出されず、
その結果、形の相補性が成立しなければ、
折り紙はそこで折りたたまれるのを避け、
すこしだけずらした線で折り目をつけて次の形を求めていく。
そしてできたものは予定とは異なるものの、
全体としてバランスを保った平衡状態をもたらす。
もしある時点で、形の相補性が成立しないことに気づかずに、
折りたたまれてしまった折り紙があるとすれば、
その折り目のゆがみはやがて全体の形までをも不安定なものにしうる。

機械には時間がない。
原理的にはどの部分からでも作ることができ、
完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。
そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。
機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。

生物には時間がある。
その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、
その流れに沿って折りたたまれ、
一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。
生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる。

今、私の目の前にいるGP2ノックアウトマウスは、
飼育ケージの中で何事もなく一心に餌を食べている。
しかしここに出現している正常さは、
遺伝子欠損が何の影響をもたらさなかったものとしてあるのではない。
つまりGP2は無用の長物ではない。
おそらくGP2には細胞膜に対する重要な役割が課せられている。
ここに今、見えていることは、生命という動的平衡が、
GP2の欠落を、ある時点以降、見事に埋め合わせた結果なのだ。
正常さは、欠落に対するさまざまな応答と適応の連鎖、
つまりリアクションの帰趨によって作り出された別の平衡としてここにあるのだ。

私たちは遺伝子をひとつ失ったマウスに
何事も起こらなかったことに落胆するのではなく、
何事も起こらなかったことに驚愕すべきなのである。
動的な平衡がもつ、
やわらかな適応力となめらかな復元力の大きさにこと感嘆すべきなのだ。

結局、私たちが明らかにできたことは、
生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである。

※生物と無生物のあいだ(福岡伸一/講談社現代新書)

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1年で10数キロも痩せたせいで、
どうしてそんなに痩せることができたのか、
ジムとかヨガに通ったのかと最近よく聞かれる。
でも残念ながら私は痩せるための努力はほとんど何もしていない、
むしろ朝も昼も夜も、何を食べるかばかり気にしている。
それよりもこの1年で、「生きる」ということをよく考えるようになったと思う。
「痩せる」という行為は身体の形を整形するためのモノではなく
生活そのものを自分の身体に馴染ませていくことだと痛感した次第。

仕事や恋愛、結婚も、生物学的に根拠があるはずだ。
身体の形もそれに同じくで、
生きている環境で生きやすいための形に、自ずとなるんではないか。
生きて次に生命を宿すための効率性や必然性が根っこにあるように思える。
仕事のために生きるなんてのはおもしろくない。
もちろん、話題としておもしろくない、ってことではなく。

ついでに。
子どもは産まれたばかりのとき、個性はない。
「育児書は取り扱い説明書みたい」と姉が言っていた。

2008/06/08

何もない夜。

小学校五年生の年の六月七日の夜は、生暖かくて風が強かった。

私は社宅の部屋の窓を十センチぐらい開けて外を眺めていた。
というより、息をひそめて見張っていた。

生暖かい強風が吹く夜が、その頃から私はとても好きだった。
生暖かい風が吹く夜は、なんだか気持ちが浮き立つ。
すごく生きているという感じがする。
何かが起こりそうな気がする。

起こりそうな気がする、いやきっと起こるにちがいない、
そう心のどこかで勝手に決めて、
それでそんな風に窓をちょっとだけ開け、
部屋の電気を消して、息を殺して外を見張っていた。

私たちの住んでいる社宅の隣も、やっぱりどこかの社宅だった。
金網フェンスを隔ててすぐ向こう側に街灯が一本立っていて、
強い白い光で隣の敷地を照らしていた。
昼間は二つの社宅の子供たちが入り乱れて走り回っている
コンクリートの中庭が、皓々と白い光に照らされて、
無人の研究所か宇宙船の内部のように見えた。

街灯の下には車が一台駐まっていて、
それにかぶせたカバーがしきりに風でばたばた鳴っていた。
時おりほとんど車からはずれそうになっては、
紐にひっぱられてなんとか元に戻る。

窓の隙間からまっすぐ前を見ると、
まず部屋の外の幅の狭いベランダが見え、
自分の社宅の土の中庭が見え、向かいに建つもう一つの棟が見え、
その棟と隣の社宅の建物の隙間に、遠く私鉄の操車場の灯が見えた。
ランタンみたいな形のガラスの電灯が、
米粒ほどの大きさで規則正しく並んでレモンイエローに輝いていて、
私はそれをいつもきれいだなと思って憧れの気持ちで眺めていたが、
その日はとくべつ明るく黄色く見えた。

じっと見ていると、その灯がときどきちかちかまたたく。
風が吹くとよけいにまたたく。
でも考えたら不思議だ。
電気の光なのに、どうしてロウソクの火みたいに風で揺れるのだろう。
よく漫画で風を表すときに描く線、ああいうものが本当にあるのだろうか。
星を見ると、星も同じように風に吹かれてまたたいている。

風がますます強くなってきた。
どこかでプラスチック製の蓋のようなものが地面に落ちて転がる音がした。
向かいの棟の、四階の部屋の明かりがぱっと点いて、
誰かが入ってくるのが見えた。
うちは二階だから、その人の頭の上半分と、
壁の上のほうに飾ってある絵皿だけが見えた。
そこの家には何度か遊びにいったことがあった。
だから私は、あのお皿がその家の誰かが旅先で絵付けしたもので、
リンドウの絵の下に「蓼科」と書いてあることを知っていた。
人影がタンスの扉を開けて閉め、部屋を出ていって明かりが消えた。
そのときふと私は、この夜のことを
たぶんずっと覚えているだろうという気がした。

生暖かい風はあいかわらず強かった。
車のカバーが風でめくれあがり、とうとう車から半分はがれて丸まった。
向かいのあの部屋の明かりがまた点かないかと見ていたが、
いつまでたっても点かなかった。
操車場の灯がちかちか揺らめいた。
遠くで犬の鳴き声がした。

それから三十年以上たって、
私は本当にその夜のことをこうして覚えている。
そしてあの絵皿や、転がっていったプラスチックの蓋や、
遠吠えしていた犬や、部屋の明かりを点けて、
タンスの扉を開けてまた閉めて出ていったあの人は、
今ごろどうしているだろうと考える。

※ある夜の思い出(岸本佐知子/ねにもつタイプ/筑摩書房)

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ある夜の日、高知市内で試合をして田舎の家に帰る間、
バスの中から、少しずつ気付かれないように
間隔が広がっていく街灯を眺めていた。
土佐道路を朝倉方面に流れ、
春野町へ抜ける長いトンネルの直前の風景。
植込みと山肌、広い広い、車だけが流れる大きな道路。
トンネルの後ろからまだ夕焼けの名残りが見える。
やがて街灯はなくなり、道路の脇を流れる川にボウッと白い影が見えた。
夜のサギだ。
たった一羽でこんな時間に。

誰も見ていない。
誰も気付いていない。
試合で疲れた選手たちからはスーッスーッと寝息が聞こえて、
もしかしたらこんなふうに外を見ている人はいないかもしれないと思った。
窓を開ければ、二酸化炭素から開放された匂いがしてホッとする。
さっきまでの試合の余韻は、外の風景には何もなかった。
茶畑に囲まれた山道をバスはくねくねと登っていく。
何も思うことなどないままに、ずっと外を眺めていた。


私は私でなければならないと思ってきた。
でも本当は、私でなければと思う前に私にしかなり得なかったのだ。
何を意固地になっていたのだろう。
このごろ、そんなことを思っている。
私であるための何かなんて本当は一つも必要ない。