2013/12/31

小さな気持ちの積み重ね。

振り返って。

ほとんど人と関わっていない日々なので、
身内のことや、自分の心象風景ばかりがヒマつぶしのための考え事のほとんど。
今年こそは受かりますように、だけど、行きたいとこに行けるかはちょっと自信なし。
ともかく、もうタイムリミットなので、来年はどこかの学校には行っている。

合間を縫うように思うのは、おばあちゃんの認知症のこと。
カナシイとか、サビシイとか、カワイソウとか、そういうことではなくて、
私は単なる興味の中で見ているようだ。
春に倒れて認知症の兆候が出始めたころ、
少しずついろんなことを忘れていっているようだったけど、
覚えていなくても、明るくて元気なおばあちゃんだった。

それが、この秋、足を骨折して高知市内の救急病院に入院。
認知症があるために、不意に自分で立ち上がったりするのを避けるため、
ベッドに完全に固定されてしまった。
「中国に連れて行かれる」「助けに来てくれたがやろ?」
というのは、姉がお見舞いに行くたびに懇願されたことだそうで、
姉はそのたびに、おばあちゃんに合わせて、悲劇のヒロインをなだめたという。
どうすればいいのか、わからなかったのだろう。
地元の病院に転院するときに、お医者さんの問診で、
ここはどこだと思いますか?に、「さぁ、先生はどう思われます?」
何歳ですか?の質問に、「私としては、20歳」。
地元の病院でも、拘束帯をつけられることになった。
前回入院したときには“ニコニコとしたかわいらしいおばあちゃん”として
病院のスタッフのみなさんに好かれていたようだけど、
今では一転、みなさん困っている、とのこと。
縛られることは、認知症でなくてもツライ。
でも、骨折を治すには仕方ない。
24時間、目を離さずにいる、なんて、たぶん、誰にもできないし、
なら、不意に立ち上がろうとする動きにも、気づけない。
我慢してね、としか言いようがないらしい。

20歳だと思っているワリには、近代的な建物のことや
クルマで移動していることなんかには違和感を感じていないらしい。
それこそ、心象風景や何らかの想いのようなものだけが抜け出し、
ふわりと浮いてどこかへ行っている。
で、たぶん、私の名前は知らない。
親しそうな顔で話をするけど、名前を呼ばない。
あ、こないだ、微妙なところで「おさとさん」と呼ばれた。
そんな呼ばれ方をしたことはないので、
きっと、近いところで思い出すのを断念したのだろう。
姉とそのダンナと甥、とか、父と母、とか、
セットになっていると「アタリ」を引けるようだ。
おじいちゃんが亡くなっていることは知っているのだろうか。
弟に子どもが産まれたことは知っているのだろうか。
正月には、おばあちゃんも家に帰ってくる。
長らく生活をした家ではないけど、“見知らぬ家”でもないだろう。
やっぱり、お医者さんに答えた「20歳くらい」だとしたら、
戦争が終わって、小さな子どもがワラワラといる頃なのかな。
それとも、縛られている感じ、というか印象が、
単に戦時中の想いと重なるだけだったりして。

こないだ、ラジオで「第9回日本放送文化大賞」をやっていた。
ラジオドキュメンタリーの優れた作品を讃えるもので、
去年は高知のナンチャラ商店のことをやっていた。
今年のグランプリ作品は、「介護とビートルズと」。
介護施設の施設長をしている50代の女の人が、
地元のメンバーといっしょにビートルズをカバーして、それが巡り巡って、
三越のクリスマスのキャンペーンソングになったというシンデレラストーリー。
その中で、彼女の本業、認知症の老人介護についての話になった。
「認知症の行動には、昇華しきれていない想いが現れる」
「遠回りでも、その想いを丁寧に受け止めて、安心してもらいたい」
「こんなに年をとっても、『こんなに長生きして迷惑』だなんて思わずに、
生きてきてよかった、長生きしてよかったと言わせたい」などなど。
幼い子どもを亡くした後悔を抱えている人は、
ふらりと子どもを助けに行かなきゃと出ていったりするし、
でも、辛抱強く向き合えば、認知症でも昇華させられることもある、などなど。

あー、そうか、と思うとちょっと泣けた。
身内でも、その人の人生の細部まで、
ときどきの気持ちの深いところまで、なんてわからない。
希望とか後悔は、どんなものだったんだろう。
豊かだったとか、貧しかったとか、うれしかったとか、悲しかったとか、
頭の中の片隅で想像していることの、それよりもずーっと向こうに、
ほんの些細な事柄の重層がある気がしてくる。
ま、あったとしても、ふつうの、イナカの家のハナシでしかないけれど。