2008/06/08

何もない夜。

小学校五年生の年の六月七日の夜は、生暖かくて風が強かった。

私は社宅の部屋の窓を十センチぐらい開けて外を眺めていた。
というより、息をひそめて見張っていた。

生暖かい強風が吹く夜が、その頃から私はとても好きだった。
生暖かい風が吹く夜は、なんだか気持ちが浮き立つ。
すごく生きているという感じがする。
何かが起こりそうな気がする。

起こりそうな気がする、いやきっと起こるにちがいない、
そう心のどこかで勝手に決めて、
それでそんな風に窓をちょっとだけ開け、
部屋の電気を消して、息を殺して外を見張っていた。

私たちの住んでいる社宅の隣も、やっぱりどこかの社宅だった。
金網フェンスを隔ててすぐ向こう側に街灯が一本立っていて、
強い白い光で隣の敷地を照らしていた。
昼間は二つの社宅の子供たちが入り乱れて走り回っている
コンクリートの中庭が、皓々と白い光に照らされて、
無人の研究所か宇宙船の内部のように見えた。

街灯の下には車が一台駐まっていて、
それにかぶせたカバーがしきりに風でばたばた鳴っていた。
時おりほとんど車からはずれそうになっては、
紐にひっぱられてなんとか元に戻る。

窓の隙間からまっすぐ前を見ると、
まず部屋の外の幅の狭いベランダが見え、
自分の社宅の土の中庭が見え、向かいに建つもう一つの棟が見え、
その棟と隣の社宅の建物の隙間に、遠く私鉄の操車場の灯が見えた。
ランタンみたいな形のガラスの電灯が、
米粒ほどの大きさで規則正しく並んでレモンイエローに輝いていて、
私はそれをいつもきれいだなと思って憧れの気持ちで眺めていたが、
その日はとくべつ明るく黄色く見えた。

じっと見ていると、その灯がときどきちかちかまたたく。
風が吹くとよけいにまたたく。
でも考えたら不思議だ。
電気の光なのに、どうしてロウソクの火みたいに風で揺れるのだろう。
よく漫画で風を表すときに描く線、ああいうものが本当にあるのだろうか。
星を見ると、星も同じように風に吹かれてまたたいている。

風がますます強くなってきた。
どこかでプラスチック製の蓋のようなものが地面に落ちて転がる音がした。
向かいの棟の、四階の部屋の明かりがぱっと点いて、
誰かが入ってくるのが見えた。
うちは二階だから、その人の頭の上半分と、
壁の上のほうに飾ってある絵皿だけが見えた。
そこの家には何度か遊びにいったことがあった。
だから私は、あのお皿がその家の誰かが旅先で絵付けしたもので、
リンドウの絵の下に「蓼科」と書いてあることを知っていた。
人影がタンスの扉を開けて閉め、部屋を出ていって明かりが消えた。
そのときふと私は、この夜のことを
たぶんずっと覚えているだろうという気がした。

生暖かい風はあいかわらず強かった。
車のカバーが風でめくれあがり、とうとう車から半分はがれて丸まった。
向かいのあの部屋の明かりがまた点かないかと見ていたが、
いつまでたっても点かなかった。
操車場の灯がちかちか揺らめいた。
遠くで犬の鳴き声がした。

それから三十年以上たって、
私は本当にその夜のことをこうして覚えている。
そしてあの絵皿や、転がっていったプラスチックの蓋や、
遠吠えしていた犬や、部屋の明かりを点けて、
タンスの扉を開けてまた閉めて出ていったあの人は、
今ごろどうしているだろうと考える。

※ある夜の思い出(岸本佐知子/ねにもつタイプ/筑摩書房)

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ある夜の日、高知市内で試合をして田舎の家に帰る間、
バスの中から、少しずつ気付かれないように
間隔が広がっていく街灯を眺めていた。
土佐道路を朝倉方面に流れ、
春野町へ抜ける長いトンネルの直前の風景。
植込みと山肌、広い広い、車だけが流れる大きな道路。
トンネルの後ろからまだ夕焼けの名残りが見える。
やがて街灯はなくなり、道路の脇を流れる川にボウッと白い影が見えた。
夜のサギだ。
たった一羽でこんな時間に。

誰も見ていない。
誰も気付いていない。
試合で疲れた選手たちからはスーッスーッと寝息が聞こえて、
もしかしたらこんなふうに外を見ている人はいないかもしれないと思った。
窓を開ければ、二酸化炭素から開放された匂いがしてホッとする。
さっきまでの試合の余韻は、外の風景には何もなかった。
茶畑に囲まれた山道をバスはくねくねと登っていく。
何も思うことなどないままに、ずっと外を眺めていた。


私は私でなければならないと思ってきた。
でも本当は、私でなければと思う前に私にしかなり得なかったのだ。
何を意固地になっていたのだろう。
このごろ、そんなことを思っている。
私であるための何かなんて本当は一つも必要ない。

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