2008/09/30

サボり魂、百まで?

頭がイんでいるので、何をするにも歩みが遅い。
そろそろヘコんでいるとかいうモンダイでもなく、
サボりたい病がただムクムクと育まれているような気がする。
さて、昨日企画書のページアップをお願いしたデザイナー氏、
あんな貧相な素材で大丈夫かと気になる。
準備の遅さが致命的、ああ、サボりたい病、忌むべし。

しかしプランナー島田ねえさんのアドバイスにより、
市場調査という名の巡り歩きくらいには出てみる。
取り急ぎ、下着屋さんに入ってみようかと。
とはいえギャラもらったばかりの女子ゆえ目移り激しく、
全然関係なく店に入っては試着をしたり、
ほいでなんか、関係ないのにニットとか買ってみたりと、
平日のよき日を休日のように遣ってしまい、
「なんばって、こんな南まで車の停まってる街やったっけ?」
と特集作ったのに、ほんでめっさ近所に住んでいるというのに、
今さら気づいたパークス的街感に感心しきりと、
やっていることがとてものんびり。
(いや、ナンコメも意外にツカえる。どうも腑に落ちんけど)
で、結局入ったのはなんば駅前、
ワコールのウンナナクールくらい。ああ。
(本当は南船場まで行きたかったんやが)

ウンナナクールは、
広告でかなり評価されているワコールのショップ。
「ぱん つう まる みえ」てのは記憶に新しいんでは。
↓こういうノリですねー。

まぁ、とにかくかわいい。
うちのクライアントの手にかかれば、
ベージュにゴテゴテなロングガードルも、
(こないだキミヒコ先生は
「脱いでこれやったら引くな」と申しておりましたが)
ウンナナクールであれば、あらら、まぁ…と、
ガードルはガードルでも、ピンクのテロッとサテンの素材でキュート。
横を見ればグレーでもちょっとドットの刺繍のある繊細なガードル。
あらら、まぁ、ですわ。
ほんで、超アウター的ブラショーに、キャミにと
雑貨屋の感覚で、あれもこれもと手に取るうちに散財。ああ。
ちなみにここの商品も広告に引っ張られてるんですね。
(さらにちなみに、実はその広告作ってるのは女の人ではないんですね)
ま、話しかける相手は全然違うんですが。

さてこれからスタイリストさんと打ち合わせ。
忙しいスタイリストさんと、ヒマ(ヒマじゃないけど)な私。ああ。
ほいで、編集案をガッツリ作らなければー。ああーー。
できれば打ち合わせ後、
そのまま飲みに行きたい…て、いかん、いかん。

情報レベル、カタログタイプ。

大学のときから、雑誌を恐ろしいくらいに買っていた。
よく引用している『翼の王国』は定期購読、
眺めていただけの『アイデア』『AXIS』『広告』も定期購読、
後に自分が作ることになろうとは…の『Meets Regional』に
『サイゾー』『TV Bros』『広告批評』『BRUTUS』、
なぜかここに『暮らしの手帖』、
『STUDIO VOICE』に月刊の『PLAYBOY』、
『Gap』の建築特集や『A』、『skypaper』、
姉の影響で、用事のない建築雑誌も数冊は。
あと、おもしろそうな雑誌はいくらでも買った。
すぐに廃刊になってしまった『eat』のコラムはおもしろかった。
見かけるたびに奮発して買った『archives』で
海外のCMを見るのもおもしろかった。
その他に書籍もアホほど買っていたので、
月のうちの書籍・雑誌代はバカにならない。
いやしかし、女性誌…というか、
何か喋る相手を限定した雑誌というのを
ちゃんと買ったことがない。
…ということに今さらながら気がついた。
いやたぶん、うちの家系的にそうなんだろう。
姉や母が、ファッション誌を読んで購買行動に、
ていう姿は見たことがない。

たとえば(これを言うと怒られそうな気もするけど)、
私は『Meets Regional』を毎月読んでいたけど、
それを読んで、載っている店に「さぁ行こう」と行くときというのは、
そこに載っている店の記事が自分の知らない魅力的な世界で、
自分の知っている手札では
おそらく叶わない時間がそこにあると思ったときにしか行かなかった。
今、髪を毎月切ってくれる「斉藤さんとこ」はそうだし。
ただ、それらは気分でしかない。
その店の記事を読むために雑誌を買っているけど、
その店に行くために雑誌を買っているつもりはない。
だから全部読み切ってしまったあと、
何ヶ月か経って読み返したときに
「あ、そういえば、行ってみよ」となるのが常。
雑誌購入がイコールで消費行動には結びつかない。
いや、書いている人らのキョーレツに遊んでる具合も、
その店にいきなり行ったからって
同じようにできるわけじゃないってのも、
読んでいればすぐに分かることなんだよね、てのもある。
…それは一種、臆病とも言うのか。

最近では、仕事柄、情報や参考物件を探すためによく女性誌を買う。
女性誌とは「目的」がおそるべくハッキリとしていることに気がつく。
誰かに言ったことがあるような気がするけど、
ひとつ“カワイイ”デニムの商品が載っているだけで
たぶん雑誌は購入される。
そのデニムを買おうとして雑誌を“ためて”おきたいと思うんだろう。
そのデニムに付随するコーディネイトや小物、
似たデニムは同時にそのページに載っていて、
それらを自分の生活の中に取り入れようとするから。
つまり、より実務的で実際的、
情報的な性格が「女性誌」というものにはある。

今、雑誌の廃刊ラッシュだ。
私が買っていた雑誌の中でもいくつかはもうなくなってしまった。
(そもそも雑誌バヤりの中で出ていただけのものもあるし)
いや、残っているものって、
けっこう消費行動に直、てものが多いんだなと。
そうじゃなかった雑誌もそうなっていく傾向はあるよね、と。
(そういえばこないだの『ハイファッション』では
「カタログ的な雑誌が増えている」みたいなコラムとともに
アイテムを「カタログ的に」ズラッと並べていたんだが、
たぶんそれは「あえてカタログ的な〜」と言ってしまったがために
全く「カタログ的」ではなかった。それが狙いなんだろうけど。
というか、それらはたしかに「カタログ的」と言われるんだが、
あまりにカタログを卑下した言葉になっていて聞いて気分が悪い)
それがいいか悪いかってことではないんだけど、
ひとつロマンがなくなったような、そんな感じはあるのかも。

2008/09/29

そういえば、やることいっぱい。


敬愛するやきそばかおる先生のブログ、
ご存じ「やきそばかおるの気になるじゃないか」。
『世界ふしぎ発見』の黒柳徹子の回答、
縦書きなのは確かに気になっていたけど、
これ(↑)「羊の毛を刈るので生えてくる。刈らないとハゲチョロケ」。
「ハゲチョロケ」って。
いや、どうでもいいんですが。

さて、次の号の企画書のためにデザイナーさんのとこで打ち合わせ。
本当はページネーションやら
お願いしたサンプルページ以外のキャッチ案も
考えないといけないのだけれど、
その他の雑務に追われて何もできず。
なんとなく『M-1』のDVDを流しながらやってしまったので、
そっちに気を取られて何もできず(えっ)。
そういえば、クリスマス企画とやらの撮影準備もしなければ。
そういえば、ネタを上げないと。
そういえば、原稿を書かないと。
と思いながら机を見たら伝票がようけあって、
しかも見積りの締め切りが明日着のヤツとかもありまして、
焦って作ってそそくさと郵便局に走ったりしておりました。
とかやっていたら、仕事のオファーをいただいたりして、
頭の中で算盤をはじいたりしながらフムフムと拝聴しとりました。
えー、いろいろありまして。

そういやタローが放浪から帰ってきたらしく、
昨日のヘコみ日記の感想をメールにしたためて
軽く帰国をアピールしておられました。
猫の手を借りたいときには、
猫の手ほどのタローくんの手をお借りします。
何卒。
マコの結婚式も間近。
祝辞を読まなければいけないというのも
これまた馴れぬことゆえにプレッシャーも甚だしく。
プレッシャーからはできれば逃げたくもあって、
マコに聴かせて喜んでもらえた
美空ひばりの「ラブ」(ナットキングコールのカバー)やら
もろもろをコンピにしてあげる予定。
んー、そんなんもあるんやね。

