いくらも自分では笑っておもしろがっていても、
隣にいる誰かが、仏頂面をしてクスリとすらしないこと。
隣にいる誰かを楽しませてやれないこと。
私は自らをどこででも楽しめる人間だと自負しているが、
気付いた瞬間にサァーッとすべての色が真白に見えてくる。
そんなときが一番嫌いだ。
楽しむことを押し付けることすらできないことにも無力感を思う。
ついこないだそういうことがあって、少し落ち込んだ。
天気のすぐれない空も、せっかくの漁港の魚も、
色がわからなくなって匂いも味もなくなった。
そんな自分の度量のなさにもホトホト嫌気がさしたのだった。
「おもしろくないと言ってるアナタがおもしろくない」
まさに。
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夜明け前の甲州街道を酩酊しながら歩いていて、
なぜかシマウマが目の前を横切ったような気がし、
やはり基本姿勢としては無垢に愛することしかないのだと強く思い手を叩く。
ボクは電柱を愛する。
街路樹を愛する。
落ち葉を愛する。
立ち蕎麦屋の灯りを愛する。
たとえばこの薄暗い東京のビル群が
自分に対してさほど甘い香りを与えてくれない代物だったにしろ、
ボクはこの垂直の影影影を愛する。
目の前を過ぎ行くバイクの音、トラックの排煙、
煤けた路肩に散乱する空き缶もすべて愛する。
愛して歩いて行こうと思う。
むろんボクは人間を愛する、ことにしよう。
これからはそうしようと思う。
苦手な人でも嫌いな人でも会えば愛していると思うことにしよう。
タクシー代まで飲んじゃって
始発まで歩くことになったこの男の性懲りの無さも許して、
できれば愛してやりたい。
つまりボクはこの世をすべて愛して、
この世から消え去る時が来ても
あの世もどの世もすべて愛して行こうと思う、
と誓ったところで明治大学横の広大な墓地に出た。
盛大な歓声が聞こえたような気がした。
過去からか?
未来からか?
虚空のシマウマからか?
「もの語りのうぶごえ94(文:明川哲也)」
『野生時代(角川書店)』2008年4月号より
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まみれろ。
おぼれろ。
冷静な分析はあとにして、
とにかく一番いい空気を吸える場所を自分の手で。
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