2010/04/18

いつか。

こないだ、取材の仕事の打ち合わせでクエストルームに行くと、
同じフロアのパーテーション区切りで140Bがあり、
青山さんや江さんにかなり久しぶりにお会いした。
なんというか、クエストの稲田さんにも言ったのだけど、
先輩にチョコレートを渡す気分というか、
妙にドキドキとして恥ずかしいというか
なんだかよくわからない緊張をしてきた。
二人に初めて会った、
ミーツの編集部に入る前の面接のことを思い出したりもした。
あのときは緊張しすぎて膝の裏から汗がたらりと流れたもんで。
よくよく考えてみると、
二人に編集部に誘われて以来のことで、年月こそ経ったけれども
未だに何ができると自信を持って言えることもないままに
私はなぜかずっとこの仕事に関わっている。
そういえば今回、タカさんに写真をお願いしたいからということで
オマケのように私宛に仕事が降ってきたのもありがたい。
(セットのように思われていることがナゾだけど)
それも、編集・ライター講座で同期だった李くんからの仕事で、
なんだか妙な結びつきをじんわりと思ったのだった。

そういえば、青山さんと喋りながら
相変わらずのパワフルさに圧倒されたり焦ったりしながら
ふと思い出したのは内田先生のブログであった子育ての話だった。
たしかに自分の周囲のママたちは、
あきらかに何か別のところで、
生き物として成長しているように思える。
諦めや粘り強さというか、そういうものがあって、
地元の森で見る木の根っこの、
障害物をウネウネとかいくぐりながら
静かに這って生きているのと同じような凄みというか、
そういう感じがして好きだ。
なんというか、きっと話している本論とは別のところで
そういうのを想像していた。

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つまらないことをこのあいだ考えていたのですが、
私の知っている骨董屋が死んだのです。
私は瀬戸物が好きでして、
三十年くらいつきあっていたのですが、
その息子がこのあいだ来まして、
親父の一周忌に句集を出したいと言うのです。
彼は俳句を詠んでいたのですね。
こっちはそんなことを知らなかった。
こそこそやっていたわけですね。
じつは親父さんの日記が出てきて、
その日記を読んだら、私が行って二人で酒を飲んだとき、
おれの句集を出すから序文を書けと言ったら、
よし、書いてやる、と言ったと書いてあるんだそうです。
書いてやると言った証拠が日記にあると言う。
だから書いてくれと息子が言うのです。
そんなことはこっちは知らないし、
少しも覚えていないのです。
息子がそう言うものだから、
それじゃ句集を見るからもっておいでといった。
持ってきたノートブックには鉛筆でたくさん書いてあるわけです。
それをこの間、私はずっと読んでいたのです。

素人の俳句ですから、それは駄句でしようがない。
俳句でもなんでもありゃしません。
するとね、「小林秀雄を訪ねる」とかなんとか、
そういう詞書きがついて、俳句を詠んでいるのです。
彼は李朝のいい徳利を持っていまして、
ぼくは酒飲みですからいい徳利がほしいのですが、
それだけはいくら売れと言っても売らないのです。
骨董屋ですから、みんな売物のはずだが、それだけは離さない。
それで二十八年間です。
二十八年間、私に見せびらかしやがって、
そいつも酒飲みですからね、
どうだどうだと言って、そして売らないのですよ。
私はほしくてほしくて、
ついに二十八年目にぶんどっちゃったのです。
どうしても売らないから、
ぼくは酔っぱらって徳利をポケットに入れまして、
持って帰ってしまった。
そしてお前が危篤になって電報をよこしたら返しに行く、
それまではおれが飲んでいるからなといって、
持ってきちゃったのです。
それでぼくはいまも飲んでいるわけですが、
奴は電報を出す暇もなく死んじゃったのです。

その俳句をずっと読んでいったら、
「小林秀雄に」という詞書きが出てきましてね、
「毒舌を逆らはずきく老の春」という句を詠んでいるのです。
考えてみたら、それは私が徳利を持って帰った日なのです。
そしてその次に
「友来る嬉しからずや春の杯」とかいうのがあるのです。
その日なんです。
「毒舌を逆らはずきく」ということは、
つまりぼくが徳利を持って行ったということなんですわ。
ぼくは、まさか徳利をぶんどったときに
俳句を詠んでいるとは知らないでしょう。
息子が持ってきて、俳句をひねっていることがわかったわけです。
それから私は俳句というものを少し考えちゃったのですよ。
芭蕉とかなんとかいったって、
おもしろいということになると、
このほうが駄句だけれど、私にはおもしろいのですよ。

(中略)

しかしそれは私でなければわからないのです。
それがまたおかしな俳句が沢山あるんです。
そいつはとても食いしん坊で酒飲みで道楽者で、
死んじゃったのですが、こういう俳句はどうです。
「あれはああいふおもむきのもの海鼠かな」、
ナマコが好きな奴なんですよ。
ナマコで酒飲むでしょう。
そのナマコの味なんていうものは
お前たちにはわかりゃしないという俳句なんですね。
そういう句はですよ、
ぼくがその男を知っているからとてもおもしろいのです。
こんなものを句集で誰かが見たって、おもしろくもない。
都々逸だか俳句だかわかりゃしない。

「二日月河豚啖はんと急ぐなり」。
柳橋かなんかで芸者をあげるんでしょうが、
「来る妓(をんな)皆河豚に似てたのもしく」
なんていう句もありました。
そこで私はこのごろこういうことを考えているのですが、
結局そういう俳句がおもしろいというのはおれだけだ。
その人間を知っていますからね。
実物を知っていて詠んだということでおもしろいのが俳句だね。
そうすると、芭蕉という人を、もしも知っていたら、
どんなにおもしろいかと思うのだ。
あの弟子たちはさぞよくわかったでしょうな。
いまは芭蕉の俳句だけ残っているので、
これが名句だとかなんだとかみんな言っていますがね。
しかし名句というものは、そこのところに、
芭蕉に附き合った人だけにわかっている
何か微妙なものがあるのじゃないかと私は思うのです。

※『人間の建設』(小林秀雄・岡潔/新調文庫)
「人間と人生の無知」小林秀雄のコトバから

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ボスが昔に所属していた会社の社長が亡くなったらしく、
今日は昼間からいそいそと葬儀に出ていた。
若いころにいた会社で
社長とも付き合いが深かったり
その周囲の人とも深い付き合いを重ねていただけに、
(葬儀が増えた、とは言いながらも)
かなりガックリとしている様子だった。
祖父の兄が亡くなり「わしも一人になってしまった」と
ボケ始めた頭の奥でぽつりと呟いたときに、
ああ、そうか、と想像して
寂しい気持ちになったときの印象と似ている。
先輩とボスと3人で連れ立って飲みに行くと、
酔うごとにぶちまける思い出は増えた。
いい話もあり、恨み言もあり、それは仕方ない。
私と先輩とは、知らない相手を顔を想像しながら飲んだ。

年をとるごとにおもしろいものが増えていくらしい。
私にはまだ富岡多惠子さんの全文はよくわからないけど、
やっぱりいつか夢中になれるときがくるのか。


追記
今日は昨年お世話になったクライアントに会った。
思いのほか(私にとっては「思いのほか」ではないけど)
冒険をして作ったカタログは好評だったとのこと。
高知からわざわざ会いに来てくれた。
それだけで充分、私はうれしい。

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