昨日ボンヤリと、15年、20年先の自分と周囲のことを思った。
いつも髪を切ってくれる斉藤さんを思い出したのが始まりで、
斉藤さんが大阪に来た甥っ子を居候させているのを思い出して、
もしタクマが大阪に来たらやっぱりいっしょに住むのか、
そういえばその頃はもう50歳前なんだなと。
そしたら急に目の前の景色が懐かしく見えてきてギュッとなった。
そのときは昼の宗右衛門町を歩いていたんだけど、
いつもは忌まわしく思う帰宅途中のホストの群れやらも
見ていて「あー」となった。
きっとそこに住んでいても気付かないくらいに
じんわりと何もかもが変わっていく。
少し前に取材した旧い洋食屋のおっちゃんが
「街の景色とか通りの数も変わったけど、変わったような気がせえへん」
と言っていた意味を思ってまたキュッとなり、
ユウジが自分のいる路地がなくなることを
「悲しいけど、そこに住んでいる人らは、変わるのは仕方ないと思ってる」
と言っていたことまでもまた郷愁、という感じがした。
私らは年を取り、老いていく。
でもその後には私らが今味わっている希望や挫折を、
私らの両親の「それ」を想像できないのと同じように
想像できない世代ができていくんだ。
取材の移動中、カメラマンに、そんなとりとめのないことを思ったと言うと
「流れのまま、ですよ」と答えられ、また、あー、となった。
昨日はとても天気がよく、おそらく体調も精神も健康で、
そういうときに限ってチョーシよく思うあれこれ。
どうしようもないことだから、考えたって仕方ないんだけど。
しかし昨日は、おもしろいことがいくつもあった。
取材の間のすっぽり空いた時間に、
同じ年の店主の怒濤の1年間について話をした。
おじいさんが亡くなった後、10年来のバンドを抜けて、コーヒー屋を始め、
そして今度は5年続いた彼女とも別れると思うと言っていた。
彼がこれまで描いてきたおぼろげな未来予想図とは少し方向が違ってきたと。
しんみり、だけど、前向きで強い。
コーヒー屋をやるように誘ったネエさんは、やっぱりさらに強かった。
取材が終わってフラフラと行った富士では
ミーツにもステキなイラストを描いてくれている奈路さんと会った。
たまたま同じ高知出身、それも同じ地区に区分けられる町と村、
最初の恐縮なんてすぐに吹き飛んで地元話に盛り上がった。
その盛り上がり具合は「奈路さんがそんな喋るの初めて見た」と
同行者に言われたほどで。
うれしくて連絡先を交換し、また飲みましょうとなった。
ついでに言うならきつねうどん氏も富士にやってきて、
偶然ながらやよねぇもやってきた。
おもしろい縁がいくつもあった夜だった。
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