2013/09/07

回復。

おばあちゃんが帰ってきました。

4月の頭、おばあちゃんは、
タクマが小学校に入学して早々に、
コケて頭打って、打ちどころが悪くて、
コケた3〜4日後に目が覚めなくなってしまって、
ドクターヘリで運ばれて、日赤病院で手術して、
緊急入院の後に地元の病院に入院していたけど、
いよいよ入院の期間が終わってしまって、
状態も良好やからということで帰ってきました。

日赤病院で緊急手術が施された直後にみたおばあちゃんは、
ICUで24時間体制でみなあかんということで、
お見舞いするにも予約しなきゃいけなかったし、
カラダにいっぱい管がつながっているのは
テレビ番組や人の話で見聞きしているのよりずっとショッキングだったし、
艶やかな銀色の髪の毛も全部剃られてしまっていたし、
行ってもずっと目をつぶってるだけだったし、
小さくて、弱々しくて、自分で生きているというオーラがなくて、
しかも、お母さんも、おばちゃんも、
「この症状から回復した人もおらんことはないんやき」と言っているのを聞くと、
これはもう、期待をしないほうがええんやろな、と思いました。
それでも意識が戻って、ちょっとずつ話もできるようになって、
自分の意思も伝えることができるようになりました。
でも、思い出せるのは一部分だけだったりして、
たとえば、私のことをお母さんと勘違いして、
自分の息子と私とを何度も見比べては、
見た目の年齢の違いを不審に思うらしく
「妙やね」と怪訝な顔をしたりするような感じ。

カラダはどんどん回復して、地元の病院に転院したのは6月だったと思います。
そのころにはほとんど記憶は戻っていたけど、
たとえば、私については、「お医者さんとお付き合いしゆうがやろ。
子どももできたって聞いたし」なんて、
記憶と希望が完全に融合した話をうれしそうにしていたらしい。
もっと記憶が戻って、シャンと話ができるようになっても、
去年亡くなったはずのおじいちゃんの姿が見えるような感じで
看護師さんらに「いつもおじいさんが迷惑かけて…」とか
「早く戻っちゃらな、おじいさんが困る」とか、
どうしても、おじいちゃんはもういない、というところには辿り着けない。
むしろ思い出したいことだけ思い出したらええか、と
たぶん、家族中が思っていたと思われます。
おじいちゃんへの記憶はさておき、
おばあちゃんは、私らが思っていたよりずっとしっかりと回復しました。
というか、たぶん、手術する前の状態とほとんど変わらない。
違っているのは、車いすを操れるようになったことと、
着替えやトイレやお風呂や、自分の世話をしてもらうことを
ありがたいと言って受け入れられるようになったこと。
手術する前よりもずっとサバサバと明るくなったようにも感じられます。
これは、奇跡と言っても、家族でなら受け入れられるでしょう。

この8月は、おじいちゃんの初盆でした。
おばあちゃんも一時退院して、いっしょに初盆をやりました。
おばあちゃんは、みんながお焼香を上げていく間も
車いすに身をあずけたまま、思考を閉じたように
ずっとボンヤリと祭壇を眺めていました。
お母さんやおばちゃんたちが代わりばんこで
おばあちゃんの元にお焼香の盆を持ってきちゃあ
「おばあちゃんもあげちゃって」と促しても「私はええわ」と断ってばかり。
最終的には馴染みのお坊さんが「奥さんもどうか」と言ってくれて、
そこでやっと、仕方なしにお焼香を上げたのでした。
お焼香を終わった後、おばあちゃんは涙が止まらなくなってしまいました。
その情景は、ごく少ないながらも参列してくれていた人たちの涙を誘いました。

おばあちゃんの記憶がまだ全然戻っていなかったころに、
おばちゃんたちから「おばあちゃんの写真を持ってきちゃって」と頼まれて
おばあちゃんの部屋を物色していていると、
今年の正月、亡きおじいちゃんに宛てたメモを見つけました。
そこには「今年も変わらずお守りください」とあって、
ほとんど外出もせずに、おじいちゃんとおばあちゃんが
二人でのんびりと家で、庭で、過ごしていた日々を頭に浮かべました。
もっと外に出て、いろんな人と会話したらええのにと思っていたけど、
そうして過ごした日々のせいで、
良きにつけ悪しきにつけ、二人は互いにベッタリと拠り所やったんやな、
となんだか胸が締め付けられる気分でした。
おじいちゃんがもうおらんてわかって、どんな気分やったんやろな。
でも、ようやく、完全に夢から醒めたんちゃうかな、と思いました。

一時退院中は、トイレを見守ったり、着替えを手伝ったり、
車いすやベッドに移乗するのを手伝ったり、
夜はお母さんがいっしょに寝たりしなければいけなかったり、
回復したと言っても、ひとりで放っておくことはできませんでした。
退院して自宅に戻ってきた今も、お父さんの姉や妹たちが
確執の火花をバチバチと繰り広げながら、
役割分担して(むしろ競って)みんなで目を離さないようにしているそうです。
お父さんの姉と妹との確執も、これはこれで長く深く重たいモンダイだけど、
ま、競って面倒みたいと思うんだから、幸せなことだとしましょう。
とにかく、帰ってきました。

私は、というと。
おばあちゃんの代わりにタクマの監視をするべく
またまた高知に戻ってきたのが4月の半ば。
お父さんの姉妹以外に、ヘルパーさんやらなんやらかんやらと出入りがあるので、
家には居場所がなくなってしまいました。
で、また場所をかえて、今度は高知市内で暮しています。
さすがにそろそろペースを上げて、今年こそは、
行き先を決めなければいけません。
ということで、とうとう、予備校に行き始めました。

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