2008/10/31

未練なし。次へゴーゴゴー。

雑誌を作っていたときもそうだけど、
あるテイドの意思決定ができたらもう未練なんて残さないで
スパスパッと仕事を納めるように努めていた。
そうじゃないと、モノなんて作れない。
締め切りまでの時間の詰まり方が肝心。
…てなワケで、色校入稿時には
ウンショとネバってデザインやコピーの指示をゴリゴリと、
本分ではない自己主張なんぞしたワケだけども、
それが一度出て、今さらながらの提案ができたんならば
それに対する相手からの返答には執着しない。
結局はクライアントが金を出して作ってるもんだし、
こちらの主張は踏み台にしていただいて結構である。

そんなこんなで、帰校は受けるものの、
たいした意思ももうなく、「へえ、おっしゃる通りで」と
サクサクと訂正指示をこなしているので、
オペレーターに宛てた指示原稿を
ムキになって作っていた姿を知る親分には
「もう諦めたのか」と不安がられたけど
心配ご無用、頭の中はすでに次号に走っている。
今回も先方からの原稿は未着、ならばと、
「これを聞け」と言わんばかりの取材シートを作成した。
デザイナーもコピーライターもカメラマンも
活用できるよう、ページ切り口の欄、
商品のポイントの欄、それに商品の粗画、
おそらくキャプションが付くであろう引き出し線をつけ、
ついでにここまでの話から、
概ねこういう切り口でのカタログの流れですよ〜
ということまでわかるシロモノ。
我ながらよくぞ作った。へへ。
子分のねえさんには「これ、取材が楽しみになりますね〜」と
母のような口調で言わしめた。へへへ。
あとは前回の反省から作ったワークフローを見ながら
制作スタッフと話して現実的な線を作るのと、
前回やり取りでややこしかった撮影商品の搬出の促しを強化するのと、
撮影データのやり取りを円滑にするマニュアルを作れば
だいたいオーケーだろう。
その他は制作しながら対応ってことで。
しっかし、これやりながら、
前回のスタッフと反省会ができないのが残念なとこ。
苦労したことがナマの出来事として次に生かせないからねー。

自己主張激しく、収束する先を
なかなかまとめきれないクライアントは、
未だに今の号でワチャワチャと祭りをしている。
そんなこと、カンプを見た時点で諦めて、
とっとと次の商品へとベクトルを向けてくれなきゃね。
未練タラタラは御法度ですわよ。
来週頭からガッツリと1週間の商品取材、
出し抜いて、あっちゅう間に企画固めるかんね。
(間にミーツの取材で大阪に帰らなあかんのがキツイけど)

どうかどうか、次号はおもしろいカタログで
クライアントの度肝を抜けますように!
プランナーのねえさん、ハードル上げてしまって申し訳ないけど、
突っ走ってもらうためのレールは敷くので
どうかどうか、頼んますねー。

で、ようやく大阪。
鬼ほど写真を撮られて
デカデカと登場してしまったミーツをようやく拝見。
これ、イヤやな〜。
ほんで今からインスパイアを取材でございます。
飲むぞ〜って、違うか。

明日はミーツです。

相変わらずの高松←→大阪、行ったり来たり。
今日は高松3日目、ていうか月曜こそ日帰りだったけど、
火曜からずっとだから、1週間ずっと、なのね。
ともかく、カタログもたいへんだし、
ミーツの仕事もいつも以上に気合いを入れな、
という感じだから気が張りすぎている。
明日は高松にて打ち合わせの後、大阪で取材。
切れ目なし、ですね〜。

荷物を取りに行くために帰った月曜は、
タイミングよくミーツの兄さんから連絡があって
そのままミナミの街に出ることにした。
とにかくいろいろと発見があったのは、
こないだディレクターさんらと飲みに行って、
そこまで不安に思っていたことが払拭されたことから。
無茶してるよなと思いながらも飲みに行ったのは、
その話をどうしてもしたかった、てのもある。
いや、兄さんにしかその感動は伝わらないので。

ディレクターさんに連れられて行ったのは、ヘミングウェイとナジャ。
そのふたつの老舗での料理の食べ方や酒の飲み方、
店の人との距離感や交わす会話なんてのがおもしろすぎて
おもしろすぎるのがバチッときた気がした。
いや、ただ単に「気がした」ってだけなんだけど。
要するに自分らが街で遊んでいる感覚の類似感は
仕事でも同じくなんじゃないかと。
それも街の大先輩、安心できる自分の周囲の人の話で
偶然にも意気投合できたのもデカいのかも。
そういう人が、カタログをきちんと作っていることがうれしい。
ま、そんなことを兄さんに話して、
話をしながら、やっぱり仕事も街の話に落ちることに
なんとなく満足をしたのだった。
しかし、その「カンジ」って一体なんなんだろう。

それはこないだ書こうと思って、
ちょっとまとまらなくてアップするのをやめたことなんだけど。
いや、やっぱり仕事をしながら、自分の役割以上のことには、
見えていても手を出さないことというのは、
私はとても気になってしまうことで。
もちろん、スマートに、自分の立場を守りながら
仕事をすることは大事なことなんだろう。
とにかく、「受注する」「発注する」てコトバは
スマートすぎるがゆえに耳に障り、
そういうふうに自分の仕事の範囲をハナから決めてしまわれると正直困る。
あるいはラフやカンプなどの実制作中のやり取りでも、
自分の範囲外に手を出さないというスタンスは、
むしろ迷惑以外のナニモノでもないことはしばしば。
それよりも、どういうものを作って喜んでもらうかが本分だろうにと、
イチイチ気になって突っ込んでしまう。

「社会性」のくくりとは別で「地域性」てのが
どうにもつきまとって仕方のないドイナカでは、
カウンターに隣り合った、全く想像できようもない誰かとも
結局付き合うハメになりがちだ。
よく例え話で前の編集長が言うことだが、
成績が1の人間と成績が5の人間が
肩を並べて混じり合って生きているのが街だし、
そういうところではなかなか話も通じにくく
恐るべくうざったいことにもなりかねないが、
「街」とはそういう不完全なもんだから
奥行きも、予想外のおもしろさもあるんだと思いたい。
仕事も同じなんじゃないかと思うから、
街をおもしろがれるタフな精神が共通していることは大切だ。
「こういう人が来る」ということで店をくくるのはナンセンスだし、
でもそれがさらに、「芸能人」やら「OL」なんて社会的定義でもって
区切られてしまうのはやっぱりどっかおもしろ味に欠けている。
そういうスペック的な要素で立場を決めてしまうのは
単純に、おもしろくないよねー、
せっかく関わるんだからおもしろくしたいと思いたいよねー
…とまぁ、やっぱりまとまらない話ですね。

ともかく。
制作する人が変わったからと言ってクライアントの癖は直らない。
これからどこまで根気と機動力とを維持できるかが勝負。
期待すれば相手もしんどいだろうし、
期待ハズレだったらお互いにしんどくなるから。
ともかく、クライアントの立場に立って前段階でジャッジしたり
スムーズに仕事が運ぶように対応策を考えることが、
私の役割の核の部分ですね。

あーそれにしても、今回のミーツの仕事は、気合いがかなり必要ですねー。

2008/10/26

「穴の掘る場所と深さが似てる」とマコが言うので。

再来週あるマコの結婚式で挨拶をすることになっている。
マコはトッパンでいっしょに働いていたうみ姉の妹で、
トッパンにも一時期手伝いに来ていた。
そっからの付き合い。
出会ったときのマコは、ヒョウ柄のミニスカなんかはいたりする
ギャルギャルしいオンナで、うみ姉の妹じゃなかったら、
もしかしたら話をすることも、接点も何もなかっただろう。
ましてや結婚式で挨拶なんて、という感じで。

