2008/12/01

ゴキゲン三昧の週末。

-+-+-+-+-

つぼみは、たくさんの小さな鹿のつんととがったひづめのようだった。
花はーーううん、花は、ただ花のようだった。
葉だって、芽吹けば、きっとただ葉のようだろう。
あんなにも木らしい木を、わたしは見たことがなかった。
救われた思いがした。
あの根、あの幹。
水分が根と幹を通って枝や花や葉に届けられるさまを想像しただけで、
嬉しさでくらくらした。
そして雨が降れば、水は葉に受け止められてふたたび根元に降り注がれる。
なんという知恵。
わたしが呼吸をしていられるのは、あの木のおかげだ。
幹や樹液を護っている樹皮のありがたさ。
表面に刻まれた繊細な溝。
それを指でなぞってみるところをわたしは思った。
それから木の内側のことを思った。
無数に重なった丸い年輪の一つひとつが、
あの木の生きてきた一年ずつ、
一つとして同じもののない四季のうつろいの証なのだと思ったら、
高校生みたいにぼろぼろ泣けてきた。
ベッドの上にあおむけに寝て、わたしは十七歳に戻ったみたいに、
声をあげて泣きながら笑った。
それはもうわたしの知らない別の誰かだった。
とっくに仕事に行っていなくちゃならないこんな時間に
ベッドの上に横になって、枕を抱きしめて、
心なのか魂なのか脳みそなのか肺なのか、
何かわからないもののせいでこんなふうにふわふわハイになって、
その何かは、ぷつんと糸が切れてわたしから離れていって、
木のてっぺんの、手の届かない高い枝にひっかかっていた。

※五月(変愛小説集/アリ・スミス著/岸本佐知子訳/講談社)

-+-+-+-+-

土曜日は案の定しんみどう。
誰かを誘おうかと思っていたら、松っちゃんから呼び出された。
鉄板鍋にチャプチェ、マグロイカフェ、角煮、
それにマッコリはひとり2リットル近くは飲んだ。
サイコーすぎる。
遠くに出て大阪を思い出すときは、
なぜかいつもしんみどうのママの料理。
私にとっての大阪とは、しんみどうのある天下茶屋らしい。
ゴキゲンになりすぎてミューズに単独移動。
ふじも兄ご一行に遭遇、
ゴキゲンすぎて空気を乱してしまいましてすいません。
その後おなじみのナマズでもふにゃふにゃして帰宅。
昨日は奈良さんに誘われて阿波座にてライブ。
ノンちゃんの温度の高い歌声に泣いた直後に
松っちゃんから呼び出しがあってうどんすき@虎ばん。
ミゾさんに、ビギンのヒトシさんも加わってハイテンション。
今日は取材の後、バンバンのライブ@ミューズ。
ちなみに松っちゃんのカノジョ、坂ちゃんと。
タノシミ。
つーか、こんなに楽しんでてええんかしら。
そういえば、まーくんとこの周年も行かねば。
ちなみに明日は朝イチ高松、
あさってはオーディションで東京っす。
あー働きたくない。

0 件のコメント: