2009/02/16

答えはないのだ。

プロジェクト・ランウェイに夢中。
家では観られないので、実家にて録りだめ、
こないだ高知出張のついでに
実家でむさぼるようにして観た。
昨年の優勝者(米では2006-2007シーズン)、
ジェフリーのデザインは超イカしてたし(英訳風)、
今年ももちろん要注目。

しかし、観ている私ら側からの、
ひとつひとつのファッションに対するダメ出しの多さよ。
全米から選ばれた才気溢れるデザイナー数名、
それがほんの半日やそこいらでドレスやスーツを作ってしまう。
モデルにフィッティングしてメイクしてランウェイに出て、
てことだけでも普通に「スゲー」なんだけど、
審査員から言われる小言は縫製の甘さにデザインの仕上がり、
テレビのこちら側にいる私らも、同じく。
着られるわけはないのに、
勝手に自分が着ることを想定して
デザインの善し悪しを勝手に判断している。
あるいは、「これ、こんなときに着たいなー」などの
勝手な妄想を膨らませたりもして。

ともかく、「作っていない他者」になると、
その工程がどうだったかなんて関係がない。
私ら観客に見えているのは、
その服を着たいかどうか、のその一点。
もしかしてそのデザイナーが身内とか知り合いだったら、
別の反応になるはず。
てのは当たり前のことなんだけど、
日常では自分の判断能力を客観的に見るなんてほぼ不可能、
それに気づいて、テレビを観ながら深く感激したのだった。

ちなみに、YouTubeでも視聴可能。

ちなみに通常の番組はこう。


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「いったい日本人は無用の知識が多過ぎる、
『中央私論』だとか『改作』だとか、
その他のいわゆる高級総合雑誌をみたまえ、
月々それらの誌上には哲学、社会学、人類学、
科化学、史学、国際情勢、経済学などという有ゆる思想、
批判、論駁、証明の類がぎっしり詰まっている、
そしてかかる雑誌が多く売れ、読者の数が逓増すれば、
それで日本の文化水準が高まったと信じて誇る、
愚や愚や汝を如何せんだ」
署長はここで憐憫に耐えぬという風に片手を振りました。
「いいか聞きたまえ、これらの論文を読むことは
たしかに見識を広くするだろう、
然し見識を広くするだけでおしまいだ、
僕の知っている質屋……ぼろが出たね……の主人公に、
哲学、社会学、自然科学、考古学などに
極めて深く通暁する人がいた、
実際びっくりするほど熟く知っているんで
感にうたれたくらいだ、
恐らくこういう例は到る処にあるだろう、
銀行の出納係、駅の改札、魚問屋の番頭、
商事会社の社員、呉服屋の手代、町役場の吏員、
どこにでもいるに違いない、然し、
それはどこまでも唯それだけのこった、
質屋の主人や町役場の吏員が
ギリシア哲学に就いて論ずるということは、
タルタラン的性格として諧謔の種にこそなれ、
それ以外には笑う価値もありやしない、
実行力の伴わない知識、社会的に個人の能力を高めざる知識、
これらのただ知ることで終る知識は
恒に必ず人間をスポイルするだけだ、
彼等はなんでも知っている、
だからいつも物事に見透しをつける、
すべてがばかげてみえ、利己的で勤労を厭う、
同朋を軽侮し、自分の職業を嫌う、
……社会的不正、国家的悪などという、
国民全体の最も重大な出来事に当面しても、
高級なる知識人であればあるほど、
三猿主義になるものと相場は定っているんだ、
……こんなこってなにができる、
泣っ面をして『長いものには巻かれろ』などと
鼻声を出しているようでは、社会全体に対する、
或いは文化に対する個人の責任を果すことなど
夢にもできやしない、
そしてその責任の自覚なくして
文明なる国家というものは存立しないんだ、
失敬だけれども」

そのとき自動車は或る邸の前で停りました。
「こういう風習が小栗青年や露店街ぜんたいの
人たちを無力にしている原因だ、
自分の能力を試してもみずに、
暗算でものごとの見透しをつける小利巧さ、
こいつを叩き潰さなくてはいけない、
有ゆる学問思想に通じながら、
なに事も為し得ない腑抜け根性、
こいつも叩き潰さなくちゃあいけないんだ」
「署長、車が停っていますよ」
「わかってるよ、車は停った、下りればいいんだろう、
己はもってお云いたいことがあるんだが、
……まあいい、あとにしよう」

※寝ぼけ署長(山本周五郎・著/新潮社)

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先週、親分の元に行くとたくさんの仕事が待っていた。
メインは通販カタログの修正のために
オペレーション事務所に籠ること、
(籠ってアガリチェック、即訂正、
そうしてくれるだけありがたい事務所である。
しかし、暖房機能が弱く、コートを着たまま作業。寒すぎる)
ひとつは介護用品カタログのプレゼン資料制作など準備、
もうひとつは官公庁のパンフのコンペ資料制作。

ひとくちに「制作」とは言っても役割は様々。
方やカンプまで制作したモノのケツ拭き部隊として、
方や現行カタログの難点を探す監察官、
方やパンフに夢を与える編集者。
いやしかし、それでもどれも視点は同じ、
見る「お客さん」が、本当にそれを見てわかるかどうか、だ。
(このへんが雑誌と違う。
欲しいと思ってもらうのは媒体でなく商品なのだ)
むにゃむにゃと作業をしたり考え込んだり、
別のカタログをめくってみたり、
資料を探しに本屋に出かけたりと、忙しないことこの上ない。
考える道中では資料を見ながらカタログをひらいて
「こんなんじゃ車いす選ばれへんやんかー」と唸っては
おもむろにコピー機の紙を掴んで表組をカリカリと作ったり
パンフをひらいて
「緩速ろ過法って何よ、ネットで検索してもなんのこっちゃやんかー」
と叫びながらイスでクルクル回ってみたりと、
(そしてあえなくその言葉は削除)まさしく奇行である。
その合間、ラジオのように、
ひっきりなしに各ディレクターの会話が入ってくる。
最初は気にしていなかったものの、
あるとき親分が「うちのディレクターたちは…」とボヤいていたので
周波数を合わせて聞いてみることにした。
気分は「サントリーウェイティングバー」である。

おもしろくないので会話の詳細は省略。
ともかく、「私の趣味じゃないんですぅ」とか
「制作で考えてもらったものの、
何を言っているのか理解ができません」とかの
軟弱なお悩み相談が多いことにびっくりする。
ことさらにたまげたのは
「もう、クライアントの趣味がわかりませんー!」
なんていうお悩み。
あ・いーん(志村けん/C)。
あなたの仕事は、
クライアントにある問題を理解して解決につなげることで、
相手は趣味で仕事なんてしてませんよ、と言いたい。

下着に車いすにベッドマット、ポータブルトイレや、
それにろ過の言語やら意味と格闘しつつ、
なんだかため息がこぼれるのでした。
彼らには、真っ向から商品の海に飛び込んでいく私が
アホらしく見えるんだろうな……。
しかし、こんなこと偉そうに言っている私も
クライアントの先の客が本当に見えてるのか。
不安になってきた。

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