2008/08/31

オーサカ・ラヴ。

やっとサムネイルもろもろでの指示を終えて、
(ていうか、人生の中でホテルでカンヅメになることがあるとは…)
やっと、恋焦がれた大阪。
親分と高松からの電車に揺られながら、
近づいてくる大阪の匂いを思い出す。

お初天神の路地に迷い込んでしっぽりとシュンでしまいたい。
ミナミの碁盤でエンドレスなゴキゲン回遊をしたい。
鶴橋の深夜の市場をふらふらと、誰かと歩きたい。
九条のトライアングルに囲まれて笑いっぱなしになりたい。
大正のおっさんの店でワインとてびちに揺れたい。
大阪の街にいれば、どこに行ってもおニイやおネエに会う。
言い訳できる相手が身近にいるということのシアワセ。
離れてこそひしひし、だ。

昨日はその中でも最もナニワな街に出た。
道頓堀でも新世界でも法善寺でもない。
高松にいても東京にいても
なぜか思い出されるのはいつでもしんみどうで、
しんみどうでもあのマッコリのパックとキムチチヂミが恋しくなる。

松本のアニキに電話をして現地集合、
早く浸かりたい私は電話後10分で到着、
勝手に出された豚足の烏龍漬け焼きと筑前煮とキムチにまず敬礼、
すかさず先にキムチチヂミを頼み、アニキの到着を待ってまずは生、
原節子なママの韓国語混じりのべっぴんトーク、
テレビで流れるバラエティ、とっとと生3杯を飲み干して
待ち受けるは1リットル500円パックのマッコリ。
私からアニキに近況報告、アニキからは雑誌の話に珍しく人生の話。
ジュリーの『東京』から引用のフレーズの洪水に溺れつつ
ママに勧められるがまま今季初の鉄板キムチ鍋、
キムチにも関わらずククッと効いたダシに悶絶、
おもむろにママの手から放たれた山芋が鍋にイン、
最後のうどんが鉄板に焦げ、
キムチとダシが濃厚に沁みて泣ける。
マッコリはくいくい進む。
ママの「おネエちゃんに1本あげるわ」に甘えてもう1本、
破裂寸前の腹を抱えながら名残惜しくもハムエッグ。

しんみどうのどこに大阪を想うのかは、結局わからないままだ。
自転車でほんの10分の場所にあることか、
近所のおっちゃんらの白熱するトークか、
キムチか鉄板かチヂミか、はたまた韓国出身のママなのか。
アニキに「なんでやろなー」と言うと、
「ようわからんけど、ええことやと思うで」とあっさり返ってきた。
答えはない。きっと考えるようなことでもないんだろう。
それがなんか、いい。


ほんで今から東京デート&出張でーす。

2008/08/29

「ま、しゃーない」の精神。

お互いフリーになったから、育児手伝えるときは手伝うよー
なんて言ってかれこれ数カ月。
そのためにお互いのスケジュールを把握するカレンダーを
ウェブにこさえたにも関わらず、
なされるのは互いが今何をしているのかの確認のみ。
予想外にヘビー級のカタログ仕事に雑誌や社内報の取材と、
育児の手伝いなんぞが入ってくる余裕などひとつもない。
高松←→徳島間はほんの数時間とは言え、
当初の「えへへ〜、高松行くとき子育て手伝うから泊めてね〜」なんて
タクマに首ったけな甘ったるい計画はいつ実行されるのか。
「太田さんの行った店、全部行ったろ」などという
夢の異国の街遊びすら未だ実行に移せてないくらいだし。
今回の1週間の高松遠征も
「途中、1日空きそうだよ〜」なんてアナウンスしていたのに
結局は高松でガッチリ捕えられ、身動きなんぞ、いっこも。

ついに業を煮やして姉が高松にやってきた。
うそ。
うんしょと肩に背負っていたいくつもの仕事が終わったので、
営業で高松にやってきた。
殺伐としたラフ帰校、帰校を受けての作戦会議の後、
事務所近くのスタバ(…くらいしか知らんのがカナシイ)にて
久しぶりの姉との再会。
この後にホテルでカンヅメになって
サムネイルやキャッチとガシガシ格闘する殺伐な心構えに新風、か。
ほんの数十分とは言え、タクマは親にあずけてきたとは言え、
やっぱり家族といるのはホッとする。
かなり和みました、ありがとう。


(タクマ、ラヴリー♡)