ま、ともかく私はマコに甘えっぱなし、
頭の中でうにょうにょとまとまらない話をまとまらないままに話し、
マコに話をしながら頭の中をまとめていったり、てのも多々。
それで意見が食い違ったりも多々。
話すのは、恋愛も、だけど、ほとんどが仕事の話で、
それもマコと私の職種は全然違うのに。
だから私にとってはとても大切な人だったりする。
私が言う話を聞いてくれるけど、
その全てが正しいと思って発せられているワケじゃない
ってことをマコは知ってくれている。
知ってくれているから、直球も変化球も試しに投げたりできる。
というか、マコに放つ球っていうのは
ほとんどが自分に言い聞かせてるようなもんで。

付き合いも長くなってしまったから
いつ、どのタイミングで、どういうふうに
二人で話をするようになったとか、
そのときにどんな話をしたのか、なんてことは忘れてしまった。
いつからどういうふうに、
私とマコは頻繁に会話をするようになったんだろう。
観察日記でもつけておけばよかった。

昨日の夜にいつものように二人で飲みながら
なんで仲良くなったんだろうね〜という話を感慨深くしていたら、
「穴の掘る場所と掘る深さが似てるんじゃない」とマコが言って、
なんかよくわからんけど、
それで全部説明できる気がして納得したのだった。

先輩がよくブログの中で「ご縁」のことを書いていて、
その話というのはかなり納得するもんだったりするんだけど、
たとえば偶然にでも「よく会う人」というのはすごい。
がんばって、努力してその場所に行く、てのじゃなく、
自然と似た場所で行動してるってことは、もうそれだけで。
それでもすれ違うだけの人が多い中、
お互いが「よく会う」って認識できるってだけで。
さらにそこで交わされる会話、
つまり興味の持ち方が似ていたりするのって
どのくらいの確率になるんだろう。
もちろん穴の掘り方は隣の人の様子を見たりしながらってのもある。
だけど様子を見ても、掘り方に影響しない人もいるんだもんね。
マコだけじゃなく、
マコとのつなぎ目になったうみ姉なんてシンクロしまくりだし、
他にも「なんでこの人とこんなに仲良くなってしまったのか…?」
てのをふと思って不思議でしょうがない相手は何人も。
で、自分の周囲を見渡してみれば、がんばらなくても、
自然と好きな人に囲まれている状況ができていた。
そういうのってすごいね。

昨日のことなので、昨日、ここに書いていたようなことも報告、
飲んでいるときに返ってきたメールを見せると、
「やっぱりそのオトコは浅いよ」とマコ。
やっぱそうだよね、と私。
マコが抱えている問題を拝聴、ちゃんとしてないやん、と私。
「こうしたほうがいいって思ったりするけどね、なんだかね」とマコ。
そう言った後、「お互い、そんなこと分かっちゃいるけど…やね」と、
ため息をふぅと吐いたのでした。
ま、アマい志向も似てるってことで。

ちなみに12月にはタマヤマノリコの結婚式。
大学時代にバイトしてたホテルでいっしょだった女の子。
この人も、まさか結婚式に出る羽目になろうとはって感じですね。

個人的には、新しいスタッフの人たちと
次のカタログを作っていくことに対して不安ももちろんだけど、
おもしろくなりそうな気もしてたりする。
単にカタログ制作をいっしょにするということじゃなく、
きっと他にも何かありそうな予感がしてワクワクする。
「ご縁」というか、「匂い」というか。
ともかく明日、提案ページのできあがり。
楽しみ。
あと、最近、仕事に埋没されて
すっかりご無沙汰していたバスケに、今週末は行ける模様。
それも楽しみ。
もう数ヶ月も行ってないから、カラダナマってるだろうなー。

ポッカリ空いた穴を埋めていくように、
無理じゃない努力はしようかと。
ま、取り急ぎの未来が楽しみってのはありがたいことで。

2008/10/25

感謝(驚)。

我ながら、未練タラタラで決断できなかった案件がやっと終着。

-+-+-+-

楽しかった時が終わって
気づいてみたらさみしい人だった
寄り添う肩も頼りにならないで
裏切ったような気分だった

なぐさめもなく
やさしさもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝込めて歌うだけだった
そう全部

正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部
指切りしない
近道しないよ
そう全部

夏休みが終わったみたいな顔した僕を
ただただ君は見てた

人影もなく
あこがれもなく
そっと過ぎてく季節を
はしゃがないで見守ってた
あの人に驚きと感謝込めて
見てただけだった
そう全部

正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部
指切りしない
あこがれじゃないよ
そう全部

正しくはない
近道しないよ
そう全部
正しくもない
ウソつきじゃないよ
そう全部

※感謝(驚)/フィッシュマンズ

-+-+-+-

私の決めたことに、相手は何も言わないだろうから、
思いのたけを詰め込んで、ロングロングなメールをしたためた。
しかも送った後に、これもあれも言っておこう、
と未練たらしくも3部作で。
たぶんきっと、それに返事もないだろう。
オトナだからね。
でももういいや。
一方的に送っただけになっちゃうかもしれないけど、
もしかしたら送ったメールは、
私に言いたかっただけかもしれないけど、
そんなことも含めてきっとわかってくれるだろう。
天気は中途半端だけど、なんか晴々。
すっきり。

「未練」なんてコトバ、私の辞書にはないと思っていたけど
発見させてくれた相手に感謝。
ポッカリと穴が空くなんてことないと思っていたけど
それを教えてくれた相手に感謝。
とっても好きな人と一時でもいられたことに感謝。
巡り会わせてくれたご縁に感謝。
親みたく落ち着いて見てくれている相手に感謝。
次はもっとうまくやるよ、きっと。

季節は秋。
忘れたくないけど、すぐに忘れてしまうんだろう。
嗚呼、刹那、なんて今思ってることも
きっと忘れてしまうんだろうから、
だからとりあえず今のことを書いておくことにしました。
ばいばい、またね。
仕事はよろしく。

--








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こないだは向こうのモチベーションにただただ圧倒されっぱなしで
私がどんな想いでこのカタログを作りたいと思ってるかなんて
全く触れることもできなかった。
それに、企画といってももう制作スタート直前だから
実制作に落とせるものを作ってほしいのに〜と思いながら、
そのあたりにも触れることができなかった。
それを親分に相談すると「それを伝えるのがオマエの仕事やろ」と。
あーやっぱり、と不安に思った昨日は、
「もしかしたらひとりじゃ言いたいこと言えないかも」と
ガキンチョのようなことを言って、
親分を高松からわざわざ呼びつけてデザイン事務所に駆け込んだ。

まずは制作の現場に突然邪魔しに来たことを謝って、
(だって、本当はイヤだもんね、作ってるとこ見られるのって)
もっとデパートみたいなカタログにしたくて、
催事の会場とか、定番の売り場とか、安売りワゴンの売り場とか、
そこでもそれぞれで接客の指導までしたくって、
だからみんなが迷わないようなカタログにしたくって、
本当はだからターゲット、とかいうことじゃなくって、と説明する。
実制作のレールに関してはまだちゃんと造りきれてないことも、
だけど実制作にきちんと落ちるように、
欲張ってたくさん作っても内容が薄くなるなら、
ページ数は少なくていいから
ちゃんと意図して情報を落とせるものがほしいと伝えた。
とりあえず言いたいことは全部言った。
相手も納得して理解してくれたみたいでよかった。

