2008/02/28

名刺3つ。

ありがたいことにけっこう忙しい。
そして方々に席を置いてもらっている。
とてもありがたいことだと思う。
「席がある」ということは、
当然ながら打ち合わせや作業のために行く先がたくさんあるということ。
「寒い〜〜」と片手をコートのポケットに入れながら
毎日ボロっちい自転車をギコギコと漕いでいる。

社員ではなくなったけど前の北浜の事務所にいるときは
やっぱり近所にある喫茶店によく行く。
ランチタイムを外してもボリューミーなサンドウィッチが待ってくれている。
どっかから逃げてきたようなサラリーマンが眠そうにしていたり
打ち合わせをしていたり、グルメブログをやってそうなOLや、
どこの言語かわからないコトバでキャンキャンと電話に怒鳴っている人もいる。
ほとんどの人は12:00〜13:00の昼休みに大移動をするから、
店のほうもその時間に合わせた営業時間しかない。
だから、ラッシュタイムを抜けたエアポケットの時間帯は、
普段その街では見られない風景に見えたりする。
いや、だからどうだってコトですが。

もうひとつの事務所は福島、聖天通りの中の病院の上にある。
こないだミーツを手伝って取材したし、
前にキタの特集をやったときにも散々巡ったハズなんだけど、
あるひとつの場所に用があって来る街は普段見ていた街とは違って見えた。
それも行くごとにモノの見え方が具体的に、立体的になっていく。
店先に「今日は体調不良のため、早く閉めました。ごめんなさい」と
昨夜貼ったんだろうと思われる貼り紙があって
関係ないのに心配なんぞしてみたりする。
いや、だからどうだってコトなんだけど。

仕事じゃないけど南堀江で遊ぶときはそんなことを思う。
ケイブやコエーリョで会ってコトバを交わす人たち、
エンジョイでダラダラの喋り、ヘッドクォーターでの酔っ払いぶりで、
ハッキリと「これはこうだ」なんてことは思っていないつもりだったけど
行くごと、ファッションの街としてしか見てなかったのかと思う。
こないだヘッドクォーターをのぞいたときに
店主のリュウちゃんは風邪を押して店を開けてくれたんだけど、
徹子の部屋のごとく自分が自分である言い訳を一生懸命したりして、
それはなんだかとてもよかった。
いや、これもだからどうってコトですな。

ひとつのイメージでもって見ている固まった頭を溶かすことは
われながら潔くて気持ちがいいことだと思ったりする。
「溶けて馴染む」の感覚は悪くない。
かじかんだ手や足の指がお風呂に入ればトロ〜ッと溶けて
どんどん滑らかな動きになっていくように、
その街での生活や普段の人とのやり取りやらが
スゥッと馴染み深く入ってくる。
溶かすことを前提に、寒空の中、手袋なしで自転車を漕ぐのも悪くない。

しかし、手元には事務所2つにそれぞれの名刺、
加えて作成中のフリー用の名刺。
こんなにたくさん名刺を持って仕事をすることになるとは思ってなかった。

2008/02/22

そうか。

親分から着信あり。
折り返すと「おさと、今なぁ、帯屋町に来てんねん」と親分。
ただそれだけで電話をしてきた。
「○○金具の前やねんけど、オマエ分かるか?」ときた。
「あー、分かりますよ」と、ちょっとニヤニヤしながら返す。
前もこんな電話をしてきた。
親分が四国へ転勤になったばかりのころ、
何度も何度も着信があって、コソコソと編集部を出てかけ直したら
「今なぁ、須崎におるねん。おさとが前くれた文旦、道路で売ってるわ」
とキャハキャハ笑って言っていた。

親分の下で働いていたころ、私はよく泣かされた。
「自分の思うモノを主張せえよ」などと
泣かすにはナイスすぎるタイミングで言ったりするくせに、
「おさと、仕事はそんなに“がんばる”もんじゃない」と言ったりする。
フラフラフワフワとしながら思うことをクライアントに言う。
「おさとは軸足がありすぎるんや」と皮肉ったりもする。
私は親分の背中を見て仕事をしてきた。
重心の部分でそれはたぶんこれからも変わらない。
マメなことに誕生日には必ず本をくれて、
ミーツにいたときもロケハンにくっついてきたりした。
親分はいつも遠くから心配してくれている。
どうでもいい話で電話をしてきたりする。

トッパンにいたときのことを思って少し寂しくなってきた。
あのときは必死すぎたから、
こんなふうに懐かしく愛おしく時間を思い出すなんて想像してなかった。
でも、そういうふうに子どもを育てる目で見てくれる人が
私の周りにはたくさんいたんだなと、今さらながら気づく。

ツルがいよいよトッパンをやめるらしい。
私と同じように原稿整理のアルバイトで入社した女の子。
席が隣だったのもあって、
帰りにいつも飲みについてきてくれたのもあって、
たぶん、一番近くにいて話を聞いてくれた女房方のツル。
私もトッパンではいろんなことがあったけど、
私よりも長居してしまったツルはもっとあっただろうと、
具体的にも抽象的にも想像する。
今はもう全然近くにはいないから
その知らせは打ち合わせに行ったときに
たまたまハチ合わせた先輩のマツダさんに聞いた。
想いの中でもコトバが浮かばず、そうか、とだけ思った。