姉の建てた私の実家は、高知の奥地、
四万十川の上流っていうか源流近くにある。
家から数歩ほどに流れの激しい&岩がゴツゴツとある川があり、
数100mほどにはサラサラと流れる渓流。
私の通っていた小学校はその渓流のすぐ上にある。
今もなぜか強く印象に残っていることに、「亀逃亡事件」がある。

ほんの少し川を下った先にタイラくんという男の子の家があった。
タイラくんの家は農家で、和田アキ子みたいなおかんがいて、兄弟は6人。
たしか私らが小学校を卒業するくらいにもうひとり産まれたから全部で7人。
そのタイラくんは生き物を捕まえることが好きで、
ことあるごとに、小鳥やヘビや、果てはヤギまで(!)学校に連れてきた。
あるときいつものように連れてきた2匹の亀、
それをクラスで飼おうとなったことがある。
飼うために、花壇にこっそりでっかい穴を掘って、
脇を木枠とビニールで固めて池を造ったり(全然“こっそり”じゃないね)
誰かがこっそり家から拝借してきた電気ドリルで
亀の甲羅に穴を開け、そこにヒモを通して逃げないように確保した。

学校帰りにはよく、2匹の亀を連れてブラブラとその川に寄って遊んだ。
そういうときの亀の監視役はたいがいおとなしい誰かがやっていたんだが、
そのときはじっくり亀を監視してくれるような人がいなかったので
「ま、逃げてもすぐに追い付くやろ」の考えのもと
私らは亀をほったらかしにして川の水に浸ったり、石を投げたりして遊んだ。
遊びに夢中になっていて、ふと気づいたら2匹ともいなくなっていた。
しばらく探してみたけど見つからず。
でも誰ひとりとして、ほったらかしで遊んでいたことを後悔していなかった。
その遊びが特別なことじゃなかったにしろ、だ。
次の日、その報告に対しのみんなの反応も、
「そら、逃げたくなったがよ」と妙に納得した様子だったと記憶する。
あ、ヨソから赴任してきた先生だけがギャアギャアと
「生き物を大切にしなさい」なんて言ってたな。
情操教育かなにかと混同してしまったらしい。
でも、亀は戻りたいところに戻っただけなんだ。

大自然と対峙していたあの頃、
それらが自分たちの思うようにならないことは百も承知、
「ま、しゃーない」てのは牧歌的だが正しい。
むしろ数年に一度は誰か自然に対して無茶する人がいたりして、
そうすると自然をよくわかっている人でも亡くなったりする。
それを間近でよくわかっている。

ちなみにその亀、数日後にゴツゴツとした岩場で発見。
甲羅に穴があったところを見ると確かにその亀なんだが、
“仕方がないので”見なかったフリをした覚えがある。

2008/08/27

必要なケンカ。

悪いけど、ヒール役には慣れている。
バスケットボールなんて団体競技をしていくには、
エゴイストで純粋な愛すべきチームメート達の選んだ
「勝つチーム」にすべく“当て馬”に徹したつもりだし、
雑誌を作る上での衝突なんかはしょっちゅうだった。
「嫌われる」?、「衝突する」?、否、
それはいいものと思えるものをチームで作る上で、
必要不可欠な意識や意図の確認作業である。
悪いけど、その中でのヒール役には慣れている。
極論を口走り、できもしないことをふっかけて挑発する、
間違っていることを間違っているとわかって言ってみる、
それは私の得意芸、要するに考えてもらいたいのだ。
自分の立ち位置が、なんてつまんないことよりも
ゴールを見て、客がいれば客を見て、
ベストな方法を選択してほしいというのが意図である。
てなことを今日の朝、勇気を振り絞ってやった。

ま、認識違いというのはよくある。
その原因はクライアントどうこうというよりも
スタッフ間での認識の共有なさからくることが多い。
制作的に言うと、ま、こと作業となれば余計にだが、
クライアントの顔よりも、どっかから仕事を流用してくれそうな
同じ仕事をしている仲間に意識がいくのは当然だ。
同じ時間を過ごすことも断然多いだろうし。
でも、そもそも自分のやる仕事の意義を思えば
「いいもの」を作るに越したことはない。
仲間内でなぁなぁになって許し合うのは結構なことだが、
それでは相手に気遣うばかりで、本当に自分のフィルタを通した
クライアントの客に向けての表現はできない。