デザイン事務所の社長と、
担当してくれるディレクターさん(こないだプランナーとして
手伝ってくれたねえさんになった。心強し)と
親分といっしょに東心斎橋のヘミングウェイ。
ヘミングウェイでごはんを食べるのは初めてだったけど
さすがシェリーの伝道師、気が利いている。
つい意気投合しきって、
というか、大阪の制作業界の狭さにびびり、
社長に「いい飲み相手ができてよかった」と言わせ、
ねえさんに「この子は私が育てたらなあかん」と言わせ、
二軒目のナジャではグダグダになり
三軒目のナマズではイベンターの松本さんとも遭遇して
相当ゴキゲンに街をあとにしたのでした。
(結局、私って「酒飲ませときゃ楽勝」なんだよね〜。う〜む)

ともかく情報も想いも全部投げたので、
あとはそれに基づいて作ってもらうのみ。
それに色校帰校にむけて心構えを持つのみ。
ふ〜。

2008/10/24

まだまだカタログの話。

ようやく詰所から脱出したものの、
メタボな先輩に連れられ親分と3人で大阪。
メタボな先輩が突発的に制作陣営に入れた
デザイナーさんに会いに行く。
「突発的」とは語弊あり。
これまでも先輩の担当する小冊子でちょこちょこと出てきていた陣営。
先輩からしたらごっつ苦労をした前回、今度はもっと動きやすいように、
とのサービス精神からだけど、なんだか少しうさん臭い。
クライアントは大手で、
業界を牽引する立場になるべき会社ではあるけど、
だからといって「時代の流れに沿っていかなきゃ〜!」みたいな
テンションのアゲアゲ具合に思わずササーッと引いてしまい、
「クライアントにも制作に参加してるって気分を
味あわせてやればいいんでしょ」的な
押し売り型のコミュニケーション、喋ってナンボな空気感、
…いや、100m走じゃないんだからさ…。
またその喋りに圧倒されて、先輩も妙に心強そうな顔をしたりする。
いやいやいや、実際のページには商品も落ちてくる。
実現可能なものを作らないと、だし、
商品の実際のトコから剥離しても、だし、
雑誌じゃないんだから夢ばっか見せても、だし。
そもそも途中で息が切れてしまってもねぇ。
前回はモチベーションが低すぎ、今度はモチベーションが高すぎ、
その中間でクールにやってくれる人、おらんもんか。
(ミーツ時代、スタッフに恵まれていたと本当に実感する)

とにかくまぁ、次に向けて親分にお灸を据えられたのが、
役割分担とフローを完成させて、
自分が手を動かさなくても思ったものが作れるように流れを作ること。
スタッフに見下されないようにすること、
スタッフに言い訳させないようにすること、
「酒飲ませときゃ、コイツはイケる」て思わせないこと。
最終的に手を動かさなければいけない
今回のような状態は作らないこと。
それにプラスして、相手を立てつつ、
自分の思う方向に持ってこれるように、
てのは今回の自分なりの反省でもある。
ただ、次の会議に向けてお試しで数ページ上げてもらうんだけど、
今度はもう制作スタート直前だから夢なんて見せる余裕はなし。
できればそれをベースに走り始めたいし。
ちゃんと着地点の見えるものになるのか、ハテサテ。
…う〜ん。大丈夫かなぁ。
大まかなフローは完成しつつあるけど、
細かく作戦を練り直す必要ありです。

タローから帽子のカタログの話をもらい、
もらったというか、相談をされて、
ギリギリアウトかもしらんけど、
もしかしたら万が一くらい仕事につながる…かも?
こっちはどうもってくか、それも考えねば、ねば。

カンヅメになってオペレーション指示して
作ったプルーフ(なぜカンプと言わないのか)にて
「かなりよくなった」とお褒めの言葉をいただきました。
ただし、「その中間で何があったのかわからなくて困る」とも。
これ、次に生かさなきゃ、何のために苦労したんやら…ですね。
今日、初めて全ページを通して確認、まだまだ微調整は必要。
来週は次号の打ち合わせと色校の帰校にコンセ入稿(コンセだったっけ?)、
オペレーターさんたち、まだまだお付き合いください。

2008/10/22

なんか消化不良。

少々食い違いがあって、親分と少々ケンカ。
なんだかハッキリとしない私の立場にもイライラは募りまくり、
「え、こんだけ人いるんだから、私は必要ないんじゃないですか」
みたいなことを言って、自分の必要性を確認しようとするあたり、
とってもコドモ染みている。(いつものことだ)

プルーフ(なんで通販ではカンプと言わないんだろう)の訂正は終了、
なんとか自分らのやりたい方向に、応急処置的に持ってった。
そこで出番のなかったメタボな先輩が、
なんだかいきなり夏号にやる気を見せていて、
ほんで勝手に布陣を決めてしまったもんだから怒っている。
本当は現状の問題点を洗い出して先にフローを軌道修正したかったのに、
その話はおざなりにされてしまった。
方法やその新しい人たちがどうかかわるのかとかを決めてないまま、
ゴーサイン出してしまうって、どうよ。
今日は大阪にて次号のプレ取材に向けてのラフ打ち合わせ。
ラフ打ち合わせで「今までこんなカタログ作ってきました」と
自信たっぷりに見せられたものも、
つい親分と顔を見合せて「う~ん」と。
ホントに大丈夫?、と思うし、
(先輩が「今回よりは絶対いい」と言えば言うほどどっか不安だ)
ともかく、ここまでやってきたのに
私の知らんところで動いてしまっているから気に入らない。
なんだったら今日打ち合わせするのも、
提案の絵を作るのが彼らだと知ったのも、
昨日、プルーフ修正をしている深夜だった。
「せめて先に言ってくれればよかったのに」から始まって、
今作ってる号での中途半端なかかわり方への不満を持ち出し、
(もちろん、その動き方への理解も伝えたけど)
冒頭のセリフとなる。
例えるなら、着るごとに袖口が変わっていくような感じ?
動きにくくって仕方ないね。
ま、とりあえずは静観、うまくいけばそれでいいし、
うまくいかないならケツ拭く方法もあるってわかったし。

親分の返答は、「できるだけ何もしなくていいように、
懐を深く持っておかなきゃだめ」と。
自分が動けばスタッフが動かなくなるし、
手札を見せればクライアントに懐の浅さが測られる。
クライアントには手札の量を見せておくことが安心感につながるし、
スタッフにはやるべき仕事をやってもらわないと。
今の動き方については根回しも含め、
かなり突発的な先輩の動きだけれど(つーか、自分の趣味やんか)、
ともかく、ある材料からディレクションをしていかなければ、と。
ついでに「飲ましときゃ、こいつはいけるってのはそろそろ卒業しなさい」
と言われてしまいました。(これはホンマにそうだ)

たとえば、ミーツにいたときなんかは、
デザイナーさんやカメラマン、ライターさんに
これほどの不安や不満を思ったことはない。
むしろ自分だけのフィルタを通して、自分だけが思っているものを
作ることはやっぱりおもしろくなかった。
それよりもお互いの意思を共有した上で、
こちらが話を振ったことに対しての返答だから、
「あの話、こういうふうに解釈したのね」っていうのはおもしろい。
だから親分の言うことは納得できるし賛同する。

だけどトッパンには私の子分ができたし、
実務的な作業すらやることがない。
メタボな先輩がいるから、情報だってそこでまとめればいいし、
先手打って布陣を決めてしまうんなら勝手にやればいい。
意思を持ってやっているのは親分で、だからつまり、食えるとこなし。
現場にしかいたことのない私にとって「何もしない」って、
本当に我慢も満足もできることなんかな、と思ってしまった。
それに、私、トッパンの人じゃないしね。