日々に謀殺されてしまえー、でもある。
ほいで、やきそばかおる先生の
新ブログ「コンセントでいろいろつくってみた」も
しょーもないので必見。

2008/09/28

芸の肥やし、か。

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蓮の花の咲いた日に、ああ、わたしの心は彷徨っていた。
なのに わたしはそれに気づかなかった。
わたしの花籠は 空っぽだった。
なのに 花には目もくれなかった。
ただ、ときとして、ある悲しさがわたしのうえにふりかかり、
わたしは 夢からふと目覚め、
南の風に あやしい香りの甘い余韻をきいていた。
その仄かな甘さが わたしの心を “あくがれ”にうずかせた。
それは 終焉を求める夏のはげしい息づかいのようにも思われた。
そのとき わたしは知らなかった。
ーー花がそんなにも身近にあり、
それがわたし自身のものであったことを、
そして このような全き美が
わたし自身の胸の奥深くに花咲いていたことを。

ラビンドラナート・タゴール
『ギタンジャリ』より/森本達雄訳註(第三文明社刊)

※インド・マイソール(文:朝比奈千鶴/『翼の王国2008年9月号』)

-+-+-+-

ひとつ、開いていた気持ちが、
夏の終わりといっしょにシュッと閉じた。
季節外れの大きな台風がまたやってきている。

何かを諦めるというのは、いつだって悲しい。
自らの至らなさがぐっと身に沁みて、
しかし、「もう一度」というものでも
「次に生かそう」というものでもないから
何をどう考えてみればよいのか分からない。
きっともう二度と、言葉を交わすこともなく
いつか、なだらかに波はおさまっていく。
互いに違う方向を眺め、もう二度と交わることもない。
そう思うと途方に暮れる。

この3日間、ひどい喪失感にただ明け暮れ、
ひとりでは居たたまれずに無理矢理に誰かのいる場所へと向かった。
誰かのいるところで、バカ話をしたり
仕事の苦労を聞いたりしていた。
帰りにはボンヤリと空を見ていた。
真っ黒な空。
雲が流れたり、ときには星も何も見えない、
ただ真っ黒なだけの空。
夜だから。

-+-+-+-

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ 私がさようならする

あともう一回だけ あの日を見せて
あともう一回だけ 私がさようならする

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ あの日を見せて
あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ あの日を見せて

あともう一回だけ

あともう一回だけ あなたが笑って
あともう一回だけ 私にキスする

※あともう一回だけ/J

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ただ一言「ごめんね」と伝えたかったのと、
自分の言葉足らずを悔いるのとで精一杯。
相手からしてもらったことへ感謝を伝えたことってあった?
何から「ごめん」を言えばいいのかも、
(そもそもそれを伝えるときは来るのかい)
その他には、何が悲しいのかもわからないままに
何かを思い出してはまた、涙がこぼれる。
今、私はそれだけでしかない。


追記
胸も痛いが耳も痛い。
右耳はどうやら内部がドカンと腫れてしまったようで、
(見たわけではないからわからんが)
耳に何かを覆っているように聞こえない。
聞こえないばかりか、物を食べると激痛が。
これ、中耳炎?
左耳からは昨日、ほんの少し液が垂れたおかげで痛みは緩和。
右耳からも同じように液が垂れるのか?

居たたまれぬ私にお付き合いいただいた
タニモト氏、マコちん、ぐっさん、サンキューです。
特にタニモト兄、泣き過ぎ、たいへんご迷惑をおかけしました。
残念ながら、たぶんもううまくはいきません。
あーしかし、大丈夫か、私。
何分、恋愛検定8級の初心者、
こんなにヘコむのは初めてのことなので、
この先どうしていったらええもんか。
あー、大丈夫か、私。

2008/09/27

下着って、女って、深い。

朝からディレクターさんと打ち合わせ。
サバサバした女の人。
下着の話をヒアリングしながら、
へぇ、ほぇ、奥が深ェ〜とただただ口あんぐり。
具体的なページの話にまでは時間がなくて至らなかったし、
(て言っても朝からかれこれ2〜3時間は喋っていた)
現状のカタログを考えると
「それはすぐには実現不可能やわ」て部分はやっぱりある。
でも、カタログで目指したい方向が
これまでよりももっとリアルに見えてきた気がする。

下着の話って難しい。
結局はアウターのためのモノであったりするし、
かといって、TPOに合わせて服を着るように、
その服に合わせて下着を選びましょうってなると
いや、(気持ちは)わかるんだけど、
(実のところどう選ぶべきか)わからない。
ディレクターのねえさん曰く
「そういう女の人ってけっこうおる。
店に立ってるスタッフでも、わかってない人っているし。
でも、そこで終わってしまうともったいない」らしく、
「じゃ、どうせ選ぶんならやっぱり、やし、
きちんと選べば数段キレイなカラダは作れる」ってなる。
それは夢を見させるどうこうの話じゃなく、
具体的にどういうシーンで、どういうことをしたいか、によるらしい。
たとえば、見てほしい下着は「こう見てもらう」と具体例がほしいし、
どうカラダを補正するかは
「このアウターで見てもらう」という例がほしい。
つまりそれぞれの商品に具体的なシーン設定が大事だと彼女は言う。
だから、「こうじゃなくて、こうね」と、
ひとつひとつ、思ってきた方向性を修正してくれる。
私はただ感心しながら「あー、そうか、そうか」と思う。
「西村さんは若いから、まだ結婚も出産もしてへんでしょ。
カラダのラインが気になるのは出産後やからね、難しいよね」
「20代の後半から、胸が垂れてなくなっていくの、知ってる?
だから週に何回かはボディースーツで正しい姿勢を作らなあかんで」
などなど、カタログ制作をしてるからってだけじゃない豆知識がきて、
「今のカタログって、結局中途半端に夢を語ってるだけやん。
“夢”で終わるとすっとばかされてしまう。
春夏の号のラフも見たけど、なんだかね。
買う人は、切実にほしいんやから」と締める。
その上で「フォローとして、売りにはつながらへんやろけど、
コラムだって行く行くは必要やと思うで。
あんなにボリュームあるんやし」とコメント。
うむうむ、なるほど。

で、今の号の作り方を相談してみる。
「それさ、言うことはよくわかるけど、
相手の懐にたぶんまだ入ってないねん。
もっと女の子らしく言うたらええのに。
ベテランのおっちゃんらなんでしょ、
それに東京は大阪とやっぱり作り方も違うんやし。
もっとうまいこと使わな。しっかりしすぎやし、
我慢しすぎやと思うし、もっと要所要所でうまい方法あるで」
とガシッときた。
あー、それ、まさしく今反省中のこと。
打ち合わせなのか何なのかよくわからん女同士の話が始まり、
ランチに突入し、ビールをふたりで飲み始め、
ついでに恋愛相談なんかもしたりして、
「それはアンタが謝ったほうがええと思うわ」など言われたりして、
(しかし謝る勇気が一向に出ず)
「やっぱり、女のトモダチをようけ作らなあかんと思うよ。
私も“女なんて”って思ってた時期あったけど、
それはそれでおもしろい。市場の研究はそのついででええねん」と。
いやーねえさん、勉強になります。

とにかく、ねえさんの制限時間ギリギリまでお付き合いいただいて、
近所にあった「ここはいい売り方してるよ」という
ランジェリーショップの前を通り、
「今度いっしょに下着買いに行ったるわ」てなとこでお開き。
いやー、かなり勉強になりました。
つーか私も女だから、
「ようわかる、それ」っていう参考ラインがわかった。
これからもご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

