2014/05/17

ただいま。

大学生になりました。
当然ながら、周囲はティーンエイジャーばかり。
みんな友だちを早くつくりたくて、どこかの“仲間”に早く所属したくて、
浮き足立ちながら緊張している感じがビシビシ伝わってきた4月でした。
5月になってくると、さすがに居場所が確保できたようす。
私は相変わらずボンヤリしていて、彼らのことを眺めて
まるで大上段にいるような気分で「若いときってそんなもんよね」
なんて気取っているけど、よく考えてみたら、
私は、子どものころからそういうことが煩わしくて仕方なくて
誰も寄ってこないようにといつも願っていたし、
だからものすごく仏頂面になってしまったのだろうと思う。
今もニコニコ顔ではない。
ただ、英語でも体育でも、何かペアとか組になってやらなきゃいけなかったりすると、
こんなにもムスッとした私にも声がかかる。
むしろ、私がひとりになって困らないように、
なぜかみんなが先回りをして配慮して調整してくれている。
気を遣わせて悪いなぁと思う反面、年上はいいなぁとも思うのだった。

大学は意外とおもしろい。
18歳で入学したときとは全然違って、
必死で勉強しようとする姿を見られても何にも恥ずかしいと思わない。
体育はソフトボールだけど、それも意外とおもしろい。
けっこうバットにボールが当たるし。

*****

こないだ、といっても、もう1か月くらい前になるけど、大阪に行ってきた。
お世話になっていた人たちに近況を報告しに行ったのだった。
中之島の国立美術館に行った意外は、ほとんどミナミにいた。
“裏ナンバ”は、すっかり変わってしまっていて、
特に道具屋筋の手前の路地なんて、
閑散として何もなかったあの頃の面影なんて全然なくなっていた。
私ももう大阪の人ではなくなったからだろうか、みんな同じような店構えにも見えて、
なんというか、街は賑やかになっていたのに、ちょっと寂しい気分になった。
立ち寄った店の人は「ミーツが街を作ってしまいよった」と言っていたけど、
街は前からそこにあったし、以前、私はそこに生きていた。
ミナミの一番のターミナル街やのに下世話さと猥雑さとわかりやすさ。
単なるチェーン店でも、ホンマかどうかは別として、
「全国でここが一番売上がいい」みたいなことを
堂々と店の前に手書きで掲げてしまう図々しさ。
きったない立ち食いうどんの店(でも、いつもお世話になった)と
きらびやかでうさん臭いジュエリーショップがいっしょに並ぶ雑さ加減。
そんな難波の脇道には、ひっそりと、エネルギーを
溜め込んでしまったような店が多かった。
あ、これは、いわゆる“昭和”を狙った店のことじゃなくて、
もう店の名前すら忘れてしまったけど、
とにかく、主流ではない、主流にはなりたくない店が多くて、
それらはキャバレーの脇の道から入るところやら、
商店街の脇の「え、これって道やったん?」みたいなところにあった。
主流かどうか、みたいなところは三ツ寺周辺にも共通するけど、
比べると、三ツ寺はまだイマに生きている感じがあったのに対して、
難波の脇道の店はかなり排他的だった。
オシャレさ、小粋さは欠片もなく、個性以外の何者でもなかった。
キャバレーの客引きやら、化粧でギトギトの汚い顔のオバちゃんやらが
うろうろしているのを「あんた邪魔やで」という顔して
自転車ですり抜けていくのはスリルがあった。
凝視しておもしろがるか、目をそらして駆け抜けるか。
自転車で通るたびに私はそんなしょーもないことでチラリと悩まされるのだった。

新しい街の店の面構えは、なんだかどこも似たり寄ったり。
細かく丁寧にきちんと見たら、そら当然どこも違うだろうけど、
たぶん、値段とか、新しく出した店のコンセプトっちゅうのも
あそこのところのはどこも似たようなもんなんだろうな。
それは、福島とか他の街で店やるのとは違って、
最初っから難波の空気を狙ってくるからだろうし、
やっぱり人は多いから、どうしても商売っ気が匂いたつし、
というか、商売っ気が漂わない店なんて、あそこではかえってインチキ臭くみえるし。
圧倒的な街の匂いに圧されて肩を寄せ合っているようにも見えなくはない。
ああ、そんなところが、やっぱり難波やなぁ、という感じでもあった。

*****

先月の頭から、薬草園の手伝いをさせてもらっている。
これは、私にとって新しい試み。
植物のことなど全くわからないけれど、
それぞれ違う匂いや色、カタチを確認しては、
「あんたはどんなところで何を思ってこんな格好になったの?」
とイチイチ深読みをしては、ひとりで勝手に心を揺らしているのだった。
もっと、名前がちゃんとわかるようになれたらいいな。
そんで、もっと、植物のことをおもしろく喋れるようになれたらいいな。
最近はそんなことばっかり、悠長に思っているのです。

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