2009/11/26

知らない人からうれしい仕事。

営業週間〜とは言え、
私が役に立てそうな相手がごくごく限られていることに驚愕しながら、
電話しまくった次の日、全く知らない人から電話をもらった。
「できたら下着とか、バキバキに機能があるけど雰囲気作らなあかんやつ〜」
と自分の興味をポイポイ言っていたのを聞きつけた人からだ。
まさに下着、しかも誰にも心当たりがなくって〜とのこと。
(どうやってコンペに勝ったんだろう…?)
早速今、打ち合わせに行ってきた。
またもカタログである。

というか、カタログが好きなのだ。

メーカーカタログのような、
一般消費者とは縁のない地味なカタログならば、
持っている商品が一覧になる。
アイコンや罫線、全部が平等に比べられるように作られる。
これは、なんとなく、全校集会の先生みたいな気分で、
商品全部にいいところを見つけて愛を注いでいくのが楽しい。
もちろん、何かで一等賞になったモノとか
新しくできたモノは大きく紹介されるけど、
一覧のラインアップの中に突然現れる「ねぇ見て見て」の気分がいい。
それそのものは、使う人にとっては辞書のような役割となり、
字引きのように必要な商品を、グリッドで選んでいく。

通販カタログみたいに、
一般消費者がガッツリ商品を選ぶカタログならば、
その季節ごとにイチオシしたい商品がデパートみたいに並ぶ。
一階の催事場は「ボディメイク」のイベントでもやりましょか。
二階はセール売り場だね、どんどん安くアピールしましょ。
とか、そんなふうに売り場が決まる。
買ってほしい人によって、売りの口調もポイントも変わる。
私らのような制作側は、
デパートの売り子のような気分になる。

自分の思うことを、本当にそうかと突き詰めるスリリングさは、
そら断然雑誌だろうし、それもそれでドキドキしておもしろいけど、
自分が影武者になれるカタログは、それで楽しい。
企画書仕事も、自分たちにできることは何かを問い詰められておもしろいけど、
やっぱりそれは夢や理想でしかないのが否めない。
だから今回、知らない人の仕事だろうが、
カタログの制作の波にグイッと飲んでくれるのはありがたいこと。
しかも担当の女の人、妙にどっしりとしておもしろい。
心配なのは、「コピーライター」名義で参加して、
ちゃんとできるかどうか、だけど……。

2009/11/25

ガキンチョでいいでしょうか。

凸時代に世話になったサイボーグ営業と
あと、デザイン事務所時代に迷惑をかけたディレクターと先輩とで
飲みに行くことになって飲みに行った。
2軒目に行ったのは、もう、ひどいスナックで、
でもそこは、先輩が信頼するバーのマスターの彼女の店なので、
なんとなくいつも、スゴスゴとついて行ってしまう。
気分が悪くなるのでいつも悪酔いする。
ツライ店だと思う。

私と先輩は、彼女のことを宇宙人と呼んでいる。
なにしろ、昨日も、スパンコールギラギラのマイクロミニ、
でかいチチを見せびらかすピタピタのタートルのニット、
頭にもシルバーのスパンコールが刺さっている。
たぶんそれで、50歳くらい。
妙チクリンなテンションで、腰を突き出して踊っている。
それはタンゴか、社交ダンスか、
そういえば昨日は、チューチュートレインで喜んでいた。
踊りが一段落すると、誰かにケンカを売って絡んでいる。
できるだけ、テーブルから離れてもらって、
踊らせておくのが無難である。

昨日のファッションを、ビジュアル的にキツイな〜と思いながら
ボンヤリとしていたのが運のつきか、
彼女が踊り終えたことに気づかなかったのが迂闊だったか、
宇宙人が酔っ払いの目で私を見定め、
「あんた、痩せたのにその体型?」と絡んできた。
さすがにムッとしたけど、自分をなだめすかして店を後にした深夜2時。
帰って三連の腕輪のひとつがなくなっていることに気づいたけど、
もう戻る気にも、彼女と二人きりで探す気にもなれず、
なんとなく諦めたりした。