2008/09/26

目は寸止め、鼻は垂れ流し。

牛タン専門店取材にて、
よほど物欲し気な顔をしていたのか
「ビール、飲みませんか?、まだこの後あるなら小グラスでも」
と言われたので、お言葉に甘えて、
ビールと、甘くて柔らかいタンの肉にあやかるとする。
数ある部位の中でも
あえて、あっさりとアテになるタンを選んだ店主の
酔狂さにもほどがあると思いながら、
しかしいつもなら前菜の役割を果たすタンの
ジューシーさはキョーレツであった。
そこでついはずみがついての2軒目。
本当はカメラの竹田さんも飲みたそうにしていたけど、
その後に取材が控えているとのことで
ひとり、アメ村のメキシカンダイナーへ。
(メキシカンファミレスから昇格)

週末のメキシカンダイナーは混んでいる。
オープン直前に足を運べば、もうすでにテーブルは予約で満席、
座って飲んでいるうちにカウンターも予約で埋まってしまった。
「ごめんね、食べもしないのに」とタニモト氏に心で謝る。
大阪に住み始めて6年、すぐに仲良くなって
ケンカもたびたび…のタニモト氏は、やはり私の兄ちゃんである。
ここ数週間、行かなかった間の近況を報告し、
報告したらすぐに満席で店はてんてこ舞いになって、
報告したことを、熱帯魚の動きや
兄ちゃんの動きを目で追いながら反芻する。
反芻しながら、そこに付随する想いが募って、
ついでにお酒もちょっと入っていたりしてついつい悲しくなってくる。
というか、「兄ちゃ〜ん」と泣きついてる感じが
まったくもって情けなさ全開でしょーもない。
あー、こんなことって、未体験ゾーン。
兄ちゃんも「こんな満ちきちんのレストランの真ん中で…、
ていうかそんな悲しそうなん…」なんてびっくりして
頃合いを見て慰めのシェリーを奢ってくれたりするので
(たぶん私が飲まないと減らない酒なんだと思うけど)
余計に泣けてきてしょうがない。
泣けてきてしょうがなさすぎるのと、
客で埋まりすぎて申し訳ないのとで、そそくさと店を後にした。
たぶん、兄ちゃんは心配の余りに夜中呼び出すんだろう。
呼び出された私はまた、えーんと泣きつくんだろう。

雨の上がった大阪は肌寒い。
千日前の交差点で信号を待っていたら、ふらりと3人組。
「渡ったところでええんやんな」
ひとりが確認のために振り返って言う。
長袖を着た3人組。
南からまた、冷たい風。
腕を覆いたい気持ちで信号を待つ。
何も考えないままに信号を待ちながら、
鼻から自然に涙が出てきて止まらない。
目は寸止め、鼻は垂れ流し。
ほろ酔いでチャリンコをマッハで漕ぎながら
自分へと、相手への言い訳が頭でぐるぐる回る。
その後に、もうどうしようもないってのが
よくわかって余計に泣きたくなってきて
上を向いたり下を向いたり、忙しくってしょうがない。
もう本当に、あー、としか言いようがない。
あー、不安定なこの感じ、サイアク。

2008/09/25

通販カタログ。

ゴキゲンに音と酒と戯れた週末よさよなら、
気づいたらもう木曜日、9月も終盤。
てかもうそろそろ10月になる。
作っている号もそろそろ撮影は中盤、
私はそそくさと次号に向けて企画を準備中。
てか今日、その考え方のまとめを届けてきた。
一体どこまでコンセンサスが取れているのか
自分では冷静に判断できないけれど、
今、納得してもらっている実感のある自分の提案を
早くカタチにすることが次号での段取りを作っていく。
だから、早く、早く、と気が焦る。

-+-+-+-

彼が、デザインとは
「相手にものを贈ることを想像すると一番分かる」と言っています。
たとえば「あの人はこの花を喜んでくれるかな」と花を選ぶこと、
「どうやってラッピングしたら
あの人は喜んでくれるだろうか」と考えること、
さらに、いつ贈ればよいのかと
想像するのもデザインだと言っているんですね。
とても感銘を受けました。
そしていつからか、人だけでなく、
花自身にも喜んでもらえることこそデザインではないのかと。
大変な結論に導いた(笑)。
そう思っていたところにとらやとの出会いがあり、
仕事を続けるほど、
このデザインに対する思いは「間違いない」と実感しました。

※「とらや」を超えるためのデザイン
/企業力とデザイン(PIE BOOKS)

-+-+-+-

他人に言わせれば「こんなボリュームのある下着のカタログなんて」
なんだろうが、私に言わせれば
「これだけボリュームのある下着のカタログは他にない」。
いわゆる妊婦用のカタログやらとは違って
話しかける相手は幅広く絞りきれない。
「ホントに迷惑をかけてると思う、ごめんね」とクライアントは言う。
だけど、だからこそのやりがいを持っているのも事実、
解決するモノが多くてウキウキする。
作りようによっては下着のデパートにできるやん、とかも思う。
それだけに編集力がかなり必要で、
おもろいもん作ってギャフンて言わしたる〜と俄然奮起。

下着のカタログを作ることは、
特にそのクライアントにおいては
他での露出がほとんどないだけに
売り場を設計/運営するのと同じ意味合いを持つ。
売り場でインストラクションしてくれる人がいないだけに、
商品語りはかなり大切なものともなる。
誘導してくれる人がいないから、商品を探すにも手間がかかる。
似た商品がページをとばしてあれば、
「あれ、この話ってさっきも言ってなかったっけ?」みたいに迷うし。
商品を手に取れない分、撮影で
いかにその商品に性格をつけてあげるかってそうとう大事だし。
ボリュームが大きければ大きいほど、
商品は羅列でなく緩急のついた語りや明確な違いが必要。
それに、作った“モノ”としての機能は同じでも
作り始めの経緯が違っていれば、それは全く別の語りが必要になるんだ。
それは商品シートをいくら眺めていても答えは出ない。
実際に話を聞いて、どういう想いから作られたのかを知る必要がある。
…なんてことを昨日の晩に親分に、愚痴がてら散々喋ったんだけど。
そういうことがわかるものを作りたい。

クライアントに謝られた後、「でも、実はこうですよね」と、
昨日の晩に親分に散々語ったその話をすると
思いもつかなかったことを言われたような顔をされてしまった。
…少々引かれてしまったかもしれない。

アスクルがカタログをきちんと整備した後、
サービス精神旺盛な商品を作れるようになったように、
で、もっともっと遊び心のあるカタログを
作れるようになったみたいに、私もそんなことをしたい。
クライアントは、きちんと整理はできてはいないけど、
充分に自分の商品に愛情を持ち過ぎな人らだ。
それが元で制作的にはそうとうに面倒なことにもなりがち、
それは彼らの想いが制作側に伝わっていないことからもきている。
きっと、ガッカリしたこと、ものすごく多いんだろうなと。
できればガッカリさせたくないなと。
で、作り方も変化が必要。
編集力が必要な商品と、デザイン力で勝負でしょってページに
分けて作りましょうと親分に提案したら、
意外にすんなり受け取ってもらえて
早速それを先方に提案してくれたこともうれしい。
加えて、私が酔っ払いながらフニャフニャ〜と言っていることを
親分がちょこちょこ自分の意見にしていることは、
「それ私が言ってたこと、盗んでる〜」となって悔しいけれどうれしい。

「アイツら(商品担当者たち)ね、いつも勝手なこと言いよるんですよ。
本当は、『カタログの話に参加したらワチャワチャにしてしまう、
任せたほうが絶対いいものができる』って
言わさんといかんと思うんですよ。
もっと商品も整理しんといかんと思うし、
わかりやすいもんを本当はちゃんと作らんといかんと思う。
そういうふうにできるもの、作りましょう。いや、作ってください。
この企画書なら、Mとも“早く作ってほしい”って話ができると思う。
要するに、この考え方をどうカタチにするか、ですよね。
て、言いながらそれでもへんな商品突っ込まないといけなくなったら、
そのときは本当に、ごめん」とクライアント。
てかやっぱり、何をどう作るか、
それによってどういう方向に目を向けられるのか、
てなことをちゃんと話しながら作れる相手っていい。
私は相手にとってそうなりたいと、最近本当に思っている。

