2008/09/15

美メロ。

少し前、閉店してしまう前のノマドのカウンターで、アイちゃんが
「美メロのラインアップで相談されてんねん」という話をしていて、
なんだかおもしろそうだったので考えてみたことがあった。

京都に住んでいたころ、隙間を埋めるようにして
アホみたくひたすら映画館に通った時期がある。
大学の最後の4年くらいの暇な時間はほとんどそこに費やされた。
テストをサボってまで、だったから、対外的には「暇」とは言えないけど。
かといって何を観たかなんてリストみたいに覚えているワケじゃない。
何かしら、のときに引き出しがククッと引かれて、
ほとんど詳細も朧げなままにその頃の状況や心情とともに開放される程度だ。
よく映画を観ていたころは、タランティーノやらウォンカーウァイ、
日本人なら岩井俊二辺りの単館系の映画がハヤっていた。
今思えば、音楽でもなんでも「インディーズ」や「ディープ」であることが
もてはやされ始めたのもあのくらいなのだろう。
ともかく、私は家の近所にあったみなみ会館によく足を運んだ。

「美メロ」と聞いて思い出したのは、
『ヴァージン・スーサイド』という映画だ。
美人四姉妹、周囲から羨まれるいいとこの娘さんらなんだが、
なんにせよ家や周囲からの縛りがキツイ、でも好奇心旺盛な中高の四姉妹、
忘れてしまったけど、何かがきっかけでみんな自殺してしまった、という話。
花や香水の匂いがしそうなパステル調の映像が印象的だった(気がする)。
私はその、自殺しちゃった、ていう短絡的で刹那的、
ショッキングな部分よりも、その四姉妹の近所に住む男の子が、
友だちらと彼女らとの逢瀬を夢想しながら
次々にレコードをかけていくシーンをよく覚えている。
トッド・ラングレンの「ハロー・イッツ・ミー」、
10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」、
アル・グリーンの「ハウ・キャン・ユー・メンド〜」やら。
彼女らへの届かない憧れと、
それでも近くにいて見ているやさしさみたいのがよくわかるような。
気持ちが隙間だらけ、目標や目的が必要だと思っていたのに
そのころの自分には何もなかったから、そういうのはぐっときた。
映画に感動したというより、音のラインアップが沁みたんだと思う。

やさしさも美しさも、失ってしまった後、
その後を埋める何かを持って来てはくれない。
「いい気分」なものってのはたいがいがそういうもんで。
希望や欲望がいつでも満たされている場面ていうのは苦しい。
満たされた後、それは継続されなければ、同じようにポッカリと穴を作る。
作られた穴は修復されることはなく、
だからできた穴にいろんなものがしみこんでいく。

図解すると↓こんな感じ?


というか「サヨナラ」が前提にあるお付き合いって、いや〜ね。
て、結局それか。

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