今日トッパンに行くとツジムラ兄やんが
ひょこりとパーテーションの向こうから顔を出してきた。
少し顔がむくんで丸くなっていた。疲れているんだろう。
軽く打ち合わせをして、また飲みに行こうなと言ったり、
自由に仕事を手伝ってもらえるんやなと言ったり、
話はいつもながらにトビトビだった。
そういえばこないだ「フリーになるよ」のメールを送ったときに
「やめて正解だと思う」と返ってきていた。
「オレもやめるし」とツジムラ兄やんは言う。
たぶん、ツジムラ兄やんはいくつかクライアントを持っていく。
今よりもっとしんどくなるよと、こちらもそっと心配する。

トッパンに行くと、たくさんの人に会いたくなるのは変わらず。
ミーツや、今の事務所だって楽しくなかったワケではないけど
一番最初にムキになって何かやっていた場所は
遠くなってまた外側から近づいただけにドキドキする。
ラビット津野やあっちゃんや、大ちゃんや吉野さんやハンちゃん、
もういないけどウミちゃんや吉川や金子ねえさん、
やっさんのことを、当時の姿で思い出す。
ツルは有給消化で休んでいる。
今のイマ、どこでどうしているんだろう。
これからどうするんだろう。

親分と電話で話しながら、
でも事務所には席だけ置いて出ていくんだとは言わなかった。
親分は最初から事務所に入ることを反対していたし、
だから私にくれる仕事も「おさとに仕事を出してるから」と言って、
お願いしても事務所宛にギャラを振り込むことはなかったから。
これからも、何も変わらない。
そうしても後ろめたくないようにした。

「最近ね、仕事をちょっとがんばってるねん」と親分。
「あら珍しい。がんばらないんじゃなかったんすか」と私。
「仕事が落ちついたら大阪に帰るから、そんときに飲食でも」
「お待ちしてます」
言いながら、待っているのは誰だろうと思った。

-+-+-+-

南へ歩けば 北に抜ける
左へ走れば 右に続く
女に触れれば 男に出会う
コトバに隠れた 静けさを聴く
帰ろう我が家へ
藍色こえて
(藍色こえて/青柳拓次)

2008/02/21

ひとりで飲むのは苦い。

ひとりの花茶は苦く
お湯を差してはさます
ネコの寝言聞く

去年観たあの芝居
また行けるかな
あの劇場へ

遠い街 幕が開く
訊けば今夜 愛の音楽

川に落ちた花びら
きっと流れ着くよ
キミのいるところ

遠い街 幕が開く
訊けば今夜 愛の音楽
(花茶/青柳拓次)

-+-+-+-

当面、仕事の相棒となったのは、
京都を出ることを決めた春の日、
知り合いからもらった中古のiBook。
ずっと家にいるか、少し長くどこかに行くときは付いてきた。
メインの仕事はメールの送受信と
簡単なインターネットブラウジング。
たまに原稿やブログを書くくらい。
ボロいアパートの最上階にいきなりやってきた最新のマック、
今や家のほうが新しいくらいで
作業が遅い遅いと相棒にケツを叩かれている。
「こんなことになるとは思ってなかった」
マックがつぶやいている。

-+-+-+-

今日は新しい名刺をお願いしに
やよねぇの職場にお邪魔してきた。
大国町のはんこ屋さん。
紙を選んで、そのままデザインもやよねぇにお願いした。
こないだケイブで会ったときに
美容師のイナウェイが独立して使うために作った
名刺の校正を持ってきていた。
どんな名刺がいいだろうと悩んだけど、
結局はやよねぇのデザインに一存することに決めた。
「どんなんにしようか」とやよねぇ。
「まかせるわ」と投げる私。
「イナウェイといっしょや」やよねぇ。

-+-+-+-

明日はミーツの周年パーティーらしい。
どうやら私も行くらしい。
せっかくだから今のみなさんだけじゃなく、
これまでこの雑誌に関わってきたみんなが
楽しんで喜べる感じだったらいいなと
外から勝手に思っていたりする。

にわかにヘト子。

にわかに忙しくなってきた。
頭がこんがらがらないように注意。
休憩がてらメモ。

月曜日。
午後から収納カタログの打ち合わせで
淀屋橋のチェーンカフェにいく。
事務所の社長と、貫禄あるプランナーさんとが
あれやこれやとクライアントのことを噂している。
笑って聞いていると、店の人から
テーブルを譲ってくださいとお願いされる。
昼過ぎ、周りを見ると休憩している営業マンばかり。
眠っている人もいた。
月曜というのにみなさんお疲れの様子。
ひとしきり話が終わって事務所に戻ると
トッパンから訂正依頼ファックスが届いていた。
デザイナーさんらは帰ってしまった後なので、
コツコツと自分で訂正作業。
トッパン時代もミーツ時代も、
ひとりの事務所はけっこう好き。
加えて、カタログ企画提案用のコピー作成。
帰宅して路地の原稿を書きながら
気がついたら突っ伏して眠っていた。

火曜日。
朝イチで福島。
社内報をいっしょに作るスタッフを紹介される。
当面はデザイナーさんと私の2人。
それに営業担当と社長が加わり、
4人で本社がある江坂に向かう。
先週末に作っておいた企画書と
つたない手書きのサムネールを持って話を進める。
打ち合わせルームはドーナツ食べ放題、コーヒー飲み放題。
たったのそれだけで「ええ会社やなぁ」と感激してしまった。
丁度ランチ時と重なり、社員の人らが席を埋めて
キャッキャッと楽しそうにお弁当を広げていた。
福島に再度戻り、これからの作業の進め方を打ち合わせ、
打ち合わせの後、月曜に訂正したカンプとデータを持ってトッパン。
トッパンにて雑談。雑談の中に他ページの訂正依頼も混じる。
完全データで入稿とは、キツイ話やなと改めて思う。
事務所に戻って収納カタログの打ち合わせ。
クライアントも来社している。
ソファのカタログの訂正をデザイナーさんに指示して
打ち合わせに参加する。
ページネーションと予算と日程と、
その制約条件に絡めての企画の話。
会社に残って路地の原稿作成。
書いているとどうしようもなく肥後橋の名小料理屋に行きたくなり、
申し訳ないと思いながら店にいく。
何遍来ても感激してしまうのはなんでだろう。
店を出て、思いを馳せながらケイブに寄る。
ミナミさんから助っ人として火曜ケイブで働かないかと誘われる。
来月、バンチはインド旅行に行ってしまうので。
おもしろそうなので働くことにする。
1杯で出て帰宅。
原稿を書いて、しかしメールで送るのを忘れたまま
突っ伏して眠っていた。

水曜日。
事務所にてコピー作成。
それにプラスで路地の原稿。
節操なくやってくるトッパンからのファックスに電話。
書いても書いてもさらにコピー作成の指示もやってくる。
華麗な捌きでとっとと仕事を掃かしていかねば。
間に母親からの電話も混ざる。
母親は珍しく仕事を休んで子守りをしているらしい。
ひとしきり勝手に談笑をして、
「“まさと”が泣き始めたからきるわ〜」と言って
一方的に電話を切った。
“まさと”とは、私の弟の名である。
母は天然そのもの。
無茶振り的なカタログのコピーライトに飽きて、
気分転換も兼ねてサムネールに取りかかる。
各ページのタイトルも決めてみると、
ちょっとずつページのビジュアルが見えてきた。
印刷会社から日程が出たら、
タカさんに仕事をお願いしようと静かに決意。
肥後橋の小料理屋から、昼間にお茶しにおいでと言われていたので
「取材で〜す」とテキトーに言って事務所を出る。
言った後、もうフリーだからそんなに律儀にならんでええんかと気づく。
そういえば福島のプロダクションにも席を作ってもらった。

2008/02/18

道頓堀。



アタシの恋は
窓辺に垂れ下がる三日月みたい
奪われた影はもう
涙で見えないわ
(トライベッカー/三日月)

タノシミ。

姉もいよいよフリーの設計士として始動らしい。
これまでいた会社の上司が独立して設計事務所を興すらしく、
そこにくっついていくカタチになる。
タクマの育児が重なってしまったのも理由。
ほいで、姉からの頼み事。
「仕事が空いてるときに、徳島に来て子守りしてほしい〜」と。
なんとナイスなタイミングが重なったことよ。
私も毎日忙しいワケではないだろうから、
ヒマなときには行って子守りするぜよ、と決定。
保育所は月60,000円弱もかかるし、
当面余裕はないから、交通費出すし〜とのことでした。
そんなふうに姉が忙しくなる日が来ることを祈る。
というか、ヒトゴトではない。


かわいすぎる〜。

分岐点の彼。

たぶん、たくさんの選択について
大学のときの、あるトモダチから大きく影響を受けている。
彼とは大学は違うけれど同級生で、あるバーでバイトをしていた。
一方的な恋だったけれど私はとても好きになって
それまでバーになんて行ったりしたことがなかったのに
そこにはとにかく通った。
店に行くことや、店にいる人や店にいる客と
ギャーギャーと遊ぶことが楽しいと思い始めたのはそのころ。
京都のDD系の店で、当時はそれがブイブイ言ってた時代。
彼はDD系の中でも中心的にウロウロとしていて、
その話を聞いているのもおもしろかった。
彼について数珠つなぎ的に店を巡るのもおもしろかった。
バスケがあり、バイトがあり、ちょっと学校がある
という当たり前の生活にいきなり入ってきた街の空気。
それまで「街」という価値観とはあまりに違う場所にいたから余計に、
平均的な会社に入って、平均的に働いて、
平均的に結婚をして子どもを産んで年をとっていくんだろうと
なんとなく思い描いていた自分の「未来」は
グラグラと揺れてパタンと倒れた、と思う。

いくつか会社を受けたけどどこに行くイメージも持てず、
いくつかのうちのいくつかが受かったものの全て辞退した。
次の年も同様に。
飲食のバイトを極めつつ、でもどこにも向かうことはなく、
ただフラリフラリと生きていた。
周りにいたトモダチがいつしか会社勤めになり、
私のように夜を中心に働く人が見あたらなくなってまた全部やめた。
とりあえずバイト情報誌でトッパンの原稿整理という仕事を見つけて、
工場で原稿を整理整頓する仕事だと勘違いして入り、
気がついたらカタログをバリバリ作っていて、
なぜかミーツ・リージョナルという雑誌を作ることになり、
そしてなぜか今度はどっかの会社の社内報を作ることになった。
タニモト氏に新しい選択を報告すると、
「ホンマに流れるままの人生やな」と言われたけど、
自分でも本当にそう思う。

