2010/05/05

最後の将軍のこと。

突然だけど、竜馬ってほんとに
新しいモノ好き、知らないモノを見るのが好き、
で、もしも暗殺されずに生きていたとするなら、
勝手に(図々しく岩崎弥太郎の世話になりつつ)
海外貿易の船に乗って世界を旅したんじゃないか。
そもそも、生き方について不便を感じたのは、
せっかく海外を知る人が周囲にいるのに
自分は自由に外へ出て行けなかったこと。
珍しい品をもっと見たかったし、
アメリカの自由な国家体制というものが
どんなふうなのかを知りたくて、
とかそういう好奇心が出発点だったはずだからだ。

長いことその期待的観測を抱いていたがために、
竜馬を崇め称える周囲の目にも、
ドラマに関しても少々違和感がある。
(別モノとして見れば充分におもしろいんだけど)
「そうだったらいいな」というヒーロー願望もわからんではないが、
いやいや、それよりもっと単純で自己中心的、
単に外の世界を見てみたい、という
個人的な野望を実現するために動き回っていたのだとしたら
もっとロマンチックな話だ。
高知県民にとっては、まっこと土佐の人ちや、と気持ちがいい。
叶えるために人に会い、実現の糸口を探るうちに
ほんまはこうしたほうが筋が通るがじゃないがかえ、
というふうに論じていたというならスイっと腑に落ちる。
(司馬遼太郎も言っているが、高知人は議論好きなのだ)

竜馬と同じ時代つながりで好きなのは徳川慶喜。
したたかで冷徹なイメージばかりが先行するし、
頭の回転が早すぎて周囲にはなかなか理解しにくい人だったらしいけど、
司馬遼太郎が解釈して描いた『最後の将軍』では
妙に人間味があって正直で、意外と無邪気な慶喜は愛らしく、
久しぶりに読み返してやっぱりぐっときた。
どこか引用しようかと思ったけど、
引用するなら解説が一番わかりやすいのでその部分を。
ついでに、やはり時代がそうだったのか、の感嘆もともに。

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慶応三年(一九六七)十月十三日、
十五代将軍徳川慶喜は京都の二条城大広間に在京四十藩の代表を集め、
政権を朝廷に返上する旨を告げた。
この大政奉還の立案者で、
当時河原町通の商家に止宿していた坂本竜馬のもとに、
土佐藩家老後藤象二郎からそのことを知らせる書状が届いたのは
夜も遅くなってからのことである。

竜馬はその文面に眼を通すと、しばらく顔を伏せて泣いた。
同席していた土佐系の志士たちは、
この一事の実現のために骨身をけずる苦労を重ねてきた
竜馬の胸中を思いやって粛然としたが、
竜馬の感動は彼らが想像していたのとは別のことだった。
竜馬は体を横倒しに倒し、畳をたたき、
やがて起きあがると、声をふるわせてこう言った。

大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。
よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。
予、誓ってこの公のために一命を捨てん。


司馬遼太郎は『竜馬がゆく』のなかで、
その最大の山場ともいうべき大政奉還実現の日の
竜馬のふるまいをあらましこんなふうに描いたのち、
竜馬の胸中を推し測って言う。

日本は慶喜の自己犠牲によって救われた、と竜馬は思ったのであろう。
この自己犠牲をやってのけた慶喜に、竜馬はほとんど奇跡を感じた。
その慶喜の心中の激痛は、この案の企画者である竜馬以外に理解者はいない。
いまや、慶喜と竜馬は、日本史のこの時点でただ二人の同志であった。
慶喜はこのとき坂本竜馬という草莽の士の名も知らなかったであろう。
竜馬も慶喜の顔を知らない。
しかし、このふたりはただ二人だけの合作で歴史を回転した。
竜馬が企画し、慶喜が決断した。
竜馬にすれば、慶喜の自己犠牲への感動のほかに、
企画者として、ちょうど芸術家がその芸術を感性させたのと
おなじよろこびもあっただろう。
しかもそのよろこびが慶喜の犠牲の上に立っている、
ということで竜馬は慶喜の心中を思い、同情し、
ついには「この公のために一命を捨てる」とさえいった。


もちろん、この推測は竜馬の側に立っての一方的なもので、
慶喜自身が大政奉還の事業を「自己犠牲」という言葉で
表現しなくてはならないほど深刻なものと考えていたかどうかは、
また別の問題である。
政権を投げ出すことは、
慶喜にとっては「自己犠牲」どころか、
「決断」というほどのことでさえなかったのではあるまいか。
司馬遼太郎はかねてからそう観察していたように思われる。

