2008/01/07

今年最初に会った人はスミホでした。

言葉というのは、使い古された百円玉みたいなものだと思っていた。
いつまでもつるつるして、ちっとも頭に入ってこない固いもの。
百合子さんのは、肉入りすいとんの湯気が上り、
味がし、畑の肥やしの匂いまで漂ってくる。
きっと、ものごとのありさまを、撫でまわすように、
ジロジロとすみずみまで眺めたおしている。
天皇陛下も野良仕事のおばさんも、
犬も猫も食堂のカレーライスも死ぬことも、
同じ地面に並んでいるのは、正確に、律儀に、
裸いっかんの目玉でものごとを見、書きぬいているからだ。
ひとりひとりの体から出てくる言葉というのは、
誰におもねることもない、こういうものであるべきだと強く思った。
(Yom Yom/湯気の立つ言葉/高山なおみ)

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私は頑なにできているので、
人のことを簡単に心配できないし、祝ったりもできない。
自分自身、そう思われたくない人から
社交辞令を受けることを拒んでしまうところがある。
それはとても軽卒で、軽卒だからこそ恥ずかしく思える。
真逆に、人のことを簡単に、でも決して軽率にはしない女、スミホ。
そのスミホから、昨晩突然に電話があったので、
もう寝ようと思っていたカラダを起こして街へ出た。

たいした話はいつでもしていない。
昨日だって、最近スミホが遊んでいる女子部改め「乙女倶楽部」の自慢をされ、
編み物の話を聞き、秋にある彼女の結婚式の話をして、
彼女の飼っている猫・クロたんについて笑い、
場所を変えて行ったバーでは落語やモッズの話をし、
小説から落語に戻り、漫画から音楽の話になり、
ときどき思いついて田舎の食材についての話をした。
少しも脈略のない話の展開だけど、気にせずその瞬間の言葉を発することができる。
スミホは、そういう空気を作る。
スミホは話の展開と同様、脈略のない彼女や彼女のカレシの友人を集めて
誕生日パーティーや花火大会などの宴をよく企てる。
きっと途中から、何のために集まったのかなんて不明になり、
脈略なく盛り上がる酒の場となる。
(諸事情で行ったことはないのだ)
全ての催しが、彼女自身が楽しむためにあるというあっけらかんな具合がイイ。
そういうのが、少し戸惑いも含みながらつるんっと入ってくる。
つるんっと入ってホロホロジワ〜ンと、解ける。

おもしろいと思うことに正直なスミホは、節操ないぐらいの勢いで見聞が広い。
少し小突けば相乗効果的にアイデアの水脈がドバドバと洪水を起こし、
溢れるアイデアにアウトプットの言葉がついていけないほどで、
私たちは逆の意味で全てを話すことができない。
そういう具合だったので、昨晩は4時まで飲んだ。
ま、「一杯だけ行こか」は、「一杯だけ」になり得ない。常である。

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美しい景色、美しい心、美しい老後など
「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。
景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。
心がどういう風かくわしく書く。
くだくだとくわしく書いているうちに、
美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、
それでも、なるたけ、くわしく書く。
「美しい」という言葉がキライなのではない。
やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。
(絵葉書のように/武田百合子)

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今年は、何かやってやろうと思っとります。
とりあえずはスミホとの企てを一発かまそうかと。
タノチミタノチミ。

で、ポヤンッとユーコが浮かんだ。
そうかそうか。
ユーコとスミホは私の中で同じなんだな、どうも。

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