2008/10/20

やっぱり仕事。



…………………

「昼からじゃないと見せるもんない」
とオペレーター長が言うので今日は昼出勤。
ゆっくり起きた朝、クライアントからケータイに電話。
夏号企画についての相談。
こないだ商品企画部的なページネーション案と
カタログ制作部的なページネーション案をもらっていて、
その擦り合わせを今日やるから、ちょっと意見がほしい、というもの。
もらっていたものは、私らが提案物を出す前に作っていたものらしく、
「いやー、あそこからかなり揺れてまして」と
問題提起をした私的にはうれしい反応をいただく。

これまで「夏号」と言えば汗染み対策やらで
商品的切り口としては守り気味なものが多かった。
でも夏号、「気づけば夏が来てたんだけど、ダイエットしてないしどうしよ」
などなど時間のない女の人に、
カンタン・インスタントのボディを言ってしまいたい。
もっと商品を深く掘り下げた上で
別の切り口をつけてあげればいいのに、てのが提案したこと、
ゴテゴテとイメージをつけてわかりにくい従来のページじゃなくって
パァーンとキモチよく率直に商品を謳いましょうよと。
若い下着売り場行ってもガードルなんか普通にあるし、
むしろTPOに合わせてきちんとアウターを着たいこともある。
薄着になって、下着の線やらカラダのラインが気になる夏、
「どういう服着るときにどの下着」ってきちんと提示してあげたい。
てか、少なくとも私は知らんし。
知ってる人だけが安心して買うのもなんかお客さんに申し訳なく、
せっかくページ数の少ない企画号、冒険してみましょや、と。

とは言え。
ガードルはまだ想像できるとしても、
商品ビジュアル的に厳しいボディスーツは…てのを
先方的には悩んでしまうらしく。
そこんとこも、最近ずっと思っていたような意見をそのまんま言いました。
たしかに、去年、ボディスーツなんかが巻頭で使われていた号を見ると
「これって何年前のカタログ?」って思うような仕上がり、
(リアルに10年くらい前のもんだと思って見てたし)
不安になるよね、絶対。
ま、切り口は全然違うんだけどね。
とにかくそんな話をすると、「そうだよね、そうだよね」と
ナイナイ岡村みたいなクライアントは繰り返し、
自分なりの企画案を整理しているようだった。

今週中、今日・明日ほどには提案物に対して
返答できるものをまとめるとのこと。
それをまたこっちで料理してハコをある程度設定した上で
スタッフを呼んで商品取材、という流れにしましょう、
そこまで、いくら呼びつけてくれても大丈夫です、と再度の念押し。
私の思っている流れでは、ページタイトル、キャッチ、
イメージラフ(サムネイルじゃないく)まで作った上で
実際のページや商品と向き合いたい(そうすればスタッフの迷いも減るはず)。
「ごめんね、入稿作業とかも実はしてくれてるんでしょ、
たいへんでしょ、朱書き多くて本当にごめんね」に
「なんだか楽しくてしょうがないって境地っす。
むしろこんなプルーフ出すねんて逆に申し訳ないことしたなって感じで。
ま、それはこっち側の話なんですけどね」と
本当に正直に返答、「最初だから仕方ないですよ」と広いのは向こうの反応。
追加の訂正を「ごめんね、実はこんな話になって」といくつかいただき、
いくつかは「それはちょっとどうかなって感じですね、
でも実はそういう話になると思ってこんなふうに進めてます」とハネ付け、
勝手に直しちゃったところ「ここってこうだったけど、
もっとこうしたかったからこうしちゃってます」と口頭で説明し、
…という、よく考えてみれば「私、ナニモノ?」的オチで電話を締めました。

あーしかし、親分に報告したらきっと、
「さとみはライトに言ってしまうからな〜」って
またウ〜ンと悩ませるんだろうなー。
だいたいにして、謙虚じゃないからなー。直さな。

むー、脱出できぬ。

今日はようやくブラジャーのページのチェックと
昨日のヘビーなページのチェックバックが終了。
ほとんどイチから考え直すくらいの勢い、
オペレーターに「あー、破って捨てたい…」なんて(ああ、ひどい!)
ブイブイ言われながらもやりきった。
あとは一番重たい表2と表紙を残すのみ。
それに今日チェックした分のチェックバック。
さすがに朱書きが多過ぎてオペレーターもさばききれず(ごめんなさい!)、
月曜までの滞在が、また一日延びて火曜になってしまった…。
予想では間髪なく色校の第一便、同時に夏号開始。
いつ呼ばれるのかもわからないし、
せっかくだから今週はタクマのお守りをしに、徳島に行きます。

ミーツ次号のネタ上げを振ってもらえてうれしいけれど、
たかだかネタ上げくらいで悩みのドツボにハマってしまった。
「なんで私がそこに行きたいと思うのか」
個人的なところにぶつかってしまうから難しいし、
そういう店って、いざ書こうとなると
「本当にこれが自分の思っている“その店”なのか」が
うまく言えないことにイライラしてくる。
あーがんばります。

いやー、その他もろもろ、
どうしたらええんかわからんことが多すぎる。
ていうか決めたことに従うから、好きなように決めておくれやす。
高松では今、タモリ倶楽部絶賛放送中。
安西肇が坊主になってる…。

2008/10/19

頭の整理的に。

今作っているカタログの中で、
一番客とのコミュニケーションがうまくいっていないのが、
ボディスーツやガードルなどのファンデーションとストッキング。
実際にはコンビニで置かれるほどような消耗品だったり、
競合会社のガードルが今、おもっくそ話題になっていたり、
本当はそこで先手を取るべき立場にいるはずなのに
うまく売れる方法を見つけることができていない。
親分やアドバイザーなんかが
「ここを売らなきゃどこで売るねん」的な感じで
アツくなっている部分だったりするので
当然ながら見る目も厳しくなる。
いや、デザインがどうこうよりも、
これで本当にコミュニケーションがうまく取れるかってとこで。
で、まぁ、そのページの訂正指示が終わって
なんとなくちょっとラクになった。
あとはブラジャーを残すのみだけど、
ブラジャーなんてみんなが気にして見ているページだから
本当はそこまで気合いを入れて見なくてもなんとかなる。
一息、親分とともに和民で打ち上げと次の話。

作るときに、無印やユニクロみたくブランドイメージで、
なんて大それたことは思っていない。
もっと気軽に便利に、付箋紙なんかつけたりして、
それぞれの欲しいと思うものがココにある、
てことがすぐわかることのほうが大事だと思っている。
言ってみれば、一社に一冊のアスクルみたいなもんで
家に一冊、どうですか、てな気分だし、できればそれを線にして、
たとえばストッキングなんかは会社でまとめてお買い得とか、
ガードルなんかだと「あれ、ちょっと痩せた?」「んーへへ、実はね」
なーんて会話があったりするといいな、みたいなカンジ。
そういうことができるように計画を立てて、
おさえる号はおさえて、冒険する号は冒険したいねーてことで意見は合致した。

そのへんの反応をきちんと見なきゃってのは、
雑誌を作っていたときとリンクする。
要するに売り手と買い手のコミュニケーションなんだよね、なーんて。
そういうことを考えると、通販カタログって、
単に誌面を作るというよりは売り場の設計と建設と企画、
さらに売り子の教育、話し口調やアフターフォローも、てことと近い。