運良く、か、私はスタッフの中で最も若い。
しかも制作スタッフでは情報を多く握る位置にいるときてる。
その立場を利用しないテはないんである。
「生意気に何を言ってるんだろう」と思ってもらえたらしめたもん。
というか、そう思ってもらわなきゃ、
今のままでは次のステップに進めないんじゃないだろうか。

--

こんなに痛い経験をしたにもかかわらず、野性的なお跳ねはしずまらなかった。
しかし一方にはまた、お嫁さんお婿さんの話でがっかりとめいってしまうような、
女の子本来のところがないでもなかった。
身につける美しい着物がほしかった。
簪がほしかった。
縁日の晩、ほろほろと揺れる灯に鍍金とガラス玉で光る簪には何度見とれたろう。
でも、友達が自慢そうにそれを買うのを見ると、
なんだあんなものをと軽蔑した。
ははが「虚栄は悪魔の囁きなり」と教えていてくれていたからでもあり、
簪は虚栄と信じていたからである。
それに、ちいさいときから何かほしくても
なかなかねだらない意地っ張りがあった。
あまえる調子というものが気恥ずかしくて、
よほどどうかしたうまい拍子ででもないと、
すなおにあまえ言は口に出て来なかった。
友達がおかあさんに抱きついて、
「ねえ、ねえ」なんぞといっているのを見ると、
ことにそれが食べものを買ってくれとねだっているのを聞いたりすると、
なんだかぞっと鳥肌だつようにいやだった。
離乳期をとっくに過ぎたくらいの子供がだだをこねて、
飲みたくもないお乳をせびっているのなどに出会うと、
ぴしゃんとたたいてやりたいほど憎らしかった。

それが後年自分も子供を持ってみて、なお厳しくなっているのに気づいた。
よくどこでも見る風景で、
あまえた子のなぶるままに胸をあずけている人がいると、
その都度私は皮膚的にたまらなく不快が走った。
母親には子のあまえがほんとに必要から生じているのか、
いたずらのあまえか明瞭にわかる。
幼い子になぶること、もてあそぶことを許しておくべきでないと
その話をしたら、ある人が、
「あなたは子供の頃からおそろしく強い人ですね」と返辞をした。
性感とだけでは、なるほどというわけには行かない。
とにかく、すなおにあまえられない私の性質に油をそそいだのはははである。
「だらだらとしないのは文ちゃんのたった一ツの取り柄だ」と褒めてくれる。
女のあまったれは不道徳であり、毅然としていなくてはいけないのだという。
私は、いったい誰があまったれなのか知りたかったので訊いてみると、
うちへ出入りしている女の大抵はそれであり、
ひとりははのみ、「私はあまえたことはない」とはっきりいうのである。
身みずから範を垂れたのだろう。
私はいよいよあまったれ技術習得のチャンスを失い、
ほしいものは抹殺してしまうことに強くなって行った。
あまえということは誰しもどこかに持っているらしい。
すなおでなく、ちょっとぎこつとした構えのようなものを持っているのは、
強いようにも考えられるがその実あぶなっかしい性格であり、
よいほどにすらりとあまえられる人のほうが、
不潔なあまえに毅然たる態度を持して行かれるのではあるまいか。

※ゆかた(文:幸田文/みそっかす)より

--

そのスタッフの元締めとはよくやり取りをしているが、
そういうメールを「転送してほしい」と送ってしばらく後、
本当に送って、印象を悪くしていいのかと質問されてがっかりした。
これまでも散々、私が思っていることを
思っている通りに「西村がこう言っている」と言ってくださいと伝えている。
制作の窓口である彼にそう伝えていることで覚悟は決まっていた。
じゃ、一体、この人はこれまで私のどの部分と会話をしていたんだろうと。
きっと、思ってもらっているよりも肝は座っているし、
思われているよりも目的はかなりハッキリとしている。
グジャグジャというよりも、どうすればうまくいくのかを考える段階にきている。
悪口や不満を言っているんではなく、問題点を明確にして
解決していこうというメールじゃないか。
意思がないというんであれば、作るようにコントロールすべきである。
「転送する/しない」を任せたのは、自分のメンツではなく、
彼の立場に都合が悪ければ、ということでしかないのに。