私は諦めが早い。
最近余計にそうだ。

--

見た目以上に、興味を持てることは少なく、
だから諦めも早く、謙虚にもなれる。
「意外とオトナだった」とは、先輩の私評。
クライアントのオーダーに的確に答え、
訂正が入っても「はいはいは〜い」と機嫌よく応じる。
プレゼンに行く10分前に「表紙を直して〜」という
ちょっとそれはアナタの趣味でしかないでしょ、
いや、それは昨日のうちにわかってたことちゃうの、
みたいな訂正も快く対応、
とっととやってとっとと解放されよう、の意思しか
そこでは働かない。
目の前で先輩が「その訂正はないやろ」と怒り狂っていても
無視してとにかくさっさとやる。
訂正したヤツで提出するかどうかは勝手に決めればいいし、
そこで先輩と同じように怒るには、私はまだまだ未熟すぎる。

ともかく、意思の働かない仕事、
というのはこんなふうに済んでしまう。
正直、おもしろく、ない。

一方で、訂正が入るごとに「なんでですか」と問い詰め
担当者をタジタジとさせることもある。
それは、仕事をオーダーしてくれる担当者にもよる。
意思がぶつかり合って1時間以上も沈黙を守り、
空気を変えるためにごはんでも…となっても黙る。
「眠いの?」と聞かれても、「イライラしてます」と言う。
決してオトナな対応はできない。

そういうやり取りのできる担当者とは
いい仕事ができる、ような気がする。
で、そういう人は、「作業をしてもらうことを
アナタの仕事だとは思っていないから」と言い、
ケンカになることも時間がかかることも承知で私に考えさせる。
私ひとりで考えるのも、他人が勝手に考えたことに従うのも
結局はどちらもひとりよがりでダイナミックなものにならない。
ビジュアルよりも考え方、
考え方があってのビジュアルでコトバだ、と。
蹴散らされると腹が立ち、しかし絶対に負ける。
上等じゃないか、と思う。
次の仕事はギャフン言わしたる、と思う。
それは、とても、おもしろい。

四国から戻って、古巣のライバル会社からの仕事が増えた。
もともとは先輩に頼むのを目的にきていた担当者なんだけど、
先輩に頼むにはもったいない仕事だったりすると、
「さとみちゃ〜ん、これ、いっしょに考えてもらってもいい?」と
甘えた声を出しながらやってくる。ほとんど毎日。
他の仕事をしていると何とか邪魔して自分の仕事をさせようと戯れる。
うれしいやら、うっとうしいやら、だ。
比べると、古巣からの仕事は、
なんだか上澄みを拭うのみの作業仕事が多く、
こんなことで金もらってええんかいな、と暖簾を押す。
(もちろん親分は違う、ただし、拘束がキツイ)
古巣のライバル会社からのは、そうはいかないことが多い。
(そうでないことも、もちろん)
ビジュアルから考える…つまり、作業から仕事に入ることを
彼ら(というかそこの担当者)はイヤがる。
モノ作りの考え方も、過程も違っている。

どちらがどう、てことではない。
古巣の印刷は確かに技術が高いし、
だから入稿前まで確実にやってほしい、てのも理解できる。
どこに重きを置くか、てだけのことなんだろう。

ま、どちらにしろ、お役に立てるようにがんばります。

2009/11/24

土になる。

幸か不幸か、私は人の死というものを知らない。
葬儀には出たこともないし、
だから身近な人とのお別れというものが
どういうものなのか全く想像できない。
こないだ広島に行き、
じじぃに「もう来年は会えんと思う」と言われたときは
かなり胸がドキドキした。
どうやらネエちゃんの義理の母も
ガンを患って、もう危険らしい。
おかんが見舞いに行ったとき、
「私は好きなように生きさせてもらった。
息子もいいお嫁さんもろうて
もう死んでも悔いはない」と言って笑ったそうで、
また、ドキドキして動作がぎこちなくなったのだった。

子どもの頃、おかんから聞かされる話のほとんどは
そういうことばかりだったように思う。
保険師という仕事に就き、
介護の技術を携えながら老人を訪問し、
「病院行くならここで死ぬる」と言われたり
「もう長くはないんじゃき、苦労して来んでええよ」
とも言われただろう。
そんな人たちにおかんはいつも言葉を失い、
どうしていいのかわからん、と漏らしていた。
たくましくなった今のおかん、
それでも人の死ぬ話をするときはツラそうな顔をする。

