2008/01/30

取材と誕生日。

久々の取材ウィーク。
おとついはインスパイアで、昨日は小路。
立山さんの弟子続き。

元インスパイア、現小路のフォトジェニックな店は、
立山さんがベタボレして手に入れた物件。
バー立山がまだお初天神にあった時代に
インスパイアのユウジが立山さんのところに弟子入りして、
物件を手に入れてユウジに貸して独立の手助けをした。
バー立山の当時の店を設計したのが
森口さんのトモダチのお兄さん…とかで、
筆文字のデザインをしながら、
ユウジが独立して手伝いがほしくなった立山さんが
「グラス拭きだけでも」と声をかけて手伝うようになったと。
ちゃんとバーに立ち始めたのが3年前。
今のバー立山に店ができてからのこと。
白髪だし、笑うと角さんに似てるし、けっこう年はいっている。
編集部の人は、だから、「遅れてきたルーキー」と呼んでいる。
今、小路のある店舗は、新たに独立した人にまず立たせる場。
ユウジを巣立たせ、森口さんに貸したのは、立山さんの親心だ。
ちなみに今のインスパイアは、立山さんの知り合いが創った。
深くてあったかい空気感、すごくいいなと思う。

取材はミーツの新店ページでの紹介用。
「新店」というにはニュースが欠ける話だということは先に断っておきたい。
ユウジも、新しく自分の店を創ったとはいえ
相変わらずお初天神から離れないし、
森口さんも「遅れてきたルーキー」と言われるくらいだし
内装自体に手を加えていないから新し感は皆無だ。
どちらも「ええ酒飲みたい人は新地にお任せするとして」という
カジュアルなスタンスだけど、
その割に白いシャツ、シャンと伸びた背筋、近づきすぎない距離感は、
旧くからブレずにここにありましたという感じでいい。
ブラブラ散策したい路地の休憩所が2つに増えたことは喜ばしい。
今、小路のある店がユウジの店でなくなることを憂いていたけど
全然悲しいことじゃなかった。
「“遅れてきたルーキー”って書いていいっすか」と森口さんに言うと、
「ロートル過ぎますけど」と笑っていた。
それにしても、昨日はいい取材ができました。
そういえばまた、ユウジの新しい店の電話番号やら住所と、
森口さんの年齢を聞くの忘れてた。
あー、もっかい行こう。へへ。

--

誕生日を祝うからーと誘われて、ケイブに行く。
バンチ、ミナミさん、やよねぇ、ユリさん、
プレゼントやらケーキやらをありがとうございました。
ワイズマン夫妻と、
すいません、名前を聞くのを忘れてしまったのですがライターさん、
ビールをごちそうさまでした。
ユリさんにもらったロングのスカーフ(?)は
モテモテになるためにぜひとも日々つけさせていただきます。

ほいで、本日の誕生日は、えっと、取材でございます。
でも取材後にアイちゃんらが祝ってくれるらしく。へへ。

2008/01/29

昨日のできごと。

取材ウィーク開始。
酒場にて、隣り合った縁やらで取材のアポを取ってしまった
南堀江の新しいバーに、日程の相談に行く。
日程だけ決めて、ちょろちょろと話していたら、
店主のケンさんがおもむろに『バカ画像』という本を出して
「これ、どう思う?」とか言いながらドアホウな写真を
たっぷり見せてくれた。さんざん笑った。
お初天神に移動して、タカさんと合流後、インスパイアに行く。
ディグザットビートをシャングリラでやっていたので
少し急ぎ気味に、「また値段とか聞きにくるわ〜」と言いながら店を出る。
店を出る階段を降りるときに
バランスを取ろうと手を置いたところに
ちょうど手にぴったりの穴があった。
全て手作りのイスにも取っ手がついている。
ところどころ釘が出ていたりして荒削りで無骨だけど、
要所要所で気が利いている。ユウジらしい店だなと改めて思う。
シャングリラに行き、ほんの1時間しかなかったけど
トラベラーズのシビれるライブにシビれまくり、
またもジュニアさんに「ジュニアさんはやっぱすげぇ」と言いまくって出た。
3月にある周年のライブでは超豪華なメンツが揃う。
揃えられるジュニアさんが、すごい。
シャングリラを出て、つばめをのぞく。
つばめから出て、かすうどんをのぞく。
どこでもたいして重要な話はしていないけど、
そこの空気を吸えることがシアワセに思えた夜でした。
あ、昨日は月曜でした。



http://www.questioning.jp/

2008/01/28

週末のウゴウゴ。

木曜日。
メールでしか知らされてなかった、
マコの重大発表をにしやで聞く。
ムニャムニャと考える。
考えて言う。
でも、大事なことだからこそ、
むしろ悩みすぎないことがいいんではないかと思ったりした。
ま、その話はまた別のときに。
路地本の撮影部隊とはち合わせ。
けっこうガッツリ写真に入ってしまっているのでは…。

マコと別れ、インスパイアの移転オープンの祝いと
新店取材のお願いをしにお初天神に移動。
あまりにかっこよすぎる店になっていて戸惑う。
頭の整理をするためにナマズに行くと、
そこはそこで修羅場となっていたので考えるヒマはなかった。
路地本で取材したい店についてぐっさんに相談したけど
あまりいい返事を聞けなかったのでむしろ考え込んだ。

--

金曜日。
新カタログの撮影プランの提案書を送る。
雑誌をやっていたからか、私の選ぶ参考資料の写真はどれも土臭いらしい。
ああ、たしかに。

一度帰宅してナマズに行く。コイバナになる。
サッカーに例えるならば、私は鉄壁のディフェンスらしい。
どうりで攻撃がヘタなワケで…。
ミナミさんと出くわし、ミューズに行く。
ミューズでラムコークを連打、すっかり酔っぱらってしまう。
いいことを喋っていたハズなのに失念。
さらにHBHに移動して、いつもの方々と遭遇する。
ようけ喋っていたハズなのに失念。

--

土曜日。
路地本の打ち合わせの後、保護者への誕生日プレゼントを選ぶ旅へ。
テルミンを選べる私でよかった。
アンクルに行ってプレゼントを渡す。

インスパイア、及びインスパイア跡のバー小路に行く。
インスパイアについては兄さんに意見を聞きたかったので、
無理矢理呼んで来てもらう。
すっかり酔っぱらって(またか!)HBHに移動。
何を喋っていたのか失念。

ひとりになって、路地本の取材の相談をしに
ゴールデンボールに行く。
取材を受けてくれるかどうか懸念していた店の主人が来ていて談笑したけど、
あまりにナイスすぎるタイミングだったので取材の話が切り出せず。
というか飲んでる場で言っていいのかと悩んだ。
主人が帰った後にまーくんに相談すると、
「大丈夫よぉ、なんでさっき言わなかったのよぉ」
と言って主人を呼び戻してくれた。
そこでウニョウニョと取材のお願いをすると意外にあっさりOK。
飲んでるから〜と気を遣ったのが良かったらしい。
それに、店への考え方も少し真面目に喋ったりできてよかった。
しかし撃沈してしばしソファでぐったり眠って帰宅。

--

日曜日。
母来る。
西宮市と人事交流をしているらしく、その懇親会らしい。
誕生日だからと服をいろいろ買ってもらって、
ごはんを食べてホテルまで送る。
たくさん話ができてよかった。
その話はまた別で。

置き去りにしていたフリーペーパーを取りにアンクルに行く。
アンクル女子の恋愛相談を聞きながら、
もっともらしいことをもっともらしく答えた。
ふら〜っと帰宅。
そして就寝。

2008/01/26

テルミンを贈れる私でよかった。



酔っ払った勢いとは言え、
去年、タニモト氏から誕生日に自転車をもらったにも関わらず
何も返せぬまま、1年になろうとしている。
気になったので、数カ月遅れだけどプレゼントを買いに街に出た。
何かかっこいい照明器具か
薄くてかっこいいグラスを贈ろうと探したけど
予算と気分に合うモノが見つからず、
諦めかけたながら見つけた逸品。
『大人の科学』のふろくで、組み立て式のテルミン。
タニモト氏大喜び。
早速組み立て、早速演奏。
営業時間中にも関わらず。
てか、自分のためにテルミン買うわ〜。


2008/01/24

コミュニケーションの在り方=広告の作り方。(長いっす)