最近「クライアントの本当の成り立ちって一体なんなの?」てのが気になって
聞けば、もともとはコミュニティ的なとこから、
「それって商売になるやん」てことでできた会社だと教えてもらった。
なんとなくそれってミクシィ的というか、
誰かのことをうらやましいと思う心理からきてるというか、
だからクチコミなんだなー、みたいな。
このごろそれをクロスメディアなんつってメディア戦略の中のひとつとして
カリスマブロガーを雇ってクチコミを“作ったり”もしてるけど、
なーんかそれってやっぱりマルチ商法的だよな、とか、脱線して思ったりも。
クチコミ作りのために金が絡むなんて。
(最近はタレントブログを広告に使ったりもしてるそうな)

たとえば身重な妊婦さんが、病院で妊婦用のカタログを見つけて
持って帰って家で商品を選んだりマメ知識を得たりしながら
生活の中で便利に使えるモノとして通販でお手軽・カンタンに商品を買えて、
買って良かったと思ってもらえるものがあって、
また使ってもらえて、「じゃあ今度はこれも買ってみようかなー」てとこから
別の商品に手が伸びるような感じだったり。
良かったら知り合いの後輩妊婦に「これ使うと、意外に便利だよ」みたいに
マメ知識といっしょに伝わって、次のお客さんが来てくれるようなカンジ。
それは即効性のあるもんだったりするとどっかうさんくさい。
クライアントが抱えている商品自体もそういう性格のものが多いし、
広告的、戦略的なことを考えてもダメだなーと思ったりする。
カタログってやっぱり広告じゃなくて売り場だし。
だから、売れた方がいいなと本当に思う会社の基本の商品があって、
クライアントの場合、「じつは…」で語られるもののほうがそういう商品なら、
やっぱりストッキングだったりファンデーションだったりするんだけど。

ま、そんなことを考えられるこの仕事は、おもっくそめんどくさくておもしろい。
まー、今作ってる号の目も充てられぬ状況が、次号の企画を止めてしまっているし、
そもそもこんなモノを上げてしまった私らに、次ってあるんか、てのも心苦しい。
考えることは考えても結局作れなきゃイミがないし、
たぶんそうやって考えたことも、
クライアントと時間をかけて付き合わなきゃできない現実もある。
アスクルって安定してモノを売るコミュニケーションができているから
あるときから商品を自分らで企画して作る、みたいなことをできるようになった。
それがまた当たって今の状況を作ることができている。
そういうふうにできたらいいけど、それには自分たちの成長ももっと必要だな、と。



姉が高松に寄ってくれたので、親分と別れてお茶をしながら話をする。

姉はフリーの設計士。
人に誘われて、今、徳島にある農村の、
小さな小学校の建設でコンペに参加している。
その企画の話を一通り聞く。

街ナカで育った人には想像しにくいだろうけど、
私や姉のように過疎地で育った人間には、
街の学校の、コミュニティ的な性質を実感のなかで理解できる。
街ナカであれば、セキュリティやカリキュラムに沿って
学校を設計することはとても大切なことなんだろうけど、
実は過疎地ではそれとはまるで逆の発想があったり。

ひとつ、ITでの事例を出すとすれば、高知県のとある農村では、
「IT化」なんてことが言われる前からネットワークの構築がうまくいっていた。
実は実験的に、別の、高齢化の進む農村で、
24時間ブロードバンドで畑を監視しながら作物の面倒をみられるという
システムを作っていたことが同じ時期(もう10年以上も前だと思う)に
あったんだけど、それは予想を大きく裏切ってうまくいかなかった。
作物は実際に目で見て、手を動かして作るもんだ、いや、年をとってもさ、
みたいな具合に身体的な感覚を信じてるトコあるから。

うまくいった農村の、その使い方は、
廃校をバーチャル学校にしてしまおうというもの。
たとえば過疎地の学校の運動会は、イコールで地域の運動会となって、
子どもがいてもいなくても、それは地域として参加すべきもの、
みたいな暗黙の了解がある。
学校が地域になくなってしまったら
そういうお付き合いは縁遠くなってしまって、
中には村から外へ出ていく人もいたりして、
それを再建しようとして使ったのがネットだった。
そのバーチャル学校には、先生と生徒、とか子どもと大人とかの
あらかじめ前提として作られてしまっている状況はない。
定期的に地域として集まったりして「一日先生」的なものもしたりするけど、
それはたったその日のことでしかないし、誰でも先生や生徒になれる。
基本、どこにいても参加することができたりして、
結果、その農村に直接関係のないヨソの人までがその学校に参加するようになり、
村に遊びに来るようになって、村自体が活性化された。
つまり、学校=地域コミュニティ。アナログなミクシィみたいだけど。
そう考えたら、農村での学校の建て方って
「こう使うからこうしよう」みたいな話じゃなくて
使われ方はその農村次第てとこもあったりする。
「だからしんどいわー」と姉もボヤいていた。

「付加価値」「ブランド戦略」なーんて言ってるけど、
要するに全てはコミュニケーションから始まっている。
広告も、カタログも、雑誌も。
街も店もそういやそうだなーとか思う。

2008/10/18

嗚呼、高松。

文句タラタラ…でしたが、
上がってきているものを見て愕然として、
親分の気持ちがわかった次第。
「誰が見てもダメだとわかるものをなんで客に出したんだろう」
「愛もサービス精神も恥ずかし気もない」
「センスのハナシに到達する前に情報整理すら…」
「ようこんなんでメシ食っていけますよね」
なんて、そのへんのハナシはもう散々親分にしたので、
ここでは云々々々々…で省略しておこう。
するほどに情けなくなるので。

ともかくほとんどのレイアウトを、
ここで受けたオペレーターの作業がしんどくない程度に調整指示を出して、
ほとんどのキャッチコピーを書き直している。
鬼ほど書かれた先方朱書きを全て直した状態から、なので、
作業の度合いはかなりのヘビー級(親分は無差別級と言っていたけど)、
「直したのに…」と思われているだろうな〜と良心を痛めつつ、
頭の中もヘロヘロになりつつ、
書体見本や色見本を見ながらガシガシと朱書きを続ける。
朱書きもらうことを前提に〜なんて思ってる人は、
一度誰かの朱書きをなぞってかいてみてほしい。
恐ろしくしんどいから。
朱書きを書くので一苦労、オペレーション作業で一苦労、
再度のチェックバックで一苦労と、作業効率は悪い。
そんなワケで高松滞在は月曜までに延ばされた。
日曜日のいろんな楽しいコトに参加できません、涙、涙。
せめて、次に出したときに
「最初からこうしてくれたらよかったのに」
と言われることを夢に見つつ…。

2008/10/16

手際が悪い、ですよね。

先週末、親分より「来週は高松来れる?」との申し出あり。
連休明けの朝、「今日の夕方、高松来れる?」
同じく昼間、「やっぱり明日の午前中でいい」
同じく夕方、「やっぱりあさっての午前中で」
次の日の朝、「あさっての午後に来て」と。
ウロウロと定まらない日程、
最初の「来週来れる?」で
全ての原稿を週末に片付けてしまっていたので
やることがなくて仕方ない。
しかもこれ、私の手からはすっかり離れてしまっている物件。
対外的には「もう離れている/次号に向けて動いている」を通すため、
裏でコチョコチョと加担するらしい。
「いつ出る? あ、出た。まだ出る? まだ出た」
てなおじいちゃんのおしっこ(@マルタニさん)みたい。
親分、振り回されとるなー。