とにかく来週末には設計図を作ってお届けの巻。
まとめきれるかな〜。
他媒体の撮影も進めなきゃ。
せわしないな〜。
手伝ってくれる人、随時募集中。
いかんせん、想いはあってもワザが足りない。
できれば、私よりも編集に長けてる人、ぜひに。


さて明日は久々に取材。
肉だ肉。
来週は牡蠣も食いに(季節外れだけど大丈夫?)行ったりするらしい。
東京の編集部からは「トンカツ食べに行かな〜い?」と
別冊の編集部からは「晩ごはん食べにどう〜?」とお声掛けをいただいた。
どれも同じ時期の取材、むむ。
スケジュール決めたもん勝ちですよー。笑。
つーか、食べてばっかやな〜。
つーか「酒場ライター講座」、ギガント行きたいっす。

2008/09/23

酔いどれ音紀行◎△?×□

酔った勢いで買ってしまったチケット、
本日の@シャングリラ、トラベラーズのライヴ、
いや、DJジュニア主催のイベント、DIG THAT BEAT。

ニューオリンズジャズ・トランペッター
ミッチーさん率いるバンドに
久留米発のジャズバンドトラベラーズ。
シュウくんに触発されたがための前売り購入ではあったものの、
いやー、ええもん見ました。
トラベラーズは幾度も見ているけれど、
今日ほど客のテンションが上がりきってしまって、
それにライドしてライヴをしてもうたトラベラーズ、
てのもあまりないんではないかと。

そもそも、乗せられることが好きだ。
ほっとんど自意識のカケラもないままに、
音によって踊らされる。
音によって飲まされる。
カラダを動かすのが好きなのはそうなんだけど、
それにしても、自覚なく“踊らされる”てどうよ。
シュウくんは踊りながら音にダイブし、
私は知らん輩に肩を組まれながらジャンプしまくり、
偶然遭遇のゼンさんも「かっこいい〜!」とホレボレしまくり。
ただただ彼らの鳴らす音に揺らされてしまった。
(スウィングジャズ的なもんなんだけどね。※ジャンルくくりはNG)
最前列には推定50歳のミセス軍団、
壁際で音にうなずいているのは推定60際のナイスミドル、
たまに目が合い、微笑みあってうなずきあって、
またみんなそれぞれに音に向かってダイブする。
なんだかキモチイイのだ。

土曜日に続いてシャンデリアビカビカのシャングリラ。
ハッチやチキンジョージじゃない小さなハコで街は動く、ゴニョゴニョ。

--

もちろんその後はつばめいろ。
つばめいろの後はインスパイア。
(ケンタロー氏に遭遇、うふふ)
そうとうゴキゲンサンバな酒場行脚、
いやー、やっぱり大阪、サイコー。

2008/09/21

やっぱ仕事はおもしろい。

アングリーとの約束でシャングリラ、
往年のホップヒップ・トランポリン・スクールの
(社長の、金持ち逃げによりメジャデビューの逃したおっさんら)
ライヴは、マキちゃんにデグルチーノ、ぶっきら兄弟、
ゴールデンローファーズ、アウンサンスージーらがゲストで登場、
はちゃめちゃなステージを見守る街場の音楽関係者、
という構図がそうとうに笑けまして。
つーか、いつも酒場で見る近しい人たち、
特にケイタくんとか阿部さんとか、
なんかかっこよくってホレボレしました。
ていうか音楽だけでこんなに楽しくさせられるのってすごい。
やー、いつもいいライヴも後に思うことなんだけど。


というか、その後。
アングリーと久々のつばめに行ったはいいが、
それに付いて来る関係者に出演者、
10人ほどの席に15〜16人が入り乱れる大所帯。
収集つかない彼らを見守りながら、
アニキに呼ばれたのでミナミへと帰還。

夕方、打ち合わせをしたサーファーデザイナー氏から聞いた
衝撃の異動劇の真相を聞き、なんだかモヤッとショックを受けたまま、
連れられるがままにライター中川さんと3人で連れ立って
ジャンカラにてイエモンナイト(なんでや?)。
なんかわからんけど、とにかく書き続けようということで会を締め切り、
(「飲みごろ、飲まれごろ」は、書いてないけど継続いたします。
んで、中川さんも参戦予定、予定は未定、う〜む。
ともかく明日までに何かしら書かねば、やね)
去りにくいまま最終終着地のHBHへ流れて
ティフィンに代わるやさしいお酒
(味はわからんかったけどたぶん焼酎のお茶割りやね)
をいただきつつ、そこで偶然遭遇の先輩と話をする。
ほとんどがミーツの次号の反省を、
アニキと先輩が話していた感じだったけど、
それを聞きながらなんとなく刺激をもらったというか。
やっぱり紙面を作るにはサービス精神が必要で、
これをどう紹介してあげるかってことを
考えて実行するのが私の仕事やと確信。
キャッチやレイアウト、写真も、当たり前だけど
それぞれの店や商品や話したい内容から引き出されてくるもので、
たとえば「これって固有名詞を入れ替えてもわからんよな」
っていう作り方って、読者にとって本当に親切でない。
そこんとこでサボったら私の仕事の意味がないんだよね、
なーんてことで頭を締めくくったのは朝の6時のことでした。

ていうか、久々の濃い話、濃い酒、濃い遊び、
いやーおもろかったっす。
やっぱ大阪っすわ。
来月はバンバン取材行きますんで、
バンバン仕事を振っておくんなまし。
飲みごろ〜は、年末号に向けての肩ならしってことで、
ドンドン書き進めていきましょうやい。

2008/09/20

ささくれ取れた。

超短時間の帰省だったけど
やはり家族の力というのは重要らしく、
あんなにプンスカプンスカと湯気を立てていたのに
すっかり上機嫌になって帰ってきた。

やっぱりイナカはいい。
いや、タクマがいいのか。

タクマはもうすっかり歩みもスムーズになり、
人間の言葉を聞き分ける力を身につけておりました。
ごはんを食べながら「うまい?」と聞くと「うまい」と返し、
「堂本タクマくん」と呼ぶと手を挙げ、
「足は?」と聞くと足をつかみ、
「手は?」と聞くと手を振るなど、
いよいよ身を守るため(大人に愛されるため)の芸は達者に。
それを「芸人魂も順調に育まれてるなぁ〜」と感慨深く言うと
姉と義兄に「オーサカのおばはん、やめれ」と怒られましたが。

ささくれ立った気分はどイナカのおかげで滑らかに。
空っぽになっていた癒しのバケツも10cmくらいは満たされました。

--

高校時代のバスケ部では、同級生の親が
外部コーチとしてしばらくきていたことがある。
そのおっちゃんはイカツく土佐弁丸出しで叫びまくる。
もちろん、コートの上でもイカツく頑丈。
ブチ当たられて(本人にその意思はないだろうが)、
アザを作りながら転んだことなんて幾度やら。
試合のビデオを見ながら「らん、あそこはオマエや」と
他のプレイヤーにパスを出したことを怒られまくり、
でもガツンといい攻撃を仕掛けたらおもっくそホメられた。
とにかく消極的なプレイを嫌うおっちゃん、
特にチームの稼ぎ頭だった私は、自宅に呼び出されて
チームメイトとともに何度も何度もビデオを見せられた記憶がある。
インターハイ、一回戦で負けたけど、そのときの試合では
コートでおっちゃんが、ちょうど油の乗りまくった私に「らん、今や」
「らん、今のええぞー」などといつも以上に叫びまくって背中を押した。
おかげで全国ランキング6〜8位、
平均身長170cm以上のデカいチームを相手に
170cmにも満たない私はダブルチームを敷かせ、
それでも個人得点35の快挙(78くらい対65くらいで負けたけど)。
あー、過去の栄光(でもけっこう自慢)。
ミニバス時代は敵チームのコワ〜い監督でもあった分、
味方についてもらったときのあの安心感は未だ忘れられん。