もしもあのときに「彼」と出会っていなかったら
絶対にこんな、流れていくような人生ではなかった。
遅かれ早かれそういうふうになっていたとはどうしても思えない。
なぜ彼と会って以降、
会社に入ることを「普通のこと」と思えなかったのか、
(彼は順調に卒業して順調に会社に入ったというのに)
なぜ彼と会って以降、どこかに向かおうと思えなかったのか。
彼と会って後、私は何もしていないのに心身ともにフラフラのグロッキー状態で、
反して行動は真空の瓶に栓がされたように、何も動かそうとできなかった。
頭の中では苦しげに空気が止まり、微動すらしない感じだった、と思う。
私はとても純粋で真面目で頑固で、彼のいる「遊び場」を目指すので必死だった。
彼の思考を追っていなければ、彼と出会っていなければ。
今となってはもう、きっと二度と彼に会うことはないんだろうけど。

時間を戻せるならば、あのときに戻って、
もうひとつの人生も見てみたいなと思ってみたりはする。
ただ、それが幸せかどうかは、今の私にはわからない。
「死ぬときにこの人のこと思い出すよな、みたいなことを考えたりする」
とこないだマコが言っていた。
私は間違いなく、大学のころに好きだった彼を思い出すだろう。
感謝でも、後悔でもあるからだ。

2008/02/15

とりあえずホッ。

あっさりと、仕事が決まった。
決まったというか。

社長の地元の同級生が制作プロダクションをやっていて、
今度定期刊行されるとある会社の社内報を新たに作るのに、
若くて話しやすい、楽しんでやってくれそうな人を知らないか、
フリーに動けて、フットワークも軽くて、すぐ働ける人と
昨日電話があって、社長から紹介で話を聞きに行ったら
ちょいちょいと話をしただけで
「もう、とりあえずいっしょにやろう」とあっさり決まってしまった。

仕事は、その社内報の編集。
大きな食品会社で、いろんな形態で働いている人がいるけど、
その人たちのモチベーションを上げていけるもの、と。
時勢も時勢だから、と。
隔月の16〜24ページ、なんとかやれそう。
それに、営業担当の女の人とも気が合いそうでいい感じ。
来週、早速企業さんと打ち合わせすることにもなった。話も早い。

ちなみに企業モンだからギャラは恐るべく。
1冊分で2カ月は十分生きていける。すげ。
ギャラを聞いたあとで、契約社員でも社員でもいいよと言われたけど、
ひとつ生活の基盤となる定期収入があるんならと、
結局フリーでやることにした。
これまで世話になってきた人の仕事も手伝いたいし、みたいなトコで。
とりあえず食いぶちができた。よかった。
ちょうど派遣でも登録しようかなー、めんどくさいなー
と思いながらネットで仮登録をしたところだったから、
妙に呼び寄せられた「縁」みたいのも感じてしまった。
それは先方も口にしていたことで、
そういう感情が共有できることもありがたかったりした。


↑ていうか、ありえんやろ。

ついでに。
その、転職サイトにて年収査定。
それによると、4,836,678円らしい。
追っついてなさすぎて泣ける。

2008/02/14

来客。

ラクオンパラダイス以来、
石ノ花に行ってなかったと気づいて
昨日は石ノ花に寄ってみる。
しばらくひとりでボンヤリしたり
ユウイチロウさんとボソボソ喋ったりしていたら
4人組がカランコロンとドアを開けて入ってきた。
歳の頃、35歳前後の男と55歳前後の女、
20歳そこそこの少年と少女。
どういう関係かと反射的に勘ぐる。
年上のふたりが再婚するとかで、
女の子どもである少年と少女を連れて食事とか?
コトバは関西ではないので、母親一家で関西移住か?
女は20年ほども前に石ノ花に来ていたという。
年上のふたりは同僚で、というか上司と部下で、
旦那の死後かなんかに関係が急激に深まったと思われる。
全て妄想、ボンヤリしていたので脳内がヒマなのだ。

ところが、どうやらそうではないらしかった。
正しくは、女はデキる上司で、
海外を飛び回り、この度、大阪に出張。
「東京にいると家族がいるから外に出られなくって。
どっか出張に行くと朝まで気を遣わずに飲めるからいいわぁ〜〜」
なんて言って、バーボンソーダを幾杯か重ねた後、
ベイリーズのロックをクユリと揺らしていた。
この女、自称・海外のほうが合うとのことで、
たしかに、その人なつっこさ(私もいつの間にか会話に参加していた)、
飲みっぷり、ツッコミを促すボケ、部下へのグルーミングなど、
キッパリハッキリとしていて頑丈。
どこででも生きていけるやろなと思いつつ、
女に促されるままにツッコミを入れまくった。
男は女の部下、少年と少女は関西支社の新人のようだ。
男が、上司に石ノ花を紹介したくて来たらしかったけど、
少年が頼んだ「カレーとパン」を眺めながら
「アナタの亡くなったお父さんもそれ、いつも食べてたのよ」
なんて言いながら少し感慨深げに、悲しげに黄昏れたりして
女は一枚も二枚も上手、かつ経験が豊富だった。

「うるさくしてごめんね」と言いながら
その後、酒を2杯もごちそうしてもらってしまった。
ご一行様は石ノ花を出た後に、
紳介のフォークソングバーに向かうと言っていた。



--

起きたら9時半だったので、
急いで準備をして、10時ちょい過ぎには会社に到着。
会社が開いていなかったので
不思議に思って時計を確認すると、
9時ちょい過ぎだった。
1時間、時計を読み違えていた。
ああ。あともう少し眠れたのに。

