2011/06/02

跡が遺る。

母が、「うちの庭、もっと自慢したい」と言うので、
手近なところでブログをはじめました。
http://uchi-niwa.blogspot.com/

それに関連して、というか。
育てはじめて5年目に突入したうちの庭は、
たしかに今年、緑が青々と生い茂っている。
1階の庭に面したところにデッキがあるけど、
その目の前に植わっているヤマボウシは、
去年と比べて明らかに葉が大きく青い。
見るごとに、樹が大きくなっているような錯覚すら。
そして、いつの間にか花も咲いていた。
なんでこんなに元気がいいのか、父に問いただすと、
「今年は肥料をあげた」と。
うーむ、効果覿面ですね。


↑これが1年目か2年目ころ。
ちょうどタクマの誕生と同じ頃に家と庭ができました。
緑が少なく、撮りどころが難しい感じ。


↑これは去年。
かなり青々としてきています。


--

田んぼや畑を埋めたてても数年間は土の記憶は消えないとみえる。
団地の隣は、野球グラウンドになっていたが、
いくら抜いても雑草がぐいぐい伸びるらしく、
大海原を行く小舟気分で歩いて行くと、
トビウオのように、シャチのように、
昆虫が次々と弧を描いて飛び出した。
見上げれば、白やブルーの洗濯物が、
団地の灰色を涼しげに包んではためいている。
1965年、できたての団地に入り、
その中に作られた未来派もどきの遊び場に行くと、
自分自身が火星から降ってきたように唐突に感じられた。
道を挟んで向こう側はもう小学校で、
千人の小学生に毎日ばたばた踏まれている青い廊下が
教室と教室の甘いにおいに、
昼になるともう一つ独特のにおいが加わり、
一度も中を覗いたことのない隣の給食センターから
魔法のスープが大量に運ばれてくる。
校庭の垣根の向こうは市役所で、南武線の踏切が見え、
線路の向こう側にある神社や農家や梨園や多摩川が
外国のように遠く感じられた。

※『よむ花椿』2010年12月号
 「自分風土記 298回 東京都国立市富士見台2丁目46番地」
 (文/多和田葉子)

--

最近、歯医者に(ようやく)通い始めました。
とにかく、そこの歯医者は、スタッフも含め、
ニコニコして処置をしながらやんわりと小言を言われる。
主には「なぜこの状態になるまで放っておいたのか」と
「どういうことが原因でこの状態になったのか」の
やんわりとした尋問。
といっても、私は口をあんぐりと開けているので
それを的確に答えることはできない。
心の中にその問答を押しとどめ、
これまで自分が歯にしてきた仕打ちを振り返って
心を痛めるのが関の山か。

飲んだ暮れすぎていた日々から脱却し、
2ヵ月が過ぎると、体質はほぼ変わった。
うちの家での食事が野菜メイン、
そして、お酒は日常的なものじゃない、というのが何より大きい。
あと、生活習慣にリズムがつけられたことも影響しているのか。
単純に、体重が減り、肌ツヤが良くなった。
ガタガタになっていたツメが滑らかになった。
(ツメが体調を表す…とは、事実のよう)
でも、歯は、今までの生活を年輪のように残して消えないので、
それはとてもガッカリというか、反省。
生きてきた過程や環境を表すのは年輪だけじゃないのか。

0 件のコメント: