2010/05/26

草木と原点。

高知での取材が終わり、
土日は実家でぶらぶら過ごす。
月曜は姉に高知市まで送ってもらい、
送ってもらったお礼がてら、牧野植物園に誘う。
新しく温室ができていると
広報の小松ネエさんがうるさく言っていたので
その様子うかがいも兼ねて。

というか、牧野植物園は本当にいい。
植物の色やカタチやらがたくさんあって、
それぞれにそれぞれの必然性があるんだろうと思うと、
何モノかが深く深くカラダに沁みてくる。

姉はそのことを子どもの頃からよく知っていて、
小学校の行き帰り(まだ私がひとりでは不安な頃)、
必ずどっかの空き地に入っては草を眺め、
草を摘んできては精巧に絵を描いていた。
当時の姉曰く
「春も夏も秋も冬も、どれも植物があるから好き!」
とのことで。
幼き私はそんな姉の背中を追いながらも、
追いきれずに途中で背中をぼんやりと眺めたものだった。

今の植物園でも同じく。
姉は植物園の門に入る前から、
何か植物が目に入るたびにウロウロと動き回る。
少しだけ成長した私は、
今度こそ置いていかれないように必死で姉を追いかけた。

この季節は、私のような植物観察初心者には楽しく、
野のアジサイの花の色の多様なことを確認しては喜び、
…鮮やかな紫もあれば、白に近いピンク、
 葉っぱの色とほぼ同じな茶色など、
 また、それぞれの間の色や表現の追いつかないものなど本当に多彩!
カラーの高い(=衿の高い)花びらも、
自分の知るクマガイソウ以外にもたくさんあるんだと知って喜んだ。
牧野博士がこよなく愛した
野草の梅花オウレンの葉っぱはあまりに可憐でかわいく、
他にもシダやコケの静かなことや、
いろいろと(もう私には固有名詞がわからない)楽しかった。

ほぼ自然と同じ状態で生きている草木は、
初めこそ植えられたんだろうけど
今では自生し、自由に生きている。
その証拠に、立て札がつけられている場所よりも、
そこから派生して生きている「その植物」のほうが
「生きている」ように見える。
何度か植物園には来て同じように感動しているけど、
それはただ遠目から眺めているだけと同じで、
やはりガイドの姉がついていると
植物の物語を教えてくれる分、距離感が縮まるのがいい。
その楽しさたるや、
つい長居をして、乗る予定だったバスは見送ったほどで。
(最終のバスで大阪に帰れたけど)

小松ネエさんには偶然にも園内でバッタリ遭遇、
目的の温室は、これから5〜10年もの間でジャングルと化すんだろう。
それまでもきちんと見ておきたい。

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子供の頃、私は虫が大好きな昆虫少年だった。
最初は蝶。
捕虫網を握りしめて、じっと目当ての蝶が飛来するのを待った。
暑い夏の日。
蝶はなかなかやってこなかった。
今日はあきらめて帰ろうととぼとぼその場を離れかけ、
もう一度振り返ると、
高い梢のあいだを縫うように蝶が飛び去って行くのが見えた。
蝶には通り道とそこを通る特定の時間帯がある。

また別のあるとき、
目を皿のようにしてミカンの葉の裏に
産みつけられたアゲハチョウの卵を探した。
黄色く光る小さなその卵を枝ごとそっと持ち帰った。
スケッチと短い文章からなる観察記録を毎日つけた。
卵から孵った黒い幼虫は、まず卵の殻を食べ、
そして一心にミカンの葉を食べる。
何回も脱皮してその都度、大きくなる。
黒い幼虫は、鮮やかな緑色になる。
その肌の文様にはすでにアゲハチョウの翅の予感が宿っている。

蝶への興味はやがてもっと硬質の美しさへの希求にとってかわる。
あこがれたのはルリボシカミキリだった。
小さなカミキリムシ。
でもめったに採集できない。
その青は、フェルメールだって出すことができない。
その青の上に散る斑点は真っ黒。
高名な書家た、筆につややかな漆を含ませて
一気に打ったような二列三段の見事な丸い点。
大きく張り出した優美な触角にまで
青色と黒色の互い違いの文様が並ぶ。
私は息を殺してずっとその青を見つめつづけた。

