2008/09/30

情報レベル、カタログタイプ。

大学のときから、雑誌を恐ろしいくらいに買っていた。
よく引用している『翼の王国』は定期購読、
眺めていただけの『アイデア』『AXIS』『広告』も定期購読、
後に自分が作ることになろうとは…の『Meets Regional』に
『サイゾー』『TV Bros』『広告批評』『BRUTUS』、
なぜかここに『暮らしの手帖』、
『STUDIO VOICE』に月刊の『PLAYBOY』、
『Gap』の建築特集や『A』、『skypaper』、
姉の影響で、用事のない建築雑誌も数冊は。
あと、おもしろそうな雑誌はいくらでも買った。
すぐに廃刊になってしまった『eat』のコラムはおもしろかった。
見かけるたびに奮発して買った『archives』で
海外のCMを見るのもおもしろかった。
その他に書籍もアホほど買っていたので、
月のうちの書籍・雑誌代はバカにならない。
いやしかし、女性誌…というか、
何か喋る相手を限定した雑誌というのを
ちゃんと買ったことがない。
…ということに今さらながら気がついた。
いやたぶん、うちの家系的にそうなんだろう。
姉や母が、ファッション誌を読んで購買行動に、
ていう姿は見たことがない。

たとえば(これを言うと怒られそうな気もするけど)、
私は『Meets Regional』を毎月読んでいたけど、
それを読んで、載っている店に「さぁ行こう」と行くときというのは、
そこに載っている店の記事が自分の知らない魅力的な世界で、
自分の知っている手札では
おそらく叶わない時間がそこにあると思ったときにしか行かなかった。
今、髪を毎月切ってくれる「斉藤さんとこ」はそうだし。
ただ、それらは気分でしかない。
その店の記事を読むために雑誌を買っているけど、
その店に行くために雑誌を買っているつもりはない。
だから全部読み切ってしまったあと、
何ヶ月か経って読み返したときに
「あ、そういえば、行ってみよ」となるのが常。
雑誌購入がイコールで消費行動には結びつかない。
いや、書いている人らのキョーレツに遊んでる具合も、
その店にいきなり行ったからって
同じようにできるわけじゃないってのも、
読んでいればすぐに分かることなんだよね、てのもある。
…それは一種、臆病とも言うのか。

最近では、仕事柄、情報や参考物件を探すためによく女性誌を買う。
女性誌とは「目的」がおそるべくハッキリとしていることに気がつく。
誰かに言ったことがあるような気がするけど、
ひとつ“カワイイ”デニムの商品が載っているだけで
たぶん雑誌は購入される。
そのデニムを買おうとして雑誌を“ためて”おきたいと思うんだろう。
そのデニムに付随するコーディネイトや小物、
似たデニムは同時にそのページに載っていて、
それらを自分の生活の中に取り入れようとするから。
つまり、より実務的で実際的、
情報的な性格が「女性誌」というものにはある。

今、雑誌の廃刊ラッシュだ。
私が買っていた雑誌の中でもいくつかはもうなくなってしまった。
(そもそも雑誌バヤりの中で出ていただけのものもあるし)
いや、残っているものって、
けっこう消費行動に直、てものが多いんだなと。
そうじゃなかった雑誌もそうなっていく傾向はあるよね、と。
(そういえばこないだの『ハイファッション』では
「カタログ的な雑誌が増えている」みたいなコラムとともに
アイテムを「カタログ的に」ズラッと並べていたんだが、
たぶんそれは「あえてカタログ的な〜」と言ってしまったがために
全く「カタログ的」ではなかった。それが狙いなんだろうけど。
というか、それらはたしかに「カタログ的」と言われるんだが、
あまりにカタログを卑下した言葉になっていて聞いて気分が悪い)
それがいいか悪いかってことではないんだけど、
ひとつロマンがなくなったような、そんな感じはあるのかも。

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