2008/02/13

狭間の夜。

ミーツの原稿がようやくハケて、
路地本の取材も終わったし、久しぶりにまっすぐ家に帰る。
新店やらイベントで仕入れたネタをユウジに送ったりする。
路地本の原稿の締切り具合を伺いに、松本さんに電話をする。
まだ余裕がありそうなので昨日は何もしないことにした。
何もしない夜。
私は家でひとりでは飲まない。
ただ、テレビを観ながらウダウダと眠る。
気まま。のんびり。

今の仕事は今月いっぱいで終了。
今の会社はフリーとしてでも関わって…とのことだけど
できればそれはごめんしたい。
できれば全然違う仕事なんぞもしてみたいなんて思う。
とりあえず派遣でも登録して事務職でもするかと
松本さんに言うと、たぶんそれは退屈するでと言われた。
きっとそれは当たってるなーと思いつつ、
じゃ、どうやって生きていけばいいもんか
現実的な悩みがポヤヤ〜ンと浮かぶ。
でもとりあえず眠る。
眠る。眠る。




私とは関係のないところでも、動くもんは動く。
あー、はやくホイミくらいは覚えたい。

--

グラより、早くも二人目ご懐妊の報。
めでたい。

2008/02/12

ニクの日の2日後。

ミーツを辞めたらたぶん痩せる、
という私の宣言をぐっさんとの賭けにして、
去年の6月末から10月10日までに10kg減という
おそるべしダイエットに完勝。
賭けられたのは万正の肉だった。
で、昨日ようやく、肉ツアーが敢行される。
話の初めからいたタニモト氏も誘っていたのだけど
カノジョ孝行で旅行に行ってるわ〜とヘタレなことを言うし、
そもそも店をやっているぐっさんと
タニモト氏の休みが合うことなんて
女子バスケがオリンピックで優勝するくらい
奇跡に近いことでもある(すいません)から、
代わりにと言っちゃナンだけど
最近よくツルんでいるアイちゃんを誘ってみた。

仕事の話をしたりしながら、
おばちゃんが気まぐれに肉を返しに来たりもして、
それに「こないだ雑誌出てましたねぇ」と言ったりして、
そしたら「あれ、私キレイじゃないからイヤやねん」
とか言うていたりして、
おばちゃんが肉返すのに飽きてどっかに電話しに行くと
話をまた元に戻しながら話していた。
旨い肉に旨いマッコリ、
若い頃はブイブイ言わしとったやろなと思しき
しがむ毎に強烈に濃い味を放つおばちゃん、
これ以上に欲するものはない。
その間にした重要な話なども全て消え去ってしまう。

万正を出て海の家でノンビリ飲む。
横に座ったナイスミドル(通称・トンボさん)が
おもむろにギターを取り出し歌い出す。
アイちゃんがそのへんにあった算盤に手を伸ばし、
ナイスミドルの奏でるブルースにリズムをつける。
海の家を知っている人ならすぐに想像がつくだろうけど
弾き語りなんぞやれば、
音がこんなにユル〜く入ってくる場所は他にないんではないかと。
さすがサーファーというか、なんかピース。
野島さんに会うのも久しぶりだったけど、
サーフィンへの変態的愛は相変わらずなもんだった。
初めて行ったアイちゃんに、
またも、どんだけデカい波に乗ったかの自慢をしていた。

海の家を出て、千日前はイタツイへ。
ぐっさんが言うには「あの年代でオレと話が合うのがうれしい」とのこと。
そんなもんで、店の話からシゲシゲと人生語りになり、
アイちゃんが沈没しそうになったのでオヒラキとする。

あ、そういえば、昨日の2日前は2月9日、
「ニクの日」だったのねー。

2008/02/11

料理でこんなに感動するとは。

ひとしきり原稿を書いたあと、
再度話を聞きに来ると約束をしていたイタリアンに行く。
昨日の日曜を指定されたけど、
それは定休日だから都合がいいとのことで。
前回、撮影だけでうかがったときは
アイドルタイムではあったものの、
仕込みでそうとうバタバタとしていて
店主の藤原さん、そうとうに気が立っていた。
こんなにバタバタイライラしてたんじゃあ、
とも正直思ったりした。
昨日はそのときのバタバタぶりをまず謝られ、
そして撮影で出してもらった料理を再度いただく。

アミューズはまず、
飛鳥村から汲んできた水を凍らせて
バルサミコをかけたのみというあっさりとしたシャーベット、
それにカラメルとレモンで味をつけて雪だるま型に固めた飴、
ニンジンをジュースにして泡立て固めたウェハース、
イカスミとブドウ糖、中にパプリカや胡椒を入れたせんべい。
これは前菜じゃなくデザートでは、と度肝を抜かれる感じで、
撮影時にはそうとう不安になっていたのだけど、
全く甘くなく、むしろ酸味がどれも効いていて、
というか、誰かとこれをいっしょに食べたら
楽しいだろうなと想像させられた。
見た目も繊細極まりなく、次に出てくる料理にも期待が高まる。

もちろん、フルコースでいただくワケではない。
撮影したのはこのアミューズと最後のデザートだから、
あと試食させてもらうのはデザート。
ビスケットに近い生地のお菓子、と藤原さんが説明するように、
少し固めの生地を薄く切ったお菓子に、
キャラメルと濃厚なミルクのクリームがかかり、
その上にシナモンを細かく泡立てて甘みを加えたアイスがかかる。
アイスは口に入れるとフワッと消えてなくなる。

