2008/06/15

ミーハーです。

ブログは書かなくても、毎日何かを書いている。
仕事じゃなくても何かを写していたりする。
そういえば数学の問題集を、解説までまるごと写したノート、
しかも図形も正確に書かなければ気が済まない。
…なんていうのを作ったこともあった。
恐るべしチマチマした作業。
あのノートはどこに行ったんだろう。
だから私は、思考の整理で書く、ということではなく、
単に手を動かしていたいだけなんではと疑っている。

ま、とにかく書いている。
途中で辞めて捨ててしまうことも多々、
たまにパソコンのデスクトップ上に開きっぱなしになっていて
そのときに何を思ってその雑誌のその記事を写したのかわからない。
何かを思い出したかなんかだろうと、もちろん保存せずに閉じる。
昨日は書いてそのまま眠ってしまっていたらしく、
中島らものエッセイを写していた。

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CとAmとFとGしかひけない僕と
Fがひける僕を見て尊敬してしまったYとの二人組バンドは、
幾多の困難をものともせず
ストーンズの名曲「テル・ミー」に雄々しくたちむかっていった。
ところが困ったことにレコードをよく聞いてみると、
この曲はCのキーではなくてもっと高いキーらしいのだった。
むりやりにCで歌うと、
若山弦蔵がロックをやっているような無気味な響きになる。
「おい、これはGかFくらいまで上げんといかんで」
「Fに上げたらコードはどうなる?」
「えーっと……F、Dm、B♭、Cやな」
「えっ! ビ……B♭? お前知ってるか」
「知るかいな、そんなむずかしいコード」
「どないしよう」
「アホやな。頭を使わんかい、頭を」

僕の考えはこうだった。
C調のコードしかひけない以上、
弦自体の張りを高めていってFまで上げるしかない。
そうすればC調の形で押さえても高さはFになっているわけだ。
二人は馬鹿力を出してギターの糸巻きをキリキリひねり上げていった。
そんな馬鹿な試練に耐えるように作られていない弦は、
たちまちのうちにブチブチと切れてしまった。
「うーん。名案やったのにな……」
「そうや。高くするから切れるんや。
逆にゆるめてFまで下げたらええんとちがうか」
「えらいっ!」
僕たちは得心して弦をゆるめることにした。
あたりまえの話だが、今度は切れなかった。
そのかわりに、おじいさんのフンドシのごとくゆるんだ弦は、
はじくとフレットの金属に震えがさわって
「ブューン、ブューン」というなさけない音をたてた。
「おお……、これは……」
「これは……」
「シタールの音みたいやないか!」
普通の人なら心が沈んでやめてしまうような難局も、
我々二人にはいっこうにこたえないのだった。
その当時はちょうどジョージ・ハリスンがインド音楽に傾倒しだしたころで、
僕たちもラヴィ・シャンカールのLPは何度か聞いたことがあったのだ。

パチン・パチン・ミューン・ミューンと
不可思議な音色をたてるギターをバックに
Yが「テル・ミー」の出だしを歌い出す。
「♪アァイ」。
と、そこで僕が「♪アァイ」とあいの手を入れる。
輪唱である。
二人は「♪静かな湖畔の森の陰から」と
続けたくなるような典雅な響きで放課後の教室を震わすのであった。

※放課後のかしまし娘(中島らも/僕に踏まれた町と僕が踏まれた町/集英社)

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木曜日に、アイちゃんとともにアーガイルバーのケイブに行ったら
トランペッター、フルート奏者、トロンボーン奏者の
管楽器トリオが揃ってしまって
全く話に付いて行けなかったことに由来するのだろうか。
いやしかし、ほとんど本能的に「今はこれを読みたい」
と写しているから真相は定かではない。
たしか途中で古畑任三郎に夢中になってやめたと記憶する。

そしてそのほんのりな記憶は、次の日になって読んだ哲学書でもって、
「音楽も関係とその関係かなぁ」と無理矢理な結論に達した。
思考の全ては曖昧で、流れるがままである。
そういうミーハー嗜好も悪くない。

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