※『ルリボシカミキリの青』(福岡伸一著/文藝春秋)

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こないだたまたまテレビをつけると、
福岡伸一さんが出ていた。
「もし生物学者じゃなかったら」の質問に、
「建築のほうに行ったでしょうね」と答えている。
その理由は、生物の色やカタチが好きだから、
その構造物としてのモノ、ということになるんだろうと。
姉は建築士である。
私は、姉はてっきり生物学者のほうに行くんだろうと
当然のように思い込んでいたので、
建築士という道に決めたときに不思議に思って聞くと
同じようなことを逆のアプローチで言っていたことがあった。
そういうもんなんだろうな、と。

そういえば、私はタウンページを
じっと探っている子どもだったらしい。(自覚なし)
当時は「こんな仕事もあるんやなと思って」と、
タウンページをめくる理由を語っていたという。
それは、今の仕事に生きている、のかもしれない。


追記
姉に初めて教えられた植物はオオイヌノフグリ。
なぜこれを鮮明に記憶しているかというと、
姉が「ほら、犬の顔と似てるでしょ」と言ったからだ。
幼き私は「似てる?」と思いながらも
頭の中で無理矢理に犬に似せて納得をしたんだけど、
それにしても今だって「犬?」と思っている。

2010/05/16

突如、ヘアピンカーブを曲がる。

ゴールデンウィーク中に、姉から執拗に説得をされた。
「あと10年たってみい。私らはお父さんの姉妹の面倒をみなあかんのやで。
今からそのための資金を作るとなったら、犯罪するか医者になるしか…」
はかなりのいきおいで冷や汗をかかせ、
「ついでに医者になったらいいとこ住めるで。思い立ったら旅行なんてすぐやで」
に頭はすっと妄想の世界へ誘われ、
「兄弟のなかであんたが一番ふらふらしてるんやから、そろそろしっかりしてよ」
には視界がクラクラとなり、
「医学部の6年間、またふらふらできる期間が増えるんやで」
という矛盾した誘惑に根っこはぷかぷかと浮いて、
「最低でも年収1,500万。それで解放してあげる」で逃げ場がなくなった。

成分の9割方はオチョーシモン。
褒められれば天にも昇る。
考えてみればバスケットボールだって褒められるのが気分いいから伸びた。
そういえば、流れのまま逆らわずにきた今までの人生だって、
オチョーシモン特有の「なんとかなるやろ」精神に他ならない。
「万年学生」とは学生留年時代に先輩からいただいた呼び名だが、
今だって、学生時代と生き方はなんら変わらない。
「ゴールデンウィーク多めに帰ってきますわ〜」という
間借り中の事務所への挨拶も
「お金はなくても、にしやんの過ごし方って気楽でええな〜」と解釈された。

そうか、そろそろちゃんと、「社会人」にならなきゃいけないのか。

というワケで一念奮起。
これまでの人生を否定するわけではなく、
これまでの人生を念頭に置きながらも、
やっとこさ私は自分のこれからを決めるとする。
いやむしろ、大逆転をものにしようの決意が必要。
取り急ぎ、その資格を得るための勉強をするために、
遮二無二勉強である。

2010/05/05

最後の将軍のこと。

突然だけど、竜馬ってほんとに
新しいモノ好き、知らないモノを見るのが好き、
で、もしも暗殺されずに生きていたとするなら、
勝手に(図々しく岩崎弥太郎の世話になりつつ)
海外貿易の船に乗って世界を旅したんじゃないか。
そもそも、生き方について不便を感じたのは、
せっかく海外を知る人が周囲にいるのに
自分は自由に外へ出て行けなかったこと。
珍しい品をもっと見たかったし、
アメリカの自由な国家体制というものが
どんなふうなのかを知りたくて、
とかそういう好奇心が出発点だったはずだからだ。