今日、彼が時間のない中、苦労をして作ってもらった提案物は
思っていた以上に相手に喜んでもらえた。
「なるほど、こういうふうにモノって作っていけば安心できるんですね」
「今やってる号のチェックで疲れてたんですけど、
今回は何もしなくてよさそうですね。ちょっと休みますね。笑」と。
中でもきっと、彼が楽しんで作ったであろうタイトルロゴは
「あ、これ、かわいい〜」「これ、いいですね」なんて喜んでもらえた。
そのことがとてもうれしかったことは説明するまでもなく。
自分らに伝えたいことがたくさんあるクライアントから
「でもボクたちは作ることができないし、
外の世界を知らないから冷静な判断もできない。
変わらなきゃとは思っているけどどう変わっていいのかわからない」
と言われて奮起しないワケはない。
もちろん、たくさんの制作物を作っている会社である。
スタッフの顔や反応を見て、どんなものができるのか、
なんて推測することには慣れっこ、
ガッカリさせられたことだってたくさんあるハズなのだ。
そのクライアントから「よかった、ホッとした」と言われることを
私は単純にうれしいと思う。
そのために仕事をしていると、確認できる。
で、未だに純粋にそう思えるということは誇らしい。
フリーになったのは、もっといろんな人の役に立ちたいと思ったからで、
何も自由にやりたかったからってワケじゃない。改めて。
その軸足はブラさないようにどんどん先に進めていくだけである。

ま、もっと、そういうキモチが伝わってくれたらいいなとは。

2008/08/24

達観の末。

ドアホウすぎる〜なんてグチグチ思いながら、
おじさま方に散々文句を言いながら、
そしてときにはトッパンの事務所で大声で
なぜダメなのかを周囲に訴えながら、
ようやくラフのチェックが残り半分以下になった。
中に飲みに行ったり昼寝したりもあるんだけど、
それでもかれこれ4日間のチェック作業。
こんなにも赤字を入れることが人生の中であるもんなのか。
でもようやく、峠は超えた、たぶん。

さて、常々私は、書くことによる自分自身のさらけ出しを恥じている。
ブログは元々そういうもんだからもう割り切っているけど、
(だから「いっぱいあってな〜」という言い訳を先にしている)
ま、だから、「書かなければ生活ができない」という状況は作りたくない。
自分の考えてなさや愚かさなんかが文字としてそのまま現れるのは
服を着た大勢の人の前で裸になっているようでけっこうツライ。
実際に会うよりもストレートに、脚色や同情の余地もないままに、
見知らぬ他人に未熟さが読まれてしまうのだから。
それに、切羽詰まれば詰まるほど、コトバは自分自身に近くなる。
それがむしろいいほうに動く場合が半分、
投げつけてしまったという後悔に苦しめられるのが半分、てとこか。
表現する、というのは基本的に恥ずかしいことなんである。

ラフのチェックをしながら怒りの峠を超した辺りで、
なんとなく達観し、そんなことを思ったことがあったな、と思い出した。

もらった約200ページ分のラフには
原稿にあることの何割も反映されていない。
ほとんどが「自分なりの」解釈、「自分なりの」表現だ。
何を確認するための物だと思っているのか、という疑問はさておいて、
理解をしていないということだけじゃなく、
たかだかラフひとつにも関わらず、話の行間を読めないこと、
(「空気が読めない」なんて言わないよ。空気なんて読めなくていいのだ)
ハヤりやイマの感覚とはかけ離れたところで生きていること、
経験だけでしか物を語ることができない傲慢さが恐るべく露呈されている。
準備を怠ったまま時間に追われて作られているからなおさら無防備だ。
つまり今、私は、子どものような屈託のなさで
「ボクってこんな人です」「ワタシってこんな人です」
とにじり寄ってくる産物と格闘している、ってことか。
それを踏まえれば、今私がやっていることってのは、
その人自身を思い切り否定しているということとイコールだ。
…そら疲れるわな。

「表現とは」なんてことを
ストイックに考えてみたこともないんだろうから
作った本人はきっと気づかない。
見ている人だけがそのことを知ってしまう。
コワいね。

--

サイズを考えるということは、
ヒトというものを相対化して眺める効果がある。
私たちの常識の多くは、ヒトという動物が
たまたまこんなサイズだったから、そうなっているのである。
その常識を何にでもあてはめて解釈してきたのが、
今までの科学であり哲学であった。
哲学は人間の頭の中だけを覗いているし、
物理や化学は人間の目を通しての自然の解釈なのだから、
人間を相対化することはできない。
生物学により、はじめてヒトという生き物を相対化して、
ヒトの自然の中での位置を知ることができる。
今までの物理学中心の科学は、結局、人間が自然を搾取し、
勝手に納得していたものではなかったか?