高知駅にて、大阪行きの切符を買っていると、
後ろから「あの、お話をお伺いさせてくれんかね」という声。
振り返ればおっちゃんが、ニコニコ笑って立っていた。
なんでも「コロシがあってな」と。
「あー、そういえば、警察官でしたねー」と笑う。
同級生は来月、結婚してオーストラリアに移住する。
そんな知らせがメールに来てたな、と振り返る。
(あんまり交流がないのでスルーしてました、すいません)
「ちょっと仕事に戻るわ」と一旦どこかに消えて、
ケータイを持って走って帰ってきた。
自分の娘に電話をしたらしい。
しばし代わって話をする。
懐かしい高校時代がブワーッと甦ったのでした。

--

弟が仕事で、セミナーを受けに行かなあかんというので
それに合わせて帰ってきている途中、隣の町では大輪のヒマワリ。
ザッツ・イナカ、ビバ・イナカ。

2008/09/18

エラそうなんスかねぇ。

ここにきて、よく文句を言われている。
親分にも言われるし、制作からも言われるし。
でもそれってさ〜、最初っから準備が足りなかったってことでしょ。
今、それも私に、押し付けるように言われても。
ていうかそれってさ〜、もっと前から見えてたことでしょ。
ずっと前から言ってたやん、私。
今さら言われてもさ〜。
だから次号はそれを回避するためにこうしようよとしか言えないでしょ。
カタログ制作にありがちな、目の前の問題に必死すぎる傾向。
ヤバイな〜とひとりビールをグビリといきながら思う。

たとえば。
トルソ撮影で着用するブラジャーは
どのサイズで搬出されるのかという質問を、
考えなしにそっくりそのままクライアントに質問したってねぇ、て感じだし。
つーかそれじゃ、他の商品についても小出しに質問きて、
そのたびに走り回らなきゃいけないやん、て感じでしょ。
凸はクライアント及び制作の小間使いかよ。
いくらクライアントから「撮影ロケのイメージを知りたい」
って言われたからといって、ロケ場の資料を持ってってもねぇ。
向こうが知りたいのはそうじゃないじゃん。
ラフにイメージが添付されてなかったから、それを知りたいだけだって。
つーか、自分らは「責任の範囲外」とかってノータッチだけど、
その制作の現場で使用するものをそのままクライアントに渡して、
じゃ、誰が仕事を請け負ってるのか、てな話にはならんのかい。
商品シートについてだって、シラッタのが必要だ、なんて今言われても。
それって、私が書いたものをコピーして渡したときに指摘することやん。
今言われても「次から気をつけまーす」としか言えないやん。
ラフに明記しているモデル着用の商品に関しての質問の中で
「詰められてないことが多いすぎる」なんて言われても、
それって、でも、各持ち場の人が意識してないから
実際にクライアントに詰める場である取材や会議で話せてなくて、
ラフに反映できてないってことでしょ、としか言えない。
それを誰がやるべき「だった」か、てのは今言うことでもないし。
つーか、最初の取材やら初ラフのときに指摘したことやん。
なんてことをグチグチと方々に返しましたとさ。

他の人が「こういうふうに」「これ」を使って「どう作業する」かが
もっと私に見えていればもっと先に自ら動けたんだろうが、
いかんせん通販に関してシロウトなんで。
ていうか、だからずっと前からそういうことは
先につぶして警告してくれなきゃ動けないと言ってきたつもりなんですが。
自分だけの心配事として曖昧に悩むんじゃなくって、
具体的な懸念事項として出してくれなきゃ。
「だからボクは言ってたんだ〜」なんて今さら予言者のごとく言われてもさ。
むしろ、私の役割っていうのがアヤフヤにされながら
「そこはタッチしてほしくない」「じゃ、次回は編集で関わって」
なんてフニャフニャになっているにも関わらず、
なんだかんだ言って求めてくる。
だ・か・ら、どーせーっちゅうねん。

クライアントに対して
「ああいう言葉遣いって自分たちの中での記号でしかないよね」
なんていつも言って却下しているタイトルや商品名と同様に、
自分たちにとっての動きやお金の流れや責任でしか
語られないことが私はとにかく気に入らない。
そのあとに品質やクオリティ云々の話がくるでしょ、と言うならば、
じゃ、段取りしやすいように最初に動いていけばいい。
動きにくければ言ってくれたほうがいいし、
それに対して制作が何かしようとしたことを
凸はジャッジしながら完璧にサポートするべきだし、
制作に見えてないことを指摘するのも凸の役割だと私は思う。
クライアント自体に問題があることは、もう仕方のないことなんだから、
それはあることを前提にして動くべきだし、
凸はクライアントの問題を解決するべく動きながら
クライアントの問題解決につながるように、
制作できるようにサポートするべきだし、
制作は制作で凸がクライアントの問題を解決しようと動いていることを
理解、共感しながら動くべきでしょうと。
今は全てがブツ切れになりすぎ、どこにも連携なんてない。
これって、受注とか発注とかっていう言葉を使いすぎてるせいなんじゃ、
なーんて思ってしまったりもする。
ていうかさ、あんだけ初ラフに朱書きを入れておいて、
撮影は「責任の範囲外」って逃げるのもどうかと思うよね。ホント。
あんだけ朱書きを入れておいて、
「そのイメージは持ってない」なんて言っちゃいかんよね。
いや、知らないだけなんじゃないの、と言いたい(けどそれは言えない)。
全体が見えていないくせに細切れにしか問題を洗えないことのほうが、
よっぽど品質やクオリティに響くように思う。
だから、私にとってはこの号をある程度のどこで諦めるべきなのか
その回答を親分からいただこうと相談したけど答えはやっぱりあやふや。
聞き方もマズかったけど。

で、これから出るであろう「目の前の問題」を予測して、
ここまでのクライアント側の問題や凸の対応の問題、
制作サイドの動きの問題を洗って、
一応その回避策のタタキをさっさと出したんだが、
親分には電話で延々説明してようやく理解してもらった程度。
親分だけじゃない。
みんな自分の目の前のことに必死すぎる。
全ては「カタログの中の素材の一部」でしかなく、
それを見てレスポンスを起こすのは結局お客さんなのにね。
でもそういう話って、企画段階でしか通用しないのってどうかと思うよ。
てなワケで、一旦落ち着いたら、ここまでのやり取りから
次回予測される問題をクリアにして
ワークフローと資料を作っていこうと思います。
どうやら凸の管理人から編集に、役割が代わるらしいので
つたない引き継ぎだけどやっとかなきゃスッキリしませんねぇ。
かしこ。


追記
あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、
前向きに肯定し、受け入れることです。
それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、
軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。
すなわち
『これでいいのだ』
と。

うーむ、結局着地点は、それがいいね。
さて、誰の言葉でしょう。

2008/09/17

突然なる疑問。

せっかくもらった楽し気な仕事でしたが、
その工程やらもろもろを考えると
日程を合わせられないことに気づいて
他の、新進気鋭のライター嬢に仕事を流用。
大型モンの制作は、日程も頭も取られる。
おかげで収入は減る一方、嗚呼、刹那。
お断りの電話の直後に他の媒体2誌からのオファー。
ひとつはネタを見つけれたらということで拝受、
もうひとつはスケジュールが合わずに断念、
「情報」を売る仕事ってのは後を絶たず。
一体、どれだけの人が、
その「情報」とやらを切実に欲しているのか。
一体、どれだけの人が、
その「情報」とやらをいかなる手法で発信しているのか。
テレビを見れば、
一方で各界での「カリスマ不在」を嘆く“知識人”とやら、
一方で「独裁者」を誉めたたえるお笑い芸人、
一方で「パラリンピックで“勇気”をもらいました」という元スポーツ選手。
もはや突っ込みところ満載の無責任な発言は、
大物政治家のみならずで、テレビは今さらながらおもしろい。
「情報」を握っている人が強者もしくは大半、
あれやこれやと巧みに言葉を操り、
映像を操り、画像を操って援護射撃は後を絶たず。
武器を得るように「情報」をただ得ようとする者が
エサを待つ池の鯉みたく口をパクパクさせて待っていやがる。
迎合せず、いかに流されずに立っていられるか。
なーんてことを突然にして思ってみたり。

