2008/02/22

そうか。

親分から着信あり。
折り返すと「おさと、今なぁ、帯屋町に来てんねん」と親分。
ただそれだけで電話をしてきた。
「○○金具の前やねんけど、オマエ分かるか?」ときた。
「あー、分かりますよ」と、ちょっとニヤニヤしながら返す。
前もこんな電話をしてきた。
親分が四国へ転勤になったばかりのころ、
何度も何度も着信があって、コソコソと編集部を出てかけ直したら
「今なぁ、須崎におるねん。おさとが前くれた文旦、道路で売ってるわ」
とキャハキャハ笑って言っていた。

親分の下で働いていたころ、私はよく泣かされた。
「自分の思うモノを主張せえよ」などと
泣かすにはナイスすぎるタイミングで言ったりするくせに、
「おさと、仕事はそんなに“がんばる”もんじゃない」と言ったりする。
フラフラフワフワとしながら思うことをクライアントに言う。
「おさとは軸足がありすぎるんや」と皮肉ったりもする。
私は親分の背中を見て仕事をしてきた。
重心の部分でそれはたぶんこれからも変わらない。
マメなことに誕生日には必ず本をくれて、
ミーツにいたときもロケハンにくっついてきたりした。
親分はいつも遠くから心配してくれている。
どうでもいい話で電話をしてきたりする。

トッパンにいたときのことを思って少し寂しくなってきた。
あのときは必死すぎたから、
こんなふうに懐かしく愛おしく時間を思い出すなんて想像してなかった。
でも、そういうふうに子どもを育てる目で見てくれる人が
私の周りにはたくさんいたんだなと、今さらながら気づく。

ツルがいよいよトッパンをやめるらしい。
私と同じように原稿整理のアルバイトで入社した女の子。
席が隣だったのもあって、
帰りにいつも飲みについてきてくれたのもあって、
たぶん、一番近くにいて話を聞いてくれた女房方のツル。
私もトッパンではいろんなことがあったけど、
私よりも長居してしまったツルはもっとあっただろうと、
具体的にも抽象的にも想像する。
今はもう全然近くにはいないから
その知らせは打ち合わせに行ったときに
たまたまハチ合わせた先輩のマツダさんに聞いた。
想いの中でもコトバが浮かばず、そうか、とだけ思った。

今日トッパンに行くとツジムラ兄やんが
ひょこりとパーテーションの向こうから顔を出してきた。
少し顔がむくんで丸くなっていた。疲れているんだろう。
軽く打ち合わせをして、また飲みに行こうなと言ったり、
自由に仕事を手伝ってもらえるんやなと言ったり、
話はいつもながらにトビトビだった。
そういえばこないだ「フリーになるよ」のメールを送ったときに
「やめて正解だと思う」と返ってきていた。
「オレもやめるし」とツジムラ兄やんは言う。
たぶん、ツジムラ兄やんはいくつかクライアントを持っていく。
今よりもっとしんどくなるよと、こちらもそっと心配する。

トッパンに行くと、たくさんの人に会いたくなるのは変わらず。
ミーツや、今の事務所だって楽しくなかったワケではないけど
一番最初にムキになって何かやっていた場所は
遠くなってまた外側から近づいただけにドキドキする。
ラビット津野やあっちゃんや、大ちゃんや吉野さんやハンちゃん、
もういないけどウミちゃんや吉川や金子ねえさん、
やっさんのことを、当時の姿で思い出す。
ツルは有給消化で休んでいる。
今のイマ、どこでどうしているんだろう。
これからどうするんだろう。

親分と電話で話しながら、
でも事務所には席だけ置いて出ていくんだとは言わなかった。
親分は最初から事務所に入ることを反対していたし、
だから私にくれる仕事も「おさとに仕事を出してるから」と言って、
お願いしても事務所宛にギャラを振り込むことはなかったから。
これからも、何も変わらない。
そうしても後ろめたくないようにした。

「最近ね、仕事をちょっとがんばってるねん」と親分。
「あら珍しい。がんばらないんじゃなかったんすか」と私。
「仕事が落ちついたら大阪に帰るから、そんときに飲食でも」
「お待ちしてます」
言いながら、待っているのは誰だろうと思った。

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南へ歩けば 北に抜ける
左へ走れば 右に続く
女に触れれば 男に出会う
コトバに隠れた 静けさを聴く
帰ろう我が家へ
藍色こえて
(藍色こえて/青柳拓次)

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