※ゾウの時間 ネズミの時間(著:本川達雄/中公新書)より

--

毎日は新しい。
あるときポロッと出てしまうコトバは
もしかしたらその次の瞬間、
全く違うものになることもよくある話で。
たかだかラフひとつでセンシティブだね。
でもその一瞬前も、一瞬後も自分には違いない。
新しい毎日を謙虚に受け止めよう、なんて思ったのでした。

さて、仕事に戻ります。

2008/08/20

告知。

出会ってまだ1年足らずながら、
このところ週一はツルんでいる
(まるで旧友のようだと人は言う)
トロンボーン奏者、アングリーアイと
取材どシロウトの頃からライヴ取材やら
なんやらかんやらと世話になっている
関西一シュッとしたパーリィ・バンドの長、
キャイさんの生誕記念パーティでございます。
(ケイさんは面識ございません)
それも、何の因果か私のココロのアニキ・タニモト氏の店、
言うところのメキシカンファミレスこと
アンクルスティーブンスにて。
聞き覚えのないバンドもございますが、
メンツはほぼミナミで会うあの面々。
アイちゃんが30周年、キャイさんが40周年と
キリのいい祝いでもあるので、ぜひ。
(しかも¥1,000/2d、安っ!)

以下、フライヤーまま転載。

--

2008/09/03(wed)
アイ・ケイ・キャイ
HAPPY BIRTHDAY TO US!!
〜The thanks of the life for you〜

open 20:00/close 24:00
charge ¥1,000(with 2drink)
@Uncle Steven's
(大阪市中央区西心斎橋2-1-18 OPUS1Bld.2F)

Live
甲斐鉄郎と豚の中の豚
ソウルミュージックを基調にしつつ、ファンク、ラテン、ジャズ、ラウンジ、ソフトロックなどの多様な音楽エッセンスを取り入れた自称関西一「シュッとした」パーリィ・バンド、ARGYLEで活躍中なキャイ(Key.&Vo.)。「とっても、わたしは、電車が好きな男の子です」。

(アーガイルLive)

華乃家ケイ
宮崎県出身、大阪市在住。ちんどん通信社を経て、1995年「華乃家」設立。大阪ミナミを本拠地として、日本国内はもとより海外でもパフォーマンスを繰り広げている。現在、ソロと樂団、ちんどん屋として活動中。

Crazy for the Mambo
アングリーアイ。マッカーサーアコンチ、CFTM等々でジャンルレスに活躍のトロンボーン、シンセサイザー奏者。過去、二度に渡るNY公演を大成功におさめ、近年自身がプロデュースするGood Morning Recordsからリリースしたエレクトロニカ・ガールズ・ユニット“Zig Zag girls”が各界から熱い注目をあびるJ-Technoシーンのニューカマー。今回は、そんな彼女が立ち上げた、あの時代のJumpin' Latinオルケスタ“クレイジー・フォー・ザ・マンボ”で参戦!

(マッカーサーアコンチLive)※PVもあるのでそちらもどうぞ。


アコーディオン、ウクレレ、ギター、Tサックス、パーカッションの編成で贈るスロータイムリラクシンミュージック。ちょっといっぷく憩いませんか? せやけど油断したら寝てしまう(笑)。今夜はお祝いの宴、ほんの少し賑やかにやります!

--

この他、マキ凛花、アウンサンスージーなどが登場予定。
24時までにはおさまりきらんでしょう。
終了後もめいめい楽器を抱いてダラダラと居座ると思われるので
みなさま、お立寄ください。

2008/08/17

あー、またミナミ。あー。

年をとると、朝目覚めても社会からの「宿題」は
待っていないという状況が多くなる。
悩ましく思う人も多いようだ。
患者さんで朝起きるのが辛いという人には、
朝ものを作るようにとアドバイスしている。
創造性を発揮しよう、と。
誰かに読ませるわけではないが、歌を書いている人はたくさんいる。
日記を書く、勉強をはじめる、庭いじりをするのもよいだろう。

多くの日本人は神を持たない。
宗教に関わっていたら、朝は神に対するお勤めの心が満たされるものだ。
それがないという人ならば、朝は手応えが感じられる何かを作ろう。
朝は世界を眺める時間だ。

※世界が私を置いてゆく朝。
(文:きたやまおさむ/したたかな老人/西の旅)

