道を歩いていて、クルクルつむじ風が吹くように、歌が流れてくる。
捨てられたビラの字みたいな、とぎれとぎれの詞に足をとめて、
ビクターの犬になっている。
希んだのではないから、いっそう心にしみる、路上のもてなしだ。
音楽がなければ、生きていけない、とまではいわない。
なかったらないで、ハナ歌でも唄うだろう。
ホコリをかぶったときに、浴びたくなる、バケツ一杯の水のようなもの。
それとも、暑かった一日の夕べに、そよと吹く風だろうか。
※歌、つむじ風(文:佐伯誠/翼の王国2004年8月/Bon Bon Voyage!)
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高松でもこの夏は暑いようで、
「昨日の気温はこのぐらいで、今日は〜」
なんて言葉が挨拶のように交わされる。
元来が水不足の国である。
夏の天気には敏感だ。
でもその高松よりも大阪は暑い。
そういえばこないだ行った感触では、
東京は高松よりも涼しかった。
明日から高知に帰る。
高知はどうだろうか、などと想像を巡らす。
東京の住人とは、
大阪に帰ってきてからも仕事のやり取りが続いていた。
こちらがクライアント側である以上、
仕事をお願いするのはもちろんなのだが
あれやこれやと自分の作りたいカタログと
私にとってのクライアントの思いとを折衷して、
おそらく伝えなくてもいいような、
いっしょに作っているカタログの考え方や
先にその作業をやる意味までも、
43歳の大ベテランを相手に言う。
言わなければひとつひとつの作業も、
いろんな想いも流されそうで不安なのだ。
東京では風がよく流れていた。軽く軽く。
青山では異臭の漂う風だったことも付け加えておこう。
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うみ姉が大阪に戻ってくるとのことで、
久しぶりに2人で連れ立って街へ出た。
ばかやに行き、旨い焼鳥とワインでホロ酔いになり、
ナマズの兄さんのところへ移動して、蜷局をまく。
ここに来るとイジられっぱなしのヤラれっぱなし、
ひどいときには夜中の3時に好きなオトコに電話をされたこともあったが、
「いやよいやよも好きのうち」ってなもんで、
「行きたくない〜」なんて最初は拒否を続けていても
飲み始めると終着点は必ずココになる。
「熟れたハイボール〜」なんて太田さんばりのことは言わないよ。
そもそも酒の味などわからぬ時間に来ているのだ、
最近お気に入りのマンサニージャはやめて、
デュワーズソーダ、レモン入りといこう。
デュワーズソーダが2杯目となり、
カフェオレで濁していたうみ姉が帰路につき、
気づけばリーマン2人と同伴カップルに囲まれていた。
キャバ嬢のほうは九州の言葉みたいだ。
「佐賀出身なんですぅ〜」とトロンと見つめられて
こちらはタジタジ、おかわりを自動的に入れられ、
キャバ嬢に手をつながれ…一体何の店や。
カップルのオトコのほうはここでよく見る御仁、
いくつかの会社を経営しているそうで、こりゃまたご苦労。
酔っ払い眼の定点観測は続く。
同伴カップルが帰った後は本町のイタリアン店主の登場だ。
店上がりの日本酒居酒屋のベッピンもやってくる。
カウンターは街の縮図である。
そんな難しいことはいいか、とにかくゴキゲンなのだ。
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やがてアッというまに、時間がたって、
おじいちゃんになったベントリーに、
奥さんのベリンダがこんなことを訊いたものだ。
「歌っているのは、怖いからですか?」
そのときの、ベントリーの答えたことば、
旅をしていてたまに思い出すことがある。
「ちょっぴり怖くて、ちょっぴりシアワセさ」
※歌、つむじ風(文:佐伯誠/翼の王国2004年8月/Bon Bon Voyage!)
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