2011/06/19

効率化について。

徒歩5分(3分くらい?)のごくごく近所にある
スポーツセンターで水泳教室をするというので、
通うことにしました。
6〜9月、週2回でなんと1,500円。
もっと利益を取ってもいいのでは…と恐縮の金額。
しかも参加者のほとんどが小中学生の自由形希望だから、
私のようにユル〜く平泳ぎを延々とやりたい人はいないので、
ほぼマンツーマンで教えてくれている。
教えてくれるのはなんと同級生で、
いっしょだったころには
そんなに運動ができたイメージはなかったんだけど、
さすがにしっかりとトレーニングされていて、
泳ぎにもかなり余裕が。
かなり贅沢です。

そこでは、久しぶりにカラダを動かし、
その動き(泳ぎ)についての効率化を指摘されています。
「効率化」なんて言うとものすごく味気のない響きですが、
最近、この「効率化」が美しいことのように思えてきました。
ここで言いたい「効率化」とは、つまり、目標に向かっての道のりを
最低限の努力で、最低限の時間でできるように作っていくことです。
水泳で指摘されるのは、お腹にもっと力を入れること、
正しい姿勢で水を蹴るということを連続してやること、
これらを改善していくにつれ、少ない力・少ない回数で、
長時間、らくに泳ぐことができるようになりました。
ついでに、見た目の泳ぎ方も美しくなっていくようです。

こないだ、たまたま父が観ていたテレビを覗き見すると、
『ためしてガッテン』をやっていて、
その中で「30回噛むといい」という健康法をやっていました。
ルールとしては、30回より少なくても多くてもいけない。
つまり、30回噛めるだけの量しか口に含まないということになります。
もちろん、素材によって、その量は違ってくる。
「30回噛む」と、私なんかは
食事の時間が3倍くらい長くなってしまいました。
一見、これは効率がよくないようですが、
結果として食べる量が適正になり、
(以前は、食べ終わってからも、
みんなと時間を合わせるために大皿料理によく手をつけていた)
噛んでいる間、ゆっくりと家族の顔を観察できるようになり、
あと、これはよく言われることだけど、
味付けされた(コーティングされた)味だけでなく、
素材そのものの味を否応なく味わうことになりました。
ついでに言うと、噛んでいる間に
自分の姿勢が悪いことにも気がついてしまいました。
たとえば、そんなことです。

最近、そんなことばかりを考えています。
今までの生活では想像もできませんでしたが、
意外とおもしろい発見がいくつもありそうです。

2011/06/05

処世術。



牧野植物園の「ユリとアジサイ展」にて。
うまく撮れたので。

牧野植物園が新しい建物になったのは
きっともう10年以上も前のことなのでしょうが、
子どものとき以来で再訪したのは
高知にこもって仕事をした2〜3年も前のことです。
それまで植物に関心を抱いたことがなかったのですが、
再訪したときにそうとう感動してしまって
以来、高知に帰るたびに訪れ、
または高知に移住してからも度々のぞくようになってしまいました。

ポイントは、「いろんなカタチの植物があるんだなぁ」という
ごくごく当たり前のことに気づいたことです。
つまり、カタチや色の違いは、
長い時間をかけて、生きている環境の中で
生きていきやすいようにできたものなのです。
それこそ、当たり前のことなのですが、
海岸の砂地で生きる植物はそのように、
山で生きる植物はそのように、
日向で生きる植物はそのように、
または生殖をさせやすいようになっている。
突然変異は突然変異なりに。
環境の中で接種しやすい物質なりに。
あ〜、すごい。

姉はずっと前からそのことに気づいていて、
建築を目指した理由も、
植物の構造みたいなのに憧れたからだと言っていた。
たしか福岡伸一さんも、今やっている研究の仕事は
そんなことがきっかけだったと書いていた。
気づいてなかったことが恥ずかしい。

で、姉がどうしても行きたいと言うので、
姉のダンナと子どもを置いて、
今日も牧野植物園へ繰り出しました。
雨の植物園もまたいい。
しずくをはじいたり、しみ込ませたり、
処世術をいろいろと拝見するのもおもしろい。
そしてアジサイ。
これまたたくさんの品種があってステキなのでした。

2011/06/02

跡が遺る。

母が、「うちの庭、もっと自慢したい」と言うので、
手近なところでブログをはじめました。
http://uchi-niwa.blogspot.com/

それに関連して、というか。
育てはじめて5年目に突入したうちの庭は、
たしかに今年、緑が青々と生い茂っている。
1階の庭に面したところにデッキがあるけど、
その目の前に植わっているヤマボウシは、
去年と比べて明らかに葉が大きく青い。
見るごとに、樹が大きくなっているような錯覚すら。
そして、いつの間にか花も咲いていた。
なんでこんなに元気がいいのか、父に問いただすと、
「今年は肥料をあげた」と。
うーむ、効果覿面ですね。


↑これが1年目か2年目ころ。
ちょうどタクマの誕生と同じ頃に家と庭ができました。
緑が少なく、撮りどころが難しい感じ。


↑これは去年。
かなり青々としてきています。


--

田んぼや畑を埋めたてても数年間は土の記憶は消えないとみえる。
団地の隣は、野球グラウンドになっていたが、
いくら抜いても雑草がぐいぐい伸びるらしく、
大海原を行く小舟気分で歩いて行くと、
トビウオのように、シャチのように、
昆虫が次々と弧を描いて飛び出した。
見上げれば、白やブルーの洗濯物が、
団地の灰色を涼しげに包んではためいている。
1965年、できたての団地に入り、
その中に作られた未来派もどきの遊び場に行くと、
自分自身が火星から降ってきたように唐突に感じられた。
道を挟んで向こう側はもう小学校で、
千人の小学生に毎日ばたばた踏まれている青い廊下が
教室と教室の甘いにおいに、
昼になるともう一つ独特のにおいが加わり、
一度も中を覗いたことのない隣の給食センターから
魔法のスープが大量に運ばれてくる。
校庭の垣根の向こうは市役所で、南武線の踏切が見え、
線路の向こう側にある神社や農家や梨園や多摩川が
外国のように遠く感じられた。

※『よむ花椿』2010年12月号
 「自分風土記 298回 東京都国立市富士見台2丁目46番地」
 (文/多和田葉子)

--

最近、歯医者に(ようやく)通い始めました。
とにかく、そこの歯医者は、スタッフも含め、
ニコニコして処置をしながらやんわりと小言を言われる。
主には「なぜこの状態になるまで放っておいたのか」と
「どういうことが原因でこの状態になったのか」の
やんわりとした尋問。
といっても、私は口をあんぐりと開けているので
それを的確に答えることはできない。
心の中にその問答を押しとどめ、
これまで自分が歯にしてきた仕打ちを振り返って
心を痛めるのが関の山か。

飲んだ暮れすぎていた日々から脱却し、
2ヵ月が過ぎると、体質はほぼ変わった。
うちの家での食事が野菜メイン、
そして、お酒は日常的なものじゃない、というのが何より大きい。
あと、生活習慣にリズムがつけられたことも影響しているのか。
単純に、体重が減り、肌ツヤが良くなった。
ガタガタになっていたツメが滑らかになった。
(ツメが体調を表す…とは、事実のよう)
でも、歯は、今までの生活を年輪のように残して消えないので、
それはとてもガッカリというか、反省。
生きてきた過程や環境を表すのは年輪だけじゃないのか。