長いことその期待的観測を抱いていたがために、
竜馬を崇め称える周囲の目にも、
ドラマに関しても少々違和感がある。
(別モノとして見れば充分におもしろいんだけど)
「そうだったらいいな」というヒーロー願望もわからんではないが、
いやいや、それよりもっと単純で自己中心的、
単に外の世界を見てみたい、という
個人的な野望を実現するために動き回っていたのだとしたら
もっとロマンチックな話だ。
高知県民にとっては、まっこと土佐の人ちや、と気持ちがいい。
叶えるために人に会い、実現の糸口を探るうちに
ほんまはこうしたほうが筋が通るがじゃないがかえ、
というふうに論じていたというならスイっと腑に落ちる。
(司馬遼太郎も言っているが、高知人は議論好きなのだ)

竜馬と同じ時代つながりで好きなのは徳川慶喜。
したたかで冷徹なイメージばかりが先行するし、
頭の回転が早すぎて周囲にはなかなか理解しにくい人だったらしいけど、
司馬遼太郎が解釈して描いた『最後の将軍』では
妙に人間味があって正直で、意外と無邪気な慶喜は愛らしく、
久しぶりに読み返してやっぱりぐっときた。
どこか引用しようかと思ったけど、
引用するなら解説が一番わかりやすいのでその部分を。
ついでに、やはり時代がそうだったのか、の感嘆もともに。

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慶応三年(一九六七)十月十三日、
十五代将軍徳川慶喜は京都の二条城大広間に在京四十藩の代表を集め、
政権を朝廷に返上する旨を告げた。
この大政奉還の立案者で、
当時河原町通の商家に止宿していた坂本竜馬のもとに、
土佐藩家老後藤象二郎からそのことを知らせる書状が届いたのは
夜も遅くなってからのことである。

竜馬はその文面に眼を通すと、しばらく顔を伏せて泣いた。
同席していた土佐系の志士たちは、
この一事の実現のために骨身をけずる苦労を重ねてきた
竜馬の胸中を思いやって粛然としたが、
竜馬の感動は彼らが想像していたのとは別のことだった。
竜馬は体を横倒しに倒し、畳をたたき、
やがて起きあがると、声をふるわせてこう言った。

大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。
よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。
予、誓ってこの公のために一命を捨てん。


司馬遼太郎は『竜馬がゆく』のなかで、
その最大の山場ともいうべき大政奉還実現の日の
竜馬のふるまいをあらましこんなふうに描いたのち、
竜馬の胸中を推し測って言う。

日本は慶喜の自己犠牲によって救われた、と竜馬は思ったのであろう。
この自己犠牲をやってのけた慶喜に、竜馬はほとんど奇跡を感じた。
その慶喜の心中の激痛は、この案の企画者である竜馬以外に理解者はいない。
いまや、慶喜と竜馬は、日本史のこの時点でただ二人の同志であった。
慶喜はこのとき坂本竜馬という草莽の士の名も知らなかったであろう。
竜馬も慶喜の顔を知らない。
しかし、このふたりはただ二人だけの合作で歴史を回転した。
竜馬が企画し、慶喜が決断した。
竜馬にすれば、慶喜の自己犠牲への感動のほかに、
企画者として、ちょうど芸術家がその芸術を感性させたのと
おなじよろこびもあっただろう。
しかもそのよろこびが慶喜の犠牲の上に立っている、
ということで竜馬は慶喜の心中を思い、同情し、
ついには「この公のために一命を捨てる」とさえいった。


もちろん、この推測は竜馬の側に立っての一方的なもので、
慶喜自身が大政奉還の事業を「自己犠牲」という言葉で
表現しなくてはならないほど深刻なものと考えていたかどうかは、
また別の問題である。
政権を投げ出すことは、
慶喜にとっては「自己犠牲」どころか、
「決断」というほどのことでさえなかったのではあるまいか。
司馬遼太郎はかねてからそう観察していたように思われる。

(中略)