藤原さんは、フレンチの学校を出た後、
自分本位の興味からイタリアへ渡り、イタリアンを修行。
イタリアンよりもっと細かい料理をとスパニッシュを勉強するに至る。
だから、よく紹介されるのが「イタリアン×モダンスパニッシュ」。
というかどちらの料理のオーセンティックな形のものも
私は食べたことがないので単純にこのアミューズとデザートに驚愕した。
すし特集のときに初めて江戸前をカウンターで、
しょうゆなしで食べたときと似た感動。
お金を出さずともおいしいものは食べられるけど、
お金を出してこそ味わえる料理もあるのだと、
改めて「知らなかったこと」を残念に思った次第。

ところでその、アミューズに出てきた飛鳥村のシャーベットは、
イタリアで修行中にヒントを得たものだという。
修行で行っていた店はいわゆるトラディショナルなイタリアンの店で、
オーナーシェフは頑固なおばあさんだったらしい。
バルサミコって昔はどういうふうに使っていたのかと聞くと、
そのおばあさんは「雪にかけて食べたのよ」と教えてくれた。
今ではチーズにバルサミコ、なんてのもよくあるけど、
それをするのが高価だったころのこと。
なんとなく、これは渾身のメニューのひとつなんだろう。
「なんの努力もしてないし、シンプルなもんです」
と藤原さんは笑うけど、なんだかとても感動してしまった。

店自体は4代続く老舗の洋食。
代替わりの際に古い店を全部潰して全面改装をした。
厨房は全面ガラス貼りで、清潔感もあり、緊張感もあり、
グルーヴ感もライヴ感もある。
これまでの古い客に嫌われるのをイヤで
ランチはぐっとグレードを落として1,000円。
(とは言ってもそうとうに努力をされている)
ランチとディナーとで作るものの根本が違うから、
朝は6時から仕入れと仕込みが始まり、
夜は深夜の1時ごろまで新しいメニューを考えたりしている。
「本当はランチをやめて、
もっと好きなジャンルの料理に専念したいんですけどね」
料理だけじゃなく、ワインやデザートや接客も含め、
全てにおいてパーフェクトなサービスを追求されている。
「けっこう厳しいからって、スタッフもよう辞めるんちゃいます?」
なんて失礼かな、と思いながら聞いてみる。
「そうなんですよね。ひとつ怒鳴ると、ボクの姿から遠ざかるみたいにされるし。
でもやっぱりレストランというものの考え方のテンションが合わないと」と。
ちなみに、藤原さんはどう見ても見習いの若造にしか見えない。
「あのチョロチョロしてるのは誰やねん、てお客さんにはよう思われてるみたいで」
正直に言って照れて笑うから、ナマイキな異端児との評判もええ感じ。

実は昨日、到着したときは法事のために藤原さんのお母さんしか店にいなかった。
ちょろちょろと交わした会話の節々が妙に温かかったのもよかった。

2008/02/09

写真に首ったけ。

取材終了。
松本さんらとの飲みは、遠いので断念。
で、ミューズ。
アイちゃんが来て、ペロ〜ンと酔っ払う。
その後いろいろとハシゴしたけど、
酔っ払いすぎにより沈没。

ジュニアさんが私のカメラで遊んでました。

ハギー。



アイちゃんと元トライベッカーのギターのオトコマエ、密会。

タカさんに続き、藤田さんもカメラについて教えてくれました。
周りにはいい先生がようけおる。


昨日の教室(ドトール)では、このふたつの撮り方(絞り?)を教えられました。
あと、簡易でいいから三脚を買うように勧められまして、
買おうかなーと思っております。

2008/02/08

取材、佳境。ようがんばった。

路地本取材、佳境。
ちょいと遅れ気味ではあるけど、
今日の2軒と、あとはひとりハシゴ・デジカメ取材でなんとか終了。
というか昨日の神山の喫茶店と言い、
なんというか、知らんかった「ええ店」が多数。
馴染みの薄いエリアばかりだったというのもあるんだろうけど。

藤田さんとも「こんなんガイド本に載せてええんかい」
と思わず顔を見合わせたのが昨日の店。
馬刺が名物、それにすっぽん鍋、
しかしその他の「ばりこ」や「桜とろろ」などの一品もものすごい。
きちんと探したら、やっぱりきちんとあるんやと
ひとしきり感激したのでした。
ここはちゃんと通ってからじゃないと書けないのでこのへんで。

手前にピントが…。

ひとりハシゴ1軒目はアラレ。
(ひとりは寂しいのでミナミさんに来てもらいました)
トリッパと豆のトマト煮でございます。
その1ブロック北に、見慣れない店があったので
今日はそこにも行ってまいります。
ここまで来れば根性で飲みまする。

微妙なピンボケが気になるとこで…。

この後、ケイブ→HBH。
よう飲んだ。

つーか今日は最終的に大阪城北詰でデンパク松本さんらと飲み。
正気がもつんか不安。
そういえばこないだヨシノリから
「さとぴーは横審の内舘牧子みたいな位置付け」と言われた。
けっこうショックです。

2008/02/07

む〜、気合いっ。

久しぶりに早めに家に帰る。
「あらびき団」が始まるのを待ちつつウトウトしながら、
気がついたら朝になっていてびっくりした。
仕事が終わってから取材に行くことを苦と思ったことはないけれど
やっぱり二足のわらじはキツイらしい。
横になってテレビを眺めながら、11時前にはぐっすり眠っていた。