というか。
そんなにクライアントにヘコヘコとパフォーマンスして、
結果、振り回されるのは本当にいいことなんか。
見てないけど、たぶんプルーフ(カンプ)も、
そもそも撮影自体、噂では「ヤバイ」出来らしい。
その兆候はいっちゃん最初のサムネイルからあったし、
途中のラフでもごまかしながら〜てのを経て、
もうごまかしの効かないプルーフでの訂正は切実かと。
いや本当は、それまでにできることはたくさんあったやないの。
撮影前に私を今の号から抜いたのは、
夏号の準備をするためと、今の号での手際の悪さを
私とは無関係にするパフォーマンスだと理解しているけど、
いやー、それにしても、なんだかね。
で、不満を持ちながら高松にやってきました。

今日は午後からだし、前乗りする必要はないけど、
なんだかヒマだったので昨日の晩から高松におります。
高松に来たけどやっぱりヒマで、
ただ騒ぎたいだけのお昼のワイドショーなんぞナナメに眺めながら
ボソリ呟いてみたりしました。
で、結局ここまでの経緯がスコンと抜けたまま
最後のチェックバックのためだけ、という中途半端な関わり方で
今日から日曜まで高松から出られませんわ。
て、なんでやねん。

2008/10/13

のうが悪い、もごもご。

私の実家は祖父に祖母、父に母、それに姉と弟と私の7人。
そのうち母親は広島出身で、
今ではもうバリバリの土佐言葉を使うけど、
私がまだ実家にいた頃は広島に高知がブレンドされたマイルドな喋りだった。
地形的にも愛媛の言葉と近かったと思われる。
母は働きに出ていたが、ほとんどの家の会話は母から始まったので
子どもたちも中途半端な土佐言葉になってしまった。
田舎の村で誰からも指摘されたことがなかったことは不思議だが、
高校で高知市内の学校に行っていた頃はそれをバカにされたもんだ。
反対に父の言葉は荒くたい喧嘩上等言葉、
本人は浪人時代に京都、大学時代に仙台と居住区は様々に変わっているが
土佐のココロを忘れたことはない、
いやむしろ厚かましい大阪人のごとく
土佐言葉を標準と思っているところがある。

-+-+-+-

「何しよらぁ、おんしゃあ!」
高知の実家に帰省したとき、
空港まで車で私を送ってくれた弟が
無理な割り込みをされてとっさに発した怒号です。
けっこう無茶かつ危険なタイミングで割り込まれたので
笑い事ではなかったわけなんですが、
聞いた瞬間思わず笑ってしまいましたねぇ。
あー、そうだよ、
この荒っぽい腹の底からの怒号は確かに土佐の言葉だよ。
土佐の喧嘩言葉だよ。

単純な直訳としては
「何をしてやがる、この野郎」程度の感じなんですが、
やはり土佐弁のほうが無駄に荒い。
そしてこの言葉にはやはり腹の底から
喧嘩上等でたたき出す早口の怒号がよく似合う。
(中略)
「何しよらぁ、おんしゃあ!」
これは相当怒ったときしか出てきません。
とっさにこれが口をついて出るということは
その瞬間激怒しているということです。
世の中、アホ・バカ・ボケ・カス、罵り言葉は数ありますが、
この「おんしゃあ」という怒号にはそうした一般化された言葉では
表しきれない深刻な罵りが籠められているのです。
(中略)
「何しやがるてめえ、危ねえだろうが、
目ン玉ついてんのか、前全然見てなかったろ、
このド下手くそ、ぶつかってたらどうする気だ、ぞっとさせやがって、
もしぶつかってたらただじゃおかなかったぞこの野郎、
事故にならなかったことを神に感謝しやがれ(以下略)」
とまあ、軽くこれくらいのニュアンスが載っているわけです。
これが一言に濃縮還元されて、「何しよらぁ、おんしゃあ!」であります。

方言の豊かさ、というものを実感した瞬間でした。
あんまり品のいい場面での実感ではありませんでしたが、
まあ喧嘩上等のお国柄なのでそれはやむなし。
(中略)
この喧嘩腰のニュアンスを遺伝子レベルで覚えている自分も
なかなか大したもんではないかと。
あまり誉められたことではないかもしれませんが、
こういう場面でとっさに「何しよらぁ、おんしゃあ!」
と出てくる弟も、それに共感できる自分もそんなに嫌いではありません。

※とっさのほうげん その22(asta* 2008年8月号/文:有川浩)

-+-+-+-

喧嘩言葉という道具を持っていることは仇ともなる。
(道具は活用するためにあるからだ)
おかげで父といっしょに街に出るのは恥ずかしかった。
なんせ車から窓をわざわざ開けて
「何しよらぁ、おんしゃらあ!(複数形)」と
荒くたい運転の輩に当然のごとく喧嘩を売り、
レストランで料理を待ちきれなくなったら
「のうが悪い!(具合が悪い、環境が悪い、居心地が悪い、など)」
と捨て台詞を吐いて店をとっとと出ていく。
母は堂々たるもんで、そんな父親にピクリともせず、
料理をじっくり待ってきっちり食べる。
父の元に戻れば、車の中ではカメラを持ってケロリの姿、
母親の怒号に今度は父が肩をガックリと落とすのだった。

言葉は土佐ではないが、私の喧嘩上等な性格は父譲りか。
こないだタニモト氏にいろいろと報告をしに行った際に
自分の熱気が恥ずかしいという話をしたのだけど、
そろそろ自制心を持ちたい、そろそろマイルドになりたい、
と思う今日このごろ。

というわけで?、よくわからないこの状況下では、
諦めるもんは諦めるの精神でいこうかと。


生粋の阿波×中途半端な土佐のこのヒトはどんな言葉を喋るんやろ。


追記
方言のことを考えていたら、
難解な土佐言葉を思い出しました。
「おんしゃらあ、まっことしわいきにゃあ」
翻訳できる方、いらっしゃいましたらご一報を。
(文節すら分からない方が多いのでは)
これちなみに、中学のときの先生がよく使ってました。
難解…と言えば文中の「のうが悪い」は最大に難解な土佐言葉。
漢字で書くと「能(能力、能率)が悪い」ということでしょう。
一度使うと他に言いようのない便利なニュアンス。

(文中以外での使用例)
・このイス、のうが悪い。(=座り心地が悪い)
・今日はのうが悪いので早退させてください。
(=原因不明だけど気分が悪い)
・そこに座ったらのうが悪い。
(=何かが見づらい、狭い、など不快を表す)
などなど


追々記
「縁」は人を呼び、人は「運」を運ぶ。
いい言葉ですねー。

またもマッコリにて。

週の頭から「にっしゃん飲も〜」と
キイロい声で電話をかけてきていた粉子ならぬ麺子と
およそ1ヶ月ぶりの天下茶屋のしんみどう。

約束の時間より少し早めに到着したカウンターには、
…あれれ、トッパン時代のクライアントカップル。
仲睦まじく炒飯とソーメンみそ汁をつついている。
その男のほう、内装ドアの中でもパイン材やビーチ材の
無垢の商品開発を担当していた彼とは、
クライアントでありながら頭をペチペチと叩き合う仲であった。
常にタイトな日程の中、
出張校正で海老江のトッパンにやってきては
近所の中華屋でアテをつつきつつ、
内装部材の辞書的なカタログには不要の
部材の調理方法などの情報を語って聞かせられたことも。
(もうその知識もカタ〜い引き出しの奥にしまわれて出てきませんけど)
とにかく、クライアントとのそういうやり取りは充分に刺激的だった。
その会社が業界でどの位置にいるだとか
「私はカタログを作る身分である」だとかってこととは別で。
懐かしさの余りについつい話し込み、
ココロはいつでも仕事をいただきたい所存であることを
「でへへ〜」とチョーシに乗ってほのめかしたりしながら、
麺子が来るまでにすでにビールを3杯飲み干した。

