2013/04/09

やっぱりいいや。

どうやら、イラ立ちを伴って何かを見た場合、
それは私にとってとても攻撃的なものとして映るようだ。
人間関係は鏡である、という聞き飽きた話は、
どうやら、人間関係にとどまらず、
テレビだろうが広告だろうが雑誌だろうが、
私の感じるものの印象は跳ね返って戻ってくるようだ。
つまり、フレンドリーライクに見た場合、
それは馴れ馴れしくも私に近寄ってくる。
気づいたのはもうずっと前のことだし、
「なにをそんなこと、今さら」だと思われることですね。
問題は、そんなにフレンドリーにしたいわけじゃないのに、
ニコニコしながら擦り寄るあいつらとどう付き合うか、だ。

考えることを排除して凝視する、見なかったふりをする、
表面的にだけ見てスマイルを返す、そもそも見ない、立ち去る。
答えなど出ないだろうし、
きっと波や風のように気分は変わるだろうけど、
今のところ、というか今日は「むしろ徹底的に考えながら凝視する」
というところに落ち着けたい。
しかし残念ながら、考えようとすると、
考えようという意識はスルリと抜け落ちていっていた。
おかげで知らない(または知る必要がない)のに「知っている」状態が煩わしい。
自分の意識ほど、つかみ取るのは難しいものはない。
コントロールが効くものだと思っているからこそ、だろうか。

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Morning
It's another pure grey morning
Don't know what the day is holding
When I get uptight
And I walk right into
The path of a lightning bolt

The siren
Of an ambulance comes howling
Right through the centre of town and
No one blinks an eye
And I look up to the sky
in the path of a lightning bolt

Met her
As the angels parted for her
But she only brought me torture
But that's what happens
When it's you that's standing
In the path of a lightning bolt

Everyone I see just wants to walk
With gritted teeth
But I just stand by
And I wait my time
They say you gotta tow the line
They want the water not the wine
But when I see signs
I'll jump on that lightning bolt

And chances
People tell you not to take chances
And they tell you that there
aren't any answers
And I was starting to agree
But I awoke suddenly
In the path of a lightning bolt

And fortune
People talking all about fortune
Do you make it or does it just call you
in the blinking of an eye
Just another passer by
in the path of a lightning bolt

Everyone I see just wants to walk
With gritted teeth
But I just stand by
And I wait my time
They say you gotta tow the line
They want the water not the wine
But when I see signs
I'll jump on that lightning bolt

In silence
I was lying back gazing skyward
When the moment got shattered
i remembered what she said
And then she fled in the
path of a lightning bolt

"Lightning Bolt" by Jake Bugg

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だから物的存在としての都市というのは、
その中にいる多様人間のそれぞれの生活の反映としてあると考えられる。
だからさしあたってどんな生活の反映として
どんな都市の物的存在があるのかという観察をしようと思う。
当然それは複合的な都市の一部分をとりだしたものだから、
その観察の中からルール(法則)を引きだし、
それによってデザインすればよいほどわれわれの町は単純なものではない。
ともかくわれわれは今都市に住んでいるし、
それは私の世界であり不思議なものだし、
いらだちでもあり静けさでもある
それについて考えはじめようということか。

コンペイトウ「見切品アメ横」
(『都市住宅』鹿島出版会、1969年11月より)

※『路上と観察をめぐる表現史ー考現学の「現在」』
 (監修/広島市現代美術館、フィルムアート社より

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遺留品論

おねがい
とり違えないでください。
遺留品としての採集は、単にデザイン・ソースのための採集とは、
その向うむかいかた、構えかたが本質的に違いがあります。
ところでデザイン・サーヴェイなるものの方法論が、
実は現象する事物と観察者である主体とを、安直に癒着させ、
そこに現前する(物と自己との)距離意識を短絡し、
その結果デザイン・ソースとしてのストック作業から
一歩も越えきれてこないことに、
ぼくらはひどく疑問と失望とを感じています。
デザイン・サーヴェイにとって、フィールドに現象する事物を観察し、
構造付け、最終的に描き出してくれるもの、
あるいはコピーしてくるもの(結果)そのものを、
ぼくらの依って立つ都市現実である日常性の接点から改めて
そこでぼくらは問わねばならないでしょう。
実に、そうした時その地点へ向けての言及、考察を
ことごとくあいまいに保留し続けてくる
いわゆるデザイン・サーヴェイには、ぼくらは興味がないのです。

遺留品研究所「URBAN COMMITMENT」
(『都市住宅』貸間出版会、1971年7月より)


※『路上と観察をめぐる表現史ー考現学の「現在」』
 (監修/広島市現代美術館、フィルムアート社)より

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陳腐さがしばしばウリとなる深夜のテレビ番組にでさえ、
洗練された(ような)アーティスティックな(ような)学術的な(ような)
ビジュアルでもって、実験的な(といえばかっこいいのだろうか)ものが
増殖していたりすることに、ペラペラで空しい気分を助長されてしまう。
それは、かっこいい、のか??
「ダメ出しをやめよう」なんて言いながら、
ラジオでインテリジェントな(ような)顔をして、
ふつーの人からのダメ出しを現場の声として引き出そうとする。
これは、クール、なのか??
制服違反することを「個性」と呼びながら
結局みんな同じ違反(アレンジ)をしていたことが懐かしい。
見た目にかっこよくしているつもりで、中身が何も変わっていない。
葛藤の最中の、チグハグな現れでしか、ない。
改めて「かっこいいは、むずかしいか」。
というか、かっこよくなければいけないのか??
やっぱり「かっこいいは、むずかしい」のだ。

考えていたら、ひとつのことだったものが放射状に散らばって
どんどん、どんどん、収集がつかなくなってくる。
「徹底的に考える」の風呂敷はもうたたんで、
これは自然な社会現象だと心に納めよう。
で、やっぱり、ま、いっか、なのだった。

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