2009/12/29

一応、我が輩は女、ですけど。

だいたい、ここでウダウダと言っていても、
元来がマイペース、そして気まぐれ人生なんである。
他人からどう見られようが、
それは相手に任せておこうというのが私の方針、
そらもちろん、よければいいに超したことはないのだが。
先輩がいない間にぐるりと回しきった仕事だったが、
それについてボスからチクリ、
「にっしゃんは、オレが質問しようと思ってパッと見たら
ぐーぐーイビキかいて寝てるんだもんね。
こいつ、えれぇ度胸してるよな」
続けざまに
「どうせ一回言ったことも3時間くらいしたら、
『そんなこと言いましたっけ』ってなるんだろ。
いいよ、図太いってことは知ってるから」

女子的な評価としてはどうかと思うけど、
ポップにガハハと笑ってごまかす。
社長だから許されるが、
ボスだってかなりの気まぐれ戦士、
「今日は気乗りしねぇから帰る」なんて
出社30分で決めて帰る。
「撮影は任せたっ、オレは散歩に行ってくる」
なんて言われた日にゃ、お気楽にもホドがある…と
ため息混じりで
「どうせまた『山が呼んでる』とか
ワケわからんこと言うんでしょ…」と返すほどで。

先輩が入院してしまった日は
いよいよ明日が家具のロケ撮影、という日で、
だから小物やらスタイリング用品を
レンタカーを借りて引き上げたついでに
商品の管理もしちゃいましょ、ということになっていた。
私ら、お気楽気まぐれコンビに、
カラダもハートもビッグなカメラマンが集合し、
用意万全に整えて「さ、いざ出発」と事務所のドアを開けたところで
「で、レンタカーってどこで借りてるの?」
「え、ボスが知ってるんちゃいますの?」
「にっしゃんが知ってるかと思った」
「あんだけ電話してたからビッグが聞いてんちゃうの?」
とダメダメトリオで言い合い、
「ま、いっか、どうせいつものとこやんなー」
てな具合で珍道中な船出だったのでした。
そんな調子なので、商品の管理場所も
ロケの住所すら(ロケハン行ったのに…)アヤフヤに
フニャフニャに、そして自身もお互いも信頼せぬまま
結果、いいチームとなったのでした。

昨日はボスと先輩と私とで繰り出して
ま、ほとんど私はオチに使われながら
ボスから先輩へのソフトな小言が続いた。
私も容赦なしに、我がをオチに利用して
さも楽し気に先輩にここまでを報告し、
ほれほれ、みんなで仕事するってのはこんなに楽しいんや!
とクギをさす。
デリカシーないヤツと言われようとお構いなし、
仕事は重いもん背負うことじゃなく、
ポップに楽しく、そしてややメリットを、
重要なんは生きていくことやー、
ていう頭でっかちさは譲れない。
ボスとふたりして、
アイツ(=クライアント)の仕事は
しょっぱいからそこそこにしときなさい、
努力しているフリができるようになりなさい、
または、仕事そっちのけで遊んでるくらいがちょうどいい、
細かいしょーもないことは西村がやるから、
それを高見から見ながら「こいつは仕事遅せぇなー」と
イラ立たせるくらいがちょうどいい、と
クドクドと説得を続けた。
最後には、「にっしゃんの女の姿が仕事のじゃまをしてる」
などとなぜか矛先はこちらにきてしまったけれど…。

とにかく、私は、先輩が退院して帰ってきたときの
あの不安な感じというか、自信のない感じというか、
そういう弱っちいところを
隠そう隠そうとしてるペラペラなところが気に入らず、
ま、そんな過激なことは言わなかったけど、
たとえば、大元のクライアントから
一気に信頼を集められるってのは
先輩くらいじゃないとできないのはかなりの才能というか、
そんなところを一所懸命伝えたりした。

ま、せっかくいっしょに(間借りしてるけど)やってるんだから、
互いの力は借りてナンボ。
利用し、利用され、
そしてこの苦しい時代を生き抜いていきましょやーと。
イヤな仕事はしない、というかできませんので、
そんなことに時間を費やすよりも
好きなとこや得意なとこで仕事しよーぜと。
いや、私はまだそんなことを言えるような立場ではありませんが。