--

姉が笑って言うには、母の子ども還りが進んでいる。
還暦間際の町役場重役、にも関わらず
連日の徹夜に早朝出勤、全国への出張とよう働く。
曰く「定年後、どうやって生きていけばいいのか」、
まっこと、ワーカーホリックぜよ、だ。
姉の言う「子ども還り」とは
家での母の自由気ままさについてである。

昨日の深夜に母親から電話を何度かもらったんだが、
一度目は帰宅途中、父の運転するクルマの中からで
「お父さんが怒っちゅうき〜」とケラケラ笑い、
そのままトンネル突入にて電話が切れて、
二度目の電話に出ると
「もう仲直りしたきね〜」とまたケラケラ笑い、
笑っていたかと思ったら
「もう家着いたき、切るで、おやすみ」と一方的に言って切った。
こちらは「?」が頭を巡る中、
またも電話が鳴ったので風呂にでも入ってきたのかと思っていたら
「ごめん、ちいちゃん(姉)と話して」と
何の用件も話さないままに電話を代わって
「?」が回る姉と二人、電話で上の会話を交わした。
母はそのまま眠ったらしい。
自由過ぎる。
子どもを全て社会に送り出してホッとしたのか、
姉に子どもが産まれてホッとしたのか、
とにかく子ども還り、進行中である。
定年後もこのチョーシで陽気にお願いいたします。

--

しかしヒマだ。
まさにテレビが私の恋人、
バカのひとつ覚えみたく流れる各民放の
だっせー五輪テーマソングにも飽きがきて、
(そのへん、サンジャポは秀逸の編集だね)
ようよう思い出せば昨日は土曜日、
トライアングルではカームさんがDJ。
そそくさと準備をして街に繰り出すも、
メインアクトの登場待ちのフロアはガラガラ。
知らぬ輩にビールを2杯いただくが
すぐに飽きてメインを待たずにドロップアウト。

HBHに向かえばカウンターには絵師の集団、
外れて飲んでいれば“ウチのダンナ”がやってきた。
半年ぶりの再会である。
“ダンナ”は最近の多忙ぶりを誰かに言いたいらしく、
意気揚々と話したその全貌はおそろしすぎてここでは語れまい。
アニさん、また会ったときにでも聞きたければ報告いたしやすぜ。
“ダンナ”が弟分に呼ばれて去った直後、
その全貌にちょい絡みのあるミナミの親分登場、
「ちょうど良かった、話したいことがあったんや」
と言いながら席に着き、話したかったことだけを話し、
焼酎お茶割りに一口だけ付けて帰っていった。
ホンマかいなーというべき
アホらしすぎるこの話もまた別の機会に。
ひとり残った絵師とアメリカ籍のナイスミドルと
なんやわからん(覚えていない)おもしろ話をして私も帰った。
とにかく、久しぶりのHBHにて(あんまり久しぶりでもないか)、
どっぷりなミナミを堪能した次第。
あー、また、ミナミの話を書かなあかん気がする。
トライアングルに入るときの3,000円しか使わずに
酔っ払ったってのに背筋がおぞましいけど。
ついでに、ミナミの親分にケータイを知られたことが怖い。

--

世界があなたを必要としていないとき、
世界がまだ何もしなくていいという時間に、ものを作ろう。
忘れてはいけないのは、遊び心と余裕。

世界が私を追い抜いてゆく、
あの東京発博多行きの夜行列車こそが、
私の老後だと思っている。

※世界が私を置いてゆく朝。
(文:きたやまおさむ/したたかな老人/西の旅)

--

期せずしてタフな土曜日でした。
南堀江HQに行けばよかったような、
(本当はトライアングルから脱出したときによぎった)
そのままHBHでネタができてよかったもんか…。
あー、今日はおとなしくテレビにかじりついときます。

2008/08/15

ここにいる。

四国全域(徳島除く)に東京と、
ここ3週間ほどの大阪滞在は数日しかない。
今日から高知へ帰ろうと思っていたけれど、
一度ゆっくりと居着いてしまえば
我が家が愛おしいのは当然のこと。
なにしろ、
気合いを入れて買ったイデーの作業机も
薄っぺらくてバカでかい顔をしたパソコンも、
まだほとんど袖を通さぬ一張羅のようにデンといるのだ。
勢い余ってiTuneに入れ込んだ大量の音楽も
まだ充分に聴いてなんていない。
ふらふらと書店で買った大量の本も
まだめくられることなく積まれてある。

帰るか帰るまいかの悩みは
サイコロを振るようにして決めた。
ロール・ザ・ダイス。
姉が徳島にいたら帰る、いなかったら大阪にいる。
というワケで、今、大阪にいる。

--

僕がここで君に会っているということは、
僕はどこかで誰かと出会えないということで。
ここでモルトを飲んでいるということは、
このモルトはもう誰かに飲まれることはないということで。
ここにいるということは、
どこかにいないということで。
つまり世界は、
獲得と喪失で出来ているということなんだ。
それってなんかすごくない?