豚キムチと同時に麺子登場、
さらにじゃがいもチヂミともやし炒めを頼み、
突き出しのキムチをつつきながら杯を進める。
(松っちゃんのように豚足マスト、ではない)
麺子からの人生相談が佳境に差し掛かったところで
大先輩の曽束夫婦が偶然登場、ひとまず人生相談はおいて
(というかこの時点で酔っ払いすぎ、
夫妻の登場はうまい逃げ口になったのだった)
前の日まで行っていたという東京のトンカツ事情で軽くジャブ、
先日出た『西の旅』のうどんの記事に対する高松の返答に、
どこのだったか忘れた店のおもしろ話に、
高松で最近ひいきにしている居酒屋のカウンター話にと、
データ化しようもない街の噂話の応酬。
夫人と麺子に挟まれ、
「ライターのくせにデータに弱すぎる」と攻撃を受け、
「でへへ〜」とごまかしながらくいくいっとグラスを傾けたのでした。

…とまあ、金曜日はこんな案配。
こんな調子ではゴキゲンにマッコリが進みすぎ、
最後はメーワクにもアテなしにてマッコリ1パック半を飲み干した。
そのままひとりでミナミに繰り出そうとタクシーを走らせるも、
途中、ひどい眠気の波が打ち寄せたためにUターンして帰宅と。
時間の停まっていたいくつもの古巣が現在進行形になる瞬間、
酔っ払いながらも妙に爽やかな満足を得たのであった。

-+-+-+-

目を覚まして庭を見ると雪であった。
雪は寝床にいるときから気配で分かる。
何かがしんしんと世界に積もっていく密やかな堆積感を、
体のどこかが感じている。
窓を開けると別世界が燦然と現れる。
なんという光景をこの世は持っているのだろう。
水蒸気が空気中のちりを核にして雪の結晶となる。
そしてそれは目覚ましく白い。
そういうものがおびただしく降り注いで世界を覆い尽くしている。

近年、建築や年、人や言葉は、どこか半透明になってきた。
言わば半物質的な存在感とでも言おうか。
建築はガラスや新素材で存在感が軽くなり、
インターネット上を飛び交う言葉は、立ちも座りもせず浮遊している。
それは知らぬ間に更新されているか、
あるいは古色もつかないまっさらの様相で何年も存在し続ける。
そんな状況に新鮮さや可能性を感じて、
それをさらに拡張しようと僕らは日々努力を続けている。
おそらくこの半透明の世界は今後も増殖を続けるだろう。
やがて僕らの意識の大半は、そこに住まうことになるのかもしれない。

しかし、こうして雪に遭遇する。
それは手の平に静かに舞い降り、溶けて光の露となる。
僕らは、消すことも、更新することも、
半透明にすることもできないこの身体を通して、白の摂理に感じ入るのだ。

雪は当分やむ気配がない。

※『白』著:原研哉/中央公論新社

-+-+-+-

酔っ払いの末に麺子の悩みはすっかりおざなりになってしまった。
ほったらかしにするワケにもいかず、
次の日の朝、聞いて思ったことをメールにしたためて返した。
要約したところ結局は、かわいい麺子ゆえ協力者は多し、
最優先事項だけ決めれば流れのままになりまっせーと。
それって“半透明”じゃないからっすよね。

ちなみにしんみどう、この連休のうちに改装を決定。
原節子曰く「テレビのおかげやな〜」と。

2008/10/10

世の中は便利。

データをとっととサーバーに上げろと急かすわりに
サーバーがいっぱいすぎて写真の一枚すら上がらん、
というワケで、サーバー上のデータの整理を待つ合間でございます。

てか、この撮影、結局は乙女すぎて
判断基準がよくわからんかったてのが正直なところ。
向こうの担当者が来て写真を撮る端から確認、
それで「かわい〜」と言いながら
オッケーしていたからよかったというか、
モデルちゃんも「かわい〜」とか
「ブック用にくださいね〜」とか
キャピキャピ喜んでいたからよかったというか。
こちらは撮影終わりにキミヒコ先生と居酒屋にて向かい合い、
「ようわからんかったわ〜」と慰め合いつつ酌み交わしつつ、
お知恵を拝借したふじも兄にも
「オタクっぽいんかな〜?」との感想をいただきました。
化粧が濃かったか?
むむ、しかし、全て仰せの通りにやったからいいのか?
「クリスマス企画」だかいいのか?
などと自問自答をしながら今に至る。
むむ、難しい。

↑こんな感じ。
(かわいいけどボツだろうなーってのをセレクトしました。念のため)

とボヤいている間にサーバーの整理が完了したらしい。
不便だけど、便利ですね。

--

こないだの日記にてけっこうな心配メールをいただきまして。
先日は検査が中心、本日より治療開始。
検査の結果を聞きながら、
知らん言葉にイチイチ食いついて質問をしておりましたら、
最初は至極丁寧に答えてくれたお医者さま、
自分のペースで喋れなくなったことに業を煮やしたか
(しかもあんまり私には関係のないことまで質問しすぎて)
最後のほうは「ネットで調べたら出てくるよ」と。
看護士さんと笑ってしまいました。
というか、「どうせみんななるもんでしょ」と
タカをくくっていたのですが、
ま、お医者も笑いながらの診察、
少々タカをくくっていてよさそうです。
「そのままじゃ子どもはできへんやろな」と
ガハガハ笑われたのにはまいりましたって感じですが。
ま、そんなノリで。

今日は念願のしんみどう!
粉子ならぬ麺子とともに参上いたしやす。わーい。

2008/10/09

カウンターな関係。

ま、だいたいが酒場で知り合った人なんである。
大学のときは大学のナカマが中心だったし、
高校では高校の、みたいなのが普通なんだろう。
大学を出てどっかに所属をしてからは、
そういえばミーツのときなんてとくに
酒場でしかトモダチなんてできなかったに等しい。
ミーツを飛び出して至る今でも、
どこか遠くにいるトモダチより近くにいる酒の友、か。
約束なんぞしたこともない人、下手したら名前すらあやふやな人、
連絡先なんて知らない人のほうが多いし、
顔を見ても記憶になく「こないだこんな話で」と言われて
「ああ、あのときの」となることも多々。
だからおもしろい、だから近い、てのもあるのかもしれない。
むしろ、そうでなければ続かない薄い関係でもあり、
しかし隣のおっちゃん、おねえちゃん、みたいな
妙に旧くから知っている関係のようでもある。
なんというか、縁、みたいなもんなんだろうと。

関西発の雑誌他、いろんなところで絵を描いている奈路さんも
今年のまだ夏になる前に富士で会って以来、
そんな不躾な私の飲みトモダチみたいなもんで、
不思議なご縁を感じるひとりである。
(偶然にも同郷でもある。聞くまで知らんかったけど)
前回の展覧会も良かった。
(和田ねえさんは買っていたけど、私はさすがに買えんかったけど)
まずは告知を。

--

七人の筆侍展・十二年企画第七弾
似顔絵とは「ひと筆」違う
七人の人相書侍展

平成20年10月14日(火)〜23日(木)
平日9:00AM〜5:15PM(最終日〜4:00PM)
※土・日休館
会場/平和紙業ペーパーボイス
(大阪市中央区南船場2-3-23 tel/06-6262-0902)
東學/北村信明/寺西晃/中川学/仲里カズヒロ/奈路道程/山本重也
http://7fude-samurai.akirat.com/