ネエちゃんの義理の母の話を聞いたのはこの週末のこと。
新年を迎えられるかというようなレベルでなく、
明日やあさってを迎えられるか、というくらいの
かなり近い未来に予定されているらしい。
昨日ダンナの実家に帰っていたネエちゃん曰く、
意識はしっかりとしていて、
遺影に使うための写真を気にもしているとのこと。
今日も家族全員で集合するらしい。

縁の遠い私にとっては、
「タクマはさっちゃん(私)に一番似てるわ」と
ほがらかに笑っていたあの人が、と思うと
感情の行き場がわからない。
でも、間違っても「長生きしてね」なんて
プレッシャーは与えることがもうできない。

--

昼食後、しばらく好きなように過ごしてくださいと言われ、
隣の男性が大の字になって寝転んでいるのを見て、
真似をしてみることにした。
大丈夫かなと、ちょっとビクビクしながら小枝を拾い土を掻いてみた。
枯葉を除けると、そこには思いがけず
黒々とした豊かで柔らかい土が現れた。
寝転んでみるとふんわりと暖かい。
目を閉じ耳を澄ます。
静かなようでありながら何かの息吹を感じる。
目を開いてみた。
ずーっと、ずーっと上まで枝を延ばしている木々の幹、
幾重にも重なる緑の木の葉、
差し込んでくる陽の光を受けてきらめいているもの、
蔭になりやわらかく目を守ってくれるかのように重なりあっているもの、
そしてその先の高い高いところに青空があった。
美しかった。
木の幹が、緑の葉が、
そしてそこからはるか彼方に見える空が、美しかった。
長い間見つめていた。
静かで平和だった。
下から見ると世界はこんな風に見えるのか……、
土はこうやって宇宙を見ているのだ……と始めて気がついた。
人は死んで土にかえると言うけれど、
それも悪くないな、と思えてきた。
地面から見上げる地球はこんなに美しいのだもの。
土になるとは、木々を支え、育み、
葉を茂らせ、実を結ばせる、
そして時が来ると落葉や倒木を受けとめ包みこみ、
自分の一部へと組み込んでいくこと。
寝転がって土に身を預け、森の空気に包まれていると、
土になることが、とても自然で素敵なこと、
少しも怖がることではない、と納得している自分がいた。
とても暖かく安らかな気分だった。

(土になる/文:丸本郁子/森のハナシ)

--

手前味噌ながら、森林セラピーに参加された
図書館員の丸本さんの感想文を引用しました。
彼女はもう70歳と少し、
夫婦で参加され、ダンナさんのほうがガン患者でした。
少し神経質に痩せた腕と口調とで
最初、ちょっとニガテだと思ったけれど、
わからないことをわかるまでしつこく質問したり
何よりそこで一番若い私に最も興味を注いでくれた人。
最初の名札作りで、朝食で、温泉で、
私の手元を眺め、何かを学び取り、
こちらが巧くなければ助言する、という関係の人だった。
というか、こんなにも明け透けなく、瑞々しく
自分の興味に素直な人を見たことがない。

彼女が最後の日に漏らした感想は、
静かで、生き物的で、少しナミダが出ました。
生きるということも死ぬということも、
当事者であれば、案外にそんな悲しいことでもないのかもしれません。


土、とは、死んだものの積み重ねでできるもの。
それをキレイだと思えることはステキなことだと思う。

2009/11/23

原点に戻る。

四国での仕事を終えて早くも2ヶ月、
岡山の仕事は熟考して断り、定期的な収入がなくなった。
つまり、ついに、名実ともに「どフリー」となったわけである。
先輩やボスが「間違ってないと思う」と言うから納得している。
母親も「そう決めると思っていた」と言っている。
その他の道は、想像の中になかったのだ。
しばらくは先輩が間借りするボスのビルに居候する。
「アナタが成長していくことが楽しみ」と言ってくれる。
看板はまだ何も掲げていない。
自分では、「書くこと」ずばりに限定することを拒んでもいて、
(というか、それが充分満足にできるとは思えない)
だからといって、まだ何かできるワケでもないのだけど。
早く「私の看板」を掲げることができるように。
そうじゃないと、甘えさせてもらっている意味がないのだ。