広告セミナーに行った。
いやーだいぶおもしろかった。

私の知る人たちが特殊なワケでなく、
最近みなさん、テレビをおもしろいと思っていない。
つまりテレビCMというのはここんとこ効果激減。
私が知っているデータでも、
・広告費は世界的に増加している
・テレビへの広告投資は少なくなっている
・YouTubeに広告営業部門が設置される
・セカンドライフに広告代理店が進出
と、広告への投資は、目に見える部分においてでも
ネットに流れているというワケで。
おっちゃん曰く、
これまでならば、予算の半分以上をテレビCMに、
その半分からいくらかを新聞、雑誌広告に、
残った分でキャンペーンでも打とうか、
車内広告でも打とうか、みたいなノリで、
広告費用の使い方っていうのはほぼ決まっていた。
ま、消費者と新しい情報との接点が限定されていたし、
中でもテレビっていうのは絶大な影響力があったからだ。
で、使用者が全員発信者となれるウェブというのができて、
今のほとんどの情報は「as time as you like」的に
好きなように検索したり、誰かとつながっていたりで得られる。
じゃ、単純に広告はウェブに流れていくのかい、というとそうではない。
ここで最新の(ADKなりに)広告の展開理論が説明されて、
それもそうとうおもしろかったけど
グラフとか計算とか出てくるのではしょるとしよう。
言いたい話は結論として最後に。

ケーススタディとしていくつかの事例が紹介される。
例えばIKEAの場合。
たしか2006年だったと思うけど、
家具の大型ショップIKEAが日本に初進出した際、
莫大な広告費用を持っているにも関わらず、
メディアでの露出にお金を遣わなかった。
広告をする範囲も、ショップから15km圏内と限定する。
圏内にある道路や公園にバラック的な簡易のショールームを作り、
マンションジャックと称して、
あるマンションと交渉して、全室のベランダから
「IKEA」のロゴとイメージカラーのシーツで覆われた布団を干したり、
駅の階段昇降部に、メッセージのあるポスターを貼ったり、
あるいはバスをラッピングしたり、などなど。
IKEAは家具のショップであり、家具は生活を美しくするものであり、
もしかしたら生活の中で、家族のあり方も変えられるのかも、
みたいなコンセプトの中で作られた広告なので
大々的にメディア戦略を使わず、生活圏内での宣伝活動に特化した。
たとえばマンションジャックなどは
ニュースとしてメディアに流れたけど、ここに金は出していない。
戦略の中にウェブの話もなかった。
でも結果としても、オープン初日で35,000人の集客などなど、
相当な効果を出した広告。ちなみにカンヌでメディアライオン賞を獲得。
情報との接点、その接点のイメージを巧く使った広告だと思う。
てか、すげー。トリハダ立った。

maxelの場合。
廃校前の小学校を追ったドキュメンタリーなCMはかなり話題にもなったけど。
これはもともとは、マクセルのDVDを使ってタイムカプセルを作りましょう
というキャンペーンから始まっていた。
もちろんマクセルのDVD自体は
「永く保存できる」というのをタイムカプセルに見立てて
「10年後の私はモデルになってますか」とか
「僕はお父さんみたいにがんばって働いてますか」とか
小学生の夢を、感動的なタッチで映しているテレビCMをやっていたけど、
たしかこれ、「タイムカプセル」っていうキーワードが出るのは、
最初はウェブでのキャンペーン告知のみ。
当選者にはタイムカプセルキットをあげますとかいう。
そこに廃校になる小学校の担任の先生からの応募があって、
制作側が勝手にその小学校を追ってドキュメントを作ってしまったという広告。
こちらもDVDメディアとして
日本ナンバーワンの売り上げを取ったという効果。
「作ってしまった」「追ってしまった」だから
もともとはテレビCMに戦略なんかなかったのかもしれない。
だけど、想いを残すメディアとしてのDVDという位置づけを作ったし、
結果としてそういう企業イメージをつけてしまった。
ちなみにこれもカンヌで賞取ってます。
てか、すげー。つーか、セミナーで普通に感動して泣いてしまった。

別の事例としてスリムウォークが出る。
これも一応テレビCMは打っている。
タレントも最近は観月ありさに格上げ。
だけどインナーとして着ているものを見せてええんかってなとこで
テレビのほうでの予算は切り詰められていて、
その他にキャンペーンとして試着したままファッションショーを見るとか、
カフェをジャックして試着しながらお茶できるとか、
カリスマブロガーを囲い込んで口コミで書いてもらうなどなど、
結局は使ってもらわなければ効果はわからないというので戦略が決まったと。
こちらの効果については、現在進行形のため不明だけど、
いやしかし、消費者へのプレゼン方法は多種多様ですなと。

つまり。
情報に触れるポイントで、なおかつ購買行動につながるモノは、
テレビCMや番組内、新聞、雑誌もそうだし、
何気なく目にするだけかもしれないポスターや車内吊り広告、
キャンペーンやウェブ、ウェブでも口コミ、ブログ、
フリーペーパーなどの他者から機会を与えられるものだったり、
実際に生活している中で友人に聞く話かもしれないし、
購入前に自分で仕入れたパンフレットやカタログもあるだろうし、
直前に店で店員から言われることかもしれない。
たとえばシャンプーみたいにサイクルの早い日常品だと
日常で触れている情報量と情報のイメージが肝だったり、
  だいぶ騒がれ済みですが、
  資生堂TSUBAKIの大ヒットもすさまじい戦略でございました。
  タレント囲い込みで全ターゲットを押さえてる辺り、節操なくも圧巻。
  広告でドバ〜〜ンと数億、全てあっけなく回収済みと。
  ついでにあの広告でシャンプー部門国内シェア4位から1位へ。
  ちなみにこれもADK。すごすぎる。
パソコンでも利用上級者と初級者では情報の得方が違うし、
マックユーザーは店頭でほとんど迷わないけど
ウィンドウズユーザーは店頭でのやり取りでもまだ迷うみたいな。
とにかく、その商品が伝えたいものや伝えたい相手、
商品によっては使用頻度なんかを想定して
ブランディングメイクをしていかなきゃ、て話だったのでした。

別の角度から言えば。
もう、クリエイティブがクリエイティブだけをやる時代は終わった、
クライアントからの案件を、どういうコミュニケーションの手段で
誰にどういうメッセージで伝えるのが最も伝わるのかを
プランニングしなきゃいけない、
てな話で、かーなーりワクワクしました。
てか、それできるようになりたいっす。

で、実際に自分のクライアントについて考えて、
もっとやれることはあるし、そしたら私ももっとおもしろくなると確信。
その話はまた改めて。
つーか、ADK、軍隊みたいにお堅いイメージだったのが全然違ってました。



メモ。
http://portfolio.barbariangroup.com/portfoliojobs/107/index.html

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久々の取材案件もろもろ、
誕生日週間(強調)の来週頭から動くことになりまして、
久しぶりにタカさんに電話をしてみる。
そういえば噂では子どもが産まれたとかで、
その話を振ると「そういえば写メ送ってなかったですねぇ〜〜」となり、
電話を切って数分後、半ば強制的にメールが送られてきた。
タカさんとそっくり(!)で、でも、意外とかわいい(すいません)。
いや、えがったなぁと返信したら、
「話は変わるんですけど、念願かなってエレカシの撮影できます」とあり、
そして聞いてもないのに(いや、聞く必要は全くないのに)
ご丁寧に撮影の日まで教えてくれた。
よっぽどうれしいのね〜、うれしいことが重なっていいね〜。

--

新しいカタログの撮影プラン、CGプランを詰めていくのに資料を漁る。
モダン建築と言われて久しいけど、どの雑誌を見てもモダン建築ばかり。
和室でもナチュラルテイストでも、カントリー調でも
ヨーロピアンだろうが、アジアンだろうが、子ども部屋だろうが、
大人の部屋だろうが、寝室も物置もキッチンも、
なんでもかんでもモダン、てかスッキリした色調のみ。
モダンというカテゴリの中から分類していったほうがいいくらい。
そこに需要が圧倒的に多いというか、すでにそれがスタンダードかと。
多くのターゲットに万遍なくハマるようにと
トラディショナルな部屋も考えなきゃいけないと思っていたけど、
その必要はなさそう。
だいたい、商品の色も黒と白とビーチ色のみだし。

--

改めて、の話。

ウチのビッグクライアントの商品は、
悪く言えば、ハウスメーカーなんかで標準的に扱われる廉価品。
デザイナーズなんちゃらとか言われるような建物には、
床部材以外で使われることなんてほとんどないんじゃないだろうか。
だけど良く言えば、スタンダードな商品で、
安い割に品はきっちりしていると言える。
そうじゃなかったらハウスメーカーで使われない。
トッパン時代に一番よくここのクライアントに出入りしていた私は、
その会社の工場、事業部、宣伝部、開発部などの人たちの
人のよさすぎぶりも熟知しているので、
ウチの会社で作っているようなグレードを高く見せる広告は違うよなーと。
ついでに、ボコボコと手当たり次第に
宣伝費を使ってしまうようなやり方も違うよなーと。

クライアントの人たちは自分の会社も、自社製品も
あんまり好きじゃないような感じでいつも言っているけど、
私はそんなに悪く思えないから、いや、なんとかせねばといつも思う。
思いながらも、政治的要素もガッツリと絡んで
ビクビクと臆病にも意見を言わずにいたけど、
ちょっと本腰を入れてどげんかしたい。
ほんで、いい製品を、身の丈に合った物言いで紹介したい。

カタログでも写真が重要なのはよくわかっているので、
まずは新カタログのそこんとこでなんとか食い下がれるように。
奮闘します。

2008/01/23

ぐったり。

今週は金曜日まで飲まないと固く決意。
いや、「飲まない」でなく飲めないのだ。
そして食えない。

問題は、金がないんである。
年末年始のお付き合い(ホンマに“付き合い”か?)と
高知への帰省とその土産などで散財してしまったため、
(実家にいれば金を遣わないと踏んだのがミスだった。結局食材も買っていた)
さらに残ったわずかばかりの金も松本さんとの飲みに遣ったために、
わずか1,000円足らずで給料日までの1週間を過ごすという
まさにスパルタな1週間となってしまった。
タバコ代優先で、食べ物はその次。
困ったのが米が底を尽きていることで、
一日一食、しかもリンゴや高知名産の文旦に具なしみそ汁と、
ビタミンたっぷり、いや、粗食すぎる粗食。
おかげで月・火たったの2日で2キロ減と。
痩せるつもりがないのに痩せることの切なさをひしひしと感じている。

救いは、接待や店ロケハンなどの、確実に金を要する業務がないことか。
いや、毎夜本を読みながら、遅くても10時にはウトウトと眠りに就いているので、
平穏な奇跡の1週間と思うことにしよう。
ボクサーになったと思えば、1週間くらい「へ」である。
今日を入れてもあと2日の我慢だし。
そして、世の痩せたい人に告ぐ。
痩せたいならば、食うな。

そんな中、昨晩入ってきた電話数件。
路地の本のネタ出し依頼と新店取材依頼。
店の話は今、聞くだけでもツラい。
お腹の虫をなだめながらひとつずつ整理する。
そしてぐっすりと安眠の中、ふと気づいたひとつのメール。
かすうどんコケシから以下の画像が送られていた。


意味不明かつファンキー。
ほいで、ここ、どこ?
今後の私を占うかのようで、
メールを見てまた、ぐったりと寝込んだのだった。
金曜日はスパークします。
そして来週は誕生日週間!
つーか、そろそろ29歳というのにこの生活、真剣に反省します。

2008/01/22

脱出なるか?

ウチの大型取引先メーカーの新シリーズ商品ができるので、
全くの新規カタログ制作に関わることになった。

建材関係のメーカーカタログでは既存商品の場合、
画像の使い回しをすることがほとんど。
だから撮影に立ち合えることはあまりない。
クライアントの商材を使って建物をセットしなければならず、
ディレクターやカメラマンの他に、
設計士、インテリアコーディネーター、
スタイリスト、ラフのためのCGデザイナー、
搬入屋、大工、小道具、大掛かりな撮影になるため、
印刷会社からフォトディレクターが入ることもある。
それでも、新商品はたいがいカタログ完成と同時期に完成するので、
細部には画像修正が入れられることが多い。
莫大な費用がかかる。

めったにない機会なので楽しみ。
カタログの企画段階から加われるのもラッキーな感じ。
いや、なにより、ヒマヒマな日々から脱出できそうでうれしい。

2008/01/21

雑ですがメモ。

金曜日。

新店ネタの締切りに合わせて、周囲の店好きにもリサーチ。
その話の流れで、ミナミさんに南堀江のバーに連れてってもらう。
しっとりといいオトナの店。
新店ネタとしてソッコーでメールを送ると、
「あ、そこ、こないだT下さんが取材してます」とのこと。
がっかり、いや、T下さんと同じ店を推したってのが微妙にうれしい。
しばらくすると、建築事務所秘書やら新聞記者やら、
雑誌でよく見る方々が集まってくる。
ミナミさんは「世話になった人ら」と言っていたけど、
私は世話になったことはなく、関わったこともなく、
どちらかというと肌が合わないので2杯目を飲んでそそくさと出る。

前にタニモト氏と飲んでいるときに
偶然にミナミさんに出くわしたことがある。
ふたりともそう言えば、ちょっとシュッとしているものの、
フニャフニャとしてハッキリしない。
その辺りに突っ込みどころが多く、
「二人は似てるなぁ〜〜」とヘラヘラと笑っていた。
その縁を深めてあげようと、アンクルに連れていく。
アンクルにはニガテとする常連ギャルがおり、
1杯飲んでそそくさと退散、そして解散する。

後味の悪い飲み終え方だったので、口直しにHBHに行くとする。
珍しく貸し切り状態、なぜかバスケの話にアツくなる。
松田さん、どの引き出しを引いてもハナシが出てくるのがすごい。
今月末にサンスイでライブをやるとのこと。
ピンエレにちょろっと立ち寄る。
こちらも2月10日前後にライブをやるとのこと。
前回、そうとう好評だったらしく、できれば行きたい。



土曜日。

トッパンで打ち合わせをした後、
タマヤマノリコとアバニコでお茶をする。
にわかにキャピキャピする。

マツモトさんと焼豚センターに行く。
立ち呑みのせいか酒が回るのが早い。
すぐにゴキゲンになり店を出る。
何を食べたか記憶にないけど満腹。
ひとり2,500円。安。
ビーチサンダルに流れる。
はじめにマイヤーズコークを飲んだ後、
作ってみたらたまたまできたという果実焼酎が数種あり、
その中でコーヒー焼酎を2杯飲む。
そういえば昔、カレシに保険証を盗まれたという話になった。
自虐ネタはいつでも盛り上がる。

そのままカルメンに行きビールとマッコリ。
しょうが天と麩を食べる。
ニコに流れたのが12時ごろと思われるが、
その頃はすでにヘロヘロになっていた。
マツモトさんらと解散した後、
すーさんに連れられるがままヴィッシュの周年。
ヴィッシュ周りの方々と遭遇し、テキトーに喋って店を出る。

帰宅、そのまま就寝。
よう飲んだ。



休みの間に、いろいろいろいろと考えてみた。
とりあえずもう少し、自分にフィットするように、
カラダをモゾモゾと動かしてみますー。

メモ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20070906/134216/

2008/01/18

世の中はスタンプラリー。

超大作ドキュメンタリー映画を観て涙々の感動の帰り、
エレベーターで、「もっといい映画を選べへんかったん?」
と旦那と思しきオトコに不満を洩らすココロない年配婦女子。
シット、ダマレ、と言いたいその一方で、
ま、わからんでもないとクールに思う。
表現法、ビジュアル、リズム、コトバを
全てアドバタイジングと捉えるのであれば。

とある飲みの場において、とあるフリーペーパーについて、
「ファッションとして地雷を載せるのはどうかと思う」
ととある女子が発言したことについて、
いや、実はそのほうが効果が得られるのではないかと、今さらに意見。
今、世界は、良識や信仰よりも広告、
つまりキャッチーであることがイノチと。
かっこよくなければ、美しくなければ、おもしろくなければ、
そして何より、露出が多くなければ、何を申したところで届かない。
ネットを開けばことさらに「炎上」「炎上」とハヤしたてる文字、
駄作と想像されるラブストーリーの映画も
レビューでネット炎上、それをさらにニュースが伝えることで
広告として効果があがる。
こき下ろした評価が多くなるごと、
どれだけおもしろくないのかを確認するために
映画館に向かう人、書籍を買う人は多くなるだろう。
見え透いたあざとさは恐ろしく安易な行動を喚起するが、
その全てを軽視すべきでもない。
良いか悪いか、許すか許さないかは別として、
今、モノゴトを伝える最も効果的な手段のひとつには違いないのだ。
いや、そこに「伝えているモノゴト」が
内包されているかどうかもすでに別の話になるのか。

