2010/07/22

「こんなんないの?」を引き出せるカタログ。

やっぱりカタログっておもしろい、と思うのが、
未だにほとんどのカタログが手渡しという超アナログな方法で
出回っているということ。
(通販じゃないの。ネットで取り寄せることもできるけど)
だから、カタログそのものを作っているというよりも、
カタログを使ってのコミュニケーションの可能性を引き出す、
という印象のほうが強い。

イメージ。
営業マン「こんちはー。新しいカタログできたんで持ってきました」
工務店のおっちゃん「おー、ありがとね。暑いやろ、茶でも飲んでいけよ」
営業マン「ほなすません。今度のカタログはちょっといいですよ」
工務店のおっちゃん「ホンマやな。また置いといたるわ」
工務店のおっちゃん「そやそや。あんたんとこにこんなんないの?」
営業マン「ちょっと待ってくださいね。えぇと(カタログをめくる)。
     いつもお願いしてもらってるヤツやったらいかんのですか」
工務店のおっちゃん「ボルトがちょっと大きさ違うんや」
営業マン「そうかー。ほなこっちですわ。今度サンプル持ってきますわ」
工務店のおっちゃん「ま、まだ先のことやからな。頼むわ」

というようなもんで、
挨拶がてらカタログを渡しに行って、
そこでアレコレ話をしたり業界の動向探ったり
(動向探るなんてていうタイソウなもんかはナゾ)
要望やワガママを聞いたり
あと、ちょっとしたメンテナンスだったらやったり、
みたいなコミュニケーションのきっかけになるもんで。
で、辞書みたいなカタログはというと、
そのまんま辞書のように使われる。
なにしろ仕事の材料なもんで、ネットで検索するよりも
いつも知ってて信頼できるアンちゃんとこに頼みたい。
事務所にあるカタログでだいたいのアタリをつけて、
アンちゃんに相談するなどして商品を買う。

たぶん、このやり取りがとても大事だから、
こんなにネットばかりの世界なのに、相変わらずカタログは作られる。
ついでに字引きのようなものなので、
これは会社での在庫管理にも使われる。
で、会社によっても相手との会話も在庫の管理の方法も違うから、
ひとつひとつ違うカタログになっていく。
それに、客同士の場合でも、「これ買うで」と了解を取り合うときには
やっぱりネットじゃなくてカタログのほうが便利。
(イチイチ出力をするのは面倒。あ、でもiPhoneやiPadならいけるのか?)
それを想像して、こんな会話が生まれたらいいなーと企画するのが
今、イチバンおもしろくやっている仕事で。

クルマイスのあれやこれやもようやく発進した。
あれやこれやと親分と悩んで、
メーカーと、クルマイスを使っている現場との
意識の差を埋めていくことがイチバンの課題じゃないかとなった。
今の商品の流れは、ほとんどが
専門の知識を持つ人による選択になっていて、
ものすごく生活に密着した商品なのに、
自分でソレを選ぶことができないということが悔しい。
(たとえば医者に「この薬で」と言われたら、
それを断ることも、他を選択することも心情的にできないはず)
家具のように選べたら、とまではいかなくても、
選択する幅が広がったほうがいいと思うし、
一度使った人ならその欲求は高まるだろう。
すぐに聞ける相手が身近にいないことが問題だから、
そこで商品を選べるものであること、
それをきっかけに「聞いてみよう」と思えるものであること、
のふたつが条件になるなということで、
カタログの機能を持ちながら
情報を発信できるものを企画しようとしている。
購入した人ならばメンテナンスの相談ができること、
レンタルの人ならば次に選ぶ商品の指針にできること。
「作って終わり」はやめましょう、という提案。

しかし、本当にカタログは山のように。
クルマイスやりながら家具のカタログも手伝わなあかんし、
それやりながら去年やった福祉用具のカタログの提案もしないかん。
来月頭には別の福祉用具のカタログの提案もあるし。
(親分からの仕事は福祉用具ばっかやな…)
目の前で働くニイちゃんはもっとようけ作っている。
家電に照明に家具に自転車…。
プラス、企業の情報誌。
印刷会社の生き残りもかかってるんだろうけど、それにしても案件が多い。
カタログはやはり道具で、同時に、現場に向ける顔なんだなと思う。
Podcastで日経トレンディ聞いて商品情報に必死で食らいついている。
大きなお金が動くから、先方も慎重だし、
商品をやり取りする現場と商品とを知らなければオハナシにならない。
まぁつまり、かなり没頭してしまっているわけで、勉強は午前中のみ。
あ・い〜ん、てか、え・ぇ〜〜ん、だ。

