2008/06/23

網目状、なのか?

バスケットボールのメンツは
経営コンサル軍団にスーツ屋にエンジニアにカメラマンと様々で、
毎度のようにバスケの後は飲みにいくのが常なんだけど、
そこではおもしろい話がいろいろ聞ける。
昨日はたまたまコンサルの長みたいな人と
ど理系のエンジニアに挟まれていたので、
文系と理系の頭の使い方の違いについて、なぜか話していた。

理系は、まずゴールありき、らしい。
文系は、ゴールよりも過程、らしい。
私の家は理系一家だから考えてみたら思い当たることがけっこうある。
たとえるならば、理系の人は、
目的地をわかっていてそこへいかに最短でたどり着けるかを考えている。
文系は目的地、というよりも流れ着いた先というイメージか、
それもたぶん鈍行の列車やら徒歩を使って物を見ようとする。
だから理系はより実務的な発想だし、
文系は哲学のように一見何の役にも立たなさそうなことを考える。
エンジニアの兄ちゃんの親は文屋で、だから、
「親父の言ってることにはいつも度肝を抜かれる」と言っていた。
逆も然り、だ。
生まれついての能力として違うんでなく、
これまで考えてきた(=使ってきた、鍛えてきた)脳みその部分が違うんだ。
もうひとつへんな方向に掘り下げるとしたら、
考えている(=使っている)脳の機能が違うということは
着眼点(=発想の根っこ)がそもそも違うということで、
もしかしたら見えている景色も違っているのかもしれない。
使う脳の機能の違いが先か、着眼点の違いが先か、
相乗効果的になっているんだろうけど、
その出発点はどこだったんだろう。
おもしろすぎる。

そういえば何年も前に読んで売ってしまった養老先生の本に、
解剖学はその部位の機能を調べることではなく、
どことどこで区切りをつけるべきかを探る学問だとあった。
何と何にどう優劣があるのか、ではなく
何と何がどこを境にして違うのか。
たしかにそれはおもしろいかも。
今さらながら。

たとえば。
バスケットボールをやるにしても、
私はできるだけ1番の役割に徹するようにする。
できるだけ無理のない場所から俯瞰的に判断するようにしている。
ミニバスから始めているし
一応一通り全部のポジションはできるけど、
それでもリング下でゴリゴリと位置取り争いをするのは苦手だ。
最前線で最も派手な仕事をするはずのセンターの仕事は、
私にとってはとても地味に思える。
でも、センターを極めている人にとって
その位置取りという”地味な”作業には花があるんだろう。
逆に、必要がなければボール周辺に関わったりしない私のような役は
とてつもなく”地味な”作業に見えるはずだ。
その発想の違いはどこからくるのか。
つまり、一概に文系か理系かなんていうことの後に、
さらに分類はついてまわる。
それは単なる系譜のようにどんどん細かく分類されるんでなく、
もっと細かい網目状のようなもんで構成されるように思えて仕方ない。
しかもアウトプットとしてパッと判別できるものばかりならまだしも、て感じか。

どんどんどうでもいい、当たり前の話になってきましたが。

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