途中で席を立つ人、エンドロールが始まると同時に席を立つ人、
とにかく、最後まで観客を惹き付けることができなかったのは確かだ。
彼らはおそらく遊園地的快楽を求めて来たのだろうが、
その消費者としての行動動機を責めることはできない。
「ファッションとして地雷を載せるのはどうか」とは、
「ファッションとしてドキュメンタリーを作れなかったのはどうか」
をむしろ考えさせられる。
同じ彼女が、自らのライブをトーキョーでやった感想として言っていた
「スタンプラリーみたいに、来ることだけが目的の人が多くてイヤや」
は消費者行動を助長するものとしての「広告」の根本を覆し、
ウェブ、ケータイ以降から、最も効果的とされている
「つながっている感覚」戦略を真っ向から否定している。
それには激しく同感する。

それとは別の話として、映画はすばらしいものだった。
最後のホッキョクグマ餓死のシーンではウッとなったが
その後の「さまざまな生物の生きる場がなくなっている」
のナレーションは蛇足であった。
コトバはときに不要である。

2008/01/17

まだ眠い。

ショーもないタレントの馴れ合いばかりのハコの中で、
このところ贔屓にしている番組「あらびき団」。
水曜深夜の放送なので、楽しみにして待ちつつウトウト。
気づけば朝だった。

異常に低気圧な朝である。
電話をかけてきたデザイナーさんが
グチグチと悪口を言っているだけでも腹が立つ。
「そんなんグチグチ言うてもしゃーないやん」
「なんで私に言うのよ。聞いてもしゃーないやん」
などと怒りをぶつけ、そして激しく後悔。
普段ならば聞き流すことも可能なのだが。
トッパンから連絡があり、段取りの悪い指示をもらう。
いつもであればコジャレた無駄口のひとつも言う
陽気なニシムラであるが、本日はなぜか吹き荒れる嵐。
「はあ、はあ。わかりました」と愛想のない声で返事する。
機嫌の悪さを見抜かれたか、取り繕われるがビクともせず。
不測の悪天候、一刻も早い天気の回復を願う。
気象予報士によれば、昼すぎには徐々に晴れ間が見えるらしい。


ナベアツ、ラブ。

2008/01/16

ギリギリ遅刻はしませんでした。

ケイブにて高知祭。
持参したもの、
高知県民は意外と食べたことのない鰹の燻製(柚子味、生姜味、各1)、
実は鰹よりも高知自慢の文旦4個。
高知市出身のやよねぇが持参したのは、
追手前の日曜市で購入したと思われる黒砂糖餅、芋餅、
それになぜか、やよねぇ特製の餃子、やっぱり文旦1個。

マイキーのカスタマイズによる食べ方、
餅とチーズ鱈の交互食べにより、敬遠しがちだったちょいアマ餅を克服。
よみきむ兄の連れてきた新キャラ・ウッキーの悪ノリで
残った餅のカスタマイズ合戦が始まる。
タックメイトで塩煎餅を買ってきて餅を挟んで食べたり、
餅にマヨネーズを塗ってみたりする。
最近ハヤっている駄菓子「ふんわりきなこ」といっしょに食べれば
マイキー曰く「きなこもちや〜」で、
やよねぇに横で提案され
チーズ煎餅にダブルマックのように挟んで食べれば
チーズがモチモチしてクセになり、
いやしかし、その頃になるとほんのり自然な甘さは原型をとどめず
「これ、普通の餅でもええんちゃうの〜?」だし、
きなこもちに至っては「きなこまぶして食べたらええんちゃうの〜?」だった。
やっぱり餅を食べるなら醤油か味つけ海苔がいいという結論。

「アンタ、まだ飲めるやろ」とマイキーに促され、
さらに「ナマズ、もっかい行きたい」と言うので、
火曜ケイブのミナミ&バンチも誘ってナマズへ移動。
新年会ですっぽんの血を吸ったアイちゃんも合流し、
最終、気づけばマイキー、アイちゃん、私の、ああ、またこのトリオ。
来週の火曜には大阪にいないかもしれないマイキーは、
大阪での最後の活動として
ジグザグのレコーディングができたことに感無量といった感じで、
それで、しきりにアイちゃんに
「いっしょにトーキョーに行こう」と説いていた。
ジグザグな2人がトーキョーについて語り始め、
そこにはいろんな想いを抱かずにいられなかったけど
なんとなく黙して、なんとなく水で締めるとする。

ケイブに行く前に、マコと交換していたメールも含め、
昨日は考えることがたくさんあったので、
また整理できたら書きます。
とりあえず思ったことをひとつ。
大阪の話、つまり現在進行形の話は書きにくい。
ほいで、今は、岸本佐知子のワケのわからんエッセーが気分。

2008/01/15

できごと。

マコとタンさんに連れられ、メトロ。
イノウエカオルにシンキチ、ソフトのライブ、
VJはベータランドと超豪華。
タンさんは2階のエトワ最終にプレイ。
パイプ69でとは違う抑えた選曲。

最近京都がおもしろいと思ってきた。
メトロがアングラに開放された感じがするけど、
マメヅカさんは前から京都をメインでやってたけど、
ベータランドとかやってなかったような。
ヤマツカアイとかもやってなかったような。
単に知らんかっただけなんか。
いやしかし、タンさんも
「最近京都がおもしろい」と言うていた。
激しく同感。
サンチャンほど沈みすぎず、
鶴の間ほど入りにくいワケでもなく、
マカオほどグルグルするワケでもなく、
というイベントが個人的にはキチッとくる。

シンキチくんのプレイ後一旦照明が足されて
イベントの終わりを見せるも、
幾度もくるアンコールに、イノウエカオルも再度参戦。
最後はシンキチくんの
「もう一回て、もう一回で終わってへんやん。笑」でピースに終了。
タンさんのクルマに今度は
オトコマエDJイノウエカオルを京都ホテルに送って、ひたすら爆睡。
帰宅は朝9時過ぎ、昨日は丸一日を睡眠につぶす。
しかしこの、どアウェーにも関わらず
アウェーになりきらないメトロの空気、いい感じ。

--

凸時代から仲良くしているデザイナーさんとこに、
レイアウトデータと画像の入ったメディアを持ってお使い。
北浜から福島へ、てくてくてくてく。

北浜からまっすぐ西へ、御堂筋を越え、エルマガのほうへ。
タニモト氏とみやもっちゃんが憧れる、
カーディガン羽織って財布を持ったOLさんの集団ランチとすれちがう。
パタパタパタパタ、音はなくともそんなイメージ。なんでか。
見たことある人が前から来る。
よく見たら月イチナマズの、本業テーラー、ヒロ。
お決まりの「なんでここに…」後、話は続かず気まずくバイナラ。
てくてくてくてく。
信号越えて、四ツ橋越えて、道は続く、福島まで。

四ツ橋越えてもまだまだ歩く。
短い商店街を抜け、ツウぶったナナメの道、
土佐堀に出てもてくてく歩く。
海鮮丼と明石焼の店の前では弁当を売るキミドリの声、
明らかにそこの店の人じゃない、グラサンにマスクの怪しい年配。
弁当屋に群がるは、WWDが地下鉄売店にある
我が北浜とは毛色の違うOLさん、ガテン混じりで
ナイロン袋を腕にかけ、ついでに橋も越える。

橋を越え、カンデン病院の北西、
引っ越したばかりの事務所はマンション10階。
部屋の前で地上をのぞきながら待っていた。
温厚な元ヤンキー、Kappaのジャージ上下、
ココロの中で呼んでみる。「海坊主」。
そこはフレンチブルと年上の奥さんと暮らす愛の巣。
水を飲んで、Wiiに明け暮れ、フレンチブルと戯れ、ハッと気づけば夕暮れ前。
そろそろ帰れの顔をされ、すごすごと逃れる昼の3時。

2008/01/13

泣けるキーワード。

おそろしく酔っ払いすぎまして、
昨日は結局身動きひとつできず、ニコルソンズ@中津も断念。
そんな日もあるさ〜と。
とりあえずラクオンパラダイスはむちゃくちゃおもしろくって、
そのテンションを引きずっての飲みも何か意味不明に愉快だったイメージが。

