久しぶりに早めに家に帰る。
「あらびき団」が始まるのを待ちつつウトウトしながら、
気がついたら朝になっていてびっくりした。
仕事が終わってから取材に行くことを苦と思ったことはないけれど
やっぱり二足のわらじはキツイらしい。
横になってテレビを眺めながら、11時前にはぐっすり眠っていた。
昨日取材で行った喫茶店はかなり年季の入った、
でも気合いの抜けた喫茶店。
ご兄弟でやっている。
コーヒーは弟さんが1杯ずつドリップする。
できるだけ新鮮なコーヒーで
長居してもらいながらじっくり喋るためだ。
深夜の2時に営業終了の予定だけど
たいがいが早朝まで誰かいる。
すっかり酒場の形相、しかし、酒は置いてない。
「ここにはヤ○ザのおっさんも来るし、
作家さんも多いし、そのへんで働いている人も来る」
それでも、「誰が来る」とかには全くブレそうにない
店のしっかりした太い足元が見える感じで、
さすがに30年選手の余裕があった。
「場所を変えたら、帰って来たい人が帰って来られへん」なんて
マジメな質問にもたまにマジメに返してくれるけど
ほとんどは照れてチャラけて返される。
年の頃はお兄さんのほうが56歳とけっこうな感じだけど、
それでも軽やかに空気の淀むいい店だった。
取材後、カメラマンの藤田さんと
「あれ、お兄さんのほうはイスに座って客と遊んでるだけで、
絶対コーヒー入れてないっすね」
とか笑いながらも、お兄さんがいるから店がブレないことを
二人ともなんとなくわかっていて、
「あー、でもやっぱええ店やったね」と満足気味に話した。
「ええ店」というのは一体どういうことなんだろう。
私は、そこにいる店の人や客が
楽しげにしているのに巻き込まれていくことや
巻き込まれていく様を見て笑っているのが単純に好きで、
「どこそこの何を使っている」や「どこそこで修行した」や
「どこそこの人気のあるインテリア」なんていう
ポンッと記号でしか表現されないものの価値がよくわからない。
「価値」ではあるんだろうけど
それが「おもしろい話」とつながっていきにくいからだろう。
スペックでの物の喋りは一番カンタンで伝わりやすいけれど、
「いやー、それ以上に話したかったことはあるんだけどな」
と不完全な語りに不満をもらしてしまう。
広告で言う「ブランディング戦略」も、
単に会社や店を「記号化」するだけで
やっぱり体裁だけでしかなく、空虚であんまりおもしろくない。
ついでに言うと、「それ」や「これ」のよさは
その土地の匂いを嗅げないとわからないことにも見えたりする。
ウチの会社の社長の娘がパラパラとエリア別冊を見ていたので、
「こっちのほうが店に愛があって街もようわかっておもろいよ」
と別の号を教えると、「“おもしろい”とかいいねん」と、
何をそんな無駄なことをといったふうに笑われて、
「まあね」と苦笑して閉口した。
そういう情報の在り方が確かに「売れる」んだろうし
多くに指示されることを無下に否定するわけじゃないけれど
なんだかね、という感じでガッカリする。
誰がどこの店でどう楽しもうが知ったこっちゃない。
でもその中で“おもしろい”を価値として置けるかどうかは、
街の話、その店の話や匂いを
カラダで感じたことがあるかの違いだと思う。
私は、街で生きる一個人として「おもしろい人」になりたい。
蛇足だけど、超アナログ人間・藤田さんは
店よりもそこに映っている人の顔ばかりを印象に残す。
そういうことが大事なんだなと、改めて。
今、これまでこんなに一気にたくさん
取材をしたことがあっただろうかと
びっくりするくらいの件数を取材している。
就業後や、昼休みにしか時間が作れず、時間調整に絡めて、
話を聞くタイミング、撮影のタイミングが難しい。
ついでにいうならアポ入れのタイミングを計ることすら割と厳しい。
1件辺り1時間以内じゃないとこなせないとはわかっていても、
なんだかもっと大事に話を聞きたくなるから長くなる。
物語のある店は、それを聞くだけでも得した気分になる。
得したと思える話は、雑誌でじゃなくとも誰かに言いたい。
いや、とにかく時間がもっとほしい。
小さな記事でもちゃんとやりたいなと、日々思う。
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