2008/12/19

何かの締めくくり。何かはよくわからん。

図らずも、今年の、というか30年の締めくくりをしてしまったような。
なんて書くと、こないだいっしょに飲んだ
スーツ屋のヒロに「30になったら変わる。
これまで仲良くできなかった人とでも仲良くできたと思ってる
ボクが言うんやから間違いない。それは劇的なもんやで」
なんて言われたことを思い出したりもして。

書かなかった日々、今週と先週と、先々週だけど、
何かをじっと考えていたような気がする。
その前は人に思っていることを、自分が後悔するまで話していた日々で、
いやもちろん、先々週も先週も今週も飲みに行かなかったワケではなく。
飲みに行って「この人にこんな話ができてよかった」なんて思うことも
「やっぱりこんな話するんじゃなかった」なんて思うこともあって、
だけどその全ての感想は
とりあえずダラダラと付き合ってくれるタニモト氏にあずけて
私はしんみどうで、じゃがいもチヂミとマッコリを往復していた。
実はその間に高松にも行き、東京にも行き、京都にも行った。

傍らで環境問題のことが話されていたら
実家の街に金を落とす坂本龍一はアメリカ的だとか思ったし、
社会問題のことが話されていたら
公務員はもっとサービス産業的・広告的になるべきだとも思ったし、
テレビで殺人事件の報道がされていたら
ニュースとワイドショーはもっと分けたほうがいいとも思ったし、
隣でプレゼンしているネエさんの話を聞きながら
彼らのこれまでをそんなに意固地に否定しなくてもいいのにと思った。
いろんなことをひたすら考えたような気がする。
だけど、結局私は自分と自分の周りにしか
興味がないということもよーくわかった。

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小さいころ、寂しがり屋さんだった私は、
よく親の死ぬドラマや映画やドキュメンタリーを観てはよく泣いた。
そんな映像を観た夜は寂しくて怖くて眠れなくて、
「どうか、私の周りにいる人とその周りにいる人と、
みんなが寂しくないように、その周りにいる人と、その周りにいる人と、
その周りにいる人と……」なんて願い始めて、
そしたら果てがないことに唖然として、
「ああ、その中には私が嫌いな人もおるわ」
っていう小さなことに気づいて愕然として、
さらに眠れなくなることがよくあった。
いろんなことを考えても、結局は自分とその周りのことしか
普段の生活では見えなくなるんだ。
何を考え何に後悔をしたのか、その根本すらもう忘れてしまった。

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さまよっては驚き、
驚きを求めてさらにさまよい、
驚くことを忘れたこの時代に、
驚くことの切実さを知らされた。
驚くことを忘れた心は、
窓のない部屋に似てはしまいか……?

※オーパ!(開高健)
※プレイボーイ日本版・終刊号冒頭より

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日曜日、久しぶりにタニモト氏の店に行って、
いやーいろいろ後悔するね、話しすぎて考えすぎると、
ということを笑い話として話す。
もちろん、後悔しない相手もいる。
マコやタニモト氏や、こないだ結婚したタマヤマノリコやら、
こないだ京都で散々喋りまくってしまったハヤチンも、
東京ではゲイ論を散々展開して、最近の私の「お気に入り」を
「ソレは間違いなくゲイやね。8割方当たってる。
てかアタシとかまーくんが
友だちにいるのに何で気づかへんのか理解できへんわ」
と一蹴してヘコませたテンコもその類。
そういえば松っちゃんの漬物発送の日々が始まったので
なかなかいっしょに飲んでくれなくなったのは寂しい。

別にだからといって、彼らが幸せになりますように
なんてことを特別に願うワケでもなく、
私の日常は淡々と過ぎていっている。
たまにしんみどうから南海の高架沿いをトボトボ歩いて帰りながら
空に月を発見して「今日は三日月やな」とか思ったりして、
自分の立っている場所の空気と
自分が今思っていたことの剥離に笑ったりする。
それでいいと思っている。
たぶん、これからもこういうカンジやな、とも思った。

