想像以上にすったもんだな高松の仕事。
先々週、缶詰になって掲載商品の取材を受けたあと
不安にかられて予定外の東京出張。
この数週間で、慣れ親しんだ大阪での制作の仕事と
全く初の、東京での制作の仕事との違いにもあくせく、だ。
東京が、ということではないのだろうが、
とにかく自分の思うことを思うように言えない人に馴れない。
「かっこつけ」というのとは少し違い、
無意味にも周囲に調子を合わせてバランスをとろうとしてしまうらしい。
かといって思っていることを隠し続けていられるわけでもないらしく、
一番若く、そしてクライアント側にいる私は
満を持してそのターゲットとなり、
要求や自分の立場とは、などという訴えを聞かされる始末。
…格好をつけられるほうがまだマシである。
いくつになっても人の暗黙的野望とはなんと扱いにくいものかと、
これまた予定外に一泊した帰り、早朝の新幹線で思った。
あらかじめ与えられただけの役割しか見えない人には
こちらがやりたいと思って伝えているはずの思いは
聞こえているように見えてするするとすり抜けてしまう。
自らの立ち位置を気にするがあまりに
根本的に客へのサービスを忘れているのだ。
それはあまりに脆すぎる。
いかに自分が息を止めて仕事をしてきたかと語っていたが、
それのどこがえらいのだ。
どんな仕事にも息のできる瞬間はある。
そのポイントを探せよ。
全てもれなく親分に報告した次第。悪く思うな。
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浜のサイレンうるうる流れて地を濡らし
ひとびとがカメラを向ける先には蜃気楼
「幼なじみはあの船にいるのかも」
「あたたかい空気とつめたい空気」
ためらいもなく船体は伸びあがり
ビルになり 摩天楼
もちこたえて焼け落ちる
※海市(詩:蜂飼耳/真夜中)
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建築部材カタログ→雑誌→通販カタログと、
編集仕事でぐるぐるとたらい回し的に自分を巡らせているが、
その分、新たな発見を得ることも多く
個人的にはえらく楽しませてもらっている。
東京出張の数日後に行った高松では
最近の高松でのお気に入りの大衆酒場[おふくろ]にて
飲めぬ親分にビールをすすめながらひとつ大事なことを確認した。
この、カタログ制作の仕事は、
もの言えぬ人たちの言いたいことを汲み取ってカタチにすることですよね?
親分は満足そうにニンマリ笑って「そうやで」と言い、ゴクリといった。
「せやけど、おさと、オレが一番ムキになってやってると思うで」
「そんなことないですよ。私のほうがムキになってる」
気分のいい争いにも終わりが見えぬ。
終止符を打つように立ち上がり、
長いカウンターに並べられた惣菜ものから
ナスの煮物とカツオのたたきと冷や奴を
「いつもこればっかりですんません」と言いながら
奥にいる“おふくろ”に指差しで頼んだのだった。
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