(中略)

『竜馬がゆく』の場合と同じく、『最後の将軍』でも、
大政奉還をめぐる条々が一篇の大きな山場をなしているのはいうまでもないが、
幕府の大目付で慶喜の幕僚だった永井尚志が
坂本竜馬と後藤象二郎から聞いた大政奉還案のことを、
はじめて慶喜の耳に入れたときのありさまが、
ここではこんなふうに描かれる。

永井は、勇を鼓してこの動きを申しのべた。
が、勇気は無用であった。
(まさか)
と、永井がわが目を疑ったのは、
慶喜が案に相違して怒りもせず、取りみだしもせず、
むしろ目の色があかるすぎることであった。
永井は、次の間で慶喜の感情をおそれ、ひたすらに平伏してつづけている。
慶喜はいった。
「そうか」
それだけである。
それのみを言い、あとは沈黙した。


そして、司馬遼太郎はその沈黙の意味をこう解く。
それは「自己犠牲」などといったことからははるかに遠く、
もし、「よくも断じ給へるものかな」と感動した竜馬が知ったら、
ガックリと拍子抜けするていのものだ。

慶喜は永井にはいわなかったが、
この瞬間ほどうれしかったことはなかったであろう。
慶喜は、この徳川十五代将軍という、
つるぎの刃の上を踏むよりも危険な職に就いていおらい、
慶喜がつねに自分の遁げ場所として考えてきたのはそのことであった。
事態がにっちもさっちもゆかなくなれば、
政権という荷物を御所の塀のうちに投げこんで関東へ帰ってしまう。
「あとは朝廷にてご存分になされ」というせりふさえかれは考えていた。
が、この胸奧の秘策は死んだ原市之進に語ったことがあるのみで、
慶喜はたれにも洩らしたことがない。


「自己犠牲」の感情からだけではない、
慶喜という人は悲憤、慷慨、痛嘆、憤怒など、
いうところの激情からおよそ遠かった人のように見える。

大政奉還後、旧幕色の一掃をめざす大久保一蔵ら薩摩系策士の画策で、
「辞官納地」をはじめ、慶喜にさまざまな難題がつきつけられたが、
彼はさからうことなくそのすべてを請け、
別して嘆くことも、不満をあらわにすることもなかった。
それよりも、策謀家たちの打ってくる手の先を読むことに
興を動かしているふうだった。

(後略)

※『最後の将軍』(司馬遼太郎/文藝春秋文庫)解説より(向井敏)

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“最後の将軍”として立ったのが、
縁の遠かった水戸からの慶喜、というのもおもしろい。
家定・家茂の時点ですでに尻尾は切れていたという解釈もどうだろう。



連休前から高知に帰ってきている。
大阪に戻るのは今月の半ばほどか。
ま、たまには出かけて行ったりもするけど
ほとんどは家で家事と持って帰った仕事に明け暮れる。
気分転換は一日数本の喫煙タイムで、
室内は禁煙のため、庭に出てタバコを吸うことになる。

家の庭は、旧家とは違ってけっこう広い。
父親がせっせと山から木を移植し始めたのが数年前で、
今はツツジもモミジもキレイないい庭になっている。
コケや雑草も元気で、中には珍しいクマガイソウなんかも。
そんな場所には動物も多く、
蜂やミミズ、モグラがウロウロしているのはよく見るが、
昨日は鱗がべっ甲色に光るトカゲの走る姿を発見した。
タバコそっちのけで追っかけて捕まえてみたい気がしたけど
いきなり尻尾を切られてびっくりするのも
さすがにちょっと恥ずかしい気がしてやめた。

そんな夜に、夢を見た。
都会の真ん中で、ビルの上からバンジージャンプをしたら
そこを歩いていた人にぶつかって殺してしまうという夢で、
事故なのになぜか私はその事故を隠蔽しようとして必死で逃亡、
詳しくは覚えていないけど、
その追いかけてくる警察も顔は無表情で
なんだか理不尽な罪をかぶせようとしていたように思う。
その秘密を唯一知っていた男の人と共謀するふりをして
彼のこともビルから突き落として殺してしまった。

ドキドキして落ち着かないまま目が覚めた。
トカゲの尻尾を思い出した。

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