2013/03/15

“いかん”ところ。

そういえば、中学を出てすぐに家を出て、
以降はずっと実家にほとんど帰っていなかったので、
数十年ぶりに実家で暮してみたら、
家族について知らなかった面が
見えたことはいちばん大きな収穫だったかもしれない。
勝手な思い込みの中で、
みんな、それぞれに完璧な生活をしていると
思っていたけどそうじゃなかった。
つまらない、バカバカしいことに悩んでいるとわかって、
少しほっとしたのだった。
ま、そうでなければ、物語は人々に喜ばれないのだけど。

うちのメダカの子があまりにも大きくならないことを心配して、
インターネットで調べてみると、
「孵化後1週間〜10日したら子メダカ用に環境を整えるべし」とあって、
水草や日光も必要だと。
それに従って、先週から日中は
日光の当たるところへ移動させることにした。

水草のことはこないだ書いたとおり。
水温の管理は重要とのこと。
1日に寒暖差が少ないほうがいいので、
頃合いをみてはベランダに出してみたり、
頃合いをみては室内に戻したり。
昨日も今日も、室内の直射日光はすこぶる暑く、
水温が28℃近くにもなっていたので
慌ててレースのカーテンを引っ張ったのだった。
水温の高い日は活動量も増えてエサをよく食べる。
昨日の夕方にエサをあげると
エサの影に反応してガラスの仕切りを必死でついばんでいた。
それはエサの影で、本当のエサは水面にあると、
彼はいつ気づいたのだろうか。

親メダカの水槽から移植した水草に卵がついていたようで、
大きな子メダカの間に、生まれたての小さな子メダカが。
新しい命は、たとえメダカであっても
楽しみな気分にさせてくれる。

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好漢の遺書は具体的で短い

考えてみると、瀕死の床でふっと洩らす“最期の言葉”と、
そしてまた“遺書(状)”とは違うのである。

遺書には「書く」という行為が伴っている。
なぜ書くのか。
「書く」という動作のなかに致命的にメッセージの意識がはたらいており、
人によっては、この世への未練、こだわり、
よく思われたい、ええカッコしたい、
自分のあらまほしき姿を自分で書いておきたい、
という業のようなものが如実にあらわれる。

生死一如という言葉があるけれども、
調べさせてもらって生き方を教えられるような人物の遺書は概して、
冒頭に述べたようい簡潔で、具体的で、短い場合が多く、
こちらはその1行の奥に、彼の生と死をさぐるといったかたちになる。

“花は桜木、人は武士”のたとえもあり、
『世紀の遺書』には、桜のように散っていく気持ちを
歌った短歌を書き残した例がまことに多いが、
そのなかにたったひとつの俳句をメモして
絞首台に上がっていった青年将校がいる。

 さくらさくらと言ひて死ににけり

というのがそれ。
連綿と心や感情を歌う短歌にくらべると、
皮肉とユーモアと、余裕とやりきれなさと、
だれのために死すのか、天皇のために死すのか、
というような苦笑いも見えてきて、
私の好きな“遺書”のひとつである。

ある陸軍少将は、何か書き残せ、と米兵に言われて、わずか2行、

 妻へ。箪笥の二番目の抽斗に一枚の書類あり。××氏に返却されたし。

と書いて死んでいった。これもいい。

生と死は表裏一体であり、生のなかに死があり
死のなかに生があるとして“刻一刻”を誠実に生きている人にとっては、
あらためての“遺書”などというのは必要ないとも言えるだろう。

『知識人99人の死に方』(角川ソフィア文庫/荒俣宏監修)
「よい遺書、わるい遺書」(岩川隆著)より

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そうすると、私はきっと立派な遺書など書けそうにない。
何より、ひとつ書き始めると、長々とダラダラとなってしまうし、
要するにカッコつけ、言い訳の多い人なのだ。

昨年の夏の終わりに亡くなったじいちゃんは、
自慢話は多いけど、言い訳のとても少ない人だった。
ゴミ出しすら十分にできない身体になっても、
家の中での仕事をほしがる人だった。
父も母も、じいちゃんの「自宅で死にたい」に付き合った。
いかんところがあるからりっぱなところが際立つ。
当たり前か。

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