梅さんとの待ち合わせに遅れそうになって、
家からNGKまで自転車をトバす。
南海電車の高架を走っていると、
十日戎の出店の準備が着々と進んでいた。
暖簾や提灯には「大衆食堂」やら「おでん」やらの文字、
ビニールの仕切りのすき間から見れば
たくさんの簡易テーブルに簡易イス。
家族が大阪にいれば、間違いなく喜び勇んで来るのだろう。
ひとりで行く気にはなかなかなれないのだけれど。
梅さんから教えてもらった新しい店は、
天下茶屋や北加賀屋の有名店、たゆたゆからの3号店で、
豚の珍しい部位が揃う豚串立ち呑みだった。
「嫌いなものはありますか?」との質問に、
反射的に「何でも食べられます」と答える。
本当は、ホルモンが苦手です〜と言いたかったけど、
耳の根や丸腸など、ゴソッと揃う珍しい部位に、
遠慮がちに心の中に留めたのだった。
最初にオーダーされてしまったハツを仕方なしに食べて、
分厚めのミノや耳の根も頬張る。
松本の兄さんを連れて来たら喜ぶやろなと浮かぶ。
ニコやらの周辺でよく同席する貿易会社社長やら
西成在住の自称・上方グルメ会会長(会員は3人)もいた。
店主に薦められてハイボールを飲み進めるうち、
笑顔が自然になるのを自覚した。
この店、「大阪焼トンセンター」と言う。
阿倍野にある古道具屋から小物を揃えて置いてある。
その古道具屋のモノは、梅の湯にもある。
古道具屋店主の小さなおばさんは、
焼トンセンターで煮込みをつつきながらラムネをゆっくり飲んでいた。
楽しい店を教えてもらったお礼に、
こちらもひとつ、千日前の女番長・みっちゃんのカルメンに招待する。
しばし飲んだ後、梅さんが「店に戻るわ〜」と言うので解散。
年明けに、ミナミさんからわざわざ連絡があったのを思い出して
フラフラとケイブに向かうことにする。
建物の下でよみきむ兄さんに偶然会い、
こないだのよみきむナイトのお礼を言う。
ケイブまでの長い階段をえっちらおっちら上りながら
「月一回くらいはやってほしい〜」と嘆願すれば、
「それはしんどい」と閉じられた。
それでもしつこく食い下がっていると、
最近興味があるねん〜と、コーベのジャズを差し、
それから、まあくんとこで月イチでやっている歌謡曲ナイトを薦められた。
店でデュワーズのソーダをお願いしたら、
聞き間違いでデュワーズのロックが並々注がれて出てきた。
まあいいやと飲み進めるうちにもう、ヘラヘラとしか笑えなくなり、
久しぶりに飲み過ぎのしゃっくりが止まらなくなった。
ヘラヘラとしながら、送らなくてもいいメールを送ったことだけ、ただ後悔。
最後、保護者タニモトと合流して梅の湯に行く。
サザエさんとちびまるこちゃんのことが議題にのぼる。
「オマエはあの刺激のない家庭で満足できるんか?」とタニモト氏が言い、
「そらやっぱ、カメラ回ってないときはもっと修羅場やろ、あの家庭も」と返し、
「ほどよい刺激やったら、やっぱイササカ先生の家庭がええよ」とか言い合っていると、
スタッフの女の子が「ひろし(まるこの父)は八百屋の店主ですよ」と教えてくれた。
ひろしの八百屋はけっこうヒマな店でもあるらしい。
「そらやっぱ、飲んだ暮れるのもわかるわ」
「そらやっぱ、オンナ遊びはキツいわな」と妙に納得し、
いや、それでもなお、「磯野一家とさくら一家は憧れや」としつこく締めた。
その語りに満足しきって「今日はええ話できたわ」と言い合って解散。
あんだけ酔っ払っていて、ほとんどを覚えているのは奇跡に近い。
また、南海の高架沿いを通りながら、ケータイで通りの写真を撮ってみたが、
次の日起きて思い出して見てみると、それはそれはヒドいもんだった。
どんなにテンションが高かったのだろう。
それは、自分ではきちんと判断することができない。
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佐古選手を追ったノンフィクション『ファイブ(平山讓)』、
まだ途中ですが、感動しきり。
やっぱ、佐古派は日本でサイコーのPGだったと思う。
ほいっと。
1996年オールジャパン決勝。佐古VS折茂。
<前半>
<後半>
ついでに。
このとき私も高3で、ウィンターカップに出とりました。
渡邉氏、やっぱオトコマエだす。
もひとつついでに。
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