『竜馬がゆく』の場合と同じく、『最後の将軍』でも、
大政奉還をめぐる条々が一篇の大きな山場をなしているのはいうまでもないが、
幕府の大目付で慶喜の幕僚だった永井尚志が
坂本竜馬と後藤象二郎から聞いた大政奉還案のことを、
はじめて慶喜の耳に入れたときのありさまが、
ここではこんなふうに描かれる。

永井は、勇を鼓してこの動きを申しのべた。
が、勇気は無用であった。
(まさか)
と、永井がわが目を疑ったのは、
慶喜が案に相違して怒りもせず、取りみだしもせず、
むしろ目の色があかるすぎることであった。
永井は、次の間で慶喜の感情をおそれ、ひたすらに平伏してつづけている。
慶喜はいった。
「そうか」
それだけである。
それのみを言い、あとは沈黙した。


そして、司馬遼太郎はその沈黙の意味をこう解く。
それは「自己犠牲」などといったことからははるかに遠く、
もし、「よくも断じ給へるものかな」と感動した竜馬が知ったら、
ガックリと拍子抜けするていのものだ。

慶喜は永井にはいわなかったが、
この瞬間ほどうれしかったことはなかったであろう。
慶喜は、この徳川十五代将軍という、
つるぎの刃の上を踏むよりも危険な職に就いていおらい、
慶喜がつねに自分の遁げ場所として考えてきたのはそのことであった。
事態がにっちもさっちもゆかなくなれば、
政権という荷物を御所の塀のうちに投げこんで関東へ帰ってしまう。
「あとは朝廷にてご存分になされ」というせりふさえかれは考えていた。
が、この胸奧の秘策は死んだ原市之進に語ったことがあるのみで、
慶喜はたれにも洩らしたことがない。


「自己犠牲」の感情からだけではない、
慶喜という人は悲憤、慷慨、痛嘆、憤怒など、
いうところの激情からおよそ遠かった人のように見える。

大政奉還後、旧幕色の一掃をめざす大久保一蔵ら薩摩系策士の画策で、
「辞官納地」をはじめ、慶喜にさまざまな難題がつきつけられたが、
彼はさからうことなくそのすべてを請け、
別して嘆くことも、不満をあらわにすることもなかった。
それよりも、策謀家たちの打ってくる手の先を読むことに
興を動かしているふうだった。

(後略)

※『最後の将軍』(司馬遼太郎/文藝春秋文庫)解説より(向井敏)

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“最後の将軍”として立ったのが、
縁の遠かった水戸からの慶喜、というのもおもしろい。
家定・家茂の時点ですでに尻尾は切れていたという解釈もどうだろう。



連休前から高知に帰ってきている。
大阪に戻るのは今月の半ばほどか。
ま、たまには出かけて行ったりもするけど
ほとんどは家で家事と持って帰った仕事に明け暮れる。
気分転換は一日数本の喫煙タイムで、
室内は禁煙のため、庭に出てタバコを吸うことになる。

家の庭は、旧家とは違ってけっこう広い。
父親がせっせと山から木を移植し始めたのが数年前で、
今はツツジもモミジもキレイないい庭になっている。
コケや雑草も元気で、中には珍しいクマガイソウなんかも。
そんな場所には動物も多く、
蜂やミミズ、モグラがウロウロしているのはよく見るが、
昨日は鱗がべっ甲色に光るトカゲの走る姿を発見した。
タバコそっちのけで追っかけて捕まえてみたい気がしたけど
いきなり尻尾を切られてびっくりするのも
さすがにちょっと恥ずかしい気がしてやめた。

そんな夜に、夢を見た。
都会の真ん中で、ビルの上からバンジージャンプをしたら
そこを歩いていた人にぶつかって殺してしまうという夢で、
事故なのになぜか私はその事故を隠蔽しようとして必死で逃亡、
詳しくは覚えていないけど、
その追いかけてくる警察も顔は無表情で
なんだか理不尽な罪をかぶせようとしていたように思う。
その秘密を唯一知っていた男の人と共謀するふりをして
彼のこともビルから突き落として殺してしまった。

ドキドキして落ち着かないまま目が覚めた。
トカゲの尻尾を思い出した。