2008/03/09

お腹が痛かったのさ。

今さらながら。
今朝目が覚めて、体調が元通りになったと確信。爽快。
先週半ばからどうにもスッキリしない胃腸の具合で、
消化処理がひとつもされていない透明な便に
さらに上からも同様の逆流。
食事中の方、すいません。
飲めば治るさと開き直ってのロケハンも
夜中に寒気で目が覚めトイレに駆け込むなど。
昨日はアイちゃんとの約束でごはんに行き、
途中でウミちゃんやマコと合流したりして
会いたい人に一気に会ったという感じだったけれども
それでも途中から意識が朦朧としておりました。すまぬ。
そんな一週間、打ち合わせや取材を淡々と(しかできない)こなし、
フリー初心者ながらまずまずの出だしではなかろうかと。
たくさんの人とたくさんの会話を交わしたことを振り返って、
朦朧としていて気づかなかったけれど
密度の濃い一週間だったとも確信したりして。

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週の頭ほど、トッパンに打ち合わせに行ったときに
ツルは単に退職したんじゃなくて寿退社だったと知らされる。
トッパンでのツルのツライ時期をともにしただけに
かなりうれしい知らせではあった。
その後ふたつの打ち合わせをした後で神戸に行き、
帰ってファックスを送るためにコンビニに行くと、
トッパンの元同僚、吉川がいた。

吉川はトッパンの社員として入社し、
たぶんホープとして期待された新人だったのだけど、
理不尽な転属に反発して退職をした。
今はフリーで動画の制作をしている。
会うのは5年ぶりほど、それもこんな近所で。
ファックスを送ったあと、
それこそ近所の喫茶店に行って近況を話し合った。
相変わらず少年みたいな風貌で、いや、相変わらずのフェミニストで、
だから余計のこと、今の結婚生活なんかも絡めた仕事の話を聞くにつれ、
ツルんでいたころが遠くに思えてくる。
吉川も「“さ”は、トッパンでメジャーな名前やったのに
だんだんと周りにその名前を知ってる人がいなくなってきて、
あー、やめたんやなとそんときに思った」と言っていて、
あー、そんなこともあったわねと私も思った。
みんな過去を遠くに思う時期なんだろう。

とにかくツルの結婚話を聞いた日と吉川との偶然の再会には
妙に縁めいたもんがあった。

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ケイブに入ってカウンターの中に立ちながら、
“こちら”と“あちら”の景色の違いを考えていた。
お初天神の“遅れてきたルーキー”は
「カウンターの中から外を見てみたいと思った」
というのがバーテンを手伝い始めた理由のひとつと言っていた。
好評だったようなのでまたやるかもしれません。
そんときはまた、みなさんお越しくだされ。

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取材の途中でカメラマンさんと話す内容がすっかり変わった。
ほとんどが「生きるための仕事」と
「楽しむための仕事」とのバランス感覚の話になる。
雑誌の仕事は、生活を保証されるほどのギャラにはならず、
あくまで余剰としてのスタンスでなければ生きてはいけない。
かといって新規に売り込みに行って
イチから関係を構築するリスクを負うつもりもなく、だから私の場合、
自分の生活の柱とすべき仕事や関係ができたことがラッキーだった。
それに絡めて、雑誌編集のことをクールに見ているのも外のフリーの人ら、
それも同じく柱をいくつか持っている人なんだと初めてわかった。
ひとつの世界にどっぷり、ではないから見えることかもしれないけど。

単純に広告と雑誌とでは、撮影ひとつにしてもかかっている金と手間が違い、
いや、手間の違いは“かかっている金”の時点でわかりきったことだけど、
だからこそ、こないだ建築部材のカタログの仕事で
撮影に、打ち合わせから立ち合わせてもらえたことはいい経験だったと思う。
そのときの撮影のことを話すと、カメラマンさんは、
「最近はそういう、スタジオをまるまる借り切って
建築士やらコーディネーターが入って、建て込みをして、ていう仕事は、
金を出せる企業が大阪に減った分、少ないと思う」と言っていたので。
とりあえず私は、その撮影でカメラをかまえた大御所カメラマンの元で
3人ほどのアシスタントが三脚を伸ばしていることにちょっと笑えた。
たいへん矛盾することのようにも思えるけど、
お金をもらっている仕事のほうがお金をもらっている分、
何かを書くときに気配を消すようにする。
本当は、気配を消しても何かしら漂うようにしたいもんだけど。

とにかく、カメラマンさんが
「西村さんの仕事の仕方はバランスがいいと思うよ」と言っていて、
ついでに「また仕事を紹介すると思うけどいい?」と言われたので
たいへんにありがたいと思った次第。
漂わせる気配と消す気配、まだまだ修業しなければ。
それも、生きていく、を前提に置いた話の中で、だけど。

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最近よくする話で、いや、それこそこれは
クライアントとの間でも交わされたのだけど。
たいがいが年齢の話から、その年齢への自覚の話として展開するところで。

最初は結婚して子どもを産んだ同級生と話をしていて、
そんときに「そうか、もう卒業して8年になるのか」と友だちが言い、
あれれ、そんなになるんだっけと思いながら計算をすると
たしかに私は2留をしているので8年ではないけれど
トッパンで過ごした年月、ミーツで過ごした年月、
ふらふらと過ごした年月を数えるとちょうど6年になっていた。
何の自覚もないままに、京都で過ごした時間と同じかそれ以上に長く
大阪に生きているんだと思ったらびっくりした。
私はずっと、「大阪はまだ3年くらいなので短いです」と言っていたけど、
よく考えたらすでにもう6年になっていることに初めて気づいた。
京都での時間をとても濃いものだと思っていたのに、
そうでもないのかもしれないと思い直した瞬間だった。

大学に入る直前から仲良くしていたミキとは
大阪でもすでに12年の付き合いになるけれど、
大阪に出てきて仲良くなったタニモト氏やウミちゃんなんかは
すでに6年くらいの付き合いだし、
ミーツの人らも、ミーツで知り合った人らも、
考えてみれば3年くらいにはなるのか、とか思うと変な気がしてくる。
まだ付き合い年数が浅いと思っていた間柄が、
悠々と中学校ほどの年月が過ぎていたことにただ驚き、
あー、そら、単に深いお付き合いってワケじゃないわな、と。
フリーになったことで私の大阪永住は半分決まったようなもんだけど、
(仕事のもらい方がそういうふうになっているので)
最近始めた社内報の制作でいっしょに仕事をすることになったデザイナーさんや
最近いつも飲んでいるアイちゃんやらミナミさんなんかも
そんなふうに長い付き合いになっていくんだろうなぁ。
などと妙に感慨深くなったのでした。

さて。
明日からまた、取材と打ち合わせの応酬。
しばらく週末と仕事以外で飲む余裕はないです。

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蛇足。
随分前に話をした運命鑑定士の明玉さんに言われて
そこはなぜか軽く流して聞いていたのだけど
「これから1〜3年の間に独立するから忙しくなるよ」というのと
「独立しても取引先は少なくても3〜4社はある」というのとが
微妙に当たっているような気がして少しびびっております。
あと、「大阪から出ることはありますか」という質問をしたときに
「出ることはない」と断言されたのも、あー、てな感じで。
一応、「3年のうちに結婚する」とも言われたんですが。

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