2008/01/01

変わる街。

実家最寄りのJRの駅は、須崎駅。
最寄りとはいえ、クルマで40分以上はかかる。
だから駅まで誰かに迎えに来てもらわなければいけない。
今日は両親が揃って出迎えに来ていた。

須崎市は、高知市内から地道で約1時間、
最近整備された高速を使うならば約40分の距離にある漁師町だ。
港があり、遠洋漁業も盛ん。
「高知」と言って約95%の人が思い浮かべる(西村調べ)カツオとは、
ほとんどがここ、須崎市の漁港で扱われる魚でもある。
実家は山の上にあり、遠足なんかで遠出してバスから海が見えると
「海やぁ〜〜。ホンマに水がいっぱいたまっちゅう〜〜!」
と言って全員が身を乗り出すぐらい潮風とは無縁だったが、
それもクルマで約40分走ればあると思うとそう遠くはなくなったんだな。
(もちろん、他府県の人にこう言うと、随分遠いと言われるが)
「遠くはなくなった」というのは、生まれてたったの30年以内に、
実家から須崎市へ行く道が変わったからだ。

小さい頃は須崎市まででもおよそ1時間30分はかかっていたと思う。
布施が坂というクネクネの山道を降りて
葉山村に入らなければならなかったからである。
遠くへ行くのに布施が坂を避けて通ることはできず、
兄弟3人全員が抜けることなくクルマに酔い、
布施が坂最終段階突入の手前にある神社にいつも立ち寄った。
それでも春には桜が満開に咲き、夏には茶摘みがあり、
秋は紅葉、冬は怖いけど雪景色と、四季の色彩が見えていい道だった。
神社に辿り着くまでで我慢ならんなったときは、
父だけクルマで先に行き、後の母と兄弟3人で、
ほとぼりが冷めるまでテクテクと歩いて坂を下った。
姉に草木の名を教えてもらいながら、私は無謀に野山に分け入ったりし、
弟は私にくっ付いて来ては置いて行かれて泣いていた。
父は待ちながら写真を撮っていたので、それはそれで楽しんでいたのだろう。
坂を下り終えるとガソリンスタンドに寄って、
そのガソリンスタンドの脇にある降り口から川に降りては遊んだ。
須崎市は遠く、私たちの住む世界とは全然違って見えていた。
高知市に行くなんてなるとなおさら特別な感じがした。

中学生になる前後ほどに、
布施が坂を通らずとも山を降りることができるようになった。
それで須崎市への道中は30分短縮された。
この頃になると布施が坂のクネクネにも慣れてしまって、
むしろカーブの具合やタイミングはカラダが覚えていた感じがする。
試合がほぼ毎週のようにあったので
クルマ酔いでフラフラしている場合でもなかった。
道が整備されて気軽に街に出られるようになると
須崎市には一気に量販店や郊外型スーパーが建った。
それでもまだ、「おいしい魚」は商店街や
古い商店でしか買うことができず、
その周辺のパン屋さんや食堂もまだ元気があったように思う。

高校生くらいになれば、今度は葉山村から須崎市への道が変わった。
私らのように人口の少ない山間の町村へと延びる道はマイナーで、
整備される以前には須崎高校の脇の道を
申し訳なさそうな感じにして通るのが常であった。
須崎高校の脇の道を抜ければ今度は、
わりとメジャーである佐川町と窪川町への道と合流する。
しかもそれは細々とした須崎市街地を通るものであったため渋滞は必至だった。
新しく整備された道は、市街地の出口近くに直結するもので、
それはそれは快適な道路だった。
だけど高校が高知市にあった私は一人暮らしをしていて、
バスケの練習に休みはなかったからほとんど実家には帰ることもなかった。
だからこの道についての、この頃の記憶はほとんどない。
ただ、たまに通る須崎の街がえらく寂れて見えた。
寂れて見えるのは、高知で一番大きな街に住むようになったからかもしれないが。
大学生のときに高速道路ができた。
これも思い出なんて特にない。

今日、運転をしながら父親が
「須崎市の商店街はもう機能できなくなった」と言った。
道路が次々に整備されて、
今や街には知らない量販店やファーストフード、ファミレスができている。
ヨソの、特に山間部に住む若い家族は、
商店街で街と触れながらの買い物でなく
画一的に整備されている無菌のやり取りを好むのだろう。
クルマでの移動が大半を占める社会では、
クルマを停めやすいこういう店が便利でもある。
私の地元の旧東津野村の商店街なんて、シャッターばかりが目立つ。
元あった私んち「西村薬局」も同じくもうそこには存在しない。
なんだか少し寂しくなった。

何年も前に父と話したことだけど、
道路が整備されて便利になるってことは、
私たちの大事な村にも簡単にアクセスできてしまうってことで、
しかもその「整備された道」ってのはどこも同じに見えて、なーんか味気ない。
山間部の「現場」にいる人にとってはとても重宝すべき道なんだろうから、
カンタンに、部外者の私が反対なんて言うことも違う気がする。

クルマは海から山へ向かう。
雨はクルマが進むごと霙になり、雪ともなり、やがて積もりはじめる。
「すごい、積もり始めたね」と私が言うと、
「家のほうは”積もり始めた”どころじゃないで」と父は得意気に言った。
家に近づけば、山も街もなにもかもが真っ白になっていた。
まだ8時というのにもう街は静かに真っ暗で、
雪の降るシンシンという音が聞こえるようだった。

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