2008/04/26

いい夜。

昨日ボンヤリと、15年、20年先の自分と周囲のことを思った。
いつも髪を切ってくれる斉藤さんを思い出したのが始まりで、
斉藤さんが大阪に来た甥っ子を居候させているのを思い出して、
もしタクマが大阪に来たらやっぱりいっしょに住むのか、
そういえばその頃はもう50歳前なんだなと。
そしたら急に目の前の景色が懐かしく見えてきてギュッとなった。
そのときは昼の宗右衛門町を歩いていたんだけど、
いつもは忌まわしく思う帰宅途中のホストの群れやらも
見ていて「あー」となった。
きっとそこに住んでいても気付かないくらいに
じんわりと何もかもが変わっていく。
少し前に取材した旧い洋食屋のおっちゃんが
「街の景色とか通りの数も変わったけど、変わったような気がせえへん」
と言っていた意味を思ってまたキュッとなり、
ユウジが自分のいる路地がなくなることを
「悲しいけど、そこに住んでいる人らは、変わるのは仕方ないと思ってる」
と言っていたことまでもまた郷愁、という感じがした。
私らは年を取り、老いていく。
でもその後には私らが今味わっている希望や挫折を、
私らの両親の「それ」を想像できないのと同じように
想像できない世代ができていくんだ。
取材の移動中、カメラマンに、そんなとりとめのないことを思ったと言うと
「流れのまま、ですよ」と答えられ、また、あー、となった。

昨日はとても天気がよく、おそらく体調も精神も健康で、
そういうときに限ってチョーシよく思うあれこれ。
どうしようもないことだから、考えたって仕方ないんだけど。

しかし昨日は、おもしろいことがいくつもあった。
取材の間のすっぽり空いた時間に、
同じ年の店主の怒濤の1年間について話をした。
おじいさんが亡くなった後、10年来のバンドを抜けて、コーヒー屋を始め、
そして今度は5年続いた彼女とも別れると思うと言っていた。
彼がこれまで描いてきたおぼろげな未来予想図とは少し方向が違ってきたと。
しんみり、だけど、前向きで強い。
コーヒー屋をやるように誘ったネエさんは、やっぱりさらに強かった。
取材が終わってフラフラと行った富士では
ミーツにもステキなイラストを描いてくれている奈路さんと会った。
たまたま同じ高知出身、それも同じ地区に区分けられる町と村、
最初の恐縮なんてすぐに吹き飛んで地元話に盛り上がった。
その盛り上がり具合は「奈路さんがそんな喋るの初めて見た」と
同行者に言われたほどで。
うれしくて連絡先を交換し、また飲みましょうとなった。
ついでに言うならきつねうどん氏も富士にやってきて、
偶然ながらやよねぇもやってきた。
おもしろい縁がいくつもあった夜だった。

2008/04/24

よう働く、しかし。



おとついロケハンで歩いていたときに
電気はついているのに看板はないし、ドアも開かないし、
なんやこれ、とむちゃくちゃ気になった店があった。
昨日、夕方ほどにもう一度行ってみたら開いていた。
店の前にビールケースを置いて、そこでみんな飲んでいた。
吸い込まれるようにフラフラと店に入ると
不思議そうな顔をされたので「ひとり、ですけど、いいですか?」と聞く。
店の人は戸惑って、でも、もうひとり、単なる酔っ払い風情が
「あれ、昨日、ウチのぞいた人でしょ」と声をかけてくれて助かった。
声の主はドンドビの店主。
おとついドンドビをのぞいたときに席がいっぱいで
「ごめんね〜」と言った人だった。
「今日はね、練習でやってるねん。まだオープンしてるワケじゃないねんけど」
とビールをくれて、ついでにカラスミをくれた。
そこはドンドビが九条に贈る二号店だった。
それから、延々とそこで飲んでいた。
「昨日ね、ここ通っててめちゃめちゃ気になったんすわ〜」と言えば
「かっこええのんか」と言って肩を組まれる。
肩を組んだまま店の正面に回り、全体像を眺める。
「かっこいいっすわ〜」と言うと「そやろ、かっこええやろ」と言い、
またしみじみ「かっこいいっすね〜」と言うと「腹立つわ〜」と笑った。
それの繰り返しで気がつけば終電。
名残り惜しみながら、新町のゴーゴーバーに向かう。
そこでの話は、取材のこと以外はもう覚えていない。
なんせペロンペロンだったので。

今日は朝から社内報の企画プレゼンだった。
酔っ払いながら考えたキャッチコピーがほめられた。
しかし、プレゼンに慣れた周囲の人らの企画書をながめ、
プレゼンでの説明を聞きながら、あまりのわかりやすさにはホレボレする。
つーか私、よう働くなぁー。
あんだけ酔っ払ってたのに朝もちゃんと起きたもんね。

アウトプットでの表現の違いこそあれ、
みんな結局、同じことを思っているように思える。
大きな会社の広報の人も、いや、その会社にいる人も、
雑誌を作ってる人も店をやってる人も、
みんな結局のところ、自分の一番納得がいく場場所を目指して
最適な方法を模索してるんだ。
わかりきったことだけど、そのことを実感できることがありがたかった。
だから私はひとつの仕事だけに集中をできない。
いや、たくさんの人のたくさんの考えを聞くことが、
今一番自分にとって刺激になっているんだと思う。

2008/04/21

反省。

いくらも自分では笑っておもしろがっていても、
隣にいる誰かが、仏頂面をしてクスリとすらしないこと。
隣にいる誰かを楽しませてやれないこと。
私は自らをどこででも楽しめる人間だと自負しているが、
気付いた瞬間にサァーッとすべての色が真白に見えてくる。
そんなときが一番嫌いだ。
楽しむことを押し付けることすらできないことにも無力感を思う。

ついこないだそういうことがあって、少し落ち込んだ。
天気のすぐれない空も、せっかくの漁港の魚も、
色がわからなくなって匂いも味もなくなった。
そんな自分の度量のなさにもホトホト嫌気がさしたのだった。
「おもしろくないと言ってるアナタがおもしろくない」
まさに。

--

夜明け前の甲州街道を酩酊しながら歩いていて、
なぜかシマウマが目の前を横切ったような気がし、
やはり基本姿勢としては無垢に愛することしかないのだと強く思い手を叩く。
ボクは電柱を愛する。
街路樹を愛する。
落ち葉を愛する。
立ち蕎麦屋の灯りを愛する。

たとえばこの薄暗い東京のビル群が
自分に対してさほど甘い香りを与えてくれない代物だったにしろ、
ボクはこの垂直の影影影を愛する。
目の前を過ぎ行くバイクの音、トラックの排煙、
煤けた路肩に散乱する空き缶もすべて愛する。
愛して歩いて行こうと思う。

むろんボクは人間を愛する、ことにしよう。
これからはそうしようと思う。
苦手な人でも嫌いな人でも会えば愛していると思うことにしよう。
タクシー代まで飲んじゃって
始発まで歩くことになったこの男の性懲りの無さも許して、
できれば愛してやりたい。

つまりボクはこの世をすべて愛して、
この世から消え去る時が来ても
あの世もどの世もすべて愛して行こうと思う、
と誓ったところで明治大学横の広大な墓地に出た。
盛大な歓声が聞こえたような気がした。
過去からか?
未来からか?
虚空のシマウマからか?

「もの語りのうぶごえ94(文:明川哲也)」
『野生時代(角川書店)』2008年4月号より

--

まみれろ。
おぼれろ。
冷静な分析はあとにして、
とにかく一番いい空気を吸える場所を自分の手で。

人生転換。

人生何度目かの結婚式二次会。
二次会の会費には祝儀袋は不要と、改めて。
さて、自分のときはどうかと妄想する。
できるだけ安く雑多に…味園の宴会場がベストか。
それに合う相手を探そう、などなど。

母親から電話あり。
最近誰も連絡をして来ないと愚痴る。
どうやらタクマwith姉は義兄方の実家にいるようで、
それで物足りなく連絡をしてきた模様。
子どもが孫に負けた瞬間。

2008/04/19

よう飲みました。

境港より生還。
HBH氏、ふじも兄の助言によりドロエビ連打を期待していたが、
あいにくの天気で市場はシケ。
年中あるはずのドロエビ漁は、行った次の日、休みだった。
とはいえ、初日はどこの店に取材に行ってもドロエビを食べた。
まだ生きているままの残酷食い。
取材ではどこでもイキのいい魚がバシバシ出され、
「大阪戻ったら、もう魚は見たくない〜」という
贅沢なワガママすら抱くありさま。
いや、楽しかった。
無理にオチつけようとする
境港のおっちゃん、おばちゃんの喋りも秀逸。
いや、愉快。

昨日はすーさんの結婚式二次会への参加願いを伝えにニコへ。
絶対キモイんやけど、と前置きをして、すーさんと家族話に花が咲く。
やっぱり子どもはほしい、だしょ、だしょ、と。
その後、ネタを仕入れにミューズ。
先日のすんばらしかったシャングリラでのイベント映像、
それをアテに、ラムコーク、ラムコーク、ラムコーク。
カウンターにはそのイベントにも出ていたタツミさんがいて、
「キンチョーしすぎて酒が喉を通らんかった」と。
あとは先日、神戸のケネスでキタアキさんと話したことを報告する。
無邪気にやりたいことを追求、ブレないジュニアさんはやっぱすげー。
で、ミッションのネタ仕込みは、
「東大阪は嫌いや。笑」であえなく失敗。
そして酔っ払い。
同じくネタを仕入れにナマズへ。
本町のイタリア酒場からワクさんと、その友人、ケンジさん。
カシータ・トシを今回も大絶賛で終了。

ネタ自体はシケで全く入らず。
今日はしんみどう@岸里に行ってまいります。
あー、今んとこもう酒はいらん。

よしのりより、
「客がこの記事好きやーと言うていて
パッて見たらさとぴーの名前でトリハダ立った」
とのありがたい報告。
そのミーツ、随分前のヤツなのに。
ちょいと大コーフンでして、家帰って読んで、
なんだか恥ずかしくなってしまいました。

2008/04/15

ミナミ、ナンバー1や。

遠路はるばる北陸の取材から生還。
北陸人の独特なノリや間に細々と含み笑いを繰り返した旅、
それはそれで愉快だった。
早速ながら姐御の店で
スタイルマン的ギャルとピンクのトサカのネエさん合流、
ショウガ天を肴に呑む呑む呑む呑む。
ひとりになって道頓堀の路地にフラリと入り、
魚津で出会った永ちゃん店の報告から今年の永ちゃんツアーの作戦、
突然のスパイス話に神戸話、ミナミのおっさんの愛ある噂話と、
どうでもいい話で始終笑った。
メキシカンファミレスで続けて呑み、
アングリーなトロンボーン奏者と合流してまた姐御の店。
あ、途中、おじいの店にて軽く寿司を食った。
そんなこんなで、さらばアリエナク感度の低いヤヤコシサに翻弄される日よ。
「ホイデオマエナニサマヤネン」となっていた感情は
酔っ払った早朝ごろにようやく緩和、
立ち向かおうとしたときに感じた無力感は
「ジゴウジトクトイウコトニシトイタラヘイワヤ」と諦めの境地へと達する。
とにかく週頭にふさわしいテンションは復活。
魚津も高岡もおもしろかったけどやっぱりミナミが一番落ち着く。


追記(日明けて15日の早朝でござい)
停滞しておりました「飲みごろ、飲まれごろ」、
各方面からの愛ある叱咤をいただきまして、
そろそろ復活して書きまくろうかと。
次回はアメ村[富士]について。
街にはたくさんの人が生きており、
飲む理由もゴキゲンの理由も様々ではありますが、
そのゴキゲンな時間を作ってもらう店や街への
ラブレターを書きたい所存でございます。
また誰かお暇なときがあればお時間拝借いたしたく。

2008/04/04

しかし、スパルタな流れ。

あまりに飲み過ぎな日々。

木曜日
イベント取材。
その後、新店取材をする富士に飲みに行く。

金曜日
タロー送別会。
途中で抜けてアイちゃんとナマズ。
最後、戻ってカラオケに行く。

土曜日
昼からイベント取材。
夜もイベント取材。

日曜日
昼からイベント取材。

月曜日
富士の取材。
結局飲む。
最後なぜかユージとタローが合流。

火曜日
神戸の居酒屋、びっきやと三氣を取材。
結局飲む。
酔っ払って大阪に帰る。
よせばいいのにアンクル。

水曜日
神戸のバーをロケハン。
タマヤマノリコ同行、最初にスタンド太陽、
レ・サボ、トライブ。
恐るべく飲む。
というか、ひとつひとつが長い。
最後、リンゴやキテンをのぞくが休み。
ヘロヘロになって無理矢理大阪に帰る。
なぜかナマズに行って、
その後カルメンにも寄る。

木曜日
神戸の焼肉屋、藤野精肉店を取材、
その後バーのロケハンとアポ入れ。
まずは喫茶店のハルでネタを聞き、
その後パブ・ケネス、チャーリーブラウン、リンゴ。
チャーリーブラウンに戻り、
ハルで聞いたサノワール、最後、トライブ。

で、今日はチャーリーブラウンとトライブの取材。
今日もきっと飲む感じで。
さすがにヘトヘトでございますが、
神戸の街の相関図がおぼろげながら見えてきたので
初めて、神戸を楽しいと思ってきました。