2008/11/01

大阪に住んでいる。

お初天神にて取材。
取材というか、ほとんど撮影だけなんですが。

インスパイアには、ミーツにいたころは特にだけど、
店がもう終わりかけの時間にお邪魔することが多かったりする。
客が私ひとりになると、とりあえず先に勘定だけを済ませ、
ユウジは店を片付けをして服を着替え、横に座って飲む。
ユウジはたいがい店の営業で酔っ払っているので、店の話でアツくなる。
話にアツくなる、とは言ってもそれは本当に静かな変化で、
酔っ払いながらもひとつひとつ確認するように言葉が出てくる。
最初にそうやって話を聞き始めたのは店が4年目ほどのことで、
「お客さんて3年周期で帰ってくる人がおるんやなって思った」
と言っていた。

一度「飲みごろ、飲まれごろ」に書いたことがあるけど、
カウンターに座っているこちらにも
ユウジの静かなるノホホン具合は波及することがあって、
ボンヤリと考え事をしている間に、
隣に別の客が座ったことにすら気づかないことすら。
そんなだから、ユウジから「また来てね」なんていう台詞が思いつかない。
むしろ「帰ってきてくれたらうれしいけど、
帰ってこなくてもいい。それはお客さんの自由」
なんてことを言ってしまうユウジの店はあったかい。
3年ごとに店に来る“常連さん”がいること、
私にとっても「帰って行ける場所」であってくれること、
そのことにいつも感謝する次第。

昨日の取材は9時半にスタート。
お客さんが来るのをのんびりと飲みながら待って、
キミヒコ先生も2杯ほどうれしそうに飲んで、
オイルサーディンを食べて(そういえば、撮っておけばよかった)
撮影をし始めたのは11時くらいだったか。
撮影が終わって、まだもう少しずつ、名残惜しむように飲んで、
キミヒコ先生が帰って行ったのが1時過ぎくらいだったか。
私はそれからもまだ飲み続け、
気がつくとお客さんは誰もいなくなっていた。
2時半を過ぎたころ、ユウジはボツリボツリと片付けを始め、
いつものように横に座って飲み始める。
私はハイボールとシェリーを行ったりきたり、
ユウジはジントニック。
その間にひとつした電話でなんだかやりきれない気分になり、
ユウジにそのやりきれない感じを話した。
どんな話もフワリと軽く空気といっしょに流れていく。
やりきれなさは残るものの、
残る感情の全てが悪いものではないと気づく瞬間がある。
私はいつもその空気に救われる気がしている。

考えてみれば、インスパイアに行っている年数と
私が大阪に住んでいる年数とは同じだ。
T氏に連れられて初めて行ったときに「3年目です」と言っていて
今、店は8年目だから、私は大阪に5年いることになる。
西日本最大のターミナル街・梅田は商業ビルが立ち並ぶ。
あんまり縁はないけれど、キタの匂いは、
本当はインスパイアみたいな路地の中の店の、
静かで求めすぎない匂いなんじゃないかとちょっと愛しく見えた。

3時半を回ってようやく腰を上げて、ミナミに戻るとする。
ニコに顔を出し(送別会のために、すぐにカンバンだったけど)、
ナマズで飲んだ暮れつつぐっさんに取材を改めてお願いして、
最後にうさぎでようやく食べ物にありつく。
(ケンジさんが偶然にもおりまして、よう喋った。
リョンリョンと似たオンナがいた)
その頃はすでに6時を回っていたから
ボンヤリと「これってすでに夕ご飯じゃなくて朝食やな〜」なんて思った。
今日はミューズとゴールデンボールを取材。
これもまた取材というよりも撮影という感じで、
書こうと思っている話を確認するだけなんだけどね。

あまりにも高松滞在が多いので、
母から「もう高松に引っ越したら?」とまで言われてしまったけど、
高松に住めば、ミーツからこういう嬉しい仕事をもらえなくなるし
(仕事を一生懸命するほど赤字、もう、趣味と言い切ってしまいたい)
大好きだと思っている大阪の街の匂いが遠ざかるのは寂しい。
意地でも引っ越さない理由はそれしかないんですが。

しかし、おかげさまで今日は昼過ぎに起床。
せっかくのバスケには参加できず。
それが残念ですね。

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