2009/12/26

シアワセって何だっけ。

怒濤の10日間でした。
先輩が原因不明の腹痛で入院して、
その仕事のフォローと
自分の仕事とで徹夜2日×2回。
徹夜ではないけど、事務所に泊まった日、
それはほぼ毎日。
家に帰ってもいいんだけど、
不安すぎるから、着替えとかいろんなグッズを持って
「住んでいる」状態になってしまった。
でも、よくもまあできましたな、という感じ。
なんというか、
客人気分としてしか眺めていなかった
家具のカタログの撮影デビューを
現場仕切りの役目で飾らねばならず、
いやしかし、そこはみなさんのフォローを仰いで
意外と滞りなくできたからホッ。
企画書等々はアホみたいに3つも4つも作りまくり、
企業さんのパンフレットの編集ラフ出しもした。
ほんで自分の仕事、
下着カタログ40ページも2日分の夜中で書ききった。
まあホント、ようやりましたな、て気がする。
わからなくて怖いとか、経験足りないからできませんとか、
そういう次元のモンダイではなく、
やらねばなるまい、やらねば何も進まない、という感じで。
考えてみれば、余裕のキャパシティオーバーな仕事量で、
でもひとつずつを取っても、
他人の仕事だからという責任からか、
どれもおざなりにしないでできたのはエラかったと思う。
その緊張感からか、自分の仕事も緊張を抜かずにできた。

ま、言うてもこちら現場作業人。
やりきった感を存分に味わって、
いろんな人にほめられたり、
何より「西村さんいてよかった」と言われたりで、
今は満足しているわけですが、
そのテンションと合わない、
退院したての先輩とどう話を詰めていくかが
ここ数日の悩みで。
全部毎日報告は欠かさずしていたのに、
やはりその現場にいなければ何も把握できない
てのはとてもよく理解もできるけれど
私は私のものになった仕事を進めるのに必死で
先輩の焦りを感じつつも何もできないのがツライところ。
何かを聞いても泣くばかり、
そんなに泣くなよーと思いながらも、
目の前の席でメソメソと泣いているのであります。
私からすれば、ここ半年ほども家には週に一度帰ればいいほう、
という人をちゃんと家に帰らせることができた病気に、
ある意味で感謝してみるのもいいのではないかと
思ったりもして。
まずは家族、まずはその幸せや安らぎを、て思うのは、
私が現実に独り身だったり女だったりするからなんだろうか。
先輩からすれば、やっぱりそうはなれないんだろう、
それは、今アブラの乗り切った働きざかりの人間だからなのか。

先輩が入院をしている間、
仕事として必要なメールを先輩のパソコンでチェックし、
それを自分のパソコンに転送する作業の中で、
先輩が家族に宛てたメールを発見した。
「おとうちゃんはきょう、さんぽにいきたいです。
みんなでどこかにでかけませんか?
きょうはきちんとかえるよ」
ずっと帰っていない、会っていない家族、
想像するとこちらが泣けて、
お酒をもう飲んでしまっていたせいもあり
事務所でひとり泣き崩れて困った。
ほんの少しの努力と諦めで全部はうまくいきそうに思えるのに、
そう思うと悲しく、仕事ばかりに邁進することに、
単純に疑問を思った時間だった。
誰かのために、仕事をする。
それこそ独り身だからそうそう感じられることじゃない。
何にも変えることのできない誰かがいる、
それはとてつもなく尊いことだと私には思える。

こちらは、単純に便利に使ってもらえればありがたく、
そこのところに焦りを感じて涙を流されるのはとてもツラく、
というか、キャリアとしても周囲からの信頼としても
私とは全然比べもんにはならん人なので
どうして泣いてしまうのかが全く理解できないのだ。
で、それを見て、眠たくなったフリをし、
または新たに自宅から持ってきたバカデカいパソコンに
顔を隠して見ないフリをする。
最近、なんだかちょっとツライ。
みんなが自分らしく、幸せに笑っていけたらと思う。
感覚は人それぞれだから
私が思う幸せが、イコールでそうでないかもしれないけど、
なんかそう思う。
ゆっくりと、じっくりと。
私もいつかって、本当に思う。

