2008/08/29

「ま、しゃーない」の精神。

お互いフリーになったから、育児手伝えるときは手伝うよー
なんて言ってかれこれ数カ月。
そのためにお互いのスケジュールを把握するカレンダーを
ウェブにこさえたにも関わらず、
なされるのは互いが今何をしているのかの確認のみ。
予想外にヘビー級のカタログ仕事に雑誌や社内報の取材と、
育児の手伝いなんぞが入ってくる余裕などひとつもない。
高松←→徳島間はほんの数時間とは言え、
当初の「えへへ〜、高松行くとき子育て手伝うから泊めてね〜」なんて
タクマに首ったけな甘ったるい計画はいつ実行されるのか。
「太田さんの行った店、全部行ったろ」などという
夢の異国の街遊びすら未だ実行に移せてないくらいだし。
今回の1週間の高松遠征も
「途中、1日空きそうだよ〜」なんてアナウンスしていたのに
結局は高松でガッチリ捕えられ、身動きなんぞ、いっこも。

ついに業を煮やして姉が高松にやってきた。
うそ。
うんしょと肩に背負っていたいくつもの仕事が終わったので、
営業で高松にやってきた。
殺伐としたラフ帰校、帰校を受けての作戦会議の後、
事務所近くのスタバ(…くらいしか知らんのがカナシイ)にて
久しぶりの姉との再会。
この後にホテルでカンヅメになって
サムネイルやキャッチとガシガシ格闘する殺伐な心構えに新風、か。
ほんの数十分とは言え、タクマは親にあずけてきたとは言え、
やっぱり家族といるのはホッとする。
かなり和みました、ありがとう。


(タクマ、ラヴリー♡)

姉の建てた私の実家は、高知の奥地、
四万十川の上流っていうか源流近くにある。
家から数歩ほどに流れの激しい&岩がゴツゴツとある川があり、
数100mほどにはサラサラと流れる渓流。
私の通っていた小学校はその渓流のすぐ上にある。
今もなぜか強く印象に残っていることに、「亀逃亡事件」がある。

ほんの少し川を下った先にタイラくんという男の子の家があった。
タイラくんの家は農家で、和田アキ子みたいなおかんがいて、兄弟は6人。
たしか私らが小学校を卒業するくらいにもうひとり産まれたから全部で7人。
そのタイラくんは生き物を捕まえることが好きで、
ことあるごとに、小鳥やヘビや、果てはヤギまで(!)学校に連れてきた。
あるときいつものように連れてきた2匹の亀、
それをクラスで飼おうとなったことがある。
飼うために、花壇にこっそりでっかい穴を掘って、
脇を木枠とビニールで固めて池を造ったり(全然“こっそり”じゃないね)
誰かがこっそり家から拝借してきた電気ドリルで
亀の甲羅に穴を開け、そこにヒモを通して逃げないように確保した。

学校帰りにはよく、2匹の亀を連れてブラブラとその川に寄って遊んだ。
そういうときの亀の監視役はたいがいおとなしい誰かがやっていたんだが、
そのときはじっくり亀を監視してくれるような人がいなかったので
「ま、逃げてもすぐに追い付くやろ」の考えのもと
私らは亀をほったらかしにして川の水に浸ったり、石を投げたりして遊んだ。
遊びに夢中になっていて、ふと気づいたら2匹ともいなくなっていた。
しばらく探してみたけど見つからず。
でも誰ひとりとして、ほったらかしで遊んでいたことを後悔していなかった。
その遊びが特別なことじゃなかったにしろ、だ。
次の日、その報告に対しのみんなの反応も、
「そら、逃げたくなったがよ」と妙に納得した様子だったと記憶する。
あ、ヨソから赴任してきた先生だけがギャアギャアと
「生き物を大切にしなさい」なんて言ってたな。
情操教育かなにかと混同してしまったらしい。
でも、亀は戻りたいところに戻っただけなんだ。

大自然と対峙していたあの頃、
それらが自分たちの思うようにならないことは百も承知、
「ま、しゃーない」てのは牧歌的だが正しい。
むしろ数年に一度は誰か自然に対して無茶する人がいたりして、
そうすると自然をよくわかっている人でも亡くなったりする。
それを間近でよくわかっている。

ちなみにその亀、数日後にゴツゴツとした岩場で発見。
甲羅に穴があったところを見ると確かにその亀なんだが、
“仕方がないので”見なかったフリをした覚えがある。

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