昨日取材で行った喫茶店はかなり年季の入った、
でも気合いの抜けた喫茶店。
ご兄弟でやっている。
コーヒーは弟さんが1杯ずつドリップする。
できるだけ新鮮なコーヒーで
長居してもらいながらじっくり喋るためだ。
深夜の2時に営業終了の予定だけど
たいがいが早朝まで誰かいる。
すっかり酒場の形相、しかし、酒は置いてない。
「ここにはヤ○ザのおっさんも来るし、
作家さんも多いし、そのへんで働いている人も来る」
それでも、「誰が来る」とかには全くブレそうにない
店のしっかりした太い足元が見える感じで、
さすがに30年選手の余裕があった。
「場所を変えたら、帰って来たい人が帰って来られへん」なんて
マジメな質問にもたまにマジメに返してくれるけど
ほとんどは照れてチャラけて返される。
年の頃はお兄さんのほうが56歳とけっこうな感じだけど、
それでも軽やかに空気の淀むいい店だった。
取材後、カメラマンの藤田さんと
「あれ、お兄さんのほうはイスに座って客と遊んでるだけで、
絶対コーヒー入れてないっすね」
とか笑いながらも、お兄さんがいるから店がブレないことを
二人ともなんとなくわかっていて、
「あー、でもやっぱええ店やったね」と満足気味に話した。
「ええ店」というのは一体どういうことなんだろう。

私は、そこにいる店の人や客が
楽しげにしているのに巻き込まれていくことや
巻き込まれていく様を見て笑っているのが単純に好きで、
「どこそこの何を使っている」や「どこそこで修行した」や
「どこそこの人気のあるインテリア」なんていう
ポンッと記号でしか表現されないものの価値がよくわからない。
「価値」ではあるんだろうけど
それが「おもしろい話」とつながっていきにくいからだろう。
スペックでの物の喋りは一番カンタンで伝わりやすいけれど、
「いやー、それ以上に話したかったことはあるんだけどな」
と不完全な語りに不満をもらしてしまう。
広告で言う「ブランディング戦略」も、
単に会社や店を「記号化」するだけで
やっぱり体裁だけでしかなく、空虚であんまりおもしろくない。
ついでに言うと、「それ」や「これ」のよさは
その土地の匂いを嗅げないとわからないことにも見えたりする。

ウチの会社の社長の娘がパラパラとエリア別冊を見ていたので、
「こっちのほうが店に愛があって街もようわかっておもろいよ」
と別の号を教えると、「“おもしろい”とかいいねん」と、
何をそんな無駄なことをといったふうに笑われて、
「まあね」と苦笑して閉口した。
そういう情報の在り方が確かに「売れる」んだろうし
多くに指示されることを無下に否定するわけじゃないけれど
なんだかね、という感じでガッカリする。
誰がどこの店でどう楽しもうが知ったこっちゃない。
でもその中で“おもしろい”を価値として置けるかどうかは、
街の話、その店の話や匂いを
カラダで感じたことがあるかの違いだと思う。
私は、街で生きる一個人として「おもしろい人」になりたい。
蛇足だけど、超アナログ人間・藤田さんは
店よりもそこに映っている人の顔ばかりを印象に残す。
そういうことが大事なんだなと、改めて。

今、これまでこんなに一気にたくさん
取材をしたことがあっただろうかと
びっくりするくらいの件数を取材している。
就業後や、昼休みにしか時間が作れず、時間調整に絡めて、
話を聞くタイミング、撮影のタイミングが難しい。
ついでにいうならアポ入れのタイミングを計ることすら割と厳しい。
1件辺り1時間以内じゃないとこなせないとはわかっていても、
なんだかもっと大事に話を聞きたくなるから長くなる。
物語のある店は、それを聞くだけでも得した気分になる。
得したと思える話は、雑誌でじゃなくとも誰かに言いたい。
いや、とにかく時間がもっとほしい。
小さな記事でもちゃんとやりたいなと、日々思う。

2008/02/04

週も始めというのに。

飲み日記と化している気もしますが、
そして毎日飲んでいる気もしてイヤですが。

土曜日。
取材の予定だったけどアポをうまく入れられず
ユル〜く夕方過ぎに目が覚める。
布団からは一歩も出ず、寝たり覚めたりしながらテレビを観る。
たまに起きてブログなんぞ書いてみたりもした。
どこかに行こうかと思いながらも
ウトウト・ダラダラと布団の中で蠢く。
深夜前にアイちゃんから電話がかかってきて、
それでようやく起き上がって外に出るとする。
飲んだ、喋った、騒いだ。

金曜日。
ミゾ鍋に参加。
参加者はサミーさん、まあくん、松田さん、
それに、はじめましてのうずら屋店主。
うずら屋から提供の日内地鶏に悶絶、ついつい長居してしまう。
のちにサンスイはインプレッションへ。

今日はすでにいろいろあって疲れました。
まっすぐに家に帰りたいです。
今週末もすでにいろいろありそうです。
そのうちの一日で徳島に強行で帰らせていただきます。

2008/02/02

うれしいのにフクザツ。

ケンタローさんやらタローくんらが祝ってくれるというので、
お言葉に甘えてつばめに行くとする。
いつものごとく、やっぱりひとりで行くのはおこがましく、
だから誰かを誘おうと思うのだが、
あいにく誰もいっしょに来てはくれず。
それでも店には、“そのへん”でよく会う面々がいて
よく喋り、よく飲んだし、その分よく笑った。
ケーキまで用意していてくれたのでありがたかった。

