私の家にはゆうせんがついている。
自分の持っているもので飽きてしまったら
J-POPに合わせて聴いたりもしている。
スマップを聴いていつも思い出すこと。
大学の1回生から1年か2年くらい働いた居酒屋のみなさん。
私は衣笠の学校の近くに住んでいて、
バイト先のその居酒屋は徒歩1分もかからない場所にあった。
網重さんというおっさんは店長でもないのにエラそげに
(エラい理由は後でちゃんとわかったんだが)
厨房の洗浄機の前に陣取り、洗浄機のケースに座って
禁煙パイポをくわえて新聞を読んでいた。
数十年呑み溜めたアルコールがカラダを蝕んでガンを患い、
幸い初期の発見だったために治療でよくなったのだと聞いたことがある。
退院して後はガタのきたカラダを引きずっているようでもあった。
始め、網重さんと顔を合わせるのが怖くて
私はあまり厨房の中には入らず、
厨房から出てすぐ、座敷のある2階の上り口のところで
ボンヤリとフロアを観察していることが多かったように思う。
網重さんは、忙しくないと動かない。
場所柄もあってそんなに毎日客が大勢来るワケではない。
忙しさの中心は週末、平日は常連の客ばかりだ。
そんな平日のど真ん中のある日、居酒屋に行くと
2階の座敷は予約で満席になっていると知らされた。
ホールを網重さんとふたりでまわさないといけなくなった。
私は2階のドリンク場と厨房とを往復、
たまに1階のフロアをのぞけば満席、ヘトヘトになりながら動いた。
波が終わって2階が2回転目に入ったころには少し余裕が出てきて、
店のゆうせんから流れる音楽が耳に入るようになった。
そのときに流れたのがスマップ、曲はなんだったか忘れた。
フと網重さんが油場の板前に、
おもむろに「ケケケ…」と笑いながら声をかける。
「オマエ、見た目も歌も喋りもキムタクに負けてんねん」
板前はチョーシよく照れて「たぶん料理も負けてますわ」と答えた。
特におもしろい会話じゃなかったけど、
そのやり取りはなんだかホッと落ち着いた。
網重さんは肩の力を抜いた私を得意げに見てニヤッと笑った。
営業が終わって売り上げを計算しながら網重さんは
「こんな売り上げをバイトとふたりで回したんは、初めてやなぁ」
と言って、くわえたパイポを上下に動かした。
それがとてもうれしかった。
その日、私は初めて網重さんと会話をした。
網重さんは今、京都の山奥に眠る。
やっぱりガンは完治していなかったらしい。
それでもスマップが歌っていると、網重さん、元気かなぁと思う。
誰かの気配を感じるために、
記憶を刺激するものはあるんだろうな。
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