最後はニヘラニヘラとしているカメラマンに誘導されてヘッドクオーター。
そんときの話題の影響で、こないだ梅の湯でタニモト氏と話した
「地球が滅びる日がわかったらどうする?」という
途方もなく現実味もないお題を思い出した。
たとえばみやもっちゃんが推す『トゥモローワールド』では
映像の端々に、次のイノチの尊さがエグいくらいに描かれていたりする。
地球上で何年かぶりに生まれた新生児が、
戦場の中、爆撃が所々で起きる中であげた泣き声に、
市民が逃げ惑いながらも反応して、救いを求めるようにか、
何か希望を見出したかのうように赤子に手を伸ばす場面や、
赤子を見るとその瞬間に撃つのをやめて祈る戦士やらが、
返り血を浴びたカメラのままに映されるシーン。
ラスト、撃たれた主人公が死ぬ間際に、
しゃっくりの止まらない赤子の母親に向かって
「お尻を叩いてあげるといい」と笑うシーン。
正確には、梅の湯で話しているときにこれを思い出したワケじゃないけど、
私なら、今なら、タクマを救いに行くかな〜とボンヤリ浮かんだのは、
たぶんそういうことなのだなと、今思った。
何かに挫折をしたり、誰かを好きになったり、希望をもったり、
みたいな普段私らがやっていることをできないままにってのは悲しすぎて、
タニモト氏にその質問をされたときも
すぐには想像も及ばずに実はちょっと泣きそうになった。
ただ、こういうのは恥ずかしすぎるので
口に出しては言いたくないし、グローバルに、
誰にでもかんでもそういう感情を抱くってワケでもないです。
一応言うと、こないだからドラマでやってる
「斉藤さん」みたいな感じではありません、悪しからず。
というか、酔ってると感情的になりすぎてしまうので、
できれば、飲んでるときにはナンパな話がしたいもんですな。

ま、このような感じで、最近の私はとてもよく泣く。
『4分間のピアニスト』も、子どもが絡んでいたからよけいに泣いて、
ニコニコ動画の「泣けるCM」も、まだ見ぬ孫にメールを送る
死に際の婆ちゃんの話に泣いたりして。
あろうことか、さきほどの「ビフォーアフター」でもウルッときてしまった。
ぐっとくるキーワードは「家族」「子ども」あたりか。
って、私自身には無関係、地雷。

2008/01/11

バッジの謎。

夜中、へんなメールが届いた。
「バッジ渡すの明日やんね? ×時×分、○○○前でいける?」
寝ぼけながらそのメールを眺めてしばらく悩み、
身に覚えがないと決め込んで、また眠った。
起きて、不穏に思って返信を出す。
やんわりと「私じゃない誰かに送らなければいけなかったのでは」
という空気を醸してみる。
彼からの返事にはそのバッジを撮った写真がついてきていて、
「サトチン、忘れてしまったの? あのときあんなにほしいって言ったのに」
「それに、その日じゃないとダメだって言ってたのに」
という悲しげなもんだったので、私は記憶の旅へと出たのだった。
酔っ払っていても、たいがいのことは覚えているつもりだった。
この一年近く、彼とは会っていないし、連絡もとってないし、
はたまたこのバッジも見たことがない。
さらに彼から「サトチン」と呼ばれたことはないはずだ。
あれれ。あれれ。あれれ。
別の可能性を考えてみる。
思っている「彼」ではないのかもしれない。
それじゃ一体キミは誰なのかい。
年末年始感を醸しつつ、やんわりと、
「こないだって、いつ会ったっけ?」と送ってみる。
すぐに「会ってないよ。メールをやりとりしたやん」と返信。
履歴を辿る。
そんなメールはない。
でも、彼は嘘を言う人ではなく、
むしろバカ正直者であることはなんとなくわかっている。
これ以上この問答をすると傷つくのではという恐れもある。
酔っ払って忘れてしまったのかもと言い訳絡みで断ろうとすると
「正月だから仕方ないよ」と慰め込みの返事がきた。
さらに謎は深まるが、う〜んう〜ん、と悩んで、悩んだ末に、
喜んで(いるふりをして)バッジを引き取ることにした。
そのバッジを喜びそうなみっちゃんの店は来月周年なので、
ついでにプレゼントにしようと思ったのだった。

はて。
その、みっちゃんの店で、そのバッジ、見なかったっけ?
むーん。ま、しゃーない。

2008/01/10

バスコロ復活願。

昨日のこと。
パソコン回りのシステムをいつも整えてくれるシステム会社の営業マンが来て、
昨年秋に開発された校正ソフトの説明をするから見てほしいというので。
打ち合わせブースに入って、ソフトのデモを見る。
文字の違い、フォントの違い、アイテムの位置の違い、
貼付けた画像の、微妙な角度や倍率の違いなどまで、
どう違っているのか具体的に示してくれた。
しかもページの入れ替えにも対応してくれる。
照合の際にカンプをパタパタと確認するのも可能。
それも20ページまで一気に、そして正確。
印刷会社や制作会社は喜んで飛びつくだろうと思われる。

ほっほぉ〜と感心しながら見ていると、
横で、ウムウムと、私よりも感心しきって見ているクライアントの姿があった。
そのクライアント、以前にも「トッパンさんが見てくれているから〜」と
カンプ校正が「形式」となってしまい、誰もそれを確認せず、
結局、一番最初の原稿の段階で間違っていた、という恐ろしいことがよくあった。
クライアントがそのソフトに頼りすぎて、
人間がきちんと校正をしなくなるんではと急に不安になった。

ちなみに、価格は導入に1,300,000円、
スペックのより大きなマシンも改めて必要になり、
それで少なく見積もって200,000円、合計で1,500,000円。
その後、バージョンアップやメンテの契約に1カ月10,000円(年契約が基本)と。
導入よりもメンテなどの契約金が気になる。
1カ月10,000円×20社として、年間で2,400,000円。
何もしなくても(いや、もちろんちゃんとやってくれるのだが)入るというワケで、
うまいことやりよんな〜と、社長と顔を見合わせた。

--

世界仰天ニュース3時間スペシャル

休憩

きになるオセロ

あらびき団

タモリ倶楽部

水曜深夜、好きです。
願わくば、タモリ倶楽部後のバスコロ復活。

2008/01/09

ヘラヘラ初め。

梅さんとの待ち合わせに遅れそうになって、
家からNGKまで自転車をトバす。
南海電車の高架を走っていると、
十日戎の出店の準備が着々と進んでいた。
暖簾や提灯には「大衆食堂」やら「おでん」やらの文字、
ビニールの仕切りのすき間から見れば
たくさんの簡易テーブルに簡易イス。
家族が大阪にいれば、間違いなく喜び勇んで来るのだろう。
ひとりで行く気にはなかなかなれないのだけれど。

梅さんから教えてもらった新しい店は、
天下茶屋や北加賀屋の有名店、たゆたゆからの3号店で、
豚の珍しい部位が揃う豚串立ち呑みだった。
「嫌いなものはありますか?」との質問に、
反射的に「何でも食べられます」と答える。
本当は、ホルモンが苦手です〜と言いたかったけど、
耳の根や丸腸など、ゴソッと揃う珍しい部位に、
遠慮がちに心の中に留めたのだった。
最初にオーダーされてしまったハツを仕方なしに食べて、
分厚めのミノや耳の根も頬張る。
松本の兄さんを連れて来たら喜ぶやろなと浮かぶ。
ニコやらの周辺でよく同席する貿易会社社長やら
西成在住の自称・上方グルメ会会長(会員は3人)もいた。
店主に薦められてハイボールを飲み進めるうち、
笑顔が自然になるのを自覚した。
この店、「大阪焼トンセンター」と言う。
阿倍野にある古道具屋から小物を揃えて置いてある。
その古道具屋のモノは、梅の湯にもある。
古道具屋店主の小さなおばさんは、
焼トンセンターで煮込みをつつきながらラムネをゆっくり飲んでいた。

楽しい店を教えてもらったお礼に、
こちらもひとつ、千日前の女番長・みっちゃんのカルメンに招待する。
しばし飲んだ後、梅さんが「店に戻るわ〜」と言うので解散。
年明けに、ミナミさんからわざわざ連絡があったのを思い出して
フラフラとケイブに向かうことにする。
建物の下でよみきむ兄さんに偶然会い、
こないだのよみきむナイトのお礼を言う。
ケイブまでの長い階段をえっちらおっちら上りながら
「月一回くらいはやってほしい〜」と嘆願すれば、
「それはしんどい」と閉じられた。
それでもしつこく食い下がっていると、
最近興味があるねん〜と、コーベのジャズを差し、
それから、まあくんとこで月イチでやっている歌謡曲ナイトを薦められた。
店でデュワーズのソーダをお願いしたら、
聞き間違いでデュワーズのロックが並々注がれて出てきた。
まあいいやと飲み進めるうちにもう、ヘラヘラとしか笑えなくなり、
久しぶりに飲み過ぎのしゃっくりが止まらなくなった。
ヘラヘラとしながら、送らなくてもいいメールを送ったことだけ、ただ後悔。

