2008/03/02

ルドルフとイッパイアッテナ。

小学生のときの担任の先生が、毎朝5分間だけ本を読んでくれた。
砂時計を目の前に置いてクルッとひっくり返すと、
いつもうるさくて授業を聞かない男子も、
私立中学の受験でも目指しているのかいつも内職で勉強している女子も、
みんな全ての行動をやめて先生の音読に聞き入った。
『大泥棒ホッテンプロッツァ』(だったかな?)
『ふたりのイーダ』
『モモ』
などのラインアップの中、私が一番好きだったのがネコの友情物語。
その物語は、ルドルフという新参者のネコが
どこか斜に構えて世を捨てたネコにいろいろと教えられながら
大きく成長していく話(だったと思う)。
台詞は想像。出会いの場面が印象的。
「ボク、ルドルフ。キミの名前は?」
「う〜ん、名前ねぇ。…いっぱいあってなぁ」
ルドルフは「…いっぱいあってなぁ」というのを
「イッパイアッテナ」という名前だと勘違いする。
それで本の題名は『ルドルフとイッパイアッテナ』。
イッパイアッテナは「イッパイアッテナ」という名前じゃないことを
はじめは指摘するけど、だんだんとそれも面倒になってやめる。
幼すぎて話のほとんどはもう忘れてしまったのに
その出会いの場面は忘れられず。

このブログの名前は、その「イッパイアッテナ」からとっている。
それをヘッドクォーターのリュウちゃんに指摘されてびっくりした。
びっくりしたのは、初めて指摘したのがリュウちゃんだったから、でもある。
いや、なんとなく。
一応、自分が何と言われようが私が私であることからは逃げられようもなく、
はたまた自分自身が何かの考えにとらわれようとも
一瞬後には考えも変わるかもしれないし、
考えが変わったとしても、それも含めて私でございます、
という「いっぱいあるよ」のスタンスで生きておりますと。
暴言吐いても許してね、という逃げでもあり…。

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私信。
「イッパイアッテナ」とは言え、
ケジメをつけられないことにはいくら友だちでも腹が立つもんで。
名前やら事の顛末は伏せるけれども、
私はアナタがどう決断するべきかの答えを持っているワケではなく
アナタが決断することを聞くことでしか力にはなれない。
聞く以外の行動で手助けできるならまだしも。
「こう決断します」と決めたことを聞いて一度は反対したけど
それでもアナタの決めたことだからと納得した次第。
決断したことをやるには周囲の環境を整理することが必要で、
でも一向に整理している気配が見えないのは、いかがなもんかと。
相手を傷つけるのがイヤだ、そんなこと言えない、なんてのは、
アナタがこれまでしてきたことを考えて、
さらに決断すると決めたならば
初っ端からわかりきっていたことじゃないか。
結局は「相手を傷つける=自分が傷つく」からと、
逃げきってしまうつもりなら、いっそ、
決断したことを考え直すほうが潔いのにと思ったりして。
それで数カ月の時間を費やしたことに果たして意味があるのか。

こちら側的にワガママに言わせていただくなら、
アナタと飲んで話す話も、そろそろ先に進みたいっす。
こないだ「夜中になるのはしんどい」と言って断ったのは、
わざわざ夜中に時間を合わせてまで、
なぜその進まない話をウダウダと聞かねばならんのだと思ったから。
それも、その電話が整理するべき場所からのものだったのも、
時間が遅くなってしまうのがその場所にいるからというのも、
私は一体何なんだろうと思うワケで。
アナタにも私にも時間は無限にあるワケじゃない。
「この時間を誰と過ごすのか」の決断ですらできないってのは、
盲目すぎて誰のことも見えてないってことなんじゃないのか。
「いっしょにいれば薄れる」もんじゃないなんてすぐわかるじゃん。
もっとしっかりしなさい。
そんなオンナじゃないだろ。

初っ端の決断は慎重に。
決めたならば行動は早く。
間違えたと思うならすぐに引き返すこと。
これ、私生活でもスポーツでも仕事でもいっしょだよね。

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