ちょっと前のこと。
弟カップルに誘われて、広島の母の実家に行ってきた。
母の両親は、もう70歳も過ぎているのに
未だ現役バリバリの農家だ。
ナスもネギもふつうに見るのより1.5倍はある。
「うち(実家)で作ってる野菜より立派やねぇ」と
今さらの気づきを口にしていると
母親から「そら、この人らはプロやからね」とたしなめられた。
じいちゃんもばあちゃんも色黒く、
早朝に起きだして畑の世話に行っている。
実家のほうの祖父母と比べると
心身ともに健康そのものといった感じで、
健康そのものな二人の作った野菜はもっと若くて健康。
ちょっとトクした気分になったのだった。
ひょんなことからばあちゃんが
「インターハイ出たときの写真あるよ」と言いだしたので、
夜中だというのに古いアルバムをごとごとと出して
母親と祖母とで眺めながら、
採れたての大根の葉をアテにチビリチビリとワインを飲んだ。
古いアルバムには戦時中の写真も残っている。
写真は全部白黒だし、数も少ないから
当時の街の様子は想像できない。
あるのは、集合写真に人の正面写真。
みんな気合いのこもった顔をしている。
若いときのじいちゃんは、キレイに整ったオトコマエだった。
ばあちゃんは、お世辞にも「キレイ」なんて言えないけど、
「あのときは若いうちに結婚をして、
じいちゃんとこは兄弟も多かったから
母親代わりに世話していた」なんて話を聞くと、
コマメに気の付く、
しっかりとしたええ娘さん具合が目に浮かぶのだった。
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引きだしに、絵はがきの束をしまってある。
気に入ったものを見つけては買ううち、増えた。
物価があがるなか、絵はがきの値段は二十年まえと変わらない。
不思議なことと思っている。
学校のそばに、絵はがきを専門に売る店があって、
四年間アルバイトをした。
その店にいたおかげで、筆無精もすこしあらたまり、
週にいちど、郵便局に行く用事がある。
記念切手を貼り、あかいポストに落とす。
便せんをひろげて、ちゃんと書こうと思うと、
思うだけで日がすぎるばかりとなる。
それで、拝啓とはじめなくてはいけない先輩あてのお便りも、
こんにちは。以下いきなり用件として、失礼してしまう。
はがきの片ほうには、絵や写真が印刷されている。
反対がわの半分に、宛名を書く。
そうすると、書くところはぽっちりしかない。
あれこれお世話になったこと、
楽しかった集まり、いただきもののお礼。
しばらく会わずにいるひとには、
きのう見た展覧会のはがきに書き、みやげのかわりとした。
おなじ絵を二枚買い、一枚は壁に貼った。
インドの風景画は、昼寝のまえにながめると、夢見がいい。
おなじように、猫のはがきを見れば、猫好きの顔が浮かぶ。
悪筆でつづる近況報告より、
おどろくほど伸びきって寝ているトラ猫を見せたくて送る。
せわしなく暑い日、はがきをえらび、切手を貼る。
への字の口でペンを握り、
インドの景色のように乾いて音のない、
しろい昼さがりにもぐる。
ここにいないひとと向かいあう。
話しかけるひとは、おだやかな表情で、なんにもいわない。
瞳の動きはおぼろで声も聞こえないのに、
会っているときよりも、ことばに頼らずにいられる。
ゆるやかな波が通いあい、宙に浮かぶ。
かたちのない、やわらかなものが、
そのひとにむかって流れていくのが見える。
はがきのかたちに切りとられた短いひととき、
ひとのあたまに細く透明な触角が伸びて、
たがいに交信しているのかもしれない。
行をならべるにつれ、文字がちいさくなっていくのは、
小学生のころとかわらない。
たくさん書いても、まるで上達しない。
筆のさきは、寸詰まりになっていくほどあわてる。
ありがとう、お元気で。
このあたりにくると、けしの粒をならべたようになっている。
読めるかな。
ひらひら振って、インクを乾かし、切手をなめる。
ちいさくなっていくほど、
あて先にいる姿をありありと追いかけられる。
それは、駅のホームで見送る心もちと似ている。
窓ごしに、ゆっくり口を動かし、首をかしげる。
身ぶり手ぶりで伝えると、
いつもより、おおきな笑い顔を見せあう。
走りはじめたら、しばらくついて歩き、あきらめ、手を振る。
そのとたんに、懐かしくなる。
書き終え、息をつき、壁の絵はがきを見る。
ラジオから民謡が聞こえ、ここにいるとわかる。
椅子の脚もとには、ホームに残ったひょろ長い影がある。
『絵はがき』(文:石田千/暮らしの手帖2008年夏号)
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居候気味にいつかせてもらっている野田の事務所にいると、
ほとんど毎夜、先輩と、さらに先輩の先輩といっしょに
街にくりだすことになる。
私は、自分の仕事や考えていることに
興味津々で乗り出してくれるのがうれしく、まぁ、よく話をする。
イナカのことを話せば、行ってみようと計画を立て、
仕事の悩みを話せば、解決の糸口をするりと垂らしてくれる。
好きに提案をして好きに作るには、
考えも甘く、方法も少なく、手数は多い。
まだまだやなぁと、かつての自分を見るような顔で言われるのも
悔しさ半分、居心地のよさ半分かと。
とにかく、興味を持って関わってくれるのがうれしいのだ。
いくら興味深い仕事をさせてもらっても
仕事をする相手が無反応ではちょっと寂しい。
想いが強くなれば強くなるほど、
思い入れを共有してくれているかは気になる。
こちらはまだ未熟者でもあり、
やっていることに不安も出てくるし。
そういうときに、先輩方のように
横から口出ししてくれる人らがいるとありがたい。
仕事も、会話のようにやるのがいい。
さて、今度は岡山の仕事。
いつまで続くか地方行脚。
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