私は少し、落ち込んでいる。
最近ちょっとだけ忙しくしているから疲れているのか、
なんだか少しだけ落ち込んでいる。
たくさんの人と話すことはそれだけで楽しくもあるが、
同時に、やっぱりそこまで器用にできないことも確認する。
そんなに話をすることを望んでいないようにも思える。
新しい人間関係ができて、
そのことに戸惑っているようにも思える。
結局はたくさんのことやたくさんの人のことを
知らなくてもいいんじゃないかと根本で思っているようで、
戸惑って疲れて、落ち込んでいることにも自己嫌悪する。
なぜにこうなのだろう。
私はとても頑固だと思う。

祝ってもらうことにとても恐縮して、
甘えられるマコやタニモト氏と飲み直したくなったり、
東京にいる幾人かのトモダチや姉ちゃんを思い出す。
自主撤退しますと宣言したのに、好きな人を思い出す。
自覚した夜は泣きそうに寂しい。
お互いの両親に挨拶すると言ったマコが、
結婚してしまう日を思うと、自分のことで泣けてくる。
テンコから昼に、早く東京に引越してきなさいとメールがきていて、
それを酔っ払って思い出して読んで、それにも少し泣けた。
カウンターやテーブルでたくさんの人と話して
飲んでガハガハ笑って、じゃあ次はどこそこでいついつ飲みましょう
なんて約束までしていたりして、
そのこと自体はとてもありがたかったりするのだけど。

飲み直しに行ったバーで、
自分の行動に納得がいかないことで
イヤなふうに八つ当たりしてしまった相手に申し訳ない。
今日はごめんなさいと言いに行こう。

2008/02/01

イイネ。

ジュニアさんのイベントのことを言うならば、これほどまでに
「大好きな人といっしょに行きたい」と思わせるイベントはない。
こないだも、自主的撤退作業中の相手にメールを送ってしまったりした。
あの空気は一体なんなのだ。
具体的に「どうしてそう思うのか」がわからない。
他の現象としては、アルコールなしで
音を聴きながらアガることの楽しさを初めて知った場であり、
また、アガらずともジワ〜ッと音が
染み込むことの楽しさを知った場でもあるワケで。
だから、周年が、トラベラーズや塚本功やASA-CHANG'と
ライブの面々がビックリ豪華だというのもそうだけど、
そのメンツで月曜にやってしまうってのもそうだけど。
聴かせたい音を、聴かせたい相手に、
一番伝わる方法で紹介していると思ったりするのだ。

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聴くごとに解釈の角度が変わる。
いい曲すぎて太刀打ちできず。
酔ってないのに感極まって下を向いてしまった。
つーかやっぱ、酔っていたのだろうか。



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ただの思いつきで、「飲みごろ、飲まれごろ」のデザイン変更。
つーかはよ書けよって感じですな。
店チョイスで悩んでおります。すいません。

よう飲んだ。いつもか。

1階はシェフのいるイタリアン、2階はサロンバー、
3階はテラスとギラギラな様相。
見た目に反して、サーファーじゃないのに
サーファーカメラマンに「サーファーの匂いがする」
と言わせる土臭い、または無骨な匂いを醸し出すオーナー。
ちなみに、ショップのオーナーというのが本業、
世界を飛び回るオーナーの下で、
店長は冷静に「店の経営、大丈夫か?」と悩んでいる。

メインストリートのひとつ裏のほうがおもしろい。
アメリカの子どもは遊ぶ手段をたくさん持ってないから
ストリートでスケボーをやってるけど、そっちのほうがいい。
実家ではお茶を売っているから、どこにいてもお茶を飲む、
ワインの片手にお茶を飲んだりすると言う。
国外にもショップがあるのにねぇ、とちょっと思う。
そういう人、のイメージとはあまりに違いすぎたから。
いや、こういう人のほうが多いのだろうか。
本当は事務所にしようと思っていたバカデカい物件は、
1階だけカフェにして、2階をショールームにしようかと一度悩み、
服にタバコの匂いがつくのはイヤだと向き直って今のカタチになった。
いくつかの思い直し、いくつかの偶然が重なって今に至ると言う。
それらの話をひとつひとつ、音階を確認するように
ゆっくりと紡いでいったという印象だった。
見た目に反して素朴であった。店も、人も。

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お茶するだけの目的で寄ったカフェで、
飲みたいメンツがカウンターに勢揃い。
かっこいいおっさんスカのかっこいい新譜を聴かせてもらい、
日曜のライブの話になり、音楽を取り巻く人の話になり、
私は外側で聞いているばかりだけどアルコールを欲する。
途中でジュニアさんのことを思い出して、
ミーツに出す告知記事の素材をもらいに行くことを思い出す。
そこではシュウくんに遭遇、腰はもちろん重くなる。
ジュニアさんと話したことを整理するためにナマズに行けば、
また、シュウくんに遭遇、腰はまたも重くなり、
取材がかさんでそろそろ夜型な生活に疲れてきたというのに
やっぱり朝までコースとなるのだった。

店の話、人の話、恋について、自分の立ち位置について。
たくさんをたっぷり考えた。
「半端に店を始めたから、酒が美味いとかよりも
そこで楽しんでもらえたかを気にしてしまう。
自分はサービスマンになるべき」
とかいう決意が潔く、その視点でみた先輩の店への尊敬、
その上で、自分が目指すべき目標のありかた、
自分のキャラクターの作り方。
尊敬すべきミナミの人間だと思った。
若いのにご苦労。