最後、保護者タニモトと合流して梅の湯に行く。
サザエさんとちびまるこちゃんのことが議題にのぼる。
「オマエはあの刺激のない家庭で満足できるんか?」とタニモト氏が言い、
「そらやっぱ、カメラ回ってないときはもっと修羅場やろ、あの家庭も」と返し、
「ほどよい刺激やったら、やっぱイササカ先生の家庭がええよ」とか言い合っていると、
スタッフの女の子が「ひろし(まるこの父)は八百屋の店主ですよ」と教えてくれた。
ひろしの八百屋はけっこうヒマな店でもあるらしい。
「そらやっぱ、飲んだ暮れるのもわかるわ」
「そらやっぱ、オンナ遊びはキツいわな」と妙に納得し、
いや、それでもなお、「磯野一家とさくら一家は憧れや」としつこく締めた。
その語りに満足しきって「今日はええ話できたわ」と言い合って解散。

あんだけ酔っ払っていて、ほとんどを覚えているのは奇跡に近い。
また、南海の高架沿いを通りながら、ケータイで通りの写真を撮ってみたが、
次の日起きて思い出して見てみると、それはそれはヒドいもんだった。
どんなにテンションが高かったのだろう。
それは、自分ではきちんと判断することができない。

--

佐古選手を追ったノンフィクション『ファイブ(平山讓)』、
まだ途中ですが、感動しきり。
やっぱ、佐古派は日本でサイコーのPGだったと思う。

ほいっと。
1996年オールジャパン決勝。佐古VS折茂。
<前半>


<後半>


ついでに。

このとき私も高3で、ウィンターカップに出とりました。
渡邉氏、やっぱオトコマエだす。

もひとつついでに。

2008/01/08

モレスキンに悩んだ。

モレスキンのメモ帳を買うことにした。
武田百合子の『日々雑記』に感化されてしまったからだ。
ここに書く、半ナマな日常よりも生臭いメモを書こう。
むしろここは、そっから整理したもんにしようと。
昨日は、その『日々雑記』と、枡野さんがブログで大絶賛していた
『クワイエットルームへようこそ』(もちろん映画は観た)を買いに
紀伊国屋へ行ったのだが、2冊を見つけだすとこまでがわずか10分、
その2冊を携えてレジへ行く前にまだふらふらと紀伊国屋を散策で30分、
漂着したモレスキンコーナーで20分も悩んだ。
目的外で浪費する時間の幸福感。
いや、書店のメモ帳ごときで悩みすぎではある。

紀伊国屋後、急いで家に帰って、
実家から送ってあった荷物を受け取った。
その中に、実家に余っていたティファールのポットがあり、
早速ながら湯を沸かしてコーヒーを入れる。
コーヒー豆自体が古く、ほうじ茶レベルに薄くてマズイ。
今日はコーヒー豆を買って帰る算段だ。
実は年末に照明器具を買って装着し直したら、照明がええ具合に抑えられた。
むしろちょっと暗すぎるので、給料が出たら他に照明器具を買おう。
年末に改装したばかりのヤマギワで奮発しようかとまた悩み中。

--

スミホをHBHに連れていった日、
店には南こうせつのバックバンドの方々で埋まっていた。
その中になぜかオーディナリーのへーさん。
最近の、月曜ケイブ(第1週目除く)の主。
移転の話などをちょっとだけインタビューする。
あと、アーガイルのサックスプレーヤー・ウエバンさんが
松田さんの10年来のトモダチと知ってビビる。
やっぱりオーサカの街は狭い。
狭いのは今のところ居心地良。

梅さんから電話があって、今日飲みに行くことになった。
東心斎橋の梅の湯店主だけど、
お初天神の門の店主・ジョウさんと仲良しらしく、そのつながりで。
おそらく、どこか店の人を紹介したいのだろうとよんでいる。

やめてもう半年以上にもなるのに
いつまでたっても「ミーツの」という冠が消えない。
だから方々に関わらざるを得ないというのも本音の一部で、
いや、関わる人がむしろ増えてしまったから
何か役に立たなければと思ったときに
雑誌に情報を流すくらいしか頭も働かない。
誘われて行かぬはミーツの恥、という癖も未だ抜けない。
ま、それはそれで今は楽しみにもなっているから流れにまかせる。
それにしても、年明けに飲んでいる人は、
昨年そんなに関わらなかった人ばかり、というのが奇妙である。

2008/01/07

すき間に気づいた年始。

忘年会やライブや、忘年会ではない飲みなどが重なり、
追われるように飲んだ年末から一転、31日から実家に帰っていた。
実家は高知県にあり、海までだってクルマで40分ほどの場所だが、
四国山地の頂近く、深い山の奥にある。
山の奥の実家は雪にまみれていた。

実家からクルマで5分の、ヴーヴ・クリコを置くシャレたコンビニも、
年末だから通常10時閉店を8時に切り上げる。
立ち寄ったときはまだ夕方の6時だったが、
闇と、ポツンと灯る店の照明に光る白い雪が
真っ当な夜を普段以上に深くする。
ビールを数ケースと、母親用の携帯電話の充電器と、
父親の好きなクボタの花饅頭を買って外に出る。
白い息を吐きながら空を見上げれば、
新しい星を発見できそうにたくさんの星が見えた。

--

正月明けて、雪も溶けかけた3日、
弟をたぶらかせて須崎の港まで連れて行ってもらった。
父親からもらったカメラをぶら下げて写真を撮るために。
弟には須崎に出る用事がないから、ツタヤでDVDを借りる用事を作った。
気分は、好奇心旺盛なおばあちゃんと、それに心配そうに付き添う堅実な孫。
言うつもりはなかったのについその例えを口にしてしまい、
不思議そうな顔をして笑われた。

須崎の港には新年から釣りをいそしむ家族連れが多くいた。
ふらりふらりと歩いていると、
船着き場辺りに来たところで丸い顔をした魚が目の前の宙を舞った。
魚はピチャッと船着き場の地面に着地してピチピチと跳ねる。
時に休み、休んだかと思うとまた跳ねた。
「これ、フグですか?」
聞くと目の前で海に網を突っ込んでいたおっちゃんが
「高いヤツやでぇ」とニカニカッとした。
へぇ〜と言いながらおっちゃんの働きを眺めていると、
突然におっちゃんは振り返り
「もう本マグロ連れた船が帰ってくるき」と教えてくれる。
待つのも不自然な感じがしたけれど、
そのまま帰ってしまうのも不躾に思えて、
なんとなくマグロ船を待つことにした。

--

大学を出て数年もの間、自由な時間ができるとかえって困る
というような感じで日々を過ごしてきた。
今の会社は、自分で何かを考えていることのほうが多くて
日常的に「無駄」なことばかりを考えている。
「無駄」なこと、つまり、考えること、食べるもの、話す相手、
話す内容、感じることなどそういう些細なことを流せない。
時間はたっぷりあるつもりなのに、まだ時間を足りないと思う。
で、不思議にもイナカでの退屈だった時間が立体的に見えた。

昨日、大阪に戻ってきた。
ヒマ潰しに買った『yom yom』で、ぐっときたのを引用する。

--

その人は急に、どうしても郵便局の私書箱を
チェックしなければならないような気がしてくる。
それは昔から欠かさずやっていることで、
もちろんこれから先は何もかもがうまくいくにしても、やはり手紙は欲しい。
すぐに戻ってくるからとその人が言うと、
その人が知っているすべての人たちは、
いいよ、ゆっくりでいいからね、と言う。
その人は自分の車に乗って郵便局まで行き、私書箱を見るが、中は空だ。
その日は火曜日で、火曜日は郵便が多い日ということになっているのに。
その人はひどくがっかりして、車に戻り、
ピクニックのことをすっかり忘れて家に帰ってしまう。
留守電をチェックするが新しいメッセージは何もない、
あるのは古い”テストをパスした”とか”人生はもっといい”とかいうやつだけだ。
メールも来ていないけれど、
これはたぶんみんながピクニックに行っているからだろう。
その日は、とてもピクニックには戻れそうもないという気がしてくる。
このまま戻らなければ、自分が知っている
すべての人たちをすっぽかすことになるだろう。
けれども家から出たくないという思いはどうしようもなく強い。
お風呂につかって、ベッドの中で本を読みたいとその人は思う。
(yom yom/ミランダ・ジュライ短篇ふたつ/その人/訳・岸本佐知子)