※diaries' diary(文:高崎卓馬/diaries2008年9月号)

--

早く、帰っていらっしゃいよ。
誰かが私にそう言う。
早く、帰っていらっしゃいよ。
私も誰かにそう思うのだ。

2008/08/14

ちょっぴり怖くて、ちょっぴりシアワセさ。

道を歩いていて、クルクルつむじ風が吹くように、歌が流れてくる。
捨てられたビラの字みたいな、とぎれとぎれの詞に足をとめて、
ビクターの犬になっている。
希んだのではないから、いっそう心にしみる、路上のもてなしだ。

音楽がなければ、生きていけない、とまではいわない。
なかったらないで、ハナ歌でも唄うだろう。
ホコリをかぶったときに、浴びたくなる、バケツ一杯の水のようなもの。
それとも、暑かった一日の夕べに、そよと吹く風だろうか。

※歌、つむじ風(文:佐伯誠/翼の王国2004年8月/Bon Bon Voyage!)

--

高松でもこの夏は暑いようで、
「昨日の気温はこのぐらいで、今日は〜」
なんて言葉が挨拶のように交わされる。
元来が水不足の国である。
夏の天気には敏感だ。
でもその高松よりも大阪は暑い。
そういえばこないだ行った感触では、
東京は高松よりも涼しかった。
明日から高知に帰る。
高知はどうだろうか、などと想像を巡らす。

東京の住人とは、
大阪に帰ってきてからも仕事のやり取りが続いていた。
こちらがクライアント側である以上、
仕事をお願いするのはもちろんなのだが
あれやこれやと自分の作りたいカタログと
私にとってのクライアントの思いとを折衷して、
おそらく伝えなくてもいいような、
いっしょに作っているカタログの考え方や
先にその作業をやる意味までも、
43歳の大ベテランを相手に言う。
言わなければひとつひとつの作業も、
いろんな想いも流されそうで不安なのだ。
東京では風がよく流れていた。軽く軽く。
青山では異臭の漂う風だったことも付け加えておこう。

--

うみ姉が大阪に戻ってくるとのことで、
久しぶりに2人で連れ立って街へ出た。
ばかやに行き、旨い焼鳥とワインでホロ酔いになり、
ナマズの兄さんのところへ移動して、蜷局をまく。
ここに来るとイジられっぱなしのヤラれっぱなし、
ひどいときには夜中の3時に好きなオトコに電話をされたこともあったが、
「いやよいやよも好きのうち」ってなもんで、
「行きたくない〜」なんて最初は拒否を続けていても
飲み始めると終着点は必ずココになる。
「熟れたハイボール〜」なんて太田さんばりのことは言わないよ。
そもそも酒の味などわからぬ時間に来ているのだ、
最近お気に入りのマンサニージャはやめて、
デュワーズソーダ、レモン入りといこう。

デュワーズソーダが2杯目となり、
カフェオレで濁していたうみ姉が帰路につき、
気づけばリーマン2人と同伴カップルに囲まれていた。
キャバ嬢のほうは九州の言葉みたいだ。
「佐賀出身なんですぅ〜」とトロンと見つめられて
こちらはタジタジ、おかわりを自動的に入れられ、
キャバ嬢に手をつながれ…一体何の店や。
カップルのオトコのほうはここでよく見る御仁、
いくつかの会社を経営しているそうで、こりゃまたご苦労。

酔っ払い眼の定点観測は続く。
同伴カップルが帰った後は本町のイタリアン店主の登場だ。
店上がりの日本酒居酒屋のベッピンもやってくる。
カウンターは街の縮図である。
そんな難しいことはいいか、とにかくゴキゲンなのだ。

--

やがてアッというまに、時間がたって、
おじいちゃんになったベントリーに、
奥さんのベリンダがこんなことを訊いたものだ。
「歌っているのは、怖いからですか?」
そのときの、ベントリーの答えたことば、
旅をしていてたまに思い出すことがある。
「ちょっぴり怖くて、ちょっぴりシアワセさ」

※歌、つむじ風(文:佐伯誠/翼の王国2004年8月/Bon Bon Voyage!)

