高知に比べると、広島は雨が少ない。
高知にいるときは、雨の降らない日はなかった。
それは夏のことだ。
今はどうなのかは知らない。
ただ、ここは、雨の日が少ない。
個体数の調整をする以外に
特に発育の具合で水槽をわけることもせず、
大きさがかなりバラバラのまま育てていたメダカだったけど、
12mmほどになったメダカの中に、
3mmに満たない産まれたての赤ちゃんを混ぜておくのは
さすがにどうかという気がして、今朝、軽く分類をしてみた。
ある程度大きくなると、ヒレができてくる。
卵黄から栄養分の蓄積されていた腹がスリムになり、
尻、尾ビレまで流線型を保ったカタチになっている。
小さかったときはたくさんお尻を振らないと進めなかったのに、
大きくなると少しの力でグンと進める…のか、
動きは少し緩慢になったよう。
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晴れ男 人の支え忘れぬ
「晴れ男」という言葉があることを知った。
そして、わたしは「晴れ男」だと人が言うのである。
そのような迷信は信じていないのだが、
絵を描きに出ると不思議と晴れた。
連載を締めくくる原風景に奈良県明日香村を選んだ。
東京を出発したときは雨だったが、着くと、やはり晴れていた。
かつてフランスを旅行した際、小林という青年が案内してくれた。
いつも前向きに物を考える人だった。
わたしが雨で困っているときでも、
「この雨は必ず晴れます」と元気づけてくれた。
あれ以来、わたしは雨にくじけないようになった。
フランス人は雨でも洗濯物を取り込まない。
雨にぬれながらでも乾かしている。
なぜかと聞いたら、聞く方がおかしいという顔をして、
「初めからぬれていたんだから」などと言う。
これは絵と関わりなく、人間の考え方として大切なことだと思った。
この連載で房総の港を描きに行ったときは雨だった。
それが数分間だけ晴れた。
雨は紙をぬらすので描くことができなくなるが、霧よりはましだ。
霧は前が見えなくなるのでどうにもならない。
しかし、たとえそうであっても
何かしら手掛かりを見つけて描くに違いない。
思うに絵は見えるものだけを描くというより、
むしろ見えないものを描くものだからだ。
あのとき利根川沿いに海に向かったが、ほとんど嵐だった。
雨の降る絵を描いたのはあれが初めてである。
オランダの美術館で雨の絵を見たことがある。
「東海道五十三次」も、庄野宿の絵は雨である。
イラストを描いている山藤章二さんが、この絵について話していた。
雨は画面にたくさんの線を描くことになるが、
すると絵になりやすいという。
なるほどそうだと思った。
そういえば、オランダで見た雨の絵も画面にたくさんの斜線があった。
(後略)
『原風景の旅(安野光雅著)』
中国新聞2013年3月22日
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暗黙の知
(前略)
私がはじめて哲学の問題に直面したのは、
スターリンの下でのソヴィエトのイデオロギーでは、
化学の探究の正当性が認められていないということに、
私が疑問を抱いたときのことであった。
私は一九三五年にモスクワでブハーリンと交した会話を憶えている。
当時彼は、三年後に彼を待ち受けていた失脚、
追放への道を歩みかけていたとはいえ、
依然として共産党の指導的な理論家の一人であった。
私がソヴィエト・ロシアにおける純粋科学の探究について彼にたずねたとき、
彼の純粋科学は階級社会の病状の一つである、と語った。
それ自身のために探究される科学、
という概念は社会主義の下では消滅するであろう、
なぜなら科学者の関心は、進行中の五カ年計画の問題に
おのずと向けられるであろうから、と彼は語った。
独立した科学的思考活動の存在そのものにたいするこのような否定が、
こともあろうに、科学の確実さにうったえることによって
巨大な説得力を得ようとしている社会主義理論から生みだされた、
という事実に私は衝撃を受けた。
科学的見地が、科学それ自身にはいかなる場所も
あたえないような機会論的な人間観、歴史観を生みだしたように思われた。
それは思考活動にいかなる固有の力も認めようとはせず、
また、思考のための自由を求める主張に
いかなる根拠も認めようとはしなかった。
このような精神の自己犠牲が、
強い道徳的な動機によって生みだされている、ということも私は見てとった。
歴史の機械的な推移によって普遍的正義がもたらされるはずであった。
これは全人類の友好関係を達成しようとするときに、
物質的必然性だけしか信じようとはしない科学的懐疑主義である。
懐疑主義とユートピア主義とがこうして融合し、
一つの新しい懐疑主義的狂信が形成された。
そのとき私には、極端な批判的明晰さと
熱烈な道徳的両親とが不協和音を発し、
それが文明全体をおおっているように思われた。
そして、この二つのものの結合が近代の革命を口数の少ないものにし、
また、革命運動の外部の近代人を
苦悩に満ちた自己疑惑におとしいれているように思われた。
そこで私は、このような状態を生みだした根源をさぐろうと決意したのである。
探究を行った結果として、
私は人間の知識についての一つの新しい観念に到達した。
この観念からは、思考と存在にかんして、
宇宙に根ざした調和のとれた見方が生まれるように思われる。
人間の知識についてあらためて考えなおしてみよう。
人間の知識について再考するときの私の出発点は、
我々は語ることができるより
多くのことを知ることができる、という事実である。
(後略)
『暗黙知の次元』(マイケル・ポラニー著/佐藤敬三訳)
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春休み後半の4月の第1週目には
タクマをここで預かることになったらしい。
これはなかなか、騒動になります。
タノシミ、タノシミ。
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