--

月に最低三回東京に出てゆくが、
同じ日の夕方に柳家小三治と小林旭と曽根崎心中と
ボンボンブラザーズと大竹伸朗と、
マルクス兄弟特集上映とキグレサーカスとが人を集めているすぐそばで、
ニール・ヤングがうつむいて轟音のギターをかき鳴らしている、
というのがまったく普通であることを見るにつけ、
ふだんの暮らしとのギャップに転がり落ちて、また足首の骨を折りそうになる。
(yom yom/遠い足の話/いしいしんじ)

--

トラウマリスのドアがギーと開き、鉄割の戌井さんが友達と入ってきた。
突然すぎて、僕も住吉さんも一緒にいた人もかえって驚かず、
オー、アー、と手をあげて迎えた。
戌井さんはワインを飲みながら、いま書いている小説の一節を話した。
僕が諏訪のライブの感想をいい、「デス・プルーフ」の話をしたら、
戌井さんが、きのう北千住で「旅芸人の記録」見たんですけど、
激感動でしたよー、といったのにはさすがに驚いた。
住吉さんがカウンターから、しんじ君、戌井君、十二月なんだけどさー、といった。
そしてその場で、十二月二十二日、トラウマリスで、
戌井さんと僕が、自分の新作を読む朗読会をやることが決まった。
東京の「すきま」はこうして埋まっていく。
(yom yom/遠い足の話/いしいしんじ)

--

「すきま」って聞くとなんだかしっくりきた。
そうか、そうか。うむ。

今年最初に会った人はスミホでした。

言葉というのは、使い古された百円玉みたいなものだと思っていた。
いつまでもつるつるして、ちっとも頭に入ってこない固いもの。
百合子さんのは、肉入りすいとんの湯気が上り、
味がし、畑の肥やしの匂いまで漂ってくる。
きっと、ものごとのありさまを、撫でまわすように、
ジロジロとすみずみまで眺めたおしている。
天皇陛下も野良仕事のおばさんも、
犬も猫も食堂のカレーライスも死ぬことも、
同じ地面に並んでいるのは、正確に、律儀に、
裸いっかんの目玉でものごとを見、書きぬいているからだ。
ひとりひとりの体から出てくる言葉というのは、
誰におもねることもない、こういうものであるべきだと強く思った。
(Yom Yom/湯気の立つ言葉/高山なおみ)

--

私は頑なにできているので、
人のことを簡単に心配できないし、祝ったりもできない。
自分自身、そう思われたくない人から
社交辞令を受けることを拒んでしまうところがある。
それはとても軽卒で、軽卒だからこそ恥ずかしく思える。
真逆に、人のことを簡単に、でも決して軽率にはしない女、スミホ。
そのスミホから、昨晩突然に電話があったので、
もう寝ようと思っていたカラダを起こして街へ出た。

たいした話はいつでもしていない。
昨日だって、最近スミホが遊んでいる女子部改め「乙女倶楽部」の自慢をされ、
編み物の話を聞き、秋にある彼女の結婚式の話をして、
彼女の飼っている猫・クロたんについて笑い、
場所を変えて行ったバーでは落語やモッズの話をし、
小説から落語に戻り、漫画から音楽の話になり、
ときどき思いついて田舎の食材についての話をした。
少しも脈略のない話の展開だけど、気にせずその瞬間の言葉を発することができる。
スミホは、そういう空気を作る。
スミホは話の展開と同様、脈略のない彼女や彼女のカレシの友人を集めて
誕生日パーティーや花火大会などの宴をよく企てる。
きっと途中から、何のために集まったのかなんて不明になり、
脈略なく盛り上がる酒の場となる。
(諸事情で行ったことはないのだ)
全ての催しが、彼女自身が楽しむためにあるというあっけらかんな具合がイイ。
そういうのが、少し戸惑いも含みながらつるんっと入ってくる。
つるんっと入ってホロホロジワ〜ンと、解ける。

おもしろいと思うことに正直なスミホは、節操ないぐらいの勢いで見聞が広い。
少し小突けば相乗効果的にアイデアの水脈がドバドバと洪水を起こし、
溢れるアイデアにアウトプットの言葉がついていけないほどで、
私たちは逆の意味で全てを話すことができない。
そういう具合だったので、昨晩は4時まで飲んだ。
ま、「一杯だけ行こか」は、「一杯だけ」になり得ない。常である。

--

美しい景色、美しい心、美しい老後など
「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。
景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
心がどういう風かくわしく書く。
くだくだとくわしく書いているうちに、
美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、
それでも、なるたけ、くわしく書く。
「美しい」という言葉がキライなのではない。
やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。
(絵葉書のように/武田百合子)

--

今年は、何かやってやろうと思っとります。
とりあえずはスミホとの企てを一発かまそうかと。
タノチミタノチミ。

で、ポヤンッとユーコが浮かんだ。
そうかそうか。
ユーコとスミホは私の中で同じなんだな、どうも。

2008/01/05

実家の主役はやっぱりタクマ。

しばらくぶりに帰ってきた我が娘よりも
そばにいる孫のほうがかわいいらしく、
専属カメラマンに強制認定されてしまいました。






肩車されて得意満面のタクマ。
ちなみにアタマをぐしゃぐしゃにされているのは私。ひどすぎる。

じじい作のクマにも乗せました。


























母の手を離さないタクマ。

2008/01/04

クルマで40分の漁港。

須崎の港に行ってきました。


漁船。




本まぐろ、捕ってきたばかり。


しらす干しの海岸で。

2008/01/03

いろいろ考えたりして。

街を歩いていると、しょっちゅう道に迷う。
カラスが多いとか、美人が通ったとかは見ているが、
ビルの看板なんか全然見ていないから、あたりまえかもしれない。
そんな僕でも野山に出れば、10メートル先を横切る
蝶一匹の特徴を見逃さない自信はある。
同じ景色を目の前にしていても、人によって見えるもの、
”見えている”と脳が認識するものは、全然違うのである。

個人差とは別に、国や民族による差もある。
僕は自然が大好きだが、自然をきめ細かに見る目が肥えているのは、
日本文化の特徴でもある。
美術品の題材でも、西洋なら聖書や神話のエピソード、日本では花鳥風月だ。
虫を描いた絵も多い。
アールヌーボーの代名詞となっているガラス作家、
エミール・ガレなどは、多くの作品で虫のモチーフを使っているが、
日本美術の影響が大きいという。

日本人はなぜそんなに自然を意識するのか。
四季の変化がはっきりしていることが、まずある。
特に春から夏の、自然の繁殖力の旺盛さは際立つ。
思想家の丸山真男によれば、
『古事記』などの古典に最も頻繁に出てくる言葉は「なる」。
実がなる、なるようになる、の「なる」だ。
箱根で虫捕りをしたとき、5月の連休の頃まで通れた道が、
2カ月たたないうちに草で埋もれてしまっていた。
まさに野となれ山となれの活発な生育力だが、
外国を知らない昔の日本原住民は、そんなことには気がつかない。
古事記時代に日本を「豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国」
「秋津(あきつ・蜻蛉)島」と表現したのは、大陸からの渡来人だろう。
中国は秦の始皇帝の頃に木を切りすぎて、
すでに黄塵万丈(こうじんばんじょう)のカラカラ状態だった。
水や植物の豊かな日本の自然は、彼らの目にかなり印象的に映ったはずだ。

日本人が自然と密着せざるをえない理由はもうひとつ。
日本列島は「TSUNAMI」が万国共通語になってしまうくらい、自然災害が多いからだ。
日本列島の面積は、世界の陸地面積のおよそ400分の1しかない。

ところが記録にある世界の大地震の2割、噴火の1割が日本で起こっているという。
つまり自然災害にあうリスクが他国の平均の数十倍である。
どうしたって自然から目を離すわけにいかない。
庭をつくるにしても、借景という様式に見られるように、
自然に少し手を加えた形が多い。
西洋風の左右対称とかではない、
こういう庭園を美しいと感じるのが日本人の自然観なのだ。

僕の大好きなブータンは国土の7割が森林。
それなら虫捕りもしやすいだろうと言われるかもしれないが、実は日本も同じ。
7割森林である。
1億を超える人口を抱えながら7割は立派な数字だが、
日本の森林は今、荒れている。
日本の文化や美意識を支えてきた自然を、もっと大事にできないものか。
(SKYWARD 2007.12/旅する脳/養老孟司)