2008/09/15

美メロ。

少し前、閉店してしまう前のノマドのカウンターで、アイちゃんが
「美メロのラインアップで相談されてんねん」という話をしていて、
なんだかおもしろそうだったので考えてみたことがあった。

京都に住んでいたころ、隙間を埋めるようにして
アホみたくひたすら映画館に通った時期がある。
大学の最後の4年くらいの暇な時間はほとんどそこに費やされた。
テストをサボってまで、だったから、対外的には「暇」とは言えないけど。
かといって何を観たかなんてリストみたいに覚えているワケじゃない。
何かしら、のときに引き出しがククッと引かれて、
ほとんど詳細も朧げなままにその頃の状況や心情とともに開放される程度だ。
よく映画を観ていたころは、タランティーノやらウォンカーウァイ、
日本人なら岩井俊二辺りの単館系の映画がハヤっていた。
今思えば、音楽でもなんでも「インディーズ」や「ディープ」であることが
もてはやされ始めたのもあのくらいなのだろう。
ともかく、私は家の近所にあったみなみ会館によく足を運んだ。

「美メロ」と聞いて思い出したのは、
『ヴァージン・スーサイド』という映画だ。
美人四姉妹、周囲から羨まれるいいとこの娘さんらなんだが、
なんにせよ家や周囲からの縛りがキツイ、でも好奇心旺盛な中高の四姉妹、
忘れてしまったけど、何かがきっかけでみんな自殺してしまった、という話。
花や香水の匂いがしそうなパステル調の映像が印象的だった(気がする)。
私はその、自殺しちゃった、ていう短絡的で刹那的、
ショッキングな部分よりも、その四姉妹の近所に住む男の子が、
友だちらと彼女らとの逢瀬を夢想しながら
次々にレコードをかけていくシーンをよく覚えている。
トッド・ラングレンの「ハロー・イッツ・ミー」、
10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」、
アル・グリーンの「ハウ・キャン・ユー・メンド〜」やら。
彼女らへの届かない憧れと、
それでも近くにいて見ているやさしさみたいのがよくわかるような。
気持ちが隙間だらけ、目標や目的が必要だと思っていたのに
そのころの自分には何もなかったから、そういうのはぐっときた。
映画に感動したというより、音のラインアップが沁みたんだと思う。

やさしさも美しさも、失ってしまった後、
その後を埋める何かを持って来てはくれない。
「いい気分」なものってのはたいがいがそういうもんで。
希望や欲望がいつでも満たされている場面ていうのは苦しい。
満たされた後、それは継続されなければ、同じようにポッカリと穴を作る。
作られた穴は修復されることはなく、
だからできた穴にいろんなものがしみこんでいく。

図解すると↓こんな感じ?


というか「サヨナラ」が前提にあるお付き合いって、いや〜ね。
て、結局それか。

2008/09/14

オーサカ、フォーリンラヴですねー。

昨日はタイミングよくマコから電話をもらったので、
ふたりで街に繰り出した。
マコからもらったのは、結婚式の招待状+スピーチのお願い、
(スピーチって何を喋ればいいんだ?)
それにヨシノリから二次会の案内(といってもライヴだねー)、
あとケンボウさんからも二次会の招待状送るとの予告。
ミナミの街、結婚祭り。
世話になってきた御三方の結婚式及び二次会にはぜひとも、て感じだけど、
毎週のその動きは正直、財布がキツうござんす。
「人のシアワセ願うより、自分のシアワセ買いたい」
とバンバンも歌っているように。
ま、うれしい悲鳴でしょうか。

昨日はマコに会う前にバッタリとシュウくんに会い、
ニコの後にミューズでジュニアさんと会い、
ミューズの後にナマズでぐっさんとジョンに会い、
マコと別れてからも、アンクルでタニモト氏と会い、
ドブ六九でポポさんとリョウちんに会ったりして、ま、よう飲んだ。
HBHにもイタツイにも行きたかったけど
さすがにたどり着くのは不可能でした。
大阪から離れていた時間を取り戻すように、ですな、まさしく。
今日は九条に行きたいね、せっかくだから。

住めば都なのかもしれないし、住んでないし、なんだけど、
今んとこ、こんなふうにフラフラと
回遊して遊んでいるイメージが東京では浮かばない。
だから、やっぱり大阪に甘えて暮らせていることはありがたい。
東京のおっさんらには「大阪再発見て感じでいいかもよ?」
って笑われたけど、本当に、切実に最近はそう思えてくる。
週明けにはまた東京で、次の日には高松で、
その次の日にはまたもしかしたら東京かもしれなくて、
この、ムムム…て具合の動きの感じは、
きっと東京に軸を置いたほうが効率がよかったりするんだろうし、
東京の編集部の方々も「東京で取材なんかいくらでも振りたいわ」なんて
言ってくれちゃったりなんかするけど、んー、もっと考えます。

ともかく、ここ数ヶ月、喋っている人のほとんどが
江戸弁なのでかなり影響されまくっております。
他人が喋るのは全然構わないけど、
自分の口から出てくるものがそうだとちょっとおぞましくもあり…。

2008/09/13

欲しがる女。

先週はずっと高松で、昨日の晩に東京。
打ち合わせが終わった(深夜3時!)ので、やっと今日、大阪に帰れる。
正直、落ち着き場がどこにもなくてヘトヘト。
ヘトヘトになるとカナシイイメージばかりが頭を巡るし
考えなくてもいいことばかりをひとりで終わりなく考えて余計に疲れる。
昨日は追い討ちをかけるかのごとくお断りメール(本当に些細)がきて、
なんのこっちゃないんだけど、なんだか虚しくなって眠った。
虚しさは、無理だとわかりながらも期待をした自分のアホさ加減と、
なんだか自分ばかりがグルグル巡っているような空回りな気分に、だ。
カラダは高松と東京のビジネスホテルを転々と。
旅人になれない私は、早く自分のいる場所に帰りたくてしょうがない。

あー、できればもう、しばらくは「誰か」に連絡をするのはやめよう。
近くなると無駄に期待してしまうし、期待がほのかであればあるほど、
応えられない相手の状況が歯がゆくなる。
なんとなく無理だなとわかっていることほど、
本当に無理だということが判明すると泣ける。
ただ横にいられればそれでいいと思うことが、
どんどん単なる最強のワガママに見えてくることもカナシイ。
何度も頻繁に会っても、ものすごく疲れていても、
(いや、疲れてしまっているほど、のマチガイ?)
まだまだ足りないと思ってしまうのはどうして?
こんなにも私は欲しがる女だったのか。
それは本当に、個人的にはショッキングなことで。
かなりマイッチング〜、だね。

さて、大阪に帰ります。


追記
新幹線でムニャムニャと考え事をしながら、
そういえば、「居候」ってすごいコトバやなーと思ったりして。
ただ単に、そう思っただけなんですが。

帰ってきたら『西の旅』の最新号ができておりました。
松山、かなりよかった。
タカさんの写真を見てるとまた行きたくなってきて、
時間を見つけてまたフラリと行こうか、なんて手帳を開いてみたり。
親分には、東京に住んでもらったほうが便利でいいと言われたけど、
全然真逆にある松山に住むのもありかなーとすら。
ま、今や大阪に住んでる「意味」もないし、その延長での妄想ですね。
「いる場所に帰りたい」なんつって弱っちょろいこと言いつつ、
同時に「仕事なんて距離あってもできるわい」
なんてタフなことも最近思うワケです。
あーしかし、大阪ですわ。やっと落ち着いた。
再来週はなんや新しく取材の仕事もいただいたし、
今日の回遊はニコからスタートでテンション上げますかー。