2009/12/12

少し気分がらくになった。

生来、アタマの硬いヒトだと思う。
子どもの頃のハナシを母に聞くと
本当に恥ずかしくて赤面するしかないけれど、
「腹が立つ」とヒトコト言ったら最後、
理由も言わずにただ黙って怒っていたらしい。
最近の怒り方は、またそういうふうになってきた。
苦手とするヒトが事務所に来たときに
私は黙ってパソコンの画面を見ながら忙しいフリをし、
彼がかまってほしそうに何か言っても
「忙しいので」と返してしまう。
「忙しいフリ」は、彼が帰った後も直らずに
不機嫌そうに黙々と「忙しいフリ」をするしかない。
まぁそれは、素直にいられる事務所だから
「忙しいフリが直りません」と告白できて今はラクだ。
その「彼」が自分とこのイヌを連れてくるときなど、
お茶を入れてニコニコと遊んでいるのだから
ゲンキンにもホドがあるというもの、
一体、私はなんなんだ、ということになる。

私はこの「硬さ」でどのくらいのヒトのことを
心底キズつけたのだろうか。
ときには態度で関わることを拒み、
または粗雑なコミュニケーションを繰り返し、
ときにはコトバで必死の抵抗をし、
あるいはこのブログでもいろんなことを書いてしまった。
過ぎたことは仕方ないけど、
頑とした自分を振り返るにあたり、
すでに「赤面する」の域を超えて
反省と後悔とでドキドキして冷や汗をかいて焦る。
「イヤ」というものを「イヤ」と言わずにはいられないけど
もっと他にやり方はあっただろう。
今ならもっとうまくやれたんじゃないか、なんてことも思う。
なんてことをしてしまったんだろう、と思う。
ただの自分が思う「正しさ」だけを振りかざし、
「わからないこと」をわかろうともせず
わかったような気になっていただけなのだ。

--

もちろん、どこにでもあるという訳ではない。
そう希むのは、文明人の奢りというもの。
けれどないとなると、
寂しくてよるべない心持ちになるのは、どうしたことか。
コーヒーやお茶を喫みたいというだけじゃない、
そこに流れている時間にひたっていたいのだ。
旅人にとっては、心の渇きをいやしてくれる、
沙漠のオアシスのような場所。

パリのカフェは落ちつかない、といったら、
たちまち反駁されるだろうか。
すばしこい眼差しの好感こそ、パリのカフェの身上。
着こなしを値ぶみしたり、
アムールの矢を放っておいて、
知らんぷりをしたり、きわめつけのフランス式だ。
それだけじゃない、
年季の入ったギャルソンの、身ごなしの優雅さといったら。
パリのカフェでは、
みんなが臆面もなく自分のシャンソンを唄っている。
とてものんびりしてはいられない、
と憎まれ口をたたきたくなる。

それじゃあ、王道をゆくウィーンのカフェへ、行ってみようか。
とびきり豪奢で、ひっそりと静まりかえっている、
うやうやしく一杯のウインナーコーヒーが献じられるための大聖堂。
文句のつけようのないもてなしだが、
夕べに一人でいると、
水に浸っている棒杙になったような気がしてくる。
このメランコリーこそが、
ウィーンのカフェの隠し味になっているのだけれど。

いますぐ潜りこみたいのは、プラハのカフェだ。
壁いっぱいにポスターが貼ってあって、
いつまでも学生気分の抜けない、
パイプ煙草の匂いのするカフェ。
ぼんやりと愁いに沈んでいる青年もいれば、
怒ったようにまくしたてているパンクな少女もいて、
まるきり統一がとれていない。
このカフェに小説家のハシュクやチャペックが来て、
絶望したり気をとりなおしたと思うだけで、
コーヒーの苦みがいっそう深くなる。
テーブルの下に猫がいたり、
古くさいストーブに火が入っていれば、
もうなにもいうことはない。
チャペックの園芸についての小さな本にあったことばが、
どんなふうに春を待てばいいのか教えてくれる。
「おれたちのさびしさや、
おれたちのうたがいなんてものは、まったくナンセンスだ。
いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、
つまり育つ人間であるということだ、と。」

カフェなんてどこにでもあるだろう、
といって油断していたら、
路地がなくなるようにカフェも消えてしまった。
どこもかしこもスベスベして、
詩人も、画学生も、猫も、いづらくなってしまった。
ボヘミアンという種族がどこへ行ってしまったか、
だれも気にとめたりしない。
新しいものを見たいという慾求を、
とがめようというのではない。
ときどきは、古くて傷んだものがいとおしくなって、
夕日を眺めたりプラハへ行きたくなるというだけのこと。