想いは原点に戻る。
このギョーカイというものに入った入口は、
たかだか「フロムエー」で、「トモダチと休みを合わせたい」という
フニャフニャな動機だったけれど、そこから全ては始まった。
ミーツに拾ってもらって雑誌を作った。
作ることには意思を持つことが必要だと教わった。
親分に拾ってもらって四国でガッツリとカタログを作った。
クライアントの意思を尊重しながら自分の意思を持つことを学んだ。
先輩にくっついてボスのビルに居候させてもらって、
今はまだ「手伝い」くらいしかできていないけど、
自分で仕事を作ること、意思をカタチにする方法を覚えること、
それで、仕事をもっとおもしろがりたい。
いつも、何もよくわからないままに、
環境にできるだけ合わせようとして生きてきた。
目の前にあるヒトやコト、モノに、
無我夢中でぶち当たりながら、自分のできることを模索してきた。
ツラくもあったし、悲しくなることもあった。
デキナイコトを実感して悔しかった。
でも、同じ想いのままで同じ「作る」世界にいる、ということは
自分の中に何か理由があるんだと思っている。

私は何が好きで、何と関わりたいのか。
誰を好きで、誰と関わりたいのか。

こないだ、ボスとお酒を飲みながら、
自分のことをたくさん話した。
主には、「ワタシハナニモデキナイ」ということ。
デキナイと思っているのは、「自分の仕事」にする方法だ。
岡山に行って社員にでもなれば、それなりに役を与えられて
予算を持ってたくさんの仕事を「流す」ことを覚えただろう。
もしかしたら企業間の政治を覚え、
企業が儲かるための仕事を作ることもできたかもしれない。
四国にいたときには「上が握る決断」というものに
しばしばヤキモキさせられたし、
もっと賢くなりたいと願ったこともあった。
それもそれで、ひとつの「意思を持って作る方法」だと思う。
でもそれは、私にとってどんな意味があったのだろう。

悩んで考えた末に、
私は、「決定権を持って作る」ではなく「作ったものを愛おしむ」を選んだ。
ボスの言う「オレたちはコミュニケーションをデザインしている」が
とても意味のあることに思えたから。
作ることの意味、
つまり、コトバや写真やデザインが作る間合いのコミュニケーションを
しっかりと理解して関わることができなければ、
自分にとって何の喜びもないだろう。
もっと人の近くに行って、きちんと理解をし、
好きになって作りたいとも思った。
ここ何年かの間に作ったものには何の愛情も抱けず、
「これを作りました!」と誇らし気に言えなくなり、
背筋が寒くなっていることも理由のひとつかもしれない。
とにかく、流れない覚悟が、ようやくできたところ。
「他人の仕事」でなく「自分の仕事」、
30歳にして遅ればせながら、やっとそう思えた。

いい大人になりたい。
自分なりの生活ができる大人になりたい。
仕事は、そのための手段に過ぎないというのは変わらない。
だけど、いつもその仕事の意味で私は困惑する。
ボスは「アナタには想いがあるから」と言う。
私はそれを信じる。

編集長が「思っていなければ書けない」と言っていた。
ボスは「思っていることが自然と出てしまう」と言う。
編集長は「早く表現の筋力をつけなさい」と言った。
ボスは「想いをカタチにする方法を覚えなさい」と言う。
尊敬するカメラマンとボスを会わせたときに、
二人がコトバ少なくも分かり合っていたことがキョーレツに印象に残る。
「人を会わせてつなぐことを、私は一番楽しいと思えるかも」と言うと、
「“つなぐ”じゃなく“紡ぐ”をアナタの役割にしなさい」とボスが言った。
それが具体的にどういうことなのか、よくはわかっていないけど。

私はどんな大人になるのか。
10年後、20年後の私はどんななのか。
「悩むことができる人がいい」とみんな言う。
それならば、万年悩みの尽きない自分好きの私だから、
我が事ながらちょっと楽しみでワクワクする。

