2008/01/03

いろいろ考えたりして。

街を歩いていると、しょっちゅう道に迷う。
カラスが多いとか、美人が通ったとかは見ているが、
ビルの看板なんか全然見ていないから、あたりまえかもしれない。
そんな僕でも野山に出れば、10メートル先を横切る
蝶一匹の特徴を見逃さない自信はある。
同じ景色を目の前にしていても、人によって見えるもの、
”見えている”と脳が認識するものは、全然違うのである。

個人差とは別に、国や民族による差もある。
僕は自然が大好きだが、自然をきめ細かに見る目が肥えているのは、
日本文化の特徴でもある。
美術品の題材でも、西洋なら聖書や神話のエピソード、日本では花鳥風月だ。
虫を描いた絵も多い。
アールヌーボーの代名詞となっているガラス作家、
エミール・ガレなどは、多くの作品で虫のモチーフを使っているが、
日本美術の影響が大きいという。

日本人はなぜそんなに自然を意識するのか。
四季の変化がはっきりしていることが、まずある。
特に春から夏の、自然の繁殖力の旺盛さは際立つ。
思想家の丸山真男によれば、
『古事記』などの古典に最も頻繁に出てくる言葉は「なる」。
実がなる、なるようになる、の「なる」だ。
箱根で虫捕りをしたとき、5月の連休の頃まで通れた道が、
2カ月たたないうちに草で埋もれてしまっていた。
まさに野となれ山となれの活発な生育力だが、
外国を知らない昔の日本原住民は、そんなことには気がつかない。
古事記時代に日本を「豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国」
「秋津(あきつ・蜻蛉)島」と表現したのは、大陸からの渡来人だろう。
中国は秦の始皇帝の頃に木を切りすぎて、
すでに黄塵万丈(こうじんばんじょう)のカラカラ状態だった。
水や植物の豊かな日本の自然は、彼らの目にかなり印象的に映ったはずだ。

日本人が自然と密着せざるをえない理由はもうひとつ。
日本列島は「TSUNAMI」が万国共通語になってしまうくらい、自然災害が多いからだ。
日本列島の面積は、世界の陸地面積のおよそ400分の1しかない。

ところが記録にある世界の大地震の2割、噴火の1割が日本で起こっているという。
つまり自然災害にあうリスクが他国の平均の数十倍である。
どうしたって自然から目を離すわけにいかない。
庭をつくるにしても、借景という様式に見られるように、
自然に少し手を加えた形が多い。
西洋風の左右対称とかではない、
こういう庭園を美しいと感じるのが日本人の自然観なのだ。

僕の大好きなブータンは国土の7割が森林。
それなら虫捕りもしやすいだろうと言われるかもしれないが、実は日本も同じ。
7割森林である。
1億を超える人口を抱えながら7割は立派な数字だが、
日本の森林は今、荒れている。
日本の文化や美意識を支えてきた自然を、もっと大事にできないものか。
(SKYWARD 2007.12/旅する脳/養老孟司)

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矛盾してるよなーと思うこと。

・CO2がどうの、とか言っているのに産業構造は改革しないのか。
クルマをはじめ、たくさんの様々な製造物は日々生み出される。
携帯電話なんて1年も使えば古くなるくらいの勢い。
コンビニエントなことへの技術の進化、
新しいものをブームとして受け入れる正しき消費社会。

・自然の大切さを訴える人は、イナカに住んでいないことのほうが多い。
結局は住みにくいってことか。
若い人はみんな職やファッションを求めて都市へ出る。
便利に慣れるとイナカ暮らしは耐えられない。
「便利=切実な部分で人と関わらなくてすむ」、無表情の街と。
タノシイコト、ウレシイコト、カナシイコト、ハラノタツコト、
「感情」の部分でしか人間と関わらないのもいかがなもんか。
しかし、イナカがリゾート化されて
「イナカ暮らし」なる本が出るなどというのは非常に腹立たしい。

一時的に何かをマジメに考え、一時的に何かと関わり、
いや、それって全て「一時的」だから全部「フリ」でしかないよね。
なーんて、私もその矛盾を存分に「享受」してるからナントモイエナイ。

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有名な『金色夜叉』で、金持ちの富山が宮を見そめるのは正月のかるた会である。
男女入り乱れて百人一首に打ち興じるさまを、尾崎紅葉はいきいきと描く。
「人々の面は皆赤うなりて、白粉の薄剥げたるあり、髪の解れたるあり……」

美貌の際立つ彼女を男たちは「好い、好い、全く好い!」などと賞賛する。
明治のかるた会はじつに楽しそうだ。
それでもここに加わるには「秋の田の」に始まる百の和歌を、
まずは諳んじていなければならない。
そういう下地を江戸時代にはすでに多くの人が持ち合わせ、
武家も町人もしきりにかるたを取った。

藤原定家が小倉百人一首を編んだのは十三世紀の前半という。
それを連綿と受け継いできた日本人の知性と美意識もさることながら、
万葉以来の無数の歌のなかから趣向に富んだ百首を選び抜いた定家の眼力は驚くばかりだ。
一つひとつは忘れ去られそうな歌々が、百も集まることで大きな世界を築き上げている。
(日本経済新聞 2008.1.1/春秋より一部抜粋)

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考えてることが全て偽善に思える今日このごろ。
養老センセイはやっぱりイカしてる。

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