ぼんやり、知らない町の歩いたこともない路地に、
そのカフェはあるかもしれない。
ぜんたいに煤けていて、
木のテーブルには歳月が肘をついた窪みがある。
暖炉にはブドウの枝がくべられていて、
いい匂いがたちこめているだろう。
疲れからウトウトしているうちに、
ほのかな香りがしてくる。
カリブ海のどこかの島で、
摘まれたコーヒーのエキゾチックな香り。
それこそは、南からの思いがけない便りだ。
コーヒーを飲み干したときには、
愁いをふりはらって行かなければならない、
と青年のように思いつめている。
アンディアーモ!
さあ、行こう。
イタリア人でもないのに、こう口にしている。

どこへ行くかは、悪魔にまかせて、
さあ、とにかく行こう。

「Bon Bon Voyage 名もないカフェ」(文:佐伯誠/翼の王国2004年2月号)

--

わからないことを正直に「わからない」と言うのは
本当に勇気のいることだと、今でも思う。
バカにされるんじゃないだろうかとか、
「私のコトに興味がなさすぎる」と思われるんじゃないかとか。
知っていることを自慢に思うとか以前のところで
「知らないこと」を恥じてしまう自分がどこかにあって
ワードだけを必死でメモして、
知ったフリも、知らないと正直に言うことも、
できずにいることが多い。
今朝、先輩に「私は知らないことが多すぎる」と告白したら
「年数も経験も違うから当たり前や」と窘められてホッとした。

人に対してもそうで、
たとえば「この人はすごい人だ」と最初から決めてかかると
ほんの少しの油断もできないカチンコチンの状態になり、
思っていることをひとつも言えなくなる。
というか「思う」ということができなくなる。
つまり、その時点では全く意思が働かない。
それがときに自分の感情の中に
イヤな気分を醸造していたのだろうか。
わからないことを恥じながらも
「何ですか、それ」と言ってしまえばいいのだ。
虚勢を張って、無理矢理に
同じ土俵に立つ必要は全くない。
自信のなさが「虚勢を張る」を促していたならば、
とっとと「それ」とは関わりを絶つのがイチバンである。


追記
今日は事務所にひとり。
仕事できないから必死のパッチなのだ。

2009/12/10

忙しいのはうれしいことですが。

毎日書くぞ宣言も3日坊主で終わりまして、
12月ももうそろそろ半ばというのに
2つしか書いていなかったことに愕然としています。
ありがたいことに、激務でございます。
家にはたまに帰っています。
企画書がいくつかと、企画書がいくつかと、
終わったけどネタ出しと、企画書がいくつかと、
クライアントが社内で使う資料作りと、
フリーペーパー作りと、
通販カタログのコピーワーク。
この「企画書がいくつか」というのが
ま、全然おカネにならない仕事で、
そういえば、「ネタ出し」とか「資料作り」というのも、
同様に、それ自体にはおカネが出る仕事ではなかったりする。
それでも無闇に丁寧にやってしまうワタシ…。
カメラマンの収入が、カラダにしみ込んだ技術やらを
補完するものとして出るものならば、
頭の中に貯めてあるものを発揮しているこういう仕事にも
何らかの補完があってもよさそうなのに。
と、いつも思う。
予算組み的に難しいだろうから、仕方ないさね。
企画書が通って取れたら大きい。
そして、それでうんうんうならされているのが
「フリーペーパー作り」だ。

なにしろ、「テスト」と称して
別の制作者とお試し版をいくつか作り合い、
その結果や反応を待って本番…となるはずが、
担当者の勝手な一存(というか趣味?)で
こちらに決まってしまったのである。
うれしいけど、仕事が多い。
年間編集企画やスケジュールは当然だろうけど
「なぜ私たちが作るのか」を社内で説得してもらうための
資料作りばかりに追われている気がする。
それも、「明日までにこれを〜」のノリでそして内容はヘヴィ。
そういえば、カメラマンとかイラストレーターの提案はおもしろかった。
あー、でもおもしろかったのはそこまでで…。
東京で頭とってやってくれている
往年の編集者もヘトヘトの様子で、企画キャッチが死んでいる…!
その編集者も齢60ン歳のおばあちゃん、
さすがに「もっとこういうの〜」とは言えず、
私ごときがこそこそとキャッチを直している次第。
嗚呼、という感じ。
もう、嗚呼としか。

楽しみなのは、家具のカタログの制作と
(よく考えたら来週が撮影なのね!)
ヨーグルトの商品ブランディング(というかパッケージ制作)。
とにかく、早く、この社内用書類から解放されたい。
いやー、忙しいのはありがたいことなんですが。

2009/12/06

まんま。

野田の中央市場の脇にある事務所には、
いつも自転車で通っている。
…「通っている」というか、
ほとんどはお風呂に入って着替えてくる、
くらいの感じか。
行き帰りの時間は、一段落ついたときで、
だから、マチマチになる。

自転車の通り道は、当然いろいろとある。
一番分かりやすいのが、
大国町の国道をまっすぐ新なにわに突き抜けてズドンのコース。
最初はそうやって同じ道を要領よく行くように心がけていたけど、
行き慣れると別の道を通りたくなる。
次はあみだ筋、なにわ筋、別の筋を通るにしても、
西に抜ける道は中央、本町、土佐堀と、
信号が変わるのに身をまかせて走るのが第二ステップか。
大通りを通るのに慣れてしまったら
あとはフニャラフニャラと小さな通りに入っていく。
「お、あれは何だ」「こんなとこにこんなのが」などと
興味のままに走らせるのが第三ステップ。
そのうち、その小さな通りでも、
自分の気に入ったコースがなんとなくできてしまって、
フニャラ〜と気ままに走っているつもりが、
いつの間にか「いつもの」コースに来てしまっている。
「あ、またここに戻ってしまった」となる。
よくよく思えば、そこが自分にとっては最も走りやすく
導かれてしまう道なのだろう。

このところ、元町を抜けてなにわ筋を入り、
信号にまかせてあみだ筋を目指しながら
路地に入って、公園の横を抜ける途中、
平日なら営業マンの昼寝、休みの日なら家族の風景に出くわす。
それが見たいと思っているわけではないけど、
なんとなくそれを眺めながら自転車をこいで
あみだ筋に突入する手前で中央大通りを超え、
マコとウミちゃんが住んでいたマンションの
一階にあるパン屋さんの前で
何か買って行こうかなと悩んでいる間に通り過ぎ、
本町に突入して斜めの道に入る。
いつの間にか、そこには何の想いもないけれど、
勝手にこれは固定されたコースになってしまった。

万事そういうもんなんじゃないか、と、
今日、ついさっきも自転車に乗りながら浮かんだ仮定は
少々急ぎすぎだろうか。
でも、ここ最近の自分を見ながら、
「結局は元の道に戻っていく」
(「元の道」がなんなのかわからないけど)
と思ってしまう。
たくさん難しいことを考えた結果、
「この仕事」に興味を持った原点に立ち戻っているだけのようにも見える。
とにかく、「こうなりたい」なんて少し思っただけじゃ
そういうふうにはなれないし、
もしかしたら、根本で「自分を変える」なんてできるわけもない。
とても残念な結論だけど、同時に安心する事実。
最近いっしょにいる人たちにも
たくさん迂回をした結果、
なんとなく「戻った」感がするのも不思議だ。
(迂回の途中では全く会わなかったのだから、余計に)

あー、また頭でっかちになってしまった。
文章ってムズイ。

--

同じモノでも、人によってモノの捉え方はまったく違うのである。
とかくこのあたりまえのことを忘れがちだ。
モノと人の関係を丁寧に見ていくと、
残すべきものが少しだけ見えてくる。
それはとてもとてもささやかな気付きだから、
どうでもいいと思えばすぐに消え去る。
他人に相談しても伝わらないようなもの。
それをキメの細かいメッシュで
掬い上げるような仕事だったのかもしれない。

『クジラは潮を吹いていた』(文:佐藤卓/トランスアート)

--

「表現したこと」とは、イコールで「その人そのもの」。
いわゆるクリエイティブな広告やら雑誌やらのみならず、
たとえば、どこかの会社の商品だってそうだろうし
きっと経理やらの仕事だってそうなんだろうと。
私の仕事は、商品を作った想いや
そこに関わっている人の想いをちゃんと伝わるようにすること。
あーいやいや、まだまだ全然足りてないけど。
で、それをずっと考えていくと、
自分がその仕事にどうフィットしていきたいのか、
なんてことをボンヤリと思うことが増えた。

できれば相手の思うものに素直に反応して
「思うもの」というものが伝わるように作りたいけど、
どこか自然に、自分が反応できる「相手の想い」というのを
チョイスしてしまっていることにも気付いたりして。
たとえば、ほんのちょっと、誰かのために企画書を作ったりしても
こちらは「言っていること」に忠実に作ったつもりなのに
実はちょっとだけ方向が違うことってある。
そのチョイスが間違ってたら教えてもらうしかなく、
すごすごと身を引いたり、
そう解釈した理由に納得してもらえるように努力したり、
たくさんやり取りがあって、
謎が解決されていく様はおもしろい。
でもときどき、「こんなふうに解釈してくれたんや」と
言ってもらえることはとてもうれしい。
そんなだから、おもしろくない仕事はないように思える。

最近、仕事のことしか書いてないね。
ボスには「ピュアすぎるわー」と野次られるけど、
正直、仕事は、いや、人と関わるのはとてもおもしろい。
(というか、私以上に、ボスは純粋=正直?すぎると思う)
たぶん、他のこともあんまり考えてないってことです。

2009/12/02

今週は。

今週からピンの仕事が入って、気合い十分のスタート。
さっそくながら、下着の取材に勤しんだ月曜日でした。
企画には一切関わっていないし
ディレクターさんもデザイナーさんも初めましてだし、
勝手がよくわからなかったけど
商品のことはバシバシと聞けたと思う。
ま、とにかく、ここからスタート。
新しいカタログの立ち上げとなったわけです。
あと、プラスでボスからいただいた仕事を。
新しい家具のカタログの情報整理だけど、
家具のカタログに関わるのはお初で、
これまた勝手もわからないままに
しつこく質問しながらようやくページネーション案完成。
あとは撮影の香盤表と大貼りの原稿を作って
来月の撮影に突き進む、と。

とにかく、勝手のわからないことだらけ。
他の人がやったほうが早いこともわかっているけど、
そこはちょっとガマンしていただいて
辛抱強く付き合ってもらわないと。
とにかく、経験の浅さを思い知ったのでした。

--

風景とは、我々身体の外にあると思われがちだが、実は人の中にある。
風景は空間そのものではない。
あくまで人が、目からだけでなく
身体全体から受け取っているものの「感じ方」である。
人が居なければ空間はあるが、風景はない。
モノの輪郭も、その風景の中にある。
つまり人の中にある。
そして、幸か不幸か人間だけが意識的に輪郭をつくることができる。
動物や植物が輪郭をつくったとしても、
輪郭をつくろうとする意識がないから
どこにも矛盾や破綻という概念がない。
自然のまま、在るがままでしかないのである。
それが、輪郭を自由自在につくれるようになってしまった人間から見ると、
皮肉にも美しいのであり、
そこに馴染む心地よさを感じたりするのである。
デザインという行為は、人が意識して輪郭をつくる行為と言ってもいい。
それゆえ、とかく人の欲望が輪郭に出る。
それは、デザイナーの自我や
売り上げを伸ばすためだけの流通論理などである。
欲望を表出させた輪郭が心地よい風景をつくるとすれば、
こんなに簡単なことはないので
本来デザイナーの職能など必要ないのかもしれない。
現代は人の欲望で輪郭がブレているモノ達で溢れている。
そのようなモノがほとんどであると、
人の感覚もそれに慣れてくる。
本来の心地よい輪郭を越えて、
ノイズになっている空間があたりまえになる。
これは感覚が麻痺している状態に近い。
このような強い主張がぶつかり合う環境にあって、
突然心地よい風景に出会った時に、
いかにそれまでの環境が心地よくなかったかと気付くことになる。
デザインの仕事をしていると、
デザインが消えかかったと思える時が訪れる。
そのモノの本来あるべき輪郭が見え隠れした時だ。
その気配をつかめば、あとは消えたと思えるところまで
突き詰めていけばいい。
本来、デザインはモノを通してコトに導く途中にあるもので、
適度に気付かせてくれて、
そのうち自然に生活の中に溶け込んでほしいものである。
デザインは、人工によって自然を探すことなのではないか。
深澤直人と藤井保の試みは、
そういうことを考えさせてくれる。

『THE OUTLINE 見えていない輪郭(深澤直人+藤井保)』解説より
(文・佐藤卓/アシェット婦人画報社)

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「答え」を探そうと急げば「答え」はプイッとそっぽを向いて、
こちらを見ようとすらしてくれない、ようなことがよくある。
いや、それが「答え」だ、と思ったことが「答え」になりきらない。
カンタンにピュピュッと、では浅はかで物足りない。
修行不足、執念不足。
毎度、ああ悔しい、の一言。
見えていないものが見えるようになればいいのに、と。
さて、仕事、がんばります。