怒濤の10日間でした。
先輩が原因不明の腹痛で入院して、
その仕事のフォローと
自分の仕事とで徹夜2日×2回。
徹夜ではないけど、事務所に泊まった日、
それはほぼ毎日。
家に帰ってもいいんだけど、
不安すぎるから、着替えとかいろんなグッズを持って
「住んでいる」状態になってしまった。
でも、よくもまあできましたな、という感じ。
なんというか、
客人気分としてしか眺めていなかった
家具のカタログの撮影デビューを
現場仕切りの役目で飾らねばならず、
いやしかし、そこはみなさんのフォローを仰いで
意外と滞りなくできたからホッ。
企画書等々はアホみたいに3つも4つも作りまくり、
企業さんのパンフレットの編集ラフ出しもした。
ほんで自分の仕事、
下着カタログ40ページも2日分の夜中で書ききった。
まあホント、ようやりましたな、て気がする。
わからなくて怖いとか、経験足りないからできませんとか、
そういう次元のモンダイではなく、
やらねばなるまい、やらねば何も進まない、という感じで。
考えてみれば、余裕のキャパシティオーバーな仕事量で、
でもひとつずつを取っても、
他人の仕事だからという責任からか、
どれもおざなりにしないでできたのはエラかったと思う。
その緊張感からか、自分の仕事も緊張を抜かずにできた。
ま、言うてもこちら現場作業人。
やりきった感を存分に味わって、
いろんな人にほめられたり、
何より「西村さんいてよかった」と言われたりで、
今は満足しているわけですが、
そのテンションと合わない、
退院したての先輩とどう話を詰めていくかが
ここ数日の悩みで。
全部毎日報告は欠かさずしていたのに、
やはりその現場にいなければ何も把握できない
てのはとてもよく理解もできるけれど
私は私のものになった仕事を進めるのに必死で
先輩の焦りを感じつつも何もできないのがツライところ。
何かを聞いても泣くばかり、
そんなに泣くなよーと思いながらも、
目の前の席でメソメソと泣いているのであります。
私からすれば、ここ半年ほども家には週に一度帰ればいいほう、
という人をちゃんと家に帰らせることができた病気に、
ある意味で感謝してみるのもいいのではないかと
思ったりもして。
まずは家族、まずはその幸せや安らぎを、て思うのは、
私が現実に独り身だったり女だったりするからなんだろうか。
先輩からすれば、やっぱりそうはなれないんだろう、
それは、今アブラの乗り切った働きざかりの人間だからなのか。
先輩が入院をしている間、
仕事として必要なメールを先輩のパソコンでチェックし、
それを自分のパソコンに転送する作業の中で、
先輩が家族に宛てたメールを発見した。
「おとうちゃんはきょう、さんぽにいきたいです。
みんなでどこかにでかけませんか?
きょうはきちんとかえるよ」
ずっと帰っていない、会っていない家族、
想像するとこちらが泣けて、
お酒をもう飲んでしまっていたせいもあり
事務所でひとり泣き崩れて困った。
ほんの少しの努力と諦めで全部はうまくいきそうに思えるのに、
そう思うと悲しく、仕事ばかりに邁進することに、
単純に疑問を思った時間だった。
誰かのために、仕事をする。
それこそ独り身だからそうそう感じられることじゃない。
何にも変えることのできない誰かがいる、
それはとてつもなく尊いことだと私には思える。
こちらは、単純に便利に使ってもらえればありがたく、
そこのところに焦りを感じて涙を流されるのはとてもツラく、
というか、キャリアとしても周囲からの信頼としても
私とは全然比べもんにはならん人なので
どうして泣いてしまうのかが全く理解できないのだ。
で、それを見て、眠たくなったフリをし、
または新たに自宅から持ってきたバカデカいパソコンに
顔を隠して見ないフリをする。
最近、なんだかちょっとツライ。
みんなが自分らしく、幸せに笑っていけたらと思う。
感覚は人それぞれだから
私が思う幸せが、イコールでそうでないかもしれないけど、
なんかそう思う。
ゆっくりと、じっくりと。
私もいつかって、本当に思う。
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