2008/09/07

付き合い12年。

おとつい。

エリート警察の栗田氏が赴任先だった西宮から東京へ異動とのこと。
何年ぶりかで大学のバスケ仲間で集合、
懐かしの二条駅近くの中華、大鵬で飲んだり食ったり大騒ぎ。
(テリドンで有名、サークルの伝統で、男の子は代々ここでバイトする)
しっかし女の子はひとつも変わらんけど(独身だから?笑)
男の子はタバちゃんの河内なヤンチャ具合が増したくらいで
みーんなおっさんになった。これは結婚して子どもができたせいか。
ミキがおもむろに言い出すには、私らの付き合いはもう12年。
(内、会っていた期間は約1/3、「付き合いが12年」、ん?)
そういえば、といろいろ頭を巡る。

普段無精なくせにわざわざ電話をかけてきた近藤は
女の子がまだ私とグラとモモの3人しかいない時代に
男の子一人でずっと奮闘していた阿波の国のフォワード。
グラの家に私と近藤と3人で集まってはダラダラと飲んで、
グラが寝静まってしまって、間が持たなくなって
デヴィット・リンチの『エレファント・マン』とか、
あーだこーだ言いながらふたりで観ていたり
近藤が好きだったハイスタとか、私が好きだったマゴコロとか
これまたあーだこーだ言いながらふたりで聴いてたりしたなぁ、など。
あれ、そういえばふたりの話に退屈したグラが寝てしまったのか、
どっちが先だったんだろう。

その数年の時期というのは、
ケガをして第一線を退いて
バスケに対する目標を失って悶々としていた時期で、
サークルのバスケで勝つか負けるか必死になったりするのもアホらしく
たかがそんなことのためにディスカッションするのも虚しく
スネてナナメ方向からしかモノが見えずに
学校にもサークルにも行かずにひたすら遊んでいたころでもある。
ふらっとサークルに戻ったとき、
ハレモノに触るようにしてきた他の仲間に対して近藤だけは
アウト・インでポイントを稼ぐプレイから
アウトのみでコントローラー志向になった私をちゃんとわかっていて、
「らん(私)、もうガツガツいけへんねや」とバスケ批評をして出迎え、
「あんたの向こう見ずなプレイは変わらんなぁ」とバスケ批評で返して、
それがあったからまたバスケをしに行くようになった、ような気がする。
何気ないそのやり取りは今もたまにふっと浮かぶ。

栗田氏のおっさん臭いテクニシャンなバスケには憧れたし
ナオキくんの投げやりな思いやりのコトバはぐっとくたし
グラの母のような達観した物言いにはよく泣かされたし
ミキの“KY”なコーフンぶりにはしばし突っ込まなきゃいけなかったりするし
(つまりほっとけないのね)
イヅミの無意味に勝ち気なプレイはそれこそ「ストップストップ」なんて
コントロールしてやらんとなんともならんし、
思い出してフフと笑みがこぼれる印象は、
「付き合い12年」の今もそのまま、か。
でも、なんだかんだ言いながらサークルで
一番最初に思い出すのは近藤だったりする。
特に連絡をするワケでもないし、好きとかそういうことではなくして。

私はサークルでは未だに“ハレモノ”であるがゆえに
一応そこはデリカシーを持って、集まりには参加しないことにしていた。
改めて話すことはないし、同じ思い出も少ないので。
あー、でも、このたびは行ってよかった。
近藤はいつも、こういうナイスなときに私を呼ぶ。
私と同じく、集まりにほとんど来ないタバちゃんも
(「お互いジコチューの位置やな〜」と共感し合う友人である)
そこのこぢんまりとした集合の輪にはいたからだろう、
近藤はホントにうれしそうによく喋っていた。
あのころの悩みなんて、もう笑って済ませられる話だね。
イチビったメガネかけて、ボッサボサの頭でヤツレた顔をして、
ケータイの中の子どもの写真をイキって見せたりして、
ホント、いいおっさんになった。

カラオケはさすがにもういいやという感じもして、
兄さんを呼び出して夜の木屋町をフラフラと飲み歩いた。
酔っ払いの四畳半酒場にて、ニルヴァーナのライヴPA氏を相手に
散々語って周囲をヒヤヒヤとさせたらしい。
大丈夫、PA氏には「アンタはかわいい人やなぁ」と言われたから。
て、これ、気を遣われてるんかしら。
最後はウトウト、兄さんが落ちたのでそのまま始発で大阪に帰った。
久しぶりの京都は、やっぱり朝帰りになる。
出町柳←→淀屋橋を何往復もしなかったことが奇跡だ。



甥の成長をイチイチ喜ぶなんて、私もいいオバハンになった。
ちなみに手前にいるのは弟。
1ヶ月くらい前に帰ったときにタクマは姉と私を間違えて泣いていた。
ざまぁみやがれ。へへ。

2008/09/05

ねぇ、なんで?

なんで店をやり始めたんですか?
なんで他の店にしなかったんですか?
なんでフレンチじゃなく中華なんですか?
なんでまたこんなところでお店を?
なんで歌謡曲が流れてるんですか?

とまぁ、私の仕事はもともと、「なんで」が好きだ。
セロリじゃなくて大葉を使うんだって、
それが本当においしいかどうかなんて証明するよりも、
なぜ・どのタイミングで・誰と食べて
アナタがそれをおいしいと思ったのか、が遥かにおもしろい。
ハヤりの簡素なテントみたいな造りじゃなくて、
今さらデザイナーズカフェを造った
そんなアナタの生きざまを教えておくれ、である。

そんな理由聞いてどうなるワケでもないけど、やっぱり気になる。
「なんでアナタはそうすることにしたの?」

続ける。

なんでカウンターしかないの?
なんで一人でやってるの?
なんでカクテルを出すの?
なんでそのサロンじゃなくてTシャツとジーンズなの?
なんで市場に行くの?
なんですし屋なのにワインがいっぱいあるの?

なんでこの商品を作ったの?
なんでその話を誰かに聞かせたいの?
なんで巻頭の商品はコレにしたの?
なんでこの会社に入ったの?


なんでお酒を飲むと楽しいと思うの?
なんでその音楽が好きなの?
なんで女の子を追っかけているのが楽しいの?
なんで男の人を追っかけているのが楽しいの?

なんでその店に連れて行こうと思ったの?
なんで誘おうと思ったの?
なんでキスをするとうれしい顔をするの?
なんでオッパイを揉んで楽しいの?
なんで電話で話してると眠たくなるの?
ねぇ、なんで、どうして?

考えてみれば、この仕事はとてもオンナっぽい仕事に思えた。
あ、私が想像するからか。


※再録&書き直し。

遊びたい。遊ばしてくれ。

水曜日は誕生日ライヴ…のつもりが、
行く前にひと眠り、とウトウトしていたら
気がついたら深夜の12時、終了時間ていつやったっけ…。
「え、今来たん?、信じられへん、もう今終わったのに」と
会う人会う人にドヤされながら駆けつけ4杯をングングング、
そのへんにポイッと置いてあったチップスをつまみ、
スージー+キャイさんらのヒドイ即興をヤジ飛ばしながら聴いて、
即席SSP復活の演奏を観て、振る舞われたケーキを一口いただいたりした。
頭の中ではグルグルと、やらなければいけないことが巡っている。
ミーツのイベント告知に掲載してもらうライヴ素材を
関係者にちょちょいっとお願いしたりなんかして、仕事はパーペキ。
んで、また飲む。ングングング。
ライヴが終わって、ライヴの片付けが済んで、
みなさまと談笑しているころには一丁できあがり、と。
流れに身をまかせて向かうはかすうどん山本、
締めにかすうどんを食べる輩を見守りながら、
私はアイちゃんと、ビールにもやし炒め、たたきキュウリ。
何か忘れたけど、ケケケと笑いながらゴキゲンに終了。
帰ってその勢いでバリバリバリと仕事を片付けて今に至る。