なんのこっちゃない結論でワルいか。
しかも引用したものとは全然関係なくなったけど、ま、えっか。

2008/12/02

見かけ倒しこそ色気の証左。

バンバンのライブ@ミューズ。
カスレ声の切ないボイスがどうにもこうにも。
ラムコーク連打、いっちゃん前に陣取って
デヘヘヘ〜とキモチ悪くも笑いが止まらず。
ライブが終わってもバンバンの三人にくっついてって
ミーツとバッキーさんのフレーズカレンダーを無理矢理渡してやった。
そういえばおとついビギンのヒトシさんに
「明日はバンバンのライブに行くんですぅ〜」と言ったら
すぐに電話をかけてくれて、
私と坂ちゃんはそんときもデヘヘ顔になっていた。
ヒトシさんの前で失礼な話だけど、
だって、本当に好きですから。


ヘラヘラのままゴールデンボール周年に乗り込む。
酔っ払いすぎて何をしゃべったのか全て失念。
隣に座っていた紳士にカメラの使い方を教えてもらった。
あの人は一体誰なんだ。




帰ってみればクツシタに穴。
途中、坂ちゃんと、ミューズで靴を脱いで踊っていたのを思い出した。
見かけも何もあったもんじゃない。

2008/12/01

ゴキゲン三昧の週末。

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つぼみは、たくさんの小さな鹿のつんととがったひづめのようだった。
花はーーううん、花は、ただ花のようだった。
葉だって、芽吹けば、きっとただ葉のようだろう。
あんなにも木らしい木を、わたしは見たことがなかった。
救われた思いがした。
あの根、あの幹。
水分が根と幹を通って枝や花や葉に届けられるさまを想像しただけで、
嬉しさでくらくらした。
そして雨が降れば、水は葉に受け止められてふたたび根元に降り注がれる。
なんという知恵。
わたしが呼吸をしていられるのは、あの木のおかげだ。
幹や樹液を護っている樹皮のありがたさ。
表面に刻まれた繊細な溝。
それを指でなぞってみるところをわたしは思った。
それから木の内側のことを思った。
無数に重なった丸い年輪の一つひとつが、
あの木の生きてきた一年ずつ、
一つとして同じもののない四季のうつろいの証なのだと思ったら、
高校生みたいにぼろぼろ泣けてきた。
ベッドの上にあおむけに寝て、わたしは十七歳に戻ったみたいに、
声をあげて泣きながら笑った。
それはもうわたしの知らない別の誰かだった。
とっくに仕事に行っていなくちゃならないこんな時間に
ベッドの上に横になって、枕を抱きしめて、
心なのか魂なのか脳みそなのか肺なのか、
何かわからないもののせいでこんなふうにふわふわハイになって、
その何かは、ぷつんと糸が切れてわたしから離れていって、
木のてっぺんの、手の届かない高い枝にひっかかっていた。

※五月(変愛小説集/アリ・スミス著/岸本佐知子訳/講談社)

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土曜日は案の定しんみどう。
誰かを誘おうかと思っていたら、松っちゃんから呼び出された。
鉄板鍋にチャプチェ、マグロイカフェ、角煮、
それにマッコリはひとり2リットル近くは飲んだ。
サイコーすぎる。
遠くに出て大阪を思い出すときは、
なぜかいつもしんみどうのママの料理。
私にとっての大阪とは、しんみどうのある天下茶屋らしい。
ゴキゲンになりすぎてミューズに単独移動。
ふじも兄ご一行に遭遇、
ゴキゲンすぎて空気を乱してしまいましてすいません。
その後おなじみのナマズでもふにゃふにゃして帰宅。
昨日は奈良さんに誘われて阿波座にてライブ。
ノンちゃんの温度の高い歌声に泣いた直後に
松っちゃんから呼び出しがあってうどんすき@虎ばん。
ミゾさんに、ビギンのヒトシさんも加わってハイテンション。
今日は取材の後、バンバンのライブ@ミューズ。
ちなみに松っちゃんのカノジョ、坂ちゃんと。
タノシミ。
つーか、こんなに楽しんでてええんかしら。
そういえば、まーくんとこの周年も行かねば。
ちなみに明日は朝イチ高松、
あさってはオーディションで東京っす。
あー働きたくない。