2008/08/12

ナスの煮物とカツオのたたきと冷や奴。

想像以上にすったもんだな高松の仕事。
先々週、缶詰になって掲載商品の取材を受けたあと
不安にかられて予定外の東京出張。
この数週間で、慣れ親しんだ大阪での制作の仕事と
全く初の、東京での制作の仕事との違いにもあくせく、だ。
東京が、ということではないのだろうが、
とにかく自分の思うことを思うように言えない人に馴れない。
「かっこつけ」というのとは少し違い、
無意味にも周囲に調子を合わせてバランスをとろうとしてしまうらしい。
かといって思っていることを隠し続けていられるわけでもないらしく、
一番若く、そしてクライアント側にいる私は
満を持してそのターゲットとなり、
要求や自分の立場とは、などという訴えを聞かされる始末。
…格好をつけられるほうがまだマシである。
いくつになっても人の暗黙的野望とはなんと扱いにくいものかと、
これまた予定外に一泊した帰り、早朝の新幹線で思った。
あらかじめ与えられただけの役割しか見えない人には
こちらがやりたいと思って伝えているはずの思いは
聞こえているように見えてするするとすり抜けてしまう。
自らの立ち位置を気にするがあまりに
根本的に客へのサービスを忘れているのだ。
それはあまりに脆すぎる。
いかに自分が息を止めて仕事をしてきたかと語っていたが、
それのどこがえらいのだ。
どんな仕事にも息のできる瞬間はある。
そのポイントを探せよ。
全てもれなく親分に報告した次第。悪く思うな。

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浜のサイレンうるうる流れて地を濡らし
ひとびとがカメラを向ける先には蜃気楼
「幼なじみはあの船にいるのかも」
「あたたかい空気とつめたい空気」
ためらいもなく船体は伸びあがり
ビルになり 摩天楼
もちこたえて焼け落ちる

※海市(詩:蜂飼耳/真夜中)

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建築部材カタログ→雑誌→通販カタログと、
編集仕事でぐるぐるとたらい回し的に自分を巡らせているが、
その分、新たな発見を得ることも多く
個人的にはえらく楽しませてもらっている。
東京出張の数日後に行った高松では
最近の高松でのお気に入りの大衆酒場[おふくろ]にて
飲めぬ親分にビールをすすめながらひとつ大事なことを確認した。
この、カタログ制作の仕事は、
もの言えぬ人たちの言いたいことを汲み取ってカタチにすることですよね?
親分は満足そうにニンマリ笑って「そうやで」と言い、ゴクリといった。
「せやけど、おさと、オレが一番ムキになってやってると思うで」
「そんなことないですよ。私のほうがムキになってる」
気分のいい争いにも終わりが見えぬ。
終止符を打つように立ち上がり、
長いカウンターに並べられた惣菜ものから
ナスの煮物とカツオのたたきと冷や奴を
「いつもこればっかりですんません」と言いながら
奥にいる“おふくろ”に指差しで頼んだのだった。

2008/08/11

それはただの気分さ。


Looking back when I was a child & dreamed.
Growth and maturity would come to me.
Having faith it would set me free and fly away to everywhere.

I could buy anything.
I could own whatever if I want.
I'm always dearly loved by you easily.

I'll get some beautiful, beautiful, beautiful, beautiful,
beautiful, beautiful, beautiful, ………………………beautiful days.
After all I've come to be a woman.

Did my dream ever come true?
Is this world what I've dreamed?

※beautiful days(Fantastic Plastic Machine)

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言っていいことといけないことがある。
この年になってようやく、
そんな当たり前のことに気がついてふっと立ち止まってしまった。
きっと帰る場所がある。
私のいる所は、帰る場所じゃないだろうから、
そっと後ろから押してあげることしかできない。
だからわざと作ったコトバを放って帰してあげよう。
大量の人の流れはブレてただ風景にしか見えず、
ひとり立ち止まっている自分に気づいて悲しくなる。
「じゃ、帰るね」と言って去って行く背中を見ながら、
本当は引き止めたくって仕方がない。

昨日の花火はとてもキレイで、
キレイなままに散って、全て終わってしまった。
終わるまで、甘えてくれればいい。
終わるまで、ずっといっしょにいればいい。
終わればすぐに秋が来て、あっという間に新しい年が明ける。
時は流れる。
気持ちもいつかは変わってしまう。
私も立ち止まってばかりじゃいられない。