--

よくよく名前を見てみれば、HBHのカウンターにて
実は一方的に知りながら名乗りもせずに話し込んだ東學さんの名も。
14日の開催記念会には是が非でも参加いたします。


こないだ妙に感慨深くなってしまって
HBHで松田さんと、ボンヤリとカウンターについて話し込んでいた。
いや、カウンターってすごいなぁと。
筆侍の方々(どの方も黒帯な人相である)に
なんの屈託もなく話しかけられることもそうだが、
ふと考えればこの数年、
よくも知らない誰かとたまたま同じひとつの板
(凝った白木の板のこともあれば、古い茶色の板も様々である)
に並び合って、笑い合ったりケンカをしたり
またすぐに仲直りをしたりを繰り返しながらいる。
中に個人的に仲良くなって飲みに行くようになったトモダチもいるし、
こちらは覚えているけど向こうは常に酔っ払って覚えておらず、
しかし仕事をお願いするような関係になった人もいる。
人によってその関係の作り方は違うけれど
スタートはカウンターに座った見知らぬ者同士。
道ですれ違っても絶対に話しかけないような人、
あるいはむしろ避けて通りたいかもしれないような人ばかりだ。
カウンターがなければこうはなっていなかった、絶対に、だし、
だからいつからか自然とカウンターを目指してしまう癖もついてしまった。

もともと、その人が何者であるとかのデータ部分、
たとえば名前や年齢や血液型や職業や家族構成みたいなものに
興味を持っていないところもあるんだが(だから人によく怒られる)、
カウンターに座ればそういう細かいことはさらにどうでもよくなって、
今話しているコノコトにどう反応するか、みたいなことや
酒場の今のこの空気をどう受け取りながら行動するか、
みたいなことばかりをもっと切実に考えている。
酔っ払っているから。
たまたまそこにいるから。
それって私にとっては今さら気づいたことだけど、
そういえばミーツではずっと言っていたことだよなーと。
松田さんはフムフムとリーゼントの頭を揺らして聞きながら、
「そういえば、カウンターに座ったらみんないっしょやね」と
カウンターの中からの想いを言っていた。
(松田さんはそういう返しをするからおもしろい)

そんな会話の次の日だから、
奈路さんから「ゼヒ!」とだけ書かれたハガキが届いたのも
妙に心躍ることだったりしたのだ。
(しかし、宛名もいつもながら味あり)
んー、今日は富士に行こう。

2008/10/07

不安要素、いくつか。

あまりの動きの緩慢さに耐えかね、
「やります」と啖呵を切ってみたものの、
モデルを起用しての撮影なんて初めて。
というか、こちらの考えるページの意図があるのに
クライアントに全ての決定を委ねてしまう現状にも
本当にイライラとしていたので。
さて、編集部の兄さんに相談しまくりながらの撮影は今日。
カメラは勝手に信頼を寄せている新田先生だし、
スタイリストも若い割に経験豊富な宮下さんだし、
モデルも希望していた人に決まった。
そこには全く不安はないけれど、
何分、私が慣れていないので、てなとこか。
しかもクライアントの立ち会いあり。
ちゃんと動けるかどうかも微妙なとこやな、と。

--

ここんとこ体調はあんまりよくない。
ジンマシン的というか、だけど、
中耳炎は解決できたっぽいけど、耳から膿がダラダラと出るし、
後頭部は何やら発疹ができて痛がゆい。
その他ポツポツと後頭部とは別の発疹ができたりしている。
元来の病院嫌いもあって自然に治るやろという楽観的見地から
しばらくほったらかしにしていたものの
さすがに…ということで、昨日は時間を作って検査に行った。
元保健婦の母親と薬剤師の父親のススメにより初の産婦人科。
関係のない検査もいろいろとやってみたら、
卵巣に炎症が見られるらしいということが判明。
こないだ明玉さんに言われた
「子どもは産めないかもよ。何かしら検査したほうがいい」
てのが頭をよぎって身震いしました。
早めに検査しに行ってよかったっす。
これからしばらく通院らしく、しかしそんな時間を取れるのか?

--

とにもかくにも、次号のカタログが勝負ということで、
ネバりの必要そうな進行中のカタログ制作からはそそくさと撤退、
次号の企画に勤しんでいたわけですが、
昨日東京に、プルーフ(カンプのこと)チェックに行った先輩からの連絡。
「たぶん、愕然とすると思うよ。ボクが見るだけでもそうやから…」と。
しかし親分からの要請がなければ動けない私、
そんなことを報告されて一体どうすればいいのか。
大阪にて原稿をシコシコと書きながらモヤモヤとしとりました。

で、次号の企画とは言え、こないだのプレゼン後に全く動きなし。
向こうからの回答を待つだけでいいのか、
他に準備できることはないんか、なんだかヤキモキしております。

--

あと、どうでもいいけど、メガネをようやく買いました。
それと、これもどうでもいいけど、
一度切ってもらった領収書の変更はできるということを昨日学びました。
助かりました。

2008/10/02

化学反応。

慎太郎氏より思いがけない一言…二言。
「たいへんっすね」
これは、昨日急遽高松に日帰りで行くハメに
なったことへのねぎらいかと。
「楽しそうっすね」
これは、今日企画書の原稿を持ってって
説明をし終えた後での感想…なのかしら。
まーとにかく、同じ日のうちで
私の仕事っぷりに真逆の反応を見たわけで。
いやーいろんな話聞かなあかんしめんどうっすわ、
と逃げたものの、後々チャリンコこぎながら
あー、やっぱ楽しいかもとこちらも思い直しました。

昨日の高松での情報収集的会談はさておき、
今朝の島田ねえさんとの会談は
やっぱりそうとうアタマが刺激される。
それはねえさんがおっとろしく業界知識に長けていたり、
ていうかそれを自分のこととして
おもしろがって言っていたりするからこっちもおもしろい。
あーじゃあ、これってこういうことですね、
というまとめから「そのココロは」てなビジュアルが
ほとんど本能的に、同時にポンと浮かんでくる。
で、たぶん、それは話を進めながらたどり着いていくので
お互いに思っているイメージってのはそう離れたとこでもないらしく
メモったり口から出してみたコトバや、
チョロチョロと描いた絵が
ねえさんを刺激できたりした瞬間に
ねえさんからまた話がぶわ〜っと広がって、
知らないコトバが出てくる。
それをまた消化してキャッチやらフレーズを
チロチロ書いて〜みたいな繰り返し。
…いや、そういうことがイコールで「おもしろい」じゃないね。
私が勝手に「こうしなきゃいけない」
「こう語るのがカタログだ」とか思っていたことが、
ねえさんのおかげでグズグズに崩されて、
話を詰めるごとに足場がしっかりと構築されていく感じ、というか。
(ま、ねえさんはカタログを作ったことがないしね)
まーそんな具合なので、
最初に話の材料にしようと、タタキとして持って行っていた
チョロ描きのラフなんてザコみたいに自分の中ですぐに覆った。
そういう化学変化がめちゃめちゃおもしろい。
横で聞いていたトッパンのメタボなおっちゃんは、
私らふたりのやり取りを眺めながらニヤニヤとただ笑っておりました。
こっから細かくページ企画を詰めるのが私の仕事ね、はいはい。
つーかプレゼンは明日なんですが…。

てなことで、慎ちゃん、
そろそろホンキでデザインしておくれやす。


追記
alainfinkielkrautrock.comのnew dirty edits、めっちゃかっこいいっす。