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「本業は写真家、カメラマンという変わり種です」。
アナウンサーが彼を、そう紹介した。
後からリングに上がってきた25歳の対戦相手と見比べると、
ヒゲをはやしたその顔は、リングの上が場違いなほどにふけて見えた。
「あの試合で負けたら、
ジムももうチャンスは作ってくれないだろうと思ったから、
いい試合じゃなくてもいい、クリンチでも何をしてでも、
勝ちたいと思っていったんです」

ボクサー・関根虎洸の16戦目。
鋭い眼光の7歳年下の相手を、関根は4回、KOで下した。

カメラマン関根虎洸の初の写真集『DOG&GOD』には、
その写真直後の、自分と対戦相手の写真が載っている。
シャワー室で25歳の相手はシャンプーを貸してくれた。
そして今日の試合を最後に引退するのだ、と言ったという。

ボクサーは、経済的な職業としては成立しない。
やっとの思いでプロテストに受かり、プロのボクサーになり、
毎日トレーニングをし、厳しい摂生をして身体を鍛え上げて戦っても、
ファイトマネーは時給900円のバイト代の1週間分にも満たない。
多くの選手は、勝てないまま4回戦ボーイでやめていくという。
負けがこむと、いくらいい試合をしたくても、続けられないからだ。

『DOG&GOD』には、そうした
名もなく消えていったボクサーたちが収められている。
目が潰れ、鼻から血を流す、ある種ドハデな壮絶写真のはずなのに、
戦い終わったばかりの男たちの顔は、みなひっそりと静かだ。
「肩書きはボクサーかカメラマンか?
引退するまではボクサーです。
実際の収入はカメラマンでも。
写真はその後でも出来るから」

著書を出し、有名スポーツ誌に連載ページを持つと聞けば、
リングアナでなくとも、もはや「カメラマンが本業」かと思う。
ところが彼は、笑ってそれを激しく否定する。
「ボクシングはやめたいんだけど、やめられない(笑)。
写真は好きだけど、いつだってやめられる」
「子供の頃、海とかプールで、背中にモンモンしょった人を見ると、
きれいだな、と思ってました。
恐怖心を刺激されるような“コワ美しい世界”が好きだったんですね。
アンタッチャブルな匂いというか、空気感。
ボクシングにも同じ空気感があるんです」

ジムへ行くと、先輩を見るのが好きだった。
試合が近づくと、彼らの体は目に見えてシャープになっていく。
おしゃべりだった男が寡黙になり、目がランランと光りだす。
そのさまを見るのが好きだった。
そして憧れた。
「カッコいいんですよ、ボクサーって、存在自体が!」

だから、32歳の今、
カメラマンとして注目されたから受ける取材でも、関根はこう言う。
「この秋からまたタイ、フィリピン、韓国、と回ります。
で、ネパールのチャンピオンとやろうとしているんです。
ネパールは日本よりレベルが低い。
だから彼が東洋ランキングに入っていれば、
一気にチャンスはくるんですッ」

折り目正しい、胸板100cmの人を見ていると、チャンスを祈りたい。
と同時に、彼が三度読んだという、
元東洋チャンピオン,カシアス内藤を描いた
沢木耕太郎のノンフィクション『一瞬の夏』を思い出す。
“内藤は常に優しさに反応する。
そのことがボクサーとしての名等に、
どれほどのハンデを与えてきたことだろう……。”
心優しいボクサーと、それを見守ってしまう心優しい第三者。
関根虎洸の中には、ふたりいる。

※『花椿』(2001年9月号)文:知念万里子

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夏がきた。
こないだ事務所に所属している寡黙な24歳のデザイナーが、
徹夜続きの翌日に、昼間抜け出してどっか行ったなーと思っていたら、
汗まみれになって夢中で1階に入ってきて、
「今、そこの公園でバスケしてきたんす。
ニシムラさんいたんやったら誘ったらよかった」と
いつになく興奮気味に一生懸命話していた。
ひとりでバスケ。
バスケに夢中だった頃は、試合の多い夏が好きで、
みんなバテて休憩している間もひとりでボールを追いかけていた。
それだけで十分に楽しかった。
今でも夏の暑いのは好き。
必死で走ることしか知らなかったことを思い出す。