筋力増強のトレーニングに、
これからは、できるだけ毎日書くようにしよう。
「新しい毎日」に反応できる瞬発力のためにも。
というわけで、今週から営業週間です。

--

ボスのところには、最近、編集の仕事が多く舞い込んでくる。
これは、クライアントから指名できた仕事。

http://www.kikumasamune.co.jp/book/
丁寧に作られたいい本です。

2009/11/01

やっと企画書できた。

先輩のところには印刷会社だけでも
大手2社の企画部隊が毎日出入りしてくる。
10月の頭から取り組んできたプレゼンは
そのうちの1社からのもので、
それがようやく終わった。
大手代理店数社が絡むということもあり、
無理ながらもやってみようとした結果、
10月頭にあった1次のプレゼンでは通過し、
このたび、最終のプレゼンに臨むということになった。

そのプレゼンの担当者は、
これまでに見たこともないくらい
しぶとく、しつこく事務所に顔を出しては
私と先輩が向かい合って座っている席に
いっしょに並んで座り、
私たちが他の会社の仕事をしていようと
おかまいなしに途中まで仕上がった企画書を広げて
鉛筆と赤ペンを交互に使いながら
自分のプレゼンのシミュレーションをしていた。
途中、言葉に詰まるとすぐに
「これってやっぱりこうなのかな、ああなのかな」と
質問をしてくる。
答えを返すと
「じゃ、この話の流れはやっぱりおかしいかも」と言って
また企画書を最初のページに戻して悩み始める。
それがほとんど毎日、時間も何もかまわず、
ライバル会社が打ち合わせに来ているときでも
気にせずにそこにいた。
ときには夜中すぎに事務所に来て、
朝方まで付き合わされたこともある。

その一連のことはたいへん迷惑でもあったけれど、
(最後のほうは本当にイライラを隠さずに作ったほどで)
おかげで企画書を満足そうに持っていく顔に
達成感も手応えも大いにあり、だった。
何よりも、こんなにも「自分が相手にできることは何か」
「相手が自分に求めていることは何か」
「そう求めているのはどうしてなのか」
「この商品は何を言いたいものなのか」
などなど、不器用にも必死で向き合う担当者は初めてみた。
先輩曰く「だからなかなか成功例を作れない人だと思うけどね」と、
他人の巻き込み方にはやや問題あり、
いやがる人は多いだろうなあというのが先輩の見解。
まず、作っている場所に来られることを疎ましく思う人も多いので。
逆に、ぽいっと投げられてこちらが返したものを
そのまま使う人もいるけど、それに関しては、
「本当に内容を理解しているのだろうか?」と不安になるし、
そもそもの意思を私が理解できていたかどうかも疑問に思う。
それに比べれば、ストイックに付き合わされるのはまだいいほうか。
できたものは、たぶん、定石の企画書にもなってないんだろう。
一次のプレゼンが通過した理由は
「他の会社とは全然違ってトンガッている」
という評価だったみたいだし。

ちなみに全く同じ案件でコピーだけ提供した会社の企画は一次で落ちた。
よくよく思えば、「できない」ことを最初から排除し、
「考え方」を考えることもなくビジュアル案しか見せなかったことが
そこの会社が通過できなかった原因だと思う。
(うまくいったほうのは、今思えばはじめは「考え方」だけだった。
具体的な案を全く出さないままによく通ったもんだと思う)

企画書が「トンガッていた」かどうかはよくわからない、
というか先輩や私を含む本人らが必死に考えて出した結果で、
むしろ当たり前のことを素直に言っただけのような気さえする。
代理店やそれに付随する広告に関する企画書と言えば、
何やらよくわからない、どこにも響かないフレーズが
話を煙に巻くようにくり返し流されるモノばかりなのを思えば、
(特に今回、代理店にとって充分な金額の仕事でないだけに
その姿勢は想像しやすい)
できるだけ寄り添えるものを、とオリジナルに考えられたものは
「トンガッている」ように見えるのかもしれない。
難しいことを難しく言うよりも、
小難しいウンチクはさておいて
感じてほしいことを感じられるように単純に作ろうとしたのも
そういう評価につながったのかもしれない。

ま、とにかく力一杯作った企画書だ。
実際にそれが採用されてしまうと、
企画書を作る以上にたいへんな仕事が待っているけど、
うまくいったら本当にうれしい。