--

矛盾してるよなーと思うこと。

・CO2がどうの、とか言っているのに産業構造は改革しないのか。
クルマをはじめ、たくさんの様々な製造物は日々生み出される。
携帯電話なんて1年も使えば古くなるくらいの勢い。
コンビニエントなことへの技術の進化、
新しいものをブームとして受け入れる正しき消費社会。

・自然の大切さを訴える人は、イナカに住んでいないことのほうが多い。
結局は住みにくいってことか。
若い人はみんな職やファッションを求めて都市へ出る。
便利に慣れるとイナカ暮らしは耐えられない。
「便利=切実な部分で人と関わらなくてすむ」、無表情の街と。
タノシイコト、ウレシイコト、カナシイコト、ハラノタツコト、
「感情」の部分でしか人間と関わらないのもいかがなもんか。
しかし、イナカがリゾート化されて
「イナカ暮らし」なる本が出るなどというのは非常に腹立たしい。

一時的に何かをマジメに考え、一時的に何かと関わり、
いや、それって全て「一時的」だから全部「フリ」でしかないよね。
なーんて、私もその矛盾を存分に「享受」してるからナントモイエナイ。

--

有名な『金色夜叉』で、金持ちの富山が宮を見そめるのは正月のかるた会である。
男女入り乱れて百人一首に打ち興じるさまを、尾崎紅葉はいきいきと描く。
「人々の面は皆赤うなりて、白粉の薄剥げたるあり、髪の解れたるあり……」

美貌の際立つ彼女を男たちは「好い、好い、全く好い!」などと賞賛する。
明治のかるた会はじつに楽しそうだ。
それでもここに加わるには「秋の田の」に始まる百の和歌を、
まずは諳んじていなければならない。
そういう下地を江戸時代にはすでに多くの人が持ち合わせ、
武家も町人もしきりにかるたを取った。

藤原定家が小倉百人一首を編んだのは十三世紀の前半という。
それを連綿と受け継いできた日本人の知性と美意識もさることながら、
万葉以来の無数の歌のなかから趣向に富んだ百首を選び抜いた定家の眼力は驚くばかりだ。
一つひとつは忘れ去られそうな歌々が、百も集まることで大きな世界を築き上げている。
(日本経済新聞 2008.1.1/春秋より一部抜粋)

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考えてることが全て偽善に思える今日このごろ。
養老センセイはやっぱりイカしてる。

とりあえず2。


国道と川向かいにある山沿いの道。
15年ぶりぐらいに通った。
小さいころはここをよく、トモダチの犬を散歩がてら来た。
けっこう好きな道。


西村薬局跡。
なにもない。

とりあえず1。


「昨日、孫が途中まで作って帰ったがよ。完成させちょいちゃろ、思て」
パチンコ屋跡前で、でっかい雪だるま。
角を柱に、雪を固めているもんだから、真っ白の雪は煤けている。


猿ガ淵。
真緑の水面。


トタンでできた屋根から、滑り落ちる雪。
深い。

2008/01/01

変わる街。

実家最寄りのJRの駅は、須崎駅。
最寄りとはいえ、クルマで40分以上はかかる。
だから駅まで誰かに迎えに来てもらわなければいけない。
今日は両親が揃って出迎えに来ていた。

須崎市は、高知市内から地道で約1時間、
最近整備された高速を使うならば約40分の距離にある漁師町だ。
港があり、遠洋漁業も盛ん。
「高知」と言って約95%の人が思い浮かべる(西村調べ)カツオとは、
ほとんどがここ、須崎市の漁港で扱われる魚でもある。
実家は山の上にあり、遠足なんかで遠出してバスから海が見えると
「海やぁ〜〜。ホンマに水がいっぱいたまっちゅう〜〜!」
と言って全員が身を乗り出すぐらい潮風とは無縁だったが、
それもクルマで約40分走ればあると思うとそう遠くはなくなったんだな。
(もちろん、他府県の人にこう言うと、随分遠いと言われるが)
「遠くはなくなった」というのは、生まれてたったの30年以内に、
実家から須崎市へ行く道が変わったからだ。

小さい頃は須崎市まででもおよそ1時間30分はかかっていたと思う。
布施が坂というクネクネの山道を降りて
葉山村に入らなければならなかったからである。
遠くへ行くのに布施が坂を避けて通ることはできず、
兄弟3人全員が抜けることなくクルマに酔い、
布施が坂最終段階突入の手前にある神社にいつも立ち寄った。
それでも春には桜が満開に咲き、夏には茶摘みがあり、
秋は紅葉、冬は怖いけど雪景色と、四季の色彩が見えていい道だった。
神社に辿り着くまでで我慢ならんなったときは、
父だけクルマで先に行き、後の母と兄弟3人で、
ほとぼりが冷めるまでテクテクと歩いて坂を下った。
姉に草木の名を教えてもらいながら、私は無謀に野山に分け入ったりし、
弟は私にくっ付いて来ては置いて行かれて泣いていた。
父は待ちながら写真を撮っていたので、それはそれで楽しんでいたのだろう。
坂を下り終えるとガソリンスタンドに寄って、
そのガソリンスタンドの脇にある降り口から川に降りては遊んだ。
須崎市は遠く、私たちの住む世界とは全然違って見えていた。
高知市に行くなんてなるとなおさら特別な感じがした。

中学生になる前後ほどに、
布施が坂を通らずとも山を降りることができるようになった。
それで須崎市への道中は30分短縮された。
この頃になると布施が坂のクネクネにも慣れてしまって、
むしろカーブの具合やタイミングはカラダが覚えていた感じがする。
試合がほぼ毎週のようにあったので
クルマ酔いでフラフラしている場合でもなかった。
道が整備されて気軽に街に出られるようになると
須崎市には一気に量販店や郊外型スーパーが建った。
それでもまだ、「おいしい魚」は商店街や
古い商店でしか買うことができず、
その周辺のパン屋さんや食堂もまだ元気があったように思う。

高校生くらいになれば、今度は葉山村から須崎市への道が変わった。
私らのように人口の少ない山間の町村へと延びる道はマイナーで、
整備される以前には須崎高校の脇の道を
申し訳なさそうな感じにして通るのが常であった。
須崎高校の脇の道を抜ければ今度は、
わりとメジャーである佐川町と窪川町への道と合流する。
しかもそれは細々とした須崎市街地を通るものであったため渋滞は必至だった。
新しく整備された道は、市街地の出口近くに直結するもので、
それはそれは快適な道路だった。
だけど高校が高知市にあった私は一人暮らしをしていて、
バスケの練習に休みはなかったからほとんど実家には帰ることもなかった。
だからこの道についての、この頃の記憶はほとんどない。
ただ、たまに通る須崎の街がえらく寂れて見えた。
寂れて見えるのは、高知で一番大きな街に住むようになったからかもしれないが。
大学生のときに高速道路ができた。
これも思い出なんて特にない。

今日、運転をしながら父親が
「須崎市の商店街はもう機能できなくなった」と言った。
道路が次々に整備されて、
今や街には知らない量販店やファーストフード、ファミレスができている。
ヨソの、特に山間部に住む若い家族は、
商店街で街と触れながらの買い物でなく
画一的に整備されている無菌のやり取りを好むのだろう。
クルマでの移動が大半を占める社会では、
クルマを停めやすいこういう店が便利でもある。
私の地元の旧東津野村の商店街なんて、シャッターばかりが目立つ。
元あった私んち「西村薬局」も同じくもうそこには存在しない。
なんだか少し寂しくなった。

何年も前に父と話したことだけど、
道路が整備されて便利になるってことは、
私たちの大事な村にも簡単にアクセスできてしまうってことで、
しかもその「整備された道」ってのはどこも同じに見えて、なーんか味気ない。
山間部の「現場」にいる人にとってはとても重宝すべき道なんだろうから、
カンタンに、部外者の私が反対なんて言うことも違う気がする。

クルマは海から山へ向かう。
雨はクルマが進むごと霙になり、雪ともなり、やがて積もりはじめる。
「すごい、積もり始めたね」と私が言うと、
「家のほうは”積もり始めた”どころじゃないで」と父は得意気に言った。
家に近づけば、山も街もなにもかもが真っ白になっていた。
まだ8時というのにもう街は静かに真っ暗で、
雪の降るシンシンという音が聞こえるようだった。