いや、片付いてなんておりません。
とりあえず他にやることがありすぎて、
今週の高松行きはカンベンしていただきました。
カタログ制作における「西村さとみのお悩み相談室」は、
開設すればするほど仕事が増えるので、
そろそろ打ち切りにしとうござんす、などと思いつつ、
夜は夜でやっぱり親分からのお悩みを聞き、
答えているうちに、次号の仕事も増えそうで身震いが。
いやホント、ここんとこカタログの話ばかりだけど、
カタログ以外の仕事も一応ちゃんとやってるのよね〜、マジで。
オーディションの最中もかかってくる相談の電話、
ラフをチェックしている最中もかかってくる催促の電話(ん?)、
ほんの休憩時間には全然別の仕事でいろいろ手配を
コソコソッとやったりもしてるわけですよ。
まー、アテにしてもらえることはいいことだ。
贅沢な悩みだと重々理解しております。
それに充分楽しませてももらっておりますわよ。
来週は、先方の話を意訳、細かい指示なんてもんには
思い切り逆らって作った再ラフの帰校にブルブルと震えるのね。
(あ、でも、いぶし銀のオヤジには「かなり良くなってる!」と
激励のメールをいただきました。でしょ、でしょ)
なんて思いながらケータイの着信を見れば
仕事の用件ばかりで埋まっていたりして、ちょっとヘコむ。
トカナントカ、グチもこぼしつつ。…寝ます。

あー、そういや明日は京都か、忘れていることにしようかな。むー。
いや、無精の近藤の企てだから行かなきゃマズイね、あー。

2008/09/03

流れる。何度も思う。

やっと、帰ってきた。
…ということばかり書いているのでやめておこう。
ほんの3日ぶりの大阪だが、キモチは数週間ぶりである。
想うことは公私ともに多種多様、
ゆえに随分遠くに行ってきたような感じもする。
明日は高松だけど今日は大阪。
メキシカンファミレスで誕生日の祝いライヴに行ってくる。
それだけはどうしてもハズせない予定だ。

--

小さいときから川を見ていた。
水は流れたがって、とっとと走り下りていた。
そのくせとまりたがりもして、
たゆたい、渋り、淀み、でもまた流れていた。
川には橋がかかっていた。
人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着なく、
平気で渡って行った。
私もそうした。
橋はなんでもない。
なんでもないけれど橋へかかると、
なぜか心はいつも一瞬ためらって、
川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。
水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、
橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。

※流れる(著:幸田文)

--

方丈記「川の流れはたえずして、またもとの水にあらず」云々、
よく人生は川の流れにたとえられる。
川の水は流れのあるところで交わり、
岩にぶつかっては離れ、またどこかで他の流れに別れ、
同じ流れに戻ることもあれば、
さらに分岐して違う流れに交わって行くこともある…云々。
観察をしていればするほど、
あるいはそれを想って街行く人を眺めれば眺めるほど、
はたまた自分のことを振り返っても、という感じがする。
達観や俯瞰から自分を眺めることが必要だと
本能的に思っているときに川の流れを思い出すようだ。
一体、自分は今、どこにいて、どこに行こうとしているのだろう。

いくら決断をしたところで、その決断すら
自分のおかれている状況、つまり自分の今いる流れの
大きな流れの中で、自然に道を定められている気がする、
なんていうのはこれまでだって散々思って書いてきた。
実際、私自身が全ての決断を流れに任せているのもあり、
(いや、そう思うほうが言い訳がしやすいのだ、単純に)
その時間、場所、相手がいる場合はその相手や
それまでに生きてきた自分の流れを見過ごせない。

改めて思えば「今、なぜ大阪にいるのか」というのは、
出身地なわけじゃなし、仕事があるからと移住したものの、
仕事で高松と東京を往復している今では理由を言うのが困難だ。
友だちの多くは昨年のうちに東京へ移住してしまった。
それでも大阪に住んでいるのはおそらく自分の意思である。
「意思」と呼べるほどのものがないから、余計にそう思う。
仕事でもなければ、たとえコイビトがその街に住んでいるとしても、
ココから移動してほんの少しでも流れを交え、
触れ合っていこう、なんて努力すらしないだろう。
ごく自然の流れで会う人だけで充分だと
ワタシのアタマとカラダが言っている。
(だから今、「行かなければいけない」という状況はおもしろい)
諦めが早くて刹那的、だから味わい深い。

この数ヶ月、いろんなことが交錯した。
それでも軸足は、確かにココにある。
それは「流れ」か、それとも「流れに逆らおうとする意思」か。
大阪を出て行くイメージはこの先もない。
意思がないという意味ではなく、イメージとして浮かばない。
大阪が好きかどうかという話ではなく、そういう気がしている。
だから、と思う。
いや、考える材料はそれだけじゃないけど。

で、結局、何が書きたかったのかがわからなくなったんだけど、
(ということは、何を書いているのかもわからない)
とにかく、いろいろ、そろそろ、という気分だ。
会って触れれば安心し、離れて顔が見えなくなった途端に不安になる。
イイコトを言われたときにはうれしく、
言われたことを反芻すれば悲しくてズキズキする。
どちらを意思に反映するべきなのか。
答えはとっくに見えていて、
その決断を急ぐか先に延ばすかの違いにも思える。
流れにまかせるか、流れないように踏みとどまるか。
どうするのが自分にとって一番「やさしい」方法か、
今の私にはよくわかっていない。
挙げ句の果てに思考を閉じてしまおうと結論づけた。
…ま、そう思うのもいつものことか。

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その昔、広津和郎は、散文精神を問われて、
「いたずらに悲観もせず、むやみに楽観もせず、辛抱強く生き抜く精神」
と答えている。
この言葉がボクの心情に棲みついて十五年ほどになる。

人生ながれるままに、だ。
風まかせであるけれども無駄な事など何ひとつないとも考えている。
誰でも自分をわりと神経質な人間だと思っているだろう。
ボクもそうで、些細な感情の行き違いにネチネチ、
グズグズとこだわる性質だ。
こだわるけれども、人はイデオロギーでは動かず些事で成る点を
たいへんに面白がって、全てを創作に生かす術を多少は知っているので、
どんな失敗も背徳行為も、全面的に否定はできない。
愚かであってこそ人間だ。
ある程度の事は、他人を許すし、自分はもっと許す。
元来が臆病なのかも知れない。
どうせそんな事だと思った、と、期待をしないから
裏切られたと思う感情は小さなものでしかないし、
大きな賭けをしないから大失敗もない。
もちろん大成功もない。
そうだ。
見事に平凡な道を歩いているのだ。
今後も、できたらそうありたいと願っている。

※家族の光景(著:畑中純/私/交遊社)

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松本ニイさんに『美女と竹林』が出ていることを知らされ、
東京に向かう段階からずっと書店を探していたのだけど、
(もちろん自分の歩く範囲で、だけど)
ようやく品川で発見。
つい書籍オトナ買いで、
またも「読まねばならん」本の山が高くなってしまった。
…これも「流れ」の産物、行きがかりじょう、である。


追記
東京にて徹夜のラフチェックに
お付き合いいただいたディレクターさんの話。
「パパがいないと眠れないよ〜」なんて
カワイイこと言われているのに
徹夜に付き合ってくれて本当にすいませんでした。
なーんてことを、「はよオーサカ帰りたい」と思いながら、
しかし矛盾する環境下でボンヤリと考えたりもしたのでした。

さて、仕事、仕事。

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行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、ま たかくの如し。
玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、
たかきいやしき人のすまひは、
代々を經て盡きせぬものなれど、
これをまことかと尋ぬれ ば、昔ありし家はまれなり。
或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、
あるは大家ほろびて小家となる。
住む人もこれにおなじ。
所もかはらず、人も多かれど、 いにしへ見し人は、
二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。
あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、
たゞ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生れ死ぬる人、
いづかたより來りて、いづかたへか去る。
又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、
何によりてか目をよろこばしむる。
そのあるじとすみかと、無常をあ らそひ去るさま、
いはゞ朝顏の露にことならず。
或は露おちて花のこれり。
のこるといへども朝日に枯れぬ。
或は花はしぼみて、露なほ消えず。
消えずといへど も、ゆふべを待つことなし。

※方丈記(鴨長明)