2011/05/26

鯉のぼり。

そういえば、このゴールデンウィークには
マコちゃん夫婦と、
あと元『西の旅』編集の後藤さんが
私の家に遊びに来ていた。
最初の日は、私の家の周囲を散歩して家の料理を食べ、
次の日は四国山地のメインスポットでもある
天狗高原から大野が原をドライブ、
夜は高知市内へ繰り出し、たらふく魚を食べた。
翌日は朝から植物園を散策して
高知の中央市場の中の寿司を食べた。
山ではアブラメやワラビ、ウド、ゼンマイの山菜を。
海そばでは豪快な高知の魚を。
海を感じることはできなかったけど、
自然を肌に感じることができたんじゃなかろうか。
たくさん詰め込みすぎて時間が足りないように思うほどで、
きっと満足してもらえたと思う。
後藤さんはその後、うちの姉といっしょに
ロギールさんの家で紙すきを体験していた。
そこには私は参加できず残念でした。

とにかく、そんな訪問があって、
クルマでの移動中だったか何か、ふとしたときに
後藤さんが「鯉のぼり、すごいですね」と言っていた。

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黒田家

60年代のグループサウンズの音楽が
カセットテープから流れるなか、
二人の男がスーッスーッとハケをすべらせていた。

「さあ、次は緋鯉にいこうか」
「あいよっ」、
そんな言葉だけでそれぞれの道具を持ち出し、
一人は尻尾から鱗を、
一人は頭から目玉を描きだす。
ひとハケごとに一枚の布は鯉に生まれかわっていく。
ほぼ同時に作業が終わった。

宇和島は漁業の町だ。
明治38年、黒田旗幟店は
ここで大漁旗を作る店としてスタートした。
もちろんいまも大漁旗を作るが、
年が明け5月までは鯉のぼりにかかりきりだ。
その手法は昔からかわらない。
紅で下絵を描き、ノリを置く。
大豆粉を水で絞った「ご汁」で下染め、
カキ渋と油煙をまぜた黒で鱗を刺す。
そして色止め。
この作業の合間にそれぞれ乾燥が入る。

突然、雨が降ってきた。
二人は中庭に干してある9メートルの鯉のぼりをとり入れに走る。
勉さんと健さん、昭和26年生まれの双子だ。
兄の勉さんは高校卒業後、この仕事についた。
弟は大学を出て福岡の会社に勤めたが、
「人手が足らんから帰ってこい」と。

子どもの頃から自宅の横にある作業場が、
二人の遊び場だった。
遊びながら祖父や父のハケを洗ったりした。
大人になったいまもそんな気持ちが残っているのだろうか。
作業場の音楽がベンチャーズにかわる。
二人の共通の趣味は60年代のロックレコード収集。
「兄は社長、資金力が違うからとてもかなわない」、
一瞬、40年前の弟の顔になってそう呟いた。

※『ひとつ屋根の下で。』
 翼の王国(1998年3月号)特集
 (文/こうちえいこ、間庭喬平)

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他の地域だとうどうなのだろう。
今は四国でも数は少なくなったのだが、
未だに川を横断して鯉のぼりを流す家がけっこうある。
山合いのイナカになってくると、
鯉のぼりの数はさらに増える。
どうやら子どもが生まれたときに
贈答品としてもいただくようで、
勝手な予想だけど、子どもの誕生に対する地域の喜びは
イナカであればあるほどに大きくなる。
(基本、じいちゃんとばあちゃんしかいないから)
となると、鯉のぼりの数は、地域の喜んだ数だ。
残念ながら、ゴールデンウィークに
ヨソの地域へ行ったことがないから、
他のとこでどうなのかはわからないけど。


追記
こないだ、偶然にも姉の同僚となった入交さんが中心となって、
東京からの客人を招く飲み会が開かれた。
場所はなんと臨水。
臨水と言えば、先日ミーツの高知取材でも
土佐のお茶屋遊びをご教授いただいた料亭。
全く知らない人たちに囲まれながら、
おいしいお酒に溺れてしまいました。
(案の定、食べ物はほぼつつけず…)
ワチャワチャとした平和な会になってとてもおもしろかった。

さてこの東京からの客人たち。
なんと、「新聞バッグ」を作り、「おきゃく電車」に乗り〜と、
高知のA面をかなり堪能したそうな。
私もこのツアーに参加したい!
(というか、おきゃく電車に乗りたい)

2011/05/25

生活と天気。

天気や季節の話が好きだ。
新聞のコラムでも「初々しかった若葉は」とか
「水面から首を出し、心細げに風に吹かれた〜」
などが出てくると、それだけでおおお、となり、
ワクワクとして読んでしまう。
だからと言って天気に詳しいワケでもなく、
雲を見て明日の天気を予想するなんていう
経験からの天気予想すらあやふやだ。
それでもこの話にときめかされるのは、
自分たちが振り回されているというはかなさからか。
それでも、するりと相手に合わせて立っているということが
柔らかく、しなやかで、強いと感じられるからだろう。
それに、そこには生活の香りが漂っている。

うちは職業農家ではないけど、ずっと昔から畑があって、
畑では毎日のように野菜が穫れる。
そこでは水菜やワケギ、ダイコンやレタスなどなどを作っている。
収穫できたものは、隣近所で交換することがほとんどだが、
当然ながら、気温や土の善し悪しによって
葉や実の形や大きさは変わり、だから、天気や季節の話は大切。
「早く雨が降ってくれにゃぁ、こまるぜょ」となる。
雨が降った翌日はシイタケがよく太っている。
雨が降った翌日は、山の上の樹の葉っぱがぐいぐい伸びていることが、
下界からもわかる。(その伸びている様すら目に見えるようだ)
雑草も生え揃うから、仕事に出る前の早朝に草引きをする。
ま、だいたいにして、私は収穫しかしないから(おいしいとこ取り)
あんまり詳しい作業工程を知らないのですが。

庭の樹は、毎日のように顔を変える。
昨日洗濯物を干したときに、
こんなに青くなかったはずなのに…と思うことがほぼ。
そしてまさに昨日の昼にはヤマボウシに白い花が咲いていた。
(白い花…というよりもガクにしか見えないけど)
この季節、少し雨が降れば、
いつもはフサフサのオキナソウのヒゲもペチャンとなる。
普段はフサフサに見えるようにブローしてるオッサンみたいやなーと思う。
今日は晴れ。
(じいちゃん的には「もっと雨が降ってくれたほうがいい」らしいが)
昨日までのジメジメした雨と今日の日当りで、きっとまた、緑が増える。

そういえば。
職業農家の広島のばあちゃんちで米をもらったら、
ばあちゃんが「今年の米はええがにできてないけぇ」と言っていた。
そういうふうに聞いたならば、たしかに毎年の米と比べると
糠がよく出るような気もするが、むしろ余計に、
「おいしくないかもしれない」と期待をしない分、
いつもよりおいしいような錯覚も起こすから不思議だ。

ここにいると、そういうひとつずつを否応なく突きつけられる。
そして、どのコトもつながっているということもよくわかる。

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ひとくちに二十四節気と言っても、
知名度にはばらつきがある。
立夏、夏至という主役級にはさまれて、
小満と芒種は渋い脇役を思わせる存在だ。
きのうはその小満だった。
「陽気盛んにして万物長じ、
草木が茂り天地に満ち始める頃」と本にある。

今の季節、夏のスピードは速い。
初々しかった若葉はたちまち茂りを濃くし、
緑となって湧き上がる。
田んぼの稲も負けてはいない。
立夏のころ、借りている棚田で田植えをした。
水面から首を出し、心細げに風に吹かれていた苗が、
はや伸び盛りの勢いである。

※天声人語(2011.5.23)より一部抜粋

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広告用語の「エコ(地球にやさしくそして経済的)」は
生活とは乖離しすぎてどうも好きにはなれないけど、
自然を感じて自然に流されて生きるのはいい。
カラダが浄化され、みなぎっていく身体を実感できるから。

高知に戻ると退屈するかな〜と思っていたのに、
意外とそういう感情が沸かないことに、とても驚いている。
そして、そろそろ梅雨がやってきます。


追記
登録していただけのフェイスブック
(登録だけなら2008年ごろからと異様に早い。
ただ、使っていない)、
タダクマ氏からのメッセージによって
やっと使うことになりそうです。
というか、「この人アナタの友だちじゃないの?」と
渡された一覧の中身が、
「どないして知ったの